38 バイバイ夢物語
「あめりちゃん……?」
その特殊な響きを聞き間違えるとは到底思えない。ちさとの口からは発せられたのは、
「んにゃ?」
「……あめりちゃん! やっぱりあめりちゃんなのです!」
紛れもなく、雨宮アメリの名であった。
思いがけぬ呼称にしばし疑問符を浮かべていたアメリだったが、やがて何かに気づいたのかぱちんと手を合わせ、頭上の疑問符を電球マークへと変えた。
「うっそマ!? ちさちゃんだ~!」
ちさ……ちゃん?
塩一つまみ程度のアレンジではあるが、ちさとへの愛称にまず間違えは無い。二人は同時に顔を輝かせると、どちらともなく両手を恋人繋ぎ状に合わせ、きゃあきゃあとはしゃいだ。
「うひゃー! おひさすぎる~! 五年ぶり……くらい!?」
「五年四ヶ月と十三日ぶりなのです!」
「あはー、精密かよ。そかそか~、お互い受験やらおうちの事とかで会えてなかったもんねえ。」
「ちょっと遊ぶってだけだと遠いのです。新潟と東京って。」
「それな~。」
…………おや? 今度は私が蚊帳の外になってません??
なるほど、アウェイが迸るとこんな表情になるのか……。ほんの数分前のちさとの表情を思い出しつつ、果恋は今まさに自分がその状況に陥っていると痛感する。
(いや別にいいけど。仲良きことは素晴らしきかなだけど。和むよ、美少女×2のきゃっきゃうふふは眼福でしかないよ。だがしかしえ? 顔見知り?)
予想だにしない急展開に脳内処理が追っつかない。
「アメリのママとちさちゃんのママ、幼馴染なんだ。」
一頻りはしゃいだアメリはようやく果恋の放置に気づくと、嬉々として説明しだした。
「幼なじみ?」
「はい。母の実家は東京なので。」
「そ。ちさちゃんのママね、帰省のときは必ずちさちゃん連れてきて、うちのママのところ遊びに来てくれてたの。だからアメリ達、小っちゃい頃はよく遊んだんだあ。」
なるほど。つまり母娘二代で幼馴染ということか。
「へえ。世間は狭いにもほどがあるね。」
「あはー。それな。」
それならば先のはしゃぎっぷりは無理もない。積もる話もあれば思い出話に華も咲かせたいだろう。しかも疎遠だった幼馴染が今や有名人であるのなら、なおのことだ。
「ちさちゃん、今売れっ子声優さんなんだよね?」
アメリはさっそく、現状の『甲斐ちさと』について意気揚々とふれた。
「えっ…………う、うん。」
意外なことに、ちさとはどこか謙虚な姿勢をみせる。
(……?)
果恋は密かに首を傾げた。これまでのちさとから推測するに、本来なら高慢ちきに威張り散らしても不思議ではないだろうに。むしろそっちのほうが自然だろうに。
遠慮がちに身をすくめるちさとに対し、アメリは瞳を爛々とさせた。
「はえ~やばー!」
「あの、えっと、その……、
…………ひいた……です?」
「? ほえ? なんで?」
「その……あめりちゃんは、やっぱり……その……嫌かな……って、」
「???
