35 暴走と予感のロンリーガール
二次元の推しが三次元に現れたのならば。
それは、画面越しの恋を患った者であれば、誰しも一度は懐く念望なのだろう。
しかしその先の妄想はおそらく多種多様、各人各様、三者三様。
都合よく推しと相思相愛となり次元を超えたアバンチュールに想い巡らせる者もいれば、「無理無理無理! 自分如きが推し様のパーフェクトハイスペックに釣り合うものか! そうだ木陰から眺めていよう! 永遠に!」……と、怯みつつも欲望だけは果たそうとする上級者もいるかもしれない。
だが、甲斐ちさとにおいては、そのどちらも当て嵌まらなかった。
そもそも大前提から例外なのである。彼女の場合、初恋が二次元でありつつも「二次元が三次元に出没」なんて夢に現を抜かすことは唯の一度も無かった。
色々とややこしい少女である。むしろ不憫な乙女心である。
二次元の住人リズミスト卿に恋焦がれながらも、ちさとは幼少期から、決して叶わぬ、報われぬ、を、とっくに理解していた。
変なところで冷静だったのだ。夢と現実を弁えていたのだ。
だからこそ彼女は声優を志した。自身の半身だけでも、画面の向こうに飛ばせる職業がある。半身だけでもリズミストと同じ世界軸に置くことができる。それだけでこの叶わぬ恋は報われると、現実的に捉えていたのだ。
夢と現実を弁えていたからこそ、彼女は今、試されている。
絶体絶命絶賛絶望中の状況下で、突如目の前に現れた二次元の推し……いいや、叶わぬ初恋の相手。
金色を鏤めた朝焼け色の髪。漆黒の爪に刻まれた金春色の紋章。女性とも見紛う中性的な美貌…………そんなはずがない。有り得るはずがない。
「え、えーっと……、り、りず? ……やっぱり迷子、なんだよね?」
先ほど思わず叫んでしまったのは失態だった。冷静になれ、頭を冷やすのです、ちさと。ちさとは自身へ念じながら、腕でごしごしと目をこする。
リズミスト様は三次元になど存在しない。そんな妄想すら烏滸がましい。
そもそもこんな反応しない!
そんな口調じゃない!! そんな表情しない!!!
じゃあなんだこいつレイヤーか!?
こんな! 夜更けに! 野外で! 超やばい奴!!!!
そもそも声的にまさかこいつ……!!!!
取り戻した冷静が逆効果となり、ちさとの脳内を忙しくさせる。しかし腐っても冷静は冷静。向上した洞察力でちさとは見事、見抜いた。
一切の躊躇いなく、目前のリズミスト(偽)の両胸を鷲掴みにする。
「やっぱり女じゃねーですか!!!!」
「女ですけど!?!?!?」
謎の妖精(※情緒不安定)に理不尽なセクハラを受けた日生果恋は、あらゆる面でデジャヴを感じられずにはいられなかった。
「――――だから、私はただの一般人。あんたの言う、その……レイヤー? とは違うし、全然ヤバい奴でもないから。いい?」
双方落ち着きを取り戻したところで、果恋はお互いの現状をまとめた。何やら面倒事に巻き込まれているのは最早確定なので、これ以上の誤解があっては面倒濃度を上げるだけだと判断した上の、せめてもの策だった。
「で、あんたは不慣れな東京で知り合いとはぐれた。財布もスマホも全部その知り合いってのに持たせたままで、今はなす術も無し。これでいい?」
果恋の丁寧な確認一つ一つに対し、ちさとも丁寧に一つ一つ頷いた。絵に描いたような「えーん」ポーズをあざとく決めながら、ぶりっ子満点の「しくしく」効果音を付け足す。
「そうなのですぅ……ちさ、もおどうしたらいいのかわからなくてぇ……。おねえさぁん、助けてくださあい……ふぇぇん……」
どうだ。可哀想だろう。
か弱き乙女を演じる裏側で、ちさとは手応えを確信していた。
さあ助けろ。こんなにも庇護欲を掻き立てる小動物のような超絶可愛い美少女を、放ってはおけないだろう。反応的に声優には精通していないタイプの人間のようだが、こんな宝石のような涙を溢す薄幸の美少女を(以下略)
猫かぶりは完璧だ。腹黒い本性は深海の底並みに隠し切れている。あとはこの、レイヤー擬きの派手なオレンジ男女が泣き落としにかかるのを待つだけだ。
ちさとは持ち前の演技力を全身全霊で発揮していた。
不純物100%の涙を流すちさとを、果恋は覗き込んで、じっと見つめた。
「付睫毛、取れてるよ?」
大型新人アイドル声優全身全霊の演技を粉砕する、大真面目な指摘。
時間にして数秒、二人の時空が止まる。
「……。……。……。」
停止した時空の中で、ちさとは自分の手の甲やら袖を確認した。
「……………………。」
アイシャドウらしきラメと、アイラインらしき黒と、ファンデーションらしき着色と、今まさに指摘された付け睫毛の片割れが、見るも無残に手やら袖やらをべったり汚している。
つまり、今の自分の顔は……
――――だんッ!!!!
