25 アイムホーム雨模様
銀座線渋谷駅を降りてから、かれこれ十分ほど歩いただろうか。相変わらず延々と喋る話題豊富なアメリをよそに、果恋は目的地に近づけば近づくほど新たなる『嫌な予感』を色濃くさせていた。
『嫌な予感』と紙一重の、『非日常への期待』。総括すると、『期待への恐怖』が一番近い。
アメリの足どりが止まったその瞬間、彼女の恐れていた期待が現実となる。
(……まじで?)
「? どしたの? カレンちゃん?」
人間、ひとえに驚愕といってもその種類は場面の数だけあるもので、今まさに果恋に生じた驚愕は、語彙力をそれこそゴリラレベルにまで引き下げる質の悪いものであった。
「まじで……まじかよ。」
アメリによって案内されたのは、閑静な住宅街に凛と佇む高級低層マンション。
おかしい。エントランスからまずおかしい。美術館の入り口かよ、ここ人住めるのかよ(※褒め言葉)。
スタイリッシュで無駄のないシンプルなエントランスに、果恋は庶民としての場違い感を覚える。
「なーにをおっしゃいますか。社長令嬢さまが、」
アメリはあっけらかんと笑う。
いやいやいやいやいや! そりゃたしかに義父はタレント事務所持ってるけれど! 彼には悪いけど規模的にそんなに大したことないから! しかも別居してるから! そもそも自分、立場的に存在してないから! 令嬢でもなんでもないから! 隠し子だから!!! やだなんか泣きたくなってきた!
確かに日生家がそこそこ裕福な家庭である自覚はある。しかしこのアメリ宅は次元が違う。いつぞや彼女がふざけて口にしていた『実家』は、悪ふざけでも嘘でもなかったらしい。
「えー……と、あんたんちって、何やってる家か聞いていいやつ?」
共用廊下を歩きながら、ガラス張りの吹き抜け中庭を横目に、果恋は遠慮がちに尋ねた。
「ほい? えっとね、おじいちゃんが病院やってるよん。」
んな、鮮魚店営んでますよ的なノリで……
アメリの説明では、彼女の祖父が医者なのか経営者なのか判断できなかったが、更に掘り下げて聞く勇気も無かった。むしろ、そんな家庭に三日間とはいえ居候するという今後の日程に、胃が痛くなってきた。
「すごいおじいさまなんだね。……やばい、緊張してきた。」
エレベーターという個室に閉じ込められるやいなや、自然と本音が出る。彼女の繊細な一面を、アメリは能天気に笑い飛ばした。
「緊張しなくてもいいよ。おじいちゃん達はここいないし。近所に住んでるんだ~。」
さらっとご心配無用、杞憂であるぞとの有力情報を与えてくれる。
「昔は一緒に住んでたらしいけどねー。前のマンションだいぶ古かったし、アメリが生まれてから子育てしやすいようにって、問答無用でママ達に用意したんだってさー、ここ。超親バカ爺バカだよねー。うける。」
うけるかどうかはともかく、財力と娘&孫娘への溺愛ぶりだけは伝わった。
日生家も、信五が妻と娘の関係を配慮、もしくは果恋の希望を叶える形で今のマンションを与えているのだから、似たようなケースなのかもしれない……が、スケールが違う。
世間は広いなあと、物思いにふけているうちに、アメリの自宅である室の前まで辿り着いた。
黒い御影石の表札に、 『AMEMIYA 雨宮』 と、白く刻まれている。
「…………。」
「どしたの? カレンちゃん?」
不自然に黙る果恋を覗き込むと、彼女は呆然のような真顔のような形容し難い面持ちで、大真面目に答えた。
「ごめん。私、今初めて知った。あんたの苗字。」
「あはー。まじ超謝って~。」
あどけない反応が、いつも以上にアメリを不思議な少女として映し出してくる。
雨宮アメリ……って、なんつー語呂してんだ。よそ様の名前にケチつけるのも野暮だけど。この名前、アメリの容姿でなければもれなく生き地獄だったろうに。
