27 ウェルカムホーム朝焼空
「……あんたは一度、ミトコンドリアからやり直したほうがいいみたいね。ボンクラ。」
一体何が起きているというのか。
目前で繰り広げられている修羅場に果恋はフリーズする。火照った肌から噴き出る水分は、湯上りの心地良いものなんかじゃない。冷や汗だ。
(え? え? なにこの状況? 糸子さん? え? 糸子さんどうしたの??? ていうかその男誰!!??)
ブチ切れマウントポジションの雨宮糸子と、その下で俯せノックダウン状態となっている見知らぬ男。
果恋の視線は、この修羅場男女を交互に見据え、小刻みに行ったり来たりする。
(あっ泥棒!? 強盗!? 加勢しましょうか!!? いや、あなただけで事足りているようですけど!!!! てか見かけによらず腕っ節強いな糸子ママ!)
明白な優勢を保つ糸子へ、何かしらの助力はできぬものかと果恋は意気込んだ。状況把握など二の次だ。少なくとも、糸子により取り押さえられている男が友好的な相手であるはずがない。害であることだけは確かなのだ。
(……通報? そうだ通報! スマホスマホ! あっ脱衣所だ……スマホ。てかほぼ裸じゃん私! ……ん? ……へ!!?)
二つの意味で慌てふためいている果恋の横を、あろうことか、同じく半裸のアメリが素通りした。
「ちょっ、アメっ……!?」
何食わぬ顔で修羅場へと接近するアメリは、果恋が制止するよりも先に二人の男女の元にたどり着く。
そしてマイペースに胸元でバスタオルを締め直し、前屈みの姿勢で目下の男に声をかけた。
「今度は何しでかしたの? 伯父さん。」
おじ、さ……ん?
わけもわからぬまま、果恋は復唱した。
伏せていた男の頭がもそりと動く。見上げた先のアメリと視線を合わせるやいなや、軽薄な笑顔をへらっとみせた。
「ようアメリ、久しぶりだなー。相変わらずおまえの母さんの愛は強烈だよ。」
男のだらしない表情に対抗するは、アメリお得意の「あはー」。
途端に和んだ緊張感皆無の空間で、糸子だけが殺意を保持したまま、男の後頭部を鷲掴みに淡々と声を落とした。
「脊髄引っこ抜くわよ、たわけ。」
「あはー。これガチでキレてるやつだから、そろそろ謝ったほうがいいと思うな~。」
「あはは。大好きな伯父さんを助ける気はゼロかな?」
「伯父さんが何してママを怒らせたかによるかな~?」
睦まじい二人と同軸に並ぶ、沸々とした激昂。
和みと殺伐。そのはざまで傍観しながら果恋は思う。
なんだこいつら。
そして少なからず反省する。すみませんでした、伯父さんとやら。泥棒とか強盗とか……完全に害だと決めつけていました。めっちゃ身内でしたね。いや、つまり身内間のごたごたかい。これ。
純度100パーセントの反省に至らないことに、やはり果恋は思う。
なんだこの一家!