すべてを察したちさとは、果恋の行く手を塞ぐように卒然と木の幹を踏み蹴った。唐突な壁ドンならぬ幹ドンに、果恋はみたび困惑する。
「……いずれこの業界を牛耳る天下のスーパー売れっ子アイドルちさちーのこんな姿見ておいて……生きて帰れると思うんじゃねえのです……」
「なんかすっごい自己紹介してくるんだけどこの子……!」
困惑させたのは幹ドンだけではない。一瞬にして涙を枯らせた上に何やら物騒な台詞を唱えだす妖精(※豹変)。まじで何この子!? 状態である。
それより、アイドルなのか。確かに言われてみれば、私服にしてはそれっぽい出で立ちをしている。化粧は全壊状態だけれど土台も悪くないようだし、何より声が愛らしい。
納得ゆえについつい観察していると、目にも止まらぬ早さで、がしっと両肩を掴まれた。
「!?」
ちさとは果恋を殺気満点で捕らえると、ゆらりと顔を上げた。
「……メイク道具、」
「へ?」
「メイク道具……貸しやがれなのです。それで命だけは助けてやるのです。」
「助け求めるのか脅迫するかどっちかにしない?」
必死になるのも頷ける。今の彼女の顔面崩壊具合は、アイドルという情報が事実ならば放送事故レベルだ。妖精よりも妖怪に近いほどに。
この自称アイドルを助けてやりたいのも山々なのだが、化粧品を持ち歩く習慣の無い果恋には、残念ながら力になれそうにない。
「ごめん。さすがに今は持ってな――――」
「ハァァァア!!?! こんッッッッなクッソばっちりメイクしやがっといて携帯していないのですか!?」
正直に謝る途中で今度は理不尽にブチ切れられた。え? 私が悪いの? ていうかこの子めっちゃ口悪くない? 戸惑いはさておき、さすがに指導者の腕が良いだけのメイク初心者だと説明しても信じてもらえなそうだ。
かと言ってこのまま放置もできそうにない。果恋は次の案を考えた。
「あのさ、メイク直すんじゃなくて、いっそ落とすんじゃだめかな? クレンジングシートならコンビニでも売っ――――」
「ハァァァァァァァアアアア!?!?!?」
「何この子疲れる……」
妖精(※妖怪)は先ほどの3割増しでブチ切れる。沸点の低さと導火線の短さが尋常じゃないな、この妖精。
「スッピンを! 曝せと!? このスーパーアイドルちさちー様に!!??」
「いや、だからさ、あんたアイドルなら逆にスッピンにしたほうが周囲に気づかれないんじゃない?」
「……一理あるのです。」
「情緒大丈夫?」
感情の起伏がフリーフォール並ではあるが、とりあえずは納得してくれたようだ。
そんな比喩的アトラクションに付き合わされ、さも当然の如く果恋がコンビニまで走った。道中、私は何をやっているんだ……? と葛藤も過ったが、ここであの妖精(※大都会で迷子の地方民)を見捨てられるほど人非人になれそうにもなかった。
「えっ? じゃあマネージャーさんの番号わかんないの?」
クレンジングシートで念入りに顔を磨くちさとに向かって、果恋は眉を曇らせた。
「当たり前なのです。スマホの電話帳なんていちいち覚えてらんないのです。」
背を向けながらちさとは横柄に言い張る。
(現代っ子だなあ……重要な連絡先くらいは頭に入れておくもんだと思うけど……)
自分も現代っ子であるくせ、JKらしからぬ考えを巡らせつつも、これは本格的に面倒なことになりそうだぞと、こっそり絶望していた。
時刻は午後九時手間。日付が変わる前に帰宅できるか危ぶみつつ、警察に丸投げしてしまおうかと少々薄情な効率も視野に入れてみるが、なにせ相手はアイドル。東京で迷子保護なんてニュースになっても気の毒だなと温情の心が邪魔をする。
「だいたい遊作の奴は使えなさすぎなのです……わたしに何かあったらどうするつもりなのですかあの無能ホルスタインめ……」
ぶつぶつと愚痴をたれ、八つ当たりのように使用済みクレンジングシートを袋へ押し込む。ちさとがまっさらな素顔で振り向くと、果恋はその観念と無念のすっぴんを、遠慮なくじっと見つめた。
