28 炎上プリンセス
池袋で乗り換えてから十五分ほど電車に揺られ、降車した。しかしまだ目的地ではない。ここから更にバスで十分弱、そこでようやく到着となる。
東京としてはずいぶん辺鄙な所に居を構えたものだ。夫婦共々、都心部のほうが何かと都合もいいだろうに。
ここに足を運ぶのはまだ数える程でしかないが、バスに揺られるたび、果恋は思う。
(小規模事務所とはいえ……一応、信五さんだって代表なのに。)
数える程度しか眺めたことのない、見覚えのある景色が近づいてきた。
(……それに、信五さんの話だと……、本格的に、復帰、するみたいだし……)
バス内アナウンスが降車駅名を報せる。他の乗客がボタンを押さないか、と、少しばかり窺ってはみたがその気配は無かった。
自分の手で降車ボタンを押すのは、どうにも、腑に落ちなかった。
(…………「完全復活」、か……。)
まるで、自らの意思でここに来たような錯覚に、陥りそうだったから。
(急に呼び出すなんて、どういう風の吹き回しだよ。)
母のもとを訪れるのは、久しぶりだ。
昨夜、一ノ瀬という嵐が過ぎ去ったと入れ違いに、母るるなから連絡が入った。
『るるなさん』、と浮かぶ画面に、どのタイミングで指を置いたかは覚えていない。さらに言えば、母が何を言っていたかも、覚えていない。
用件なら覚えているのだ。
「明日、」「日生の家に、」「来るように。」……つまるところ、呼び出しだ。だからこうして目的地を目指している。
記憶に残らなかったのは、電話口から届いていたはずの母の声。
母の商売道具である、甲高く、幼く、少女のような、特徴的な声。
喋る母を思い出せないのは、防衛本能だったのか、拒絶反応だったのか。用件である呼び出し命令のみをインプットしたところでスマホを切った果恋は、魂の所在も曖昧な様子で、茫然とただ一言、アメリに告げた。
「明日、母親が、来い、って。」
「明日、」「日生の家に、」「来るように。」……母の命令を変換しただけの稚拙な口ぶりに、アメリはおおよそを、察した。
(せっかく居候させてくれたってのに、悪いことしたな……)
出かけ際、普段と変わらぬ笑顔で「いってらっしゃーい」と手を振ってくれたアメリを思い出しながら、果恋は足を止めた。
再開発地区による築浅の戸建てが並ぶ住宅地。なかでも比較的面積が広い家。
到着だ。日生の家に、ついた。
一呼吸を挟んでインターホンを鳴らす。スピーカー応答より先に、奥の小洒落たドアが開いた。
「かれんっ!」
姿を見せるなり無邪気な笑顔で出迎えたのは、年端もいかない少女。異父妹の恵恋だ。
「久しぶり、恵恋。おっと!」
飛びつくように抱き着いてきた恵恋を、果恋は慣れた手つきで受け止める。
「かれん、すごい! おひめさまみたい!」
瞳を輝かせながら言葉を弾ませる妹が、変貌したオレンジ髪について触れていると気づくのに、少々間を挟んだ。そうか。この髪型になってから会うのは初か。やたら再会にはしゃぐ妹に、今更ながら納得して「ありがと」と返す。
満面の笑みを浮かべる妹は、上下紺の園服と帽子に身を包んでいた。
「恵恋、今日幼稚園だったの? 土曜なのに。」
「うんっ。きょうオユーギカイだった!」
「お遊戯会?」
「ボクね、『ながぐつのねこ』したんだよ!」
「――――今、帰ってきたところなの。」
妹との会話に、突如混じる高い声。
そして、
視線を向けた先の、あからさまに疎ましい表情。
「話には聞いていたけど、すごい頭ね。
……まあいいわ。ごめんなさいね。せわしくて。」
声優の地声とは奇異なものだ。人それぞれ千差万別あるだろうが、この、芹澤るるなという声優はきっと、特に声質と語調のバランスが歪なのだと思う。
「ううん。とくに、予定も無かったし、問題ないよ。……ひさしぶり、るるなさん。」
果恋は首をふって丁寧に言うと、招かれるがまま玄関をぬけた。
わざわざ園行事のある土曜に呼び出すなんて、よほど急用なのか。もしくは、今日でなければならない事情でもあったのか。
席につきながら果恋はあれこれ思考を巡らせる。