「いやいやこれからの二人のライフプランについて、少々提案をだな……」
真面目腐った口調で、男はアメリの質問に答えた。
「口の縫合か、喉の切開か、選べグズ。」
間髪入れずに糸子が声をかぶせる。
「今の翻訳するとねー、『黙れグズ』だよ~。」
アメリがいたいけな笑顔であどけなく補足すると、男は懲りずにへらっと笑った。
「母娘揃って容赦ないなあ。ほら、あれ。お土産の母恵夢。」
苦しい姿勢で彼が指さす先には、手土産と思しきピンクの袋が置かれていた。
「わーいポエム~。カレンちゃんっ、コーヒー淹れよ~。」
袋を見つけるなりアメリは顔を華やがせ、母と伯父そっちのけで手土産を引っ提げ果恋へと駆け寄った。
「おーっとアメリちゃーん? ねえ伯父さん本当に肉塊になっちゃうよ~? おーい! アメ……
……うおっ!? なんか裸の美人が!!!?」
男はようやく日生果恋の存在に気づく。
アメリに対してはスルーしていた、『バスタオル一枚の女子高生』に反応するあたり、一応常識人ではあるらしい。
尤も、彼を取り押さえている雨宮糸子には、その反応がまた気に障ったようだが。
「通報するわよ。」
「ええー? 俺が悪いんですかね?」
斜め上をぶち抜いた怒涛の展開に疲れはてた果恋は、これもまた余所の家庭という別世界ゆえの産物なのか……と無理やり結論付けた上で、取り繕った冷静により「よし。まずは服を着よう。」と、修羅場をあとにした。
無論、鼻歌まじりで共に風呂へと引き返すアメリは、ナチュラルに伯父を見捨てていた。
「いやはや、お客さんの前でお見苦しいところを。」
一ノ瀬、と名乗るアメリの伯父は、からっとした態度で笑顔をみせた。
まったくだよ。初見がKO状態って、見苦しいどころか一周して不憫だったよ。こんなにも情けない第一印象はなかなか無いぞ。喉まで上がってきた言葉を、果恋はぐっと堪える。
しかし、まあ……アメリの伯父、か……。そして無礼を承知でまじまじと、一ノ瀬なる男を観察する。うん……まあ、似てなくはない、けれど……
いまいち腑に落ちない理由は、先の衝撃的な出会いからは想像できない、一ノ瀬の容姿のせいだ。
年相応といえば年相応だが、若く見えないこともない。お世辞にも色男という部類でもないが、女子高生がこの世代にいだく生理的嫌悪も感じられない。野暮ったいわけではないが、誰か芸能人に似ているわけでもない……
つまるところ、平凡だ。とりわけ特徴のない、壮年の男。
雨宮糸子における、『華の無さ』とは違う。むしろ、そんな個性さえ見当たらないほどに凡庸。こんなモブみたいな男がアメリの伯父?
……いや、待てよ? たしかアメリと糸子に血の繋がりは無いはずだから、血縁的にはこの一ノ瀬と糸子のほうに関係があるのか? それならば納得がいく。
「伯父さま、ということは……糸子さんのご兄弟……ですか?」
憶測を尋ねたその刹那、糸子の顔色が目に見えて変わる。
「こんな無能と血が繋がるもんなら、全血液濾過した上で献血に寄付するわ。」
(辛辣だな糸子ママさん……ていうかさっきから彼に対して畜生レベルで口悪くない? そんなキャラでしたっけ?)
嫌悪感むき出しの糸子の反応に困りながらも、果恋は本音を封じ、苦笑をこぼした。
「あはー。ママ~、アメリこの無能とがっつり三親等なんですけどー。」
(あんたも畜生かよ……! ていうかやっぱり血縁関係はあんたとかよ! じゃあ味方になってやれよ! やだちょっと一ノ瀬さん可哀想!)
「相変わらず手厳しいなあ。マイハニーとマイ姪御ちゃんは~。」
(あんたは少しは徹えろやオッサン!!!!
私の同情心を返せ! あと姪はニースなニース! マイハニーと統一しろや無能!!!! ……え? マイハ……?)
心の突っ込みに勤しむたび、対象に向けて頭ごと視線を動かしていた果恋だったが、一ノ瀬の何気なく放った糸子への呼称に首を傾げる。そんな彼女を察してか、アメリが改めて説明を挟んできた。
「えっとね、伯父さんはもう一人の方のママのお兄さんなんだ。
んで、糸子ママとは高校の同級生だったから面識があるの。ってゆーかギネス級の片想い状態。もう二十年以上もフラれ続けてるんだよー。超うける。」
そ、それは、なんとも……
というのが、果恋の素直な反応だった。説明された関係性はもちろんだが、それを面白おかしく話すアメリと、笑って団欒にとけ込む一ノ瀬に同調などできそうにない。
むしろこの場合、先ほどから不機嫌一徹辛辣毒舌を貫く糸子のほうが正常のような……
「二十年以上もふざけてんのよ、この男は。」
糸子は素っ気なく言う。しかし先ほどの激昂が薄れ、素っ気なさの中にも妙な柔らかさがあるあたり、今の彼女が本来の、一ノ瀬に対する雨宮糸子なのだろう。
(でも……、)
素っ気ない糸子と、和む一ノ瀬。一見噛み合っていないように思える二人の間に、果恋は不思議と妙なバランスを感じていた。
(……それなりの関係じゃないと、ここまで遠慮なく曝け出せないよな……きっと。)
正面で並ぶ二人の男女を眺めながら、土産のポエムとやら菓子を齧る。白餡がやさしく舌を包み込んですぐ、すうっと溶けてしまった。
「でもでもアメリは伯父さんのこと好きだよっ。
ママは伯父さん大っ嫌いだけどアメリは好きだよ! 伯父さんがママのこと大好きでもママは伯父さん大っ嫌いだけどね!」
空気読まねえなこの女は! 何一つフォローになってないし!
