05 俎上でコスメ
「えーと、日生……え? ひなせ……かれん?」
ほらきた。
教壇から、疑問符を添えて呼ぶ教師の声は、想定内だった。
前髪でよく見えないが、きっと眉間には皺を寄せているのだろう。
「はい。」
困らせるのも気の毒なので、できるだけ自然に返事をする。日生なりの気遣いだ。
「えっ……女子?」
「カレンだって。」
「んぷっ……ちょーかわいー。」
「ちょ、やめー。」
教室内からまばらに、無遠慮な驚愕と嘲笑が湧き上がる。悪気無く注目する生徒もいれば、笑ってなんぼといった生徒も。
つい視線を走らせてしまったところ、わざわざ振り向いてまでニヤニヤ眺めてくる女子生徒と目が合った。気の強そうな派手な女。しかもそこそこ容姿端麗ときた、典型的なカースト上位女子。彼女は間違いなく後者だろう。日生は存外、冷静に分析していた。
まあ、そりゃそうなるだろうよ。
憤慨や羞恥より納得が先行し、あきらめる。
この顔、この風貌、誰が女と思うものか。
しかも入学初日。フォローしてくれる知り合いもいない。だいいち、制服規定の無い私服校を選んだ自分にも非があると、日生はひっそり自責する。
確認できないが、きっと先ほどの派手な女子生徒だけじゃない。教室中の視線が集中している。
問題ない。すぐ静まるさ。物珍しいのなんてたかが数日。来週には平穏な高校生活が始まっているさ。
日生は存外、暢気でもあった。
これもまた、あきらめだったのかもしれないが。
男と勘違いされるのは、嫌でも億劫でもない。
それが原因でいじめられたことも、失恋した過去も無い。
いじめ甲斐すら無い人間だし、恋愛に関しては未経験だ。
女らしく扱ってほしいとか、そんな欲求も皆無。
それなのに、何故、こんな前髪に隠れるのか、
鎧を、被り続けるのか、
「娘は父親に似るって、よくいうけれど、」
…………。
「いくらなんでも、瓜二つね、」
男に見紛われたくないわけじゃない。
女扱いを望んでいるわけじゃない。
ただ、それでも、前髪で隠さなくては、いけなかった。
「あなたは、あの男そのものよ。」
無価値な、顔だったから。
無価値な顔。
あの男と、同じ、顔。
…………、
『同じ子供です。私の子供達です。』
…………うるせえ
バーーーーーーーーーーーーーーカ
「────えっ!?」
「…………え……?」
目が覚めると、真正面にアメリの顔があった。いやに近い。
片手でも納まりそうな小顔に、透きとおるような膚と目。あどけなさの中に漂う絶妙な色香……こうやって、改めて間近にするとやはり思う。黙ってさえいれば勿体ないほどの美少女だ。
なんかむかつくな、こいつ。実は体毛が濃いとか欠点があればいいのに。
寝起きのせいか思考が迷子状態である。特に日生の場合、起動が遅い。
目覚めてから向き合うこと数秒、アメリは大げさに瞳を潤ませ、両手で顔を覆い、わざとらしい悲しみを演出して見せた。
「ひどいっ……日生ちゃん、いくらアメリがバカだからって……そんなハッキリ言わなくても……っ」
(あ。寝言、言ってたんだ私。)
面倒なリアクションはこの際スルーで、自分の行動にのみ着目する。
「おつかれさま。髪、終わったよ。」
アメリの後ろで穏やかに微笑む朝丘の存在と、ゆったりと奏でられるその発言に、眠り落ちる前までの記憶が戻った。
そうだ。この、営業してるかしてないかよく判らない店で、この、天使の魔力を持つ美容師に髪を切られていたんだった。
心なしか頭が軽い気がする。視界を遮る前髪も無い。
「あーだめっ! まだ見ちゃだめなのっ、」
鏡で確認しようと振り向きかけたところ、アメリが阻止してくる。
「これからアメリが仕上げするんだから。」
びしっと人差し指を立てる彼女の横には、コスメをふんだんに乗せたケースワゴンが配置されている。
……え?
