19 愛しのマスターピース(前編)
改札を抜けた時点で、早い到着になると確信した。
待ち合わせ場所は駅直結の複合型施設ビル。ここの四階レストランに足を運ぶのもかれこれ4~5回目にはなるというのに、この最寄り駅0分の立地はどうも時間配分が難しい。
しかし然程わずらう必要もないだろう。過去の待ち合わせ歴を思い出しながら、果恋は慣れた足どりでエスカレーターに立つ。
きっと……いや、どうせ彼なら既に居るはずなのだ。毎度毎度、約束より早く着いてしまう果恋を先読みして、より早く席についている。待ち合わせ歴が記憶に残るのは、彼も同じなのだ。
「いやあ見違えたよ。正直、気づけなかった。」
一ヶ月ぶりとなる面会で、信五はまずそう切り出した。
思いのほか好感触な反応に、果恋は一先ず息をつく。彼世代の人間に、このオレンジ髪が受け入れられるか正直不安ではあったのだ。
果恋と合流するやいなや、嬉々としてオーダーをする彼と、明らかに奮発したオーダー内容に、今しがたの好反応が嘘偽りではないのだなと、果恋はもう一度安堵する。
まあ彼の場合は仕事柄、若者の流行等に許容する範囲が、同世代より広いのだろうけれど。
日生信五、四十七歳。芸能プロダクション、エイデルワイス代表取締役であり、
日生果恋の、現父親である。
「そのドレスは自分で選んだのかな?」
ある種の職業病なのか、前菜の途中で信五は果恋の本日の身なりについてもふれてきた。
オールインワンタイプのワイドパンツドレス。これまでの面会で彼が見てきたのは、無難な外行き用のワンピース姿の果恋だったため、よほど新鮮に思えたのだろう。
「いえ、友人……が。」
気恥ずかしく答える果恋を、信五はふむ、と目利きするように見据え、やがてぱっと顔を輝かせた。
「すばらしいプロデュース力のお友達さんだね。果恋ちゃんの魅力をこんなにも惹き出せるなんて。」
やはり職業病か。よくいえば魂に火でも点いたのか。
声を弾ませる彼の瞳には一欠けらの曇りも無く、まるで少年のようなその様子に、果恋は和みと、呆れと、尊敬というばらばらな感情の真ん中で、愛想笑いという表現を選んだ。
そんな愛想笑いでさえ信五からすれば、娘との団欒として感じ取れたようで、更に表情を華やがせる。匙で掬い上げたばかりの、雲丹のフランを口に運ばず皿に置き、そそくさと鞄からチラシのような物を取り出した。
「今度決まった、るるなの仕事なんだ。」
見計らっていたとばかりに意気揚々と言う。
卓上に置かれたのは、シックな店内に似つかわしくないアニメ絵。映画の告知ポスターだろうか。右下隅には来年の日付と『全国ロードショー』の印字がある。
いかにもなファンタジーを匂わせる佇まいのキャラクターが数人描かれており、タイトルと思われる『AMARANTH』の文字の下には、演者であろう人名が並んでいた。
並び順にして三番目、『芹澤るるな』の名前に果恋は目を留める。
母の、名だ。
「果恋ちゃん、ゲームはやらないんだったかな? 知ってる? アマランス。」
チラシを指して、信五は声を弾ませ続けた。
「いえ、あいにく、ですが。」
果恋はためらいがちに素直に告げる。
「そうか~。結構人気のタイトルでね、前々からアニメ化を望む声が多かったんだよ。るるなの役はね、主要人物の……ああ、この子、この子だよ。」
はつらつと語りながら、信五は金髪碧眼の少女をさした。淑やかな外見に不釣合いな、勇ましい大剣を手にしている、なんともギャップのある少女だ。
「いわゆるサブヒロインなんだけどね、実は正ヒロインよりも人気が高いんだ。キャスティング予想も、彼女が一番話題になっていたし。でも、何より一番の目玉は、正ヒロイン役の『甲斐ちさと』との初共演さ。彼女は「芹澤るるなの再来」とまで囁かれている大型新人でね、このキャスティングにはファンのみならず業界も大注目しているんだよ。」
母を、芹澤るるなを語る信五は、時々こうして歯止めが利かなくなる。果恋は和みと呆れと尊敬を継続させたまま、おとなしく相槌を打ち続けた。
「これ以上ないくらいの話さ。
本当に、作品の知名度も、役どころも、話題性も……申し分ない。」
少年のように語り続けていた信五が、僅かながらトーンを落とす。
深いまばたきを一閉じし、ゆっくり開く。
その瞼の奥からは、抑えきれない熱を帯びたまなざしが、溢れ出た。
「芹澤るるな、完全復活だ。」
おだやかに、されど熱く言う。
果恋は、彼の醸す場の空気に和み、彼の沸き立つ熱意に呆れ、彼の母に対する想いに尊敬した。
ばらばらの感情が、娘としての果恋の、父としての信五への好感をバランスよく保つ。
果恋は決して信五が嫌いではなかった。
むしろ折り合いなら、実母である芹澤るるなよりも良いくらいに。
「……本人の希望もあったとはいえ、活動再開以降は主演クラスを控えてきたけれど、今回はるるなも賭けているみたいなんだ。僕も、全力でサポートする所存だよ。」
信五は、妻を本名の『日生瑠奈』ではなく、デビューした頃から今日まで変わらず芸名の『芹澤るるな』の名で呼ぶ。仕事上でも、私生活でも。
それは、連れ子である果恋への配慮、といった在り来りな気遣いなどではない。
彼には人間としての裏表というか、境界が無いのだ。