「…………な、なんなのです、」
不思議そうな視線へ対抗してくる威嚇に、果恋ははっとした様子をみせた。
「あ、ごめん。いや、あのさ、」
小首を傾げ、微笑みかける。
「なんですっぴん、拒否ってたの? すごい可愛いのに。」
…………、
キュン
「……~~~~!!!! りっ……
リズミスト様はそんなこと言わないッ!!!!!!!!!!」
「もうなんなのこの子?!」
ぽかんとしたと直後の赤面からの震える叫びに、本日何度目であろう困惑する。
読めん。読めんぞこの少女。泣くわ怒るわ容姿ふわふわで口汚い……あれか? この公園のこの時間帯のこの桜の木には未知の生物を引き寄せる魔力でもあるのか? ミステリーゾーン的な?
(ここで出逢ったときのアメリも、そうとうわけわからなかったもんな……今もわからないけれど。)
なかなか進展しない状況の中、噛み合わない二人を仲裁するかのように、「グウゥゥ……」と謎の音が鳴った。
「…………。」
「…………。」
言わずもがな、ちさとの腹の虫である。
「あっ、なんか食べる? って言ってもすぐに食べられるものと言えば……」
果恋はコンビニ袋を漁り、本来のパシり品の一つを取り出した。
「もずくチップス……くらいだけど。」
「それ超絶嫌いです。生ぐせーし口内酸味コンボ決められるし。とても常人が口にできるものじゃないのです。」
(艶子の好物ーーーーーーーーーーーー!!!!!!)
ちさとは口を尖らせるとその場に膝を抱えて座り込んでしまった。
無理もない。果恋は途方に暮れるよりも同情する。
この大都会の真ん中で、右も左もわからず連絡手段も取れず一文無しで彷徨ったのだろう。どのくらい不安な時間を過ごしたかは分からないが、少なくとも空腹を感じるほどではあるわけだ。毒づきたくもなるだろう、心細くもなるだろう。
「よかったら、ごはん、行く?」
宥めるように、果恋はちさとを覗き込んだ。
「…………はい。」
ちょっぴり不機嫌で、素直な返事がぽつりと届く。
かわい。
可笑しくなって溢しかけた言葉は、念のため胸中に留めておいた。
でもまずは家に連絡か……いよいよ帰宅が怪しくなってきたと考慮して、果恋はおもむろにスマホを取り出す。
刻一刻と過ぎる時計表示を発信画面に切り替え、『雨宮アメリ』の名を押した。
『はいはーい。愛しのユアスイートハニーアメリちゃんでーすっ。』
「うわうざ。」
『辛辣ゴリラ!』
なぜ一報入れるだけでこんなにも面倒なのか、この女は。てか出るの早っ。
いちいちなテンションに構っていられない。手短に用件を伝えることにした。
「あのさ、ちょっと迷子保護しちゃって、帰るの遅くなりそうなんだ。」
『まいごー!? うける~。あはー。』
うけねえよ。全然笑えねえよ。代われるもんなら代わってくれよ。突っ込みたい気持ちを抑えに抑え、兎にも角にも用件を進める。
「で、ついでにこの子とどっかで夕飯済ませてきちゃうから、あんた達も適当にお願い。別に泊ってくのは構わないからって、二人にも伝えておいて。」
『おけおけ。ラジャっすボス~。』
よし。伝わったようで何よりだ。アメリは多少面倒ではあるが、話の通じない相手ではないのだ。思えばよくここまで仲が深まったものだ。彼女を理解できるようになったものだ。
幾度となくデジャヴに襲われたちさととの時間が、不意にアメリとの出逢い当初を思い起こさせた。あの頃は理解不能の塊だったな、アメリ。
『……あ! ねねね! カレンちゃん!』
「えっ? なになに?」
『ロッ●マンといったら普通無印だよね?』
「知らないよ!!!!!!!」
前言撤回。やはり今でも理解不能だこの女は。
『つやたんってばⅩシリーズだって譲らないの~。コノカスちゃんなんてD●SHだよ? DA●H! 続編絶望的なのにねー! あはー!』