んや? めっちゃ周りに自慢するレベルだけど?」
返事を聞いた途端、ちさとの表情は先の再会を上回るほどにぱあっと華やいだ。
「こっ……このワンピ、どうです!?」
そして突然に、果恋からの借り物であるカーディガンを捲り、隠れていた私服のワンピースを披露する。アメリは「およ?」と覗き込み、「ふむふむ」なんてふざけた反応をとったのちに、ほんわかと綻んだ。
「超可愛いじゃん。めっちゃちさちゃんって感じ。こりゃトップアイドルですわ~。」
「!! あのねっ、あのですね! ほんとは、いつもはちゃんとお化粧もしてるのです!」
「待って当てる! シャドウはピンクベージュ系で、マスカラはブラウンっしょ?」
「正解なのですっ!」
「あはー、よっしゃ! てかそのカーデ、カレンちゃんのじゃん。」
再び始まったきゃっきゃうふふの掛け合いの中、アメリはさも当然に果恋をも輪に巻き込んだ。完全に油断してコーヒーを啜っていた果恋は、これまた完全に忘れていたカーディガンについて説明をする。
「さすがにすっぴんでその服は浮きそうだったからさ。それに、目立っちゃまずいでしょ? ただでさえ、ちさと可愛いし。そもそもアイドルなんだし。」
「………………。」
「この無自覚ヤリチン!」
「やりt……!?! ……それよりさ、あんたよくここがわかったね。」
「おうよ。つやたんが仕掛けた発信機のおかげで――――」
「はっしんき!?!?」
「たしか靴底の裏って言ってたっけなー。」
「もうなんなのあの人スパイなの!?」
ブーツを確認する隙を狙うかのように、アメリは呼び出しボタンを押してさも当然にドリンクバーを注文した。いや、何勝手に追加してんの。居座る気満々のアメリの言い分としては、「乗り掛かった舟ですから~」だそうだ。
乗り掛かったっていうか占拠してるじゃん。もはや海賊じゃん。まだアメリ単身だっただけマシではあったが、もしこの場に此花と艶子まで同行していたら……と考えただけで疲労度が跳ねあがる。大海賊時代の訪れを回避できただけよしとしなくては。果恋は溜め息まじりにコーヒーを啜った。
「てっきり宇喜多と艶子もついてくると思ったよ。」
二人不在の件に関しては一応言及しておく。
アメリは少々不機嫌に唇を尖らせて両肘をついた。
「コノカスちゃんは急遽お兄さんに呼び出されてバイバイしちゃってさー。つやたんも明日はどーーーしても外せない用事があるんだって~。せっかくドラゴン●ールで誰が最強かって盛り上がってたのにさー。ぶー。カレンちゃん誰推しとく?」
「知らないよ!!!! てかあんたらもうほぼ大親友だな!!」
前思撤回。やはり単身でも充分疲労ゲージを貯めにかかる女だ。
「そもそもそこは青いロボットで統一しなよ。青狸→岩男ときたのになんでここにきて生身の戦士出してくるんだよ。ジャンルかっ飛ばすんじゃないよ。青狸と岩男も戸惑うよ。勝ち目無いよ野菜の戦士たちには。」
「長い長い長い。久々過ぎて絶好調じゃんカレンちゃん。
ちなアメリ的にはー、対セ●戦時の●飯ちゃんが一番だと思うんだよね~。」
「ノミネートめちゃくちゃ細かいな。」
「んで、コノカスちゃんはアルティメット悟●ちゃんで、つやたんはピッ●ロさんやられた時のブチ切れショタ●飯ちゃん推してたよ。」
「実質悟●ちゃんグランプリだよそれ。」
「あめりちゃん……
そこは、学者の道に進まず修行も鍛練も怠らなかった場合の孫●飯に決まっているのですっ。」
「まさかのIFパターンで参戦しないで、ちさと。」
「おおぉ!? それがあった……!」
「論破されてんじゃないよあんたも。」
せわしい。実に忙しい。アメリ乱入以降、目に見えて饒舌になっている自分に、新しい溜息をおとす。毎度のことながら完全に占領されてしまった。既にこの場の主導権は彼女が握っている。
しかしまあ、ちさとの迷子問題に関しては、先程だいぶ事態に進展があったのだから、多少の雑談くらいは良しとするか……。
「そんなことよりさ、ちさちゃん迷子中なんでしょ? こんな悠長に喋ってていいの?」
抜群のタイミングで、アメリはその事態にも触れてきた。
「その件ならもう解決したのです。さっき事務所と連絡がつきまして、今は無能マネジのお迎え待ちなのです。」
心晴れたように声を弾ませるちさとに、果恋は苦笑をこぼす。