「ははー。なんのフォローにもなってないな。」
そしてやっぱりこたえないなこの人も……
希有な家族構成に、掴み所のない関係性と、途切れない独特な団欒。本当に、よその家庭というのは別世界だ。果恋は呆気にとられながらも、雨宮アメリという少女を育んだ環境に少なからず納得する。
「どうでもいいけど、今夜は泊められないわよ。用が済んだらさっさと帰りなさいよ。」
空いた皿を回収しながら糸子は一ノ瀬に手厳しく言いつけた。一ノ瀬は椅子に座ったまま振り向き、流し台へ向かう彼女へ遠慮がちに訴える。
「俺、愛媛から遥々やってきたのですが……」
「よかったわね。東京はネカフェが充実してるわよ。」
せめてカプセルホテルくらい勧めてあげては……言葉にできない提案をあげつつ、身を小さくしてちらちらと二人を眺めていると、糸子は追い打ちをかけるように口を開いた。
「よそのお嬢さんお預かりしてるのに、あんたみたいな輩置くわけにはいかないでしょ。」
正論。まごうことなき正論でしかないが、日生果恋に降りかかる罪悪感は計り知れない。
「あ、あの……私は特に……」
「カレンちゃん、コーヒーのおかわりいるー?」
だから空気読め。無邪気に空のマグを振るアメリの席には、ポエムの包装紙が四個分も開かれている。夕飯前にどれだけ食べてんだこの女は。
しかも彼女は返答も待たずして、果恋のマグも一緒にキッチンへと運んで行ってしまった。
テーブルには果恋と一ノ瀬が二人、残される。
「……あ、あのっ……」
陰キャあるある、『初対面の相手とはいかなる状況下でもコミュ障発揮』を打破するべく、果恋はできるだけ間を置かずに切り出した。
「なんか、すみません……」
果恋の精いっぱいの謝罪と気遣いを、一ノ瀬はけろっと笑い飛ばした。
「いーっていーって気にしないで。いつものことだから。泊めてくれるほうがレアだし。」
「はあ。」
軽く言っているけど、どこまでも不憫な男だな。罪悪感は晴れたものの結局憐れんでしまう。いらぬ世話かもしれないが。
「ひなせさんって、『日』が『生』まれるで、『日生』?」
果恋の慈悲になど微塵も気づかずに、一ノ瀬は明るく聞いてきた。
「あ、はい……」
自分との温度差に果恋は戸惑う。彼女のぎこちなさもまた無視して、一ノ瀬は更に表情を輝かせた。
「俺、下の名前『旭』っていうんだ。
奇縁ってやつかな、これ。」
明るいわりにどこか軽薄な笑顔と、弁えない距離感が、果恋に既視感を与える。
(あ……
……やっぱり、けっこう似てる、かも……)
「たかが苗字と名前で何が奇縁よ。」
「それじゃあカレンちゃんのパパママ親戚とも奇縁になるってことじゃん。」
冷静な指摘が対面キッチンを飛び越えて投げられてくる。たしかにそりゃそうだ。果恋は無言で、糸子とアメリの意見に同調した。
「いやいや~。美人との共通点はミリ単位だろうと膨らませていかないとだろ。」
一ノ瀬だけが相変わらずの様子で飄々とふざける。
「去勢しろボンクラ。」
「いくら伯父さんでもカレンちゃんにちょっかい出したら、アメリ裁判でちょん切りの刑だからね。」
「思い人と姪が怖い!」
掴み所のない、独特な団欒に始終慣れないまま、やはり果恋は不謹慎にも安堵し、呆気にとられながらも納得する。
ああ、やっぱり。ここは誰が何と言おうと、少女アメリの生まれ育った環境だ。と。
「明日四国帰っちゃうの?」