吹き抜けリビングから見上げられる二階部屋では、るるなが恵恋に菓子とジュースを与え、アニメDVDを再生している。おそらく、これから行われる母娘の時間を邪魔させないための策なのだろう。
耳に触れる程度に賑やかな音楽が流れてくるころ、るるなは階段を降りてきた。
「これ、何?」
席につくなり、出し抜けにるるなは言った。卓上に置かれた見覚えのある紙面には、見覚えのある人物が写っている。
……ああ。なるほど。果恋は即座に用件を理解した。
大々的なGRAND OPENの文字の隣で、紙面の大半を占領しているオレンジ髪の女。『Lapine』の店名……果恋がサロンモデルをした、朝丘の店のチラシだ。
「ごめん。勝手に。」
先手を打つつもりで早々に謝罪の言葉をおとした。受けるやいなや、るるなは先ほどの疎まし気な表情に、不愉快を濃く上塗りする。
「急にみっともない格好になったと思ったら、こういう事だったのね。」
そして溜息まじりに言い捨てた。
わかってはいたけれど、やはり好印象にはならないか。この母親には。信五とは対照的な果恋への評価を、想定していなかったわけではない。むしろ母が急遽呼び出した理由の解明には繋がった。
一刻も早くチラシについて言及したかったのと、信五不在の日を狙ったわけか。
「その頭もこの店でやられたのね?」
矢継ぎ早に、るるなは鋭く言ってきた。
「保護者の同意も無しに、未成年にこんな仕事させるなんて非常識だわ。」
少女のような声は、突き立てる度に不愉快を色濃くしてゆく。
……こんなときばかり保護者面かよ。アンバランスな声質と語調に、矛盾した言動。果恋は歯を食いしばって本音を飲み込んだ。
「だから、謝礼は、受け取ってないよ。」
代わりに、静かに主張する。
「るるなさんの言う通り、仕事になると、親の同意、必要だし。」
小分けに、たどたどしく口にする果恋を、るるなは眉一つ動かさずにじっと見据えてきた。圧し負けそうになりながらも、果恋は最後まで主張する。
「私……やりたかったし。そのお店の……お手伝い。」
「……。
どちらにしても非常識な店ね。その頭と、この裏面の子で経営主の民度が透けて見えるわ。品性の欠片も無いもの。」
主張しきった果恋に、るるなは淡々と吐き捨てた。
「今後一切、こういった行動は控えて。あなたに目立つことやられると迷惑なの。特に今は。」
そして杭でも打つように、念を押した。
果恋は首を縦にも横にも振らず、俯いて沈黙を守っていたが、その様子がるるなには多少なりとも反抗的に受け取れたのかもしれない。
「あなたには不自由させていないつもりよ?」
黙り込む娘の頭上から威圧的に、淡々と言いつける。
「進学先だって希望通りにさせたし、独り暮らしだって叶えてあげた。生活面だって充分に援助も…………」
責め立て続ける途中で、るるなは何かを察したように「……まさか、」と間を空けた。みるみるうちに顔を訝しく、しかめてゆく。
「果恋、あなた……芸能の業界に関心があるの?」
「っ……まさか、」
咄嗟に果恋は、るるなと同じ台詞を吐き、否定した。その反応にるるなは胸を撫でおろす様子を見せ、またすぐに、語調と目つきを鋭くさせた。
「それなら余計なことはしないでちょうだい。」
言及か警告か。どちらにせよ最後の一刺しといった、言いぐさだった。目に見えてうんざりとした、心底煩わしそうな顔。
「……迷惑、かけて、ごめん。」
手加減の無い念押しも、これで終わりならばあとは帰るだけだ。用件なら済んだはずだ。撤退が円滑に運ぶよう、果恋は締めとしてもう一度謝罪をおとす。
「……るるなさん、」
そこで、締めておけば良かった。
そこで、締められないのが、
足掻いてしまうのが、
「映画、おめでとう。」
期待してしまうのが、日生果恋の情けない、くせだ。
「主演クラス、久しぶりだって、信五さんから聞いた、から、」
娘として、母との久しい再会に、きれいな終わりを望んでしまう。
一言、母を讃えて、不器用な祝福を贈って、
冷ややかでも、ぶっきらぼうでも、只の一言でも、母からの親らしい情が帰ってきてくれるのなら――――
「……だから言ってるでしょう。
特に今は重要な時期なの。」
――――……、
……ああ、やっぱり、
