04 伏兵なるエンジェル様
母の声は甲高く、幼く、少女のようだった。
その特徴的な声が、他者……たとえば、同級生たちの母親とは違うのだと日生が気づいたのは、割と早い年頃のこと。
「あなたは本当に、パパそっくり。」
同時期に、日生は自分の置かれている環境の異質さにも、気づく。
「どんどん似てくるの、彼に。」
母は、娘の物心つく頃から、父の存在を度々口にするものだった。
娘が幼子のうちは「パパ」と、
少女になる頃には「彼」と、
そして思春期を迎える頃には、「あの男」と呼称を変え、
「まるで……あの男そのものよ。」
時が経つにつれ、娘の面影に残る男を、疎むようになっていった。
「……果恋なんて、命名るんじゃなかった。」
くそみたいな人生にも
世界にも
慣れっこだったはずなのに
まだ
とどめは刺されていなかったのだと
今だから わかる
「────…………」
「……せちゃん……日生ちゃん……ひーなーせーちゃんっ、」
バス特有の心地良い振動が、眠りへと誘ってからどのくらい経っただろう。
現在どの辺りを走っているのかなんて見当もつかないが、アメリが声をかけてきたということは、そろそろ目的地ということだ。
このまま無視してしまおうか。
日生の陰湿な面が囁いた。
狸寝入りに徹して、ハプニングを装って降車しなければ、憂さ晴らし程度の復讐になるのではないだろうか。昨夜から今の今までほぼノンストップで振り回してくれてやがる、この少女アメリに一泡吹かせてやれるのではないだろうか。
実に生産性のない無意味な反逆を、瞼を閉じたまま目論む。
「……。
はーい。あと三秒以内に起きないとベロチューの刑でーす。」
そこから開眼までは、ものの二秒もかからなかった。
「ついたの?」
「ちっ。」
何事もなくICカードを取り出す日向に、アメリはほぼ声の舌打ちを鳴らした。
脅迫紛いな連行の末、到着したのは、業種不明の何らかの店舗だった。
降車したバス停から徒歩数十秒。マンションの一階部分を占めたその店舗は、白を基調とした外壁に蔦模様の塗装があしらっており、赤い木製の窓枠と扉が目を惹く外観。
……カフェ? ……美容院? もしくは雑貨屋か? 日生は様々な可能性を推測する。一応壁には、『Lapine』と店名らしきロゴもあるがそれ以外の看板及び情報は無く、外から窺える限り営業中とも思えない。
あれこれ考察する日生を余所に、アメリは彼女の手を引くと、まるで帰宅も同然に扉を開いた。
「おじゃましまーす。」
アメリの自宅、という線も視野に入れていたが、どうやら違うらしい。
しかし、正解していた考察もある。
どうやら美容院のようだ。外観同様デザイン性のある内装に、特徴的な椅子と対面する鏡。高い天井から吊るされる煌々とした照明。なんの変哲も無い、小洒落た美容院である。
それにしても妙だ。日曜の午後だというのに、客の一人どころか従業員の姿も見当たらず、いやに閑散としている。
「ミチオちゃーんっ。アメリだよー!」
ただでさえ喧しいアメリの声が余計に響く。
彼女の呼びかけから少し間を挟んで、奥から男が現れた。
「ああ、いらっしゃい、アメリちゃん。」
男はゆったりとした口調で穏やかに微笑んだ。
見たところ三十代半ばほどの、物腰が柔らかい優男だ。口調だけでなく仕草も落ち着いており、視線をまずはアメリに、続けて日生へと丁寧に移す。
「どうも。」
そして絶妙な間で、にこりと目をほそめた。
対照的に、アメリは日生の手を引いたまま、賑やかに男のもとへと歩み寄る。
「この子この子っ、電話で言った子っ。」
紹介のつもりか、背後に回りこみ背中を押した。
「ちょっ、まっ……」
把握できない状況下、しかも初対面の相手と強制的に向かい合わされ、戸惑う日生だったが、男のほうはまたもやゆったりと、小首を傾げ穏やかに微笑んだ。
「スタイリストの、朝丘、です。」
あさおか です。
たった六文字の音が脳内で自動的にエコー編集され、落ち着き払った声が谺する。
谺が鳴り響くやいなや目が眩んだ。
……なんだ、何なのだこの男……なんか後光が射してないか……? 決して色男の類いではないというのに、彼に刮目せざるを得ない。
…………ん? スタイリスト? え? 日生は混乱する。
眩ませながら向かい合うこと数秒、えもいえぬ空気に包まれる中、朝丘と名乗る男はまたもや穏やかに口を開いた。
「あ。ごめんね、まだ、名刺、できてなくて。」
「……へ? いえ……そんな、」
「朝丘道臣さん、通称ミチオちゃんだよー。ねーねーミチオちゃん、この子、生まれ変わらせちゃって。」
空気をぶち壊すようにアメリは割って入る。背後から日生の肩に手をのせて、軽やかにぴょんぴょんと跳ねる。
「こんなクソダサだけど、日生ちゃん、素材は最高ですぜぃ。」
唐突に辛辣だな。いやわかるけど。この容姿身形存在そのものが目に余るのは、百も承知だけど。そもそも、そんな相手にまだ妄言をぬかすのか、あんたは。
背後ではしゃぐアメリへ無言で訴える。もう幾度願ったことか直ぐにでも引っ叩きたいところだったが、この謎のスタイリスト、朝丘の魔力により体が動かない。
「ほんと、ほんとにね、めっちゃ可愛いの。絶対イケるはずなの。アメリが保障しちゃう。」
「……!」
そうか。そういうことだったのか。その瞬間、日生はとある仮説をたてる。
