22 想定外のミッシングリンク
「あのー……お話って……」
屋上にて、日生果恋は不測の事態に身を強張らせていた。
噂の美少女、つやちゃん。異世界の高嶺の花直々に声を掛けられるなんて、光栄でしかないだろうに……それはあくまで外野の意見だ。当事者になってみればわかる。今のこの状況が、いかに息苦しいものであるか。
近い。
(近いよ、つやちゃん……)
息を詰まらせながら果恋は目で訴えた。
やたら近距離で顔を眺めてくるこの美少女に、その胸中が伝わっているとは微塵も感じられないが。
『つやちゃん』は骨董品でも目利きするかのように、充分すぎるほど時間をかけて果恋を観察してきた。美しすぎる無表情という謎の威圧と底知れぬ恐怖に、果恋の動きは完全に封じられる。
(……なに? なにこの人……。怖いんだけど……綺麗だけど……いや綺麗だから超怖いんだけど……! やだな怖い! びじん! こわい!)
「身長は?」
「……へ?」
危うく脳内までゴリラ化する寸前で、『つやちゃん』は訊ねてきた。脈絡のない謎の質問に、果恋は固まったまま躊躇う。
「身長。背丈。身の丈。」
『つやちゃん』は至ってマイペースに追撃してきた。
「え……えー……165くらい、かと……」
果恋は思わず素直に返す。
「見たままね。あたしがヒールを履けば問題なさそうだわ。」
その反応が独り言か否か判断できそうになかった。勝手に納得しているようにも見えるが、視線はしっかりと果恋を捉えたままなのである。
「血液型は?」
質問は終わらない。またもや脈絡がなければ、むしろ圧が重くなっている。
「A……だけど、」
まるで拷問だ。
「こちらも問題なしね。」
「あの、問題って……」
「相性よ。あたしO型なの。で、誕生日は?」
「……九月二十九日です。」
質問自体はオブラートレベルでペラッペラの薄い内容だというのに、果恋は自白剤でも打たれたかのごとく、降参まがいに答えていた。なんなんだよもう。なんでこんなマックで交わすような軽い話題に、神経すり減らさなきゃならないのか。
「なるほど。」
果恋の嘆きなどお構いなしに、『つやちゃん』はようやく満足したのか、少しだけ距離をとって腕を組んだ。
立ち姿も美しいなあ……やっと終わった質問タイムに、果恋も少し息をつく。ついでに『つやちゃん』の美貌も再確認する。
(…………で、一体なんなんだ、この人……)
「それにしても、」
果恋が疑問をいだくと同時に、『つやちゃん』は切り出した。
「見れば見るほどそっくりだわ。」
その感心ともとれる一驚も、きっと、脈絡のないはずだった。
しかし、こと日生果恋においては、その一文のみで予感してしまうものなのである。
「そっくり」、だの、「似ている」、だの。
十六年間、それを口にされるとしたら、関係者は一人しかいない。
「なんの……こと、」
予感ならしていた。とびきり悪い予感。
しかしこれも現実逃避なのだろう。足掻くように、無理やりすっとぼけるような返事を、ぎこちなく言う。
「時峯よ。あなたの実父でしょう?」
足掻きはしょせん足掻きでしかない。的中したくなかった予感を、『つやちゃん』は容赦無く撃ち抜く。
しかしなぜ彼女が? 自分と時峯次久のことを?
「あなたのことは、時峯から聞かせてもらったわ。」
しかも時峯次久直々に?
確かに彼女は子役時代、時峯と共演したという実歴がある。当事の事務所が同じだったという可能性も否めなくはない。
しかし、多少の交流があるとはいえ、日生果恋の存在を打ち明けられるほどの間柄に至るはずなど、あるわけがない。
果恋は混乱した。
この、麗しい無表情の、美しすぎる人形を前に立ち竦む。
「どうして……私と、時峯のこと……?」
かろうじて出た最大級の疑問そして質問を前に、『つやちゃん』は充分に整っている姿勢を、真摯に、たおやかに正し直した。
「自己紹介がまだだったわね。あたしは大河内艶子。」
おおこうち、つやこ、
(…………大河内? ……!)
品よく奏でられたその響きに、果恋は衝撃の事実を把握する。
「時峯の再婚相手、大河内凪子の娘よ。必然的に、今は時峯次久の娘でもあるわ。」
『トキジ』と『つやちゃん』、
過去の共演者、多少の交流、なんて、ちゃちな関係などではない。二人は充分、日生果恋の存在を共有するに不自然でもなんでもない、親子の間柄だったのだ。
しかし、だからなんだと言うのだ。
果恋は唐突に、そして理不尽に現れた実父の娘という禍々しき相手に、虚勢を張りつつ正論を口にした。
「……だからって、……私に、なんの用――――」
「時峯は非の打ち所のない男だったわ。」
果恋の精一杯の反撃に、艶子はいともあっさり言葉をかぶせてくる。
美しい無表情、淡々とした語調、そしてどこまでも生真面目な態度に圧倒され、果恋は口を噤んだ。
(その容姿でそのマイペースぶりは怖いよ……怖すぎるよ、つやちゃん! いや、大河内艶子……!)