「その貌が人目に触れるようなことは、しないで。」
私のおかあさんは、芹澤るるな、だ。
次のバスまで8分か。電光掲示板が映す数字は、待つには退屈で、どこかで時間を潰すには足りない。今の果恋にとって退屈は敵だ。色々考えてしまう。時間があればあるほどに、考えてしまう。ようやく今日が終わったというのに。
性懲りもなく、頭の中が母に支配されてしまう。
無心は難しくともなんとか気を紛らせないものかと、周囲を見渡した。変哲もない住宅地が広がるだけの、ありふれた景色。……本当、どうしてこんな場所に居を構えたものかなあ…………いけない、また母のことを考えてしまった。どうしようもない精神の脆さに、落胆する。
ふと目を留めた曲がり角から、思わぬ人物が出現する。記憶に新しい小さな姿に、果恋は瞼を固めた。
「恵恋!?」
驚く姉をよそに、妹は屈託のない笑顔で足早に駆け寄ってきた。
「かれんっ、かれんっ、」
「一人で来たの!?」
「うんっ。」
幅広な歩道が整備されているとはいえ、決して車通りの少なくない道のりを考えると血の気が引く。
「だめだよ、勝手に付いてきちゃ。」
「かれんにね、これ、あげようと思って、」
小さく息を切らしながらも、恵恋はにこやかなまま、四つ折りにした紙を手渡してきた。
渡されるがまま開いた内側には、これまた見覚えのある絵が描かれていた。
いかにもなファンタジーを匂わせるアニメ絵。右下隅には来年の日付と、『全国ロードショー』の印字。『AMARANTH』の文字の下に並ぶ、演者の名前……
「かれんもね、おひめさまみたいだけど、ママもおひめさまの役、するんだよ。」
描かれたキャラクター達の中から、恵恋はいつかの信五と同じように、金髪碧眼の少女を指さした。
「この子、ママなの。おともだちにはナイショだけど、かれんにはトクベツ。」
瞳を輝かせ、声を弾ませ、母を誇る妹の姿は、それこそいつかの信五そのもので、果恋から呼吸を奪う。
やがて、ほそく息を取り戻しながら、果恋は気取られないよう、きいた。
「……恵恋は、ママがお姫様になって、うれしい?」
「うんっ!」
瞳を輝かせ、声を弾ませ、母を誇る。
無垢な妹を前に窒息しかけながら、果恋は命がけで口角をあげた。
「……うん。そうだよね。」
次のバスまで、五分。
その、次の便で帰ろう。果恋は妹の手を引きながら、日生の家の前まで送った。
恵恋の誇る母。声優、芹澤るるな。
……ちがう。電車の中、流れる景色を眺めながら果恋は思考を否定した。
恵恋の……異父妹の母親は、日生瑠奈だ。
純粋無垢でまっすぐな娘を育てた、母。おひめさまにだってなってしまう、自慢のお母さん。完全復活を遂げようとしている、伝説の声優。
でも、私は違う。
流れる景色が見えなくなってゆく。窓ガラスに反射した自分の姿が、色濃くなってゆく。反射する自分が、果恋をみつめている。
私のおかあさんは……芹澤るるなだ。
自分同士が見つめ合う。
わたしの おかあさん は ――――
『こちら東京アリーナ上空です!!!!』
記憶に浮かぶのは、
立ち上る黒煙。マイクを通した音声と、ヘリコプターの回転音。
緊迫した異常事態。画面の向こうの大惨事。幼心に感じた、非日常。
『元々業界じゃあ有名なんですよ、彼女』
『出演者とのトラブルも多かったようですし』
『ファンの間でも、炎上アイドルなんて呼ばれてたりね』
番組内で苦笑をこぼすコメンテーターに、流出する、母の悪評。
[【悲報】芹澤るるな完全終了。]
[転落まっしぐらwww]
[昔好きだったんだけどなあ]
[炎上アイドル(物理)]
[あーこれは再起不能ですわ]
[ざまあああああああああああああ]
[AV転身はよ]
[こいつの我儘で巻き込まれたんだろ?]
[人死んだとか草も生えない]
[これ半分殺人だろ]
[いつかは何かやらかすと思ってたけど殺人は斜め上杉]
[実質殺人じゃん。関係者二人も犬死にさせるとか]
容赦ない、世間のことば。
……また、この季節が近づいてきたか。
七年前の、秋の、終わり。
私の、おかあさんは、あの頃のままの、芹澤るるな。
わたしの、お母さんは、
あの日、
人を殺した。