アメリの目的は日生の魔改造。これはそれとなく勘付いていた上、ほぼ確定だ。
問題はここから。
アメリによる横暴な改造を、日生がそう易々と受け入れるはずが無い。確かに脅迫により、ここまで連行はされてしまったが、まったく無関係な第三者が関わってくる改造となれば、話は別だ。
その第三者に日生の意思を伝えることで、計画を白紙にできる可能性が出てくる。
しかし、
そんな可能性、彼女はとっくに見通していたのだ。
「そうだね。アメリちゃんが言うなら、安心、かな。」
「もーミチオちゃんってば、いちいち天使なんだからあ。」
この女、策士だ。あえてこのスタイリスト朝丘を、第三者に選びやがった。
天使を召喚しやがった。
口を半開きに石化状態の日生に、更なる追加攻撃が加えられる。
「ひなせさん。
よろしく、おねがいします。」
後光と共に止めの笑みが貫通した。
しかも大天使ミチオの前では、『拒む』・『断る』・『斥ける』・『拒絶の意を伝える』・『横暴な経緯を説明する』の全てが無効化されるときたものだ。
柔らかな物腰から繰り出される丁寧な辞儀と、脳みそを暖かく包み込む穏やかな声調(※エコー幻聴付き)に朦朧とした日生は、誘われるままにスタイリングチェアに腰を降ろしてしまった。
泣きたい。
陰湿なくせに、ここぞという時にノーと意思表示できないザ日本人な自分を、呪いたい。不本意な展開への八つ当たりか、日生は鏡に映る自分を怨念の眼差しで見据えた。
「…………なに。」
鏡の中で座る日生の真隣で、アメリが中腰になって並んでいる。愛らしい顔をこれまた嬉々とさせていて、日生との温度差が激しい。
「もー。そんな顔しないでよー。大丈夫っ、ミチオちゃんの腕は確かだから。」
そういう問題じゃねえよ。沈んだ表情のままの日生の頬を、アメリは最早慣れた手つきで突いた。日生も最早今更な愛情表現に、されるがまま突かれた。
「日生ちゃん、」
無抵抗な日生の両肩にアメリは手を置く。鏡を経由して見つめたまま、顔をぐいと近づけた。
「人生、はじめようね。」
甘く、とろけた声が耳に浸透するも束の間、アメリは日生の肩を無邪気に叩いて、ポジションを朝丘と交換した。
「三時間くらい?」
「んー……もうちょっとかかる、かも。」
当人の意向無視で話し合っている。え……そんなにかかるんですか? 日生は一人虚しく唖然とする。
鏡で反射する背後では、アメリが「まじかー」などと言いながらソファで寛ぎ、スマホをいじりだしている。「マジか」なのはこっちの台詞だろ。ありったけの眼力を込めてアメリを睨んでいると、突然視界が開けた。
「わあ。ほんとう、美人さんだ。」
後ろから手をまわして朝丘が前髪を上げてきた。そして、ふふ、と優しい笑いをこぼす。
「でも、ちょっと眉間に、しわ、寄せすぎかな?」
言われて、鬼の形相に気づき赤面した。表情を戻そうとして余計に不自然な顔になる。変な汗も噴き出てくる。
学校でさえ極力コミュニケーション避け、生きてきたのだ。美容師と一対一なんて拷問に等しい。前髪をフルオープンにされるこの状況もまた、日生に追い討ちをかけていた。
まるごしの心臓が、寒くて震える。
「びっくり、させてやろうね。」
穏やかな声が、ちいさく、暖かく、日生の耳だけを包み込んだ。
「彼女のご注文どおり、生まれ変わって、さ、」
くすくすと、朝丘のどこかいたずらな囁きに、凍結寸前だった心臓がとけてゆく。
「……。」
不意に生じた油断なのか、ゆとりなのか、心変わりかは判らないけれど、ここでようやく鏡に映る自分と視線を合わせた。
くそみたいな人生を歩んだ、無価値な顔だという思想は、やはりぬぐえない。
「はじめなきゃね、人生。」
「…………はじめ……られますか、ね……」
今はまだ、どうしてもぬぐえない。
だけど、望むくらいならと口にできたのも、不意に生じた事実だったりする。
悔しいことに、背後でだらだらと寛いでいる、
鬱陶しく面倒くさく馴れ馴れしい、手荒な女のもたらした、事実だったりする。
「大丈夫。もっときれいになるよ。」
……買いかぶり過ぎです。日生が反論を呟くと、朝丘はまたくすくすと笑った。
「なになにー? なんの話ー?」
二人の様子に気づいたアメリが、今になって割り込んでくる。
「ん? うちあわせ。」
「えーあやしー。」
「ふふ。そうそう、先週、行って来たよ、愛媛。」
「まじっ? 伯父さん元気だった?」
朝丘の巧妙な話題逸らしにアメリは容易く乗せられた。彼は案外曲者なのではと、日生は感知する。
「うん。旭さん、アメリちゃんに、すごく会いたがってたよ。」
「アメリもあいたーい。伯父さん超好きー!」
「それと、星ちゃんだけど……」
「あ。あいつはいいや。」
たぶん、内輪話だな……
蚊帳の外の時間はほんの僅かでしかなかったが、昨夜からまともな睡眠を取れていない上に、無駄に体力を消耗していた日生がうつらうつらするには、充分だった。
「うん。星ちゃんも、「オメーはいいや」、だってさ。」
「は!? うざ! 何あいつ、うざ!」
寝てはいけない。寝てはいけない。寝てはいけない、ねては、いけない……
せめてカットまでは耐えるつもりだったけれど、後ろ髪の施術も終わらぬうちに、限界に達した意識は、あっけなく飛んだ。