「めちゃくちゃ荒れ狂ってたよね……ちさと。アイドルの口から肥溜めゲロビッチなんて罵声聞くとは思わなかったよ……」
「そのくらい言ってやらないと腹の虫が治まらないのです!」
「あはー。で、その肥溜めさんはまだなの?」
「はい。そろそろ来るころだと……――――」
三人で盛り上がるテーブルが、唐突に陰る。
人間の気配を感じ取った三人は、ほぼ同時に視線を真横へ走らせた。
本来ならば店員がオーダーの際に立つ位置に、ずぶ濡れの若い女が佇んでいる。
「ぢいいざああぢゃああああああああんんんんん!!!!!!」
女はちさとを見るなり声をあげて号泣しだした。
((あ……肥溜めゲロビッチさんだ……))
通報案件もいいところな登場ではあるが、果恋とアメリは一瞬の迷いも驚愕もなく、女がちさとのマネージャーであると察した。
「無事でよがっだああああああああ。ぢざちゃああああ」
部外者である果恋達になど目もくれず、女は真っ先にちさとへしがみつく。
「こンのクソッカス級無能ビッチホルスタインが!! ていうか濡れるのです! 離れやがれです!!」
そんな彼女を、ちさとは無慈悲に押し退け引っぺがす。感動の再会には程遠い鬼畜な光景。果恋の引き気味な視線にようやく気付いた女は、卓上にへばり付く勢いで頭を下げた。
「こっ、この度は大変ご迷惑をおかけしましたあっ……ふゆぅ……なんとお礼を申したらいいのか……あっ! お食事の代金は全額お返しさせていただきますぅ!」
「い、いえ、お気になさらずに。私が勝手にしたことですので、」
崇め奉るような謝意過多を前に、果恋は両手のひらを向けて小さく振る。正直なところ、ちさとから下僕のような扱いを受ける彼女に同情していた事と、この二次元の萌キャラクターのような彼女に、少なからず圧倒されていた。
果恋の断りを前に、女はおどおどしながらも決して食い下がらないしぐさを見せた。
「そっ、そんなわけには――――
…………あ、あれ?」
頑なに果恋の眼を見つめてから数秒、女の表情が固まる。何かを感じ取ったような、しかし確信の無いような微妙な表情で果恋をまじまじと見る。
やがて遠慮がちに口を開いた。
「あ、あのぅ……失礼ですがどこかでお会いしたことは――――」
「?」
お会いした? 私が? こんな一度見たら忘れられないような女と?
当然ながら果恋の記憶フォルダ内に彼女の影は無い。
「おいコラクソ雑魚爆乳! どさくさ紛れに古くせえ逆ナンしてんじゃねーのです!」
「ちっ違うよぉ! はわわっ、御挨拶が遅れて申し訳ございません! 私、ダマスクローズの遊作と申しますぅ。」
返事をするよりも先にちさとの怒号が割って入り、女も何事もなかったかのようにあたふたしながら名刺を差し出してきた。正確には、まずは名乗るべきだという、社会人としての礼儀に慌てて気づいたようである。
「え!? 逆ナン!? だめだめだめー!」
果恋が名刺を受け取るより先に、今度はアメリが喧しく割って入ってきた。この流れを黙って静観しているような彼女ではない。
「カレンちゃんの年上彼女枠にはもうアメリが…………ってかオネーサンおっぱいデッッッッ! その童顔でその胸エッッッッ! 何カップ? ねえ何カップ?」
「ふえぇ、Gですぅ……」
「じーーーーーーーーーーーーー!!!!????」
……ちさとの評価どおり、どんくさいというか何かぬけた人だな……いや答えるのかよ。
敗北から伏せて拳を落としているアメリはこの際無視して、果恋はようやく名刺を受け取った。
よく聞きなれた大手芸能プロダクション『ダマスクローズ』の社名と、女の名乗る『遊作 紗穂』が記載されている上質紙を無言で眺める。
「ぜっ、是非ともお礼をさせて頂きたいので、どうかご連絡先をぉ……」
遊作はそう懇願するが、果恋がその願いに応じるのは正直難しい。
(ダマスクローズ……親父と繋がると厄介だな……)
応じられない理由を説明するのもまた、難儀だ。
「そんなお礼だなんて、お気持ちだけで充分ですので……」
悩んだ挙句、当たり障りない「遠慮」といった体で、遊作の謝礼から逃れようと目論んだ。
「そういうわけには……!」