散々な扱いをしたわりに、アメリは一ノ瀬との別れを惜しんだ。彼は靴を履きながら、「長々と店空けられないしな」と参ったように笑う。
「じゃあ今度アメリが四国いくよ~。」
「おう、来い来い。是非とも日生ちゃんもご一緒に。」
「えっ、あ、はい……」
「通報するわよドグズ。」
「ぶー。通報するよー! どすけべドグズ!」
「アメリちゃんは記憶喪失か何かかな?」
最後の最後までこのノリにはついていけそうにない。見送りの玄関先でも繰り広げられるアメリ一家のやりとりに、一部強制参加させられながらも果恋は身をすくめた。
「じゃあアメリ、元気でな」「うんっ、ばいばーい」何事もなかったかのように、一ノ瀬とアメリは和やかに別れの言葉を告げ合う。
ドアを開け、一ノ瀬は先にキャリーバッグを外へ出した。
「糸子、」
片足分、開いたドアの外に立ち、一ノ瀬は振り向く。
「冗談抜きで考えておいてくれよな、ライフプラン。」
ばたん、と閉じた扉がやけに静けさを強調させる。嵐が過ぎ去った、とはこういう事なのだろうか。果恋は肩で呼吸をおとした。
「ほんと、何しにきたの? 伯父さん。」
「…………いつものくだらない話よ。さ。夕食にしましょう。」
「そだねー。」
名残惜しさも見せず身をひるがえす糸子に続き、アメリも踵を返そうとしたところ、呆然と立ち尽くす果恋が目に留まる。
「およよ? どしたの? カレンちゃん。」
しんと閉ざされたドアを眺めながら、果恋はやはり呆然と口を開いた。
「いや、よその家庭って、すごいな、って思って。」
子供みたいな答えかたで、子供みたいな感想を言う。
「あはー。引いた?」
「いや……引くとかじゃなくて、なんというか……」
あながち引いていないわけでもないが、それ以上にもっと適切な感覚がある確信があった。
「うちも、ちょっとアレな家庭だけど……あんたんちも、負けてないなって。」
「だよねえ。」
「あっ、ちがうんだっ。変な意味じゃなくて……!」
アメリが笑いながら同意するもので、かえって焦ってしまう。驚きとか、呆然とか、羨ましさとか……畳み掛けてきた出来事や休まらなかった衝撃が、果恋の心情を上手く導いてくれない。
「その、状況とか、たぶん、事情とか、色々、あるんだろうけど……あんたの家は、うちと違って、その……」
上手く導けない、伝えるに伝えづらい今の気持ちを、なんとか整えようと、果恋は区切りながら声にした。
やがて結論として、大真面目な真顔を作る。
「めっちゃ楽しそう。」
この上なく、大真面目に言う。
表情の不一致も甚だしい大真面目な感想に、アメリは吹き出した。
「じゃあうちの子になっちゃう?」
「…………カンガエトク。」
不器用でへたくそな悪ノリに、さらに吹き出す。
「わ……笑うなっ!」
「だってめっちゃ無理してんだもーん。やだあ、かわいー。」
「うるさい!」
また目の前がほわんとした。風呂場で起きたのと、おんなじ感覚。今度は心臓がふわふわ浮くような感覚も、同時におきる。風呂からあがってだいぶ経つというのに、なぜか、あったかい。
これも、カルチャーショック、なのかな。ショックと呼ぶにはあまりに穏やかな温度が、心地良い。
果恋はアメリと並んで、浮き立つようにリビングへ向かった。
唐突にスマホが震える。
「……――――!」
とたんに、柔らかな熱をたもっていた果恋の心臓が、無慈悲に凍りついた。
『着信』
『るるなさん』