(……ん? よくよく考えてみると……私、アメリのこと意外と知らないな……)
本名判明が引き金となったのか、果恋はそれまで気に留めていなかった『雨宮アメリ』の素性について、考え始めてしまった。
彼女について知っているのは、名前と、
(たしか、本当は漢字で書けるって言ってたけど……個人的にカタカナで呼んでほしいとか、なんとか……。苗字は今判明したし。)
年齢と、
(今年十七になるって言ってたな。しかしまさか年上とは……。「今年十七」ってことは、まだ十六歳? ぎりぎり同年なのかな。)
住居と、
(まさかあの、「実家に帰らせていただきます!」がガチ住所だったとは……。上流家庭要素なんて皆無だったし。カップ焼きそばのマヨネーズとか。)
そして……
(たしか前に言ってたな……)
家族構成。
(この子、母親が、二人いる……って。)
がちゃん
考え込んでいる間に、内側から開錠された扉から、一人の女が現れた。
「おかえり。」
くせの無い艶やかな黒髪と眼鏡が印象的な、どうにも華の無い女が、姿を見せるなり出迎えの言葉を告げる。
「たっだいま~。噂のオトモダチ、いらっしゃいましたよん。」
アメリのふざけた紹介により女の視線が果恋へと向く。レンズ越しの真っ黒な瞳に、果恋は息を呑んだ。
華の無い女だ。しかしどういうわけか目を見張る小奇麗さと、隠しきれない育ちの良さが窺える。それこそアメリには要素皆無だった、上流家庭要素満載のような……
「いらっしゃい。」
果恋は再度、息を呑む。
知的で、一見すると冷たい印象すら感じる彼女の「いらっしゃい」は、驚くほど柔らかかった。
「お、おじゃまします……」
「日生果恋ちゃんでーす。十六歳だよー。」
ぎこちない挨拶に割り込んでくれたアメリのお陰で、自己紹介は免れた。
二人の様子を見るなり、女はおだやかに、やわらかい笑みを浮かべる。
「母の雨宮糸子です。娘がお世話になってます。」
アメミヤイトコ、と名乗る彼女は簡潔な自己紹介もそこそこに、二足のスリッパをウェルカムマット上に並べた。そそくさと上がるアメリに続き、果恋は二度目の「お邪魔します」を唱えながらスリッパを履く。
「ママ、夜勤明日だっけ?」
「明日は早番。悪いけど、昼だけ適当にやってくれる?」
「おけおけー。たぶんお出かけするかもだし。」
するすると会話を繋げる二人に、果恋はある種のカルチャーショックを隠し得ない。すごい。母娘の会話だ。日生家では絶対有り得ないやりとりだ。余所の家庭という別世界に感動してしまう。
「カレンちゃん、とりま荷物置いちゃおーよ。」
そう言われて案内されたアメリの自室は、それはもう彼女らしい、それこそ別世界だった。
ネイビーの壁紙とカーテンに、グレーの床と天井。其処彼処に目立つキャラクター物の小物や、個性的なインテリア……
「これから三日間、ふたりの愛の巣でございます。」
両手を合わせて戯言をぬかす部屋の主に、果恋はいつも以上に冷ややかな視線を送る。
一致しないのだ。先ほどの、ごくまっとうな母娘の会話を繰り広げた『娘』と、姿形&言動&部屋まで奇抜な『少女アメリ』が、同一人物であることに納得がいかない。
そしてなにより、
「あのさ、ここへきて普通の母親出さないでくれる?」
「ええ~? 超理不尽なんですけど~。」
これまでの傾向的に、身内はたいていヤバイ奴か一癖ある者だったせいか、雨宮糸子の圧倒的華の無さ、地味加減、穏当レベル、及びアメリとの不釣合い度は、実に衝撃だった。
「……でも、」
「ほい?」
理不尽な意見から一呼吸おいて、果恋はしみじみ口にした。
「きれいな人だね、お母さん。」
「あはー。絶対言わないほうがいいよ。糸子ママ、褒められるの苦手だから。」
アメリは眉を八の字に、腹を抱えた。