無論、そう簡単に引き下がってもらえるはずがない。先方にも体裁というものがあるのだろう。やらしい話、旬の注目株がしでかした事態を穏便に口封じしたいのかもしれない。この青臭い遊作なる女にそのような卑しさは見受けられないが……。
しかしそれならそれでやりづらい。他意の無い誠心誠意ほど、蔑ろにはできないものなのだ。
「いいじゃん。お礼貰っときなよ~。」
次はどんな手で断ろうか模索していると、横からアメリが軽率な口を挟んできた。
「てかさ、アメリがちさちゃんと連絡先交換して、そこで繋がればよくない?」
続けて、まさかの案を立ててくる。よく言えば柔軟、しかし事情の上では非常識でもある提案に言葉を詰まらせる遊作だったが、その隣ではちさとが瞳を輝かせていた。
「! それ! それがいいのですっ! 遊作、問題ありませんよね?」
「ふゆぅ……で、でもぉ……」
「あァ!?」
「ふえぇっ……」
正直なところ果恋からしても悪くない話だ。アメリとちさとを介して、たった一度の『お礼』を受け取る程度ならば、ダマスクローズ……時峯次久に日生果恋の名が届く可能性は低い。アメリも疎遠だった幼馴染と繋がることもできるし、ちさともまさにこの反応であるし、あらゆる面で好都合なわけだ。
そしてこれもまた正直な話、
奇妙な縁ではあったがこの数時間を共にした、毒々しくも愛らしい妖精に、愛着が湧いてしまったというのも、ある。
「私としても、そうしてもらえると嬉しいです。アメリ通して、またちさとにも会えるし。」
果恋はその旨を、本音として伝えた。
「へ?」
「…………はえ?」
「ふえぇ……?」
とたんに女三人の目が点になる。
そんな状況も露知らず、つまり自分が止めた場の空気にも気づかず、果恋は鞄をまさぐりだす。
「それより、おねえさん、」
先ほどからずっと気がかりで仕方なかったのだ。遊作紗穂の不憫な登場時から、気が気でなかったのだ。
果恋は鞄から取り出したハンカチを、遊作に差し出した。
「風邪、ひきますから。」
…………、
ふえぇ
「「このヤリチン!!!!」」
「!?!???」
数時間ぶりに外に出ると雨はすっかりやんでいた。駐車場はまだコンクリートを湿らせてはいるが、雲は切れ切れで夜空の色がしっかりとわかる。
遊作は最後の最後までしつこいくらいに「ご迷惑をおかけしました」「ありがとうございました」を繰り返し、運転席に乗り込んだ。彼女に続いて後部座席のドアに手をかけたちさとだったが、やはりスムーズには乗り込めない。
あんなに絶望していたのに、あれだけ帰りたかったはずなのに、いざとなると名残惜しいものなのだ。
「んじゃ、ちさちゃん。ラインすんね~。お仕事頑張ってね。」
対するアメリは、まるで「明日も学校でね~」くらいのニュアンスで手を振る。彼女の気さくさが、逆にちさとをほぐしたのか、ちさとは小さく吹っ切れたような笑顔を見せ、ドアを開けた。
「あめりちゃん、」
バイバイ、よりも、またね、よりも先に言う。
「わたしがこの業界にいるの、嫌わないでくれて……ありがと……なのです。」
アメリはあまり深く考えていないような、もしかすると意図が通じていないような笑顔で、「嫌わんよ~」とおちゃらけて両手を振る。ちさとも、二人の関係性を示すような幼い笑顔をぱっと向けて、やりとりを終わらせた。
「……あっ……あの!」
まだ言い残したことがあるのかと思いきや、ちさとの視線は既にアメリから外れている。
ぎこちなく、泳ぎがちな視線がちらちらと捉えていたのは、果恋だった。
「今日は……大変ごめいわく……いえ、その…………いろいろ、……ありがと、ございました…………のです、 …………かれんさん。」
なんだこのかわいい生き物。
最後の最後まで果恋は思う。ついでに、最後まで「りずみすとさま」だったらどうしよう、と、密かに懸念していた心が軽くなる。
黒いような白いような、妖精のような人間のような愛らしい生き物の頭を、ついぽんぽんと撫でてしまう。
「今度は回転寿司行こっか。」
「かっ……考えておいてやるのですっ!」
車はゆっくりと動き出す。車内からは遊作が頭だけの会釈をし、ちさとはちょっぴりむくれながらも小さく手を振って去ってゆく。
テールランプが見えなくなるころ、果恋は身勝手な思いを馳せる。
「リズミスト様はそんなこと言わない」……散々困惑したそのフレーズが聞けなかったのも、少々物寂しかった。