『うるせえ! それでも私は待ち続けるんだよ!!!!』
『初代あってのⅩシリーズというのは理解しているけれど、エッ●スとゼ●に託された二人の科学者の因縁が描かれたヒューマンドラマは評価すべきだと思うの。』
受話器の向こうでずかずかと混ざる此花と艶子の声。
何故この三人娘は青狸談話会から別の青いロボットの討論会にシフトチェンジしているのか。トレンドなのか? 青いロボットが。
「ごめん。私、ボン●ーマンしか知らない。」
『カレンちゃんボンバー●ンやったことあんの!? 友達いないのに!?』
うるさいよ。結局無駄話を挟んでしまった無念から、果恋はなげやりに溜息をついた。
『あはー。めんごめんご。ままま! もう晩いし、気を付けて帰ってきてね~。』
落胆したところでこういった常識的な返しをしてくるあたり、また決まりが悪い。この少女アメリは。
微かに照れくさく、「うん」と返すと、いつもの「あはー」が緩やかにつながった。
『てかこんな時間に迷子とか、親御さんめっちゃ焦ってんじゃない? おまわりさんに任せた方がよくない?』
「そこはちょっと込み入った事情があって……それに迷子っていってもそんなに小さくないよ。中一くらいの女の子――――」
「わたしは中三なのですっ!」
「あ。中三だって。」
『…………中学生の……女……?』
唐突にアメリのテンションが止む。
「へ?」
『J……C……3……?』
「は? なに? なんて?」
明らかに様子のおかしいアメリに、果恋が戸惑いを隠せないでいるも束の間、
『浮気者ーーーーーーーーーー!!!!』
アメリの怒号を最後に通話は一方的に遮断された。
「………………。」
結論。やはりこの女は、未来永劫理解不能だ。
「おうちのかた、なんて?」
「うん大丈夫。じゃあ行こっか。サイゼでいい?」
果恋の問いかけにちさとはこくりと頷くと、地べたに付いていたスカート部分をぱっぱと掃いながら立ち上がった。
フリフリな全身とフェミニンなツインテールが、似合わないというわけではないのだが、メイクを落としてしまった分、どうにも浮いてしまっている。
果恋はひらめいたように上着を脱ぎ、ちさとへ羽織らせた。
「えっ……?」
黒の長丈カーディガンが、ガーリーなワンピースを落ち着かせる。
「これならその服も目立たないでしょ?」
「んなっ……リズミスト様はこ――――」
「こんなことしないのね、はいはい。」
学習したのか、果恋は笑い溢しながらあしらうと、「髪もおろした方が馴染むかも」と助言を添えた。ちさとは「むぅ……」とばつが悪そうに、ツインテールをほどく。
「うん。可愛い可愛い。」
今度はあしらいではなく、果恋は心から彼女を讃えた。無論お世辞でもない。徹底的に自然体におちついた素の妖精は、文句の付け所が見当たらないほどに愛らしい少女だった。
「…………おなまえ、」
人間へと変身を遂げた妖精が、ぽつりと呟く。
「ん?」
「……お名前、まだ……きいてなかったのです、」
「あ、そうだったね。私、ひな――――」
名乗ろうとした瞬間、果恋の視界に、ふと桜の木が飛び込んだ。
記憶が甦る。あの日、アメリに苗字を名乗ってしまったなと思い出す。その結果、面倒くさい状況に陥ったことも。
「…………。」
今はあの時とは条件が違う。目の前の少女には既に性別が明かされている。
しかしなんとなく、
「果恋。私、果恋。」
これも何かの巡りあわせ、なのかもしれない。
少々らしくなく、果恋は乙女の音を名乗った。
「そっ……その顔でカレンなのです……?」
「あんた結構失礼だね。」
どうにもこの元妖精は毒々しい。
「…………
ちさと……です。わたし。」
しかし、どうにも愛らしい。
まだ睨みを残す上目遣いをしながら、果恋のシャツ裾をぎゅっと握りしめてくる、「ちさと」と名乗る少女と共に、ふたりは遅い夕食へと歩きだした。