無理もない。ただでさえ混乱している身だ。果恋は胸中で嘆く。
艶子はお構いなしに続けた。
「業界人としても、一個人としても、男としても。昔なじみという部分を差し引いても、あたしには充分尊敬に値する人間だったし、父として大河内家に迎え入れるのに反対する理由なんて無かった。……でも、彼の律儀さが仇となったわね。」
なるほど。再婚するに至って、新しい家族に自身の膿を曝したというわけか。
バッカじゃねーの? あのクソ実父。
混乱&畏縮中でも、時峯への暴言&毒吐は忘れない。むしろ、艶子の評するとおり彼の律儀な部分がこの上なく癪に障った。隠し子いる時点でどう足掻いても好感度なんて上がらねーからな! 混乱&畏縮が、常時より数段、暴言&毒を強めてしまう。
「日生果恋。
隠し子の存在は、あたしの美学に反するわ。」
ですよねー! なんかごめんなさい。
脳内の自分とほぼ同時に、隠し子について言及する艶子へ、心から……というより心でのみ謝罪した。今さっきまでの虚勢を張っていた己を恥じる。言葉にするのも厚かましい。冷静に考えれば、自分の立場に発言権など、無い。
「それまで築き上げてきた時峯という存在や、彼との関係に罅が入る想いだったわ。……母との関係を清算してほしいとさえ考えた。……だけど、そういうわけにはいかないのよ。」
どんなに後ろめたさを感じようと、罪悪感を懐こうと、艶子は容赦無く果恋をえぐり続けた。
発言権はもちろん、反論なんてもってのほかだ。
隠し子に罪は無い、加害者なんかじゃない。むしろ被害者かもしれない、というのは胸に留めている。しかし彼女の、この大河内艶子という少女に対してだけは例外だ。
果恋は混乱を鎮めつつ必死に悟った。
隠し子の、実父の、娘となってしまった少女……。事実を明かされたとき、どれほど失望したことだろう。尊敬していたという時峯次久を前に、どれほど落胆させてしまっただろう。
罪悪感以外は不要だ。果恋は誠心誠意、艶子と向き合った。
それが時峯次久の実子としての、せめてもの責任だと、思って――――
「……気にしないで、って言うのも、無茶な話かもだけど……私には、それしか言えない。それに、私はあいつのことなん――――」
「そこであたしは時峯に取引を持ちかけたの。」
話聞かねえなこの女!!!!!!!!
尽力の限りだった誠心誠意が吹き飛ぶ。
返せ。私の罪悪感責任感緊張感その他諸々この恐怖の時間及び半端ない気まずさに擦り減った精神を返しておくれよ、つやちゃん。
最早KYの域に達する生真面目ぶりでマイペースを貫く艶子に、果恋は翻弄される。
しかしここで乱されるわけにはいかない。立場なら弁えている。己なら律している。だからこそ、彼女を尊重すべきなのだ。
あんな、どうしようもない男を、新しい家族として迎え入れなければならない艶子……
なんて不憫なのだろう。いわば日生果恋の背負った業を、受け渡すようなものだ。
「隠し子なんて不浄な存在は認められない。」
不浄……か。
ああ、当然の主張だ。
果恋は覚悟を決めた。言われるがまま、すべてを受け入れる、覚悟を。
「……だから、
日生果恋を正式に、時峯の娘、大河内果恋として迎え入れるわ。
それがあたしからの、彼に対する再婚条件よ。」
…………は?
「公表されていないけれど、時峯は婿養子として大河内の籍に入ったの。だからあなたも大河内姓になるわ。」
まて。
まて、まて。
待て待て待て待て待て待て待て。
弁えていた立場が崩れる。律していた己が揺らぐ。尊重すべき対象が、何を言っているのか理解が追いつかない。
「あたしは五月生まれだから、九月生まれのあなたからすれば、姉ということになるわね。」
聞け。
話を聞け、聞くんだ。話を聞こう、大河内艶子。いや、つやちゃん。
すべてを受け入れる? 罪悪感? 責任感? 固めていた覚悟が内部にて乱れに乱れ、しっちゃかめっちゃかになってゆく。
艶子は美しい無表情を維持したまま淡々と喋り、にじり寄る。その分、果恋は後ずさる。
「さあ、果恋、」
艶子は両腕を広げ、言い放った。
「お姉ちゃんの胸に飛び込んできなさい。」
つやちゃん話聞かねえええええ!!!!!!!!
未知なる生物との遭遇は度々あった。もう慣れたものだと過信もあった。手荒なパッパラパー女しかり、不審なストーカーギャルしかり。
しかし、こいつは違う。
ベクトルが、ステージが、格段違う。
どこまでも大真面目に姉妹愛を唱え抱擁を迫る美少女、大河内艶子を前に、日生果恋はとりあえず、とんでもねえ所と籍結んでくれやがったなあのクソ実父と、九割がた八つ当たりの怨み節を、時峯次久へ念じた。