化粧……すんの? あんたが? 日生が口を開くより先に、アメリはシャドウブラシを指に挟んで、にししと悪い顔を見せた。
「アメリちゃんきっての、ご要望でね。」
「いくらミチオちゃんでも、これだけは譲れないもん。」
「譲れ。譲ってくれ。いや譲ってくださいお願いします。」
さすがの日生も即刻、割って入り懇願した。
冗談じゃない。プロが施してくれるならまだしも、素人、しかもアメリ、しかも施術対象が日生……する側とされる側、双方共々爆弾でしかない。
アメリの顔を彩る化粧は、奇抜で個性的でしかも濃い。しかしそれは、彼女の美貌だからこそ粗末にならず『メイクアップ』として成り立つ代物だ。そんな代物、こんな顔に塗ったくってみろ。
爆発するぞ。誰も幸せにならんぞ。
「ほんと、まずいから。えらいことになるから……」
謙遜などくそくらえ。日生は真摯なトーンで心から拒絶した。
無論、はいそうですかと引き下がるアメリではない。
「だいじょぶだって。アメリを信じるがよろしー。」
「いや信用とかそういう問題じゃないんだって……」
「まーまーよいではないかよいではないか。」
「よくないから。」
「観念するでやんすよ~。」
「キャラ定めろや。」
「痛くしないから。ね?」
「やめろその言い方。」
「こっ……ここまでいじらせといて寸止めなんて、ひどい! ヤリ逃げダメ! 絶対!」
「めんどくさ! あんたいちいちめんどくさ!」
にじり寄るアメリの両手を、日生は鷲掴みにして抵抗する。二人はいわゆるカップル繋ぎの状態で鬩ぎ合い、攻防戦に突入する。本人たちはともかく傍から見る分には、実に愉しそうなお戯れである。
なかよしだなあ……
まさしく、二人の攻防戦を暖かい眼差しで傍から眺めていたのが、朝丘道臣である。
「ひなせさん、」
しかし彼もいい齢の大人だ。ほほえましい光景も程々に、終戦へと導くことにした。
「だいじょうぶ。アメリちゃんは、上手だよ。」
日生にとって彼の一言は、安楽死による死刑宣告だった。「安心しなさい」と「諦めなさい」をワンプレートで差し出してくるような、天使のお告げ。
頼みの綱は切れた、あるいは四面楚歌か……
天使の終戦宣言により、日生は防衛の手を緩める。そして無気力に座ることにより、アメリへ委ねる旨を報せた。
俎上の鯉となった日生を前に、アメリは鼻歌まじりにケースワゴンを漁り始めた。チューブを二本選び、手の甲に絞り出す。そして指で丁寧に日生の顔に塗り始めた。
まるでパレットと絵の具だな。アメリの手を経由し、自分の顔に塗りたくられてゆく様子を、日生は横目で観察しながらそんなふうに考えていた。つまるところ、現実逃避である。
観察をしていると、どうしてもアメリの手ばかり見てしまう。透明感のある手だ。色白く繊細な指の先端にはネイルが施されていて、その精巧な飾りには、現実逃避とは無関係に目を見張るものがあった。
「……その爪、自前?」
つい話しかけてしまった。
「ん? そだよ。」
アメリは手を休めずあっさりと返答した。
「器用なもんだね。」
日生も、あっさりと感想を告げた。
黒と白とグレーが主な配色のツイード柄。色合い自体は落ち着いた印象だが、所々パールがあしらわれており、女性らしさと華やかさも感じられる。お世辞ではなく、この出来は大したものだと思えた。
「えへへ。お師匠の腕が良いから。」
お師匠? ふざけた呼称に首を傾げると、アメリは手を止めて顔をぱっと輝かせた。
「アメリのママ。」
とたんに心臓が鳴る。
痛い、ような、和む、ような、
悔しいような、羨ましいような、
どうにも、複雑な鼓動。
「母親、仲、いいんだね。」
しぼり出すように日生は言った。
「うんっ。しかも超美人だよ。アメリには敵わないけど。」
アメリは作業を再開しながら明るく答える。
「自分で言う?」
「あはー。あとね、ちょっとだけ日生ちゃんに似てる。」
「冗談。きつ。」
「冗談じゃないんだなーそれが。同じ系統の美人。」
「やめてよ。」
「雰囲気っていうのかな。ちょっとえっちいのに爽やかな感じが似てる。」
「意味不明。」
「中性美人てやつ?」
「やめて。まじでやめろ。」
「ああ、似てるかもね。」
似てる似てないの攻防戦にも、大天使は参戦してきた。小さく何度も頷き、いかにもな「納得」の仕草を表す。無意識ならではの穏やかな追撃に、日生の表情は更に険しく、アメリのほうは更に華やぐ。
「ね、ね? ミチオちゃんもやっぱそう思う?」
「……勘弁してください。」
やはり敵陣では不利か。和気藹々と盛り上がる二人を前に、日生は溜め息をおとした。
溜め息は、あきらめ。
あきらめは、油断に等しかった。
「アメリは日生ちゃんの顔、超好きだけどな。」
唐突に覗き込んできたアメリに息を呑む。
あどけない満面の笑みが、日生の油断に射しこむ。
「だから、いっぱいおしゃれしてほしいな。」
また心臓が鳴る。
過去と未来と現在を巻き込んだ、複雑な、音。
日生の心情など、立場など、事情など、彼女が知るはずもない。
だから、こんなにもまっすぐ笑うのだ。
「せっかく女の子に産まれたんだもん。」
強烈で強引で強硬に近づき、手荒く愛を、示すのだ。
「…………。」
「って、ちょっと前時代的性差別的ですかな~?」
……はやく済ませてよ。素っ気なく返す日生に、アメリは「もー」と、お決まりの如く頬を突っつく。そして作業と同時進行で、休みなく雑談を垂れ流し続けた。
こいつと、某ランドに行ったら待ち時間も短いだろうな……再び起動した現実逃避で考える。勝手に喋り続けてくれるし、退屈はしないだろうけど……ネズミの耳、強制されそうだな……バケツのポップコーンも……
つらつらと物思いに耽る日生の顔を、アメリは無遠慮に飾ってゆく。
手で、指で、チップで、ブラシで、目と眉と頬と口と、顔中隅々、触れてゆく。
日生果恋を、創りあげてゆく。