自分で発掘し育て上げた、言わば商品である芹澤るるなを娶り、所属声優としても、妻としても同時に愛する。
代表という立場でありながら、マネージャー時代と同じ業務を自らの意思で揚々と担い、両立させる。
仕事も、生きがいも、趣味も、娯楽も、家族も、利得も愛情も、彼にはすべてが一緒くたなのだ。
だからあらゆる面から全力で勤しむ。そんなふうに境界を取っ払う彼だからこそ、果恋はやり易かった。
何せ彼は血にも拘らない。果恋を『自分の娘』として難なく受け入れ、実子と差別も区別もしない。
それでありながら、果恋に『父親』を強要しない。
果恋が未だに「信五さん」と呼ぶことに言及もしなければ、嫌な顔一つも見せない。敬語で接することにも一切気に留めない。
かといって無関心などという事は一切無く、中学卒業と同時に家を出た果恋の衣食住をすべて賄い、今も生活費、学費といった援助を惜しみなく与えている。
そして何より、この、月に一度の面会だ。
「るるなも、今日来たがっていたんだけどね。残念ながら予定が合わなくて。」
嘘をつけ。内心で間髪いれず果恋は突っ込んだ。
別居する娘との、月一の親子団欒。本来ならば実母である、るるなが面会するのが筋なのだが、明らかに意図的な多忙が続くのも彼是三ヶ月目に突入する。
前途の通り裏表も境界も無い信五は、極めて嘘が下手だ。慌てふためいたりしどろもどろするわけではないが、はつらつと笑顔でばればれの嘘を吐く。そして自身こそ忙殺されている身でありながら、果恋との時間をたんまりと設け、笑顔で過ごす。
(……この人、隠す気あるのかな?)
果恋は胸のうちでしばしば困惑したが、そういった部分も含め、彼が嫌いではなかった。付け加えるのならば、母が意図して来ないならば来ないで、果恋にとっても都合が良かった。
扱いづらい実母より、判りやすい義父。
穏当な家庭環境ではないという事実には、二人の娘となってすぐに気づいてはいたが、両親の再婚から七年経った今でも、時折疑問をいだく。
どうしてこんなにも無害な義父が、あの女を伴侶に選んだのか。
しかも連れ子兼隠し子付き。事故物件なんて、レベルじゃない。
「声優なんてブスばっか。」
お騒がせアイドル声優、芹澤るるな、歴史的第一回炎上名言である。
さらに詳細を挙げるのであれば、「本物のアイドルと比べたら一般人以下」、「声優ってだけで美人扱いされておめでたい」、「アニメを観ろ声優を見るな」「台本以外は嘘を喋る仕事」等々、ファンにも同業者にも所属事務所にも耳に痛い言葉を平然と吐いたのが、業界二年目の十九歳のとき。
若さと美貌、そして愛らしい萌声と擢んでた演技力を兼ね備えていながら、度々炎上案件を引き起こす芹澤るるなは、良くも悪くも目立つ声優だった。
他声優との交流は一切持たないどころか、現場での喧嘩は日常茶飯事。監督や演出家にも食って掛かる。雑誌、写真集、テレビ番組などメディアへの露出時は、指名したスタイリストの同行が絶対条件。
業界内での悪評はやがてファンの間で噂話として広がり、トップアイドル声優として君臨する二十一歳時には、見事に信者とアンチ真っ二つの、トップ『炎上』アイドル声優の名をほしいままにしていた。
しかも人気絶頂時に突然の活動休止。裏では極秘の妊娠出産。
二十五歳で待望の復帰を果たすも、気難しい性格と型破りなスタイルが変わることはなく批判される反面、美貌と演技力には更に磨きが掛かっており、結局休止前同様、信者とアンチ真っ二つの炎上アイドルとしての地位に返り咲いた。
しかし、
のちに、そのじゃじゃ馬ぶりが災いし、るるなはこれまでの炎上など霞むレベルの大バッシングを受ける『事件』を起こす。
一時は彼女を廃業まで追い込んだ、炎上では済まされない大惨事。
るるな、三十一歳。果恋、九歳。
七年前の、秋の、終わり――――――
「――――信五さん、」
なぜこの義父は実母を選んだのだろう。
母の人格と、彼女の招いた大惨事を思い起こしながら、果恋は重い口を開けた。
「どうして、母と結婚したんですか?」
この上なく率直に、幼子のように素直に、聞く。
開けっ広げな果恋の口ぶりと質問に、信五は珍しくきょとんと瞼を固めた。
まもなく瞼が動くころ、一瞬の硬直を打ち消すような身軽なまばたきが二回、信五の目上でぱちぱちとした。
「どうしたんだい? 突然、」
信五自身も、軽く、気さくに聞き返す。
ここまでは想定内だ。予想通りの反応を返され、果恋は用意していた主張を脳内に並べる。
「……信五さんのことは尊敬しています。人としても、父親としても。」
そして順番に、発言として変換し始めた。
「ですが、母のことは、尊敬……できそうにないんです。人としても、母親としても、……プロと、しても。」
プロ、ねえ。主張の途中で信五がふふっと漏らし、話の腰を折る。それもまた想定内。果恋は空気を読んで発言を一時中断した。
「るるなはあれで、すごく仕事熱心な人間だよ。だからこそ同業者との衝突も多いし、上にも平気で歯向かう。そんなところが、気難しいって受け取られがちだけどね。それに、彼女なりにファンには感謝しているし、大切にだってしている。不器用な性分が災いして誤解を招くことが多いのは、少し痛手かな。」
やはり芹澤るるなを語る信五は、穏やかでありながら歯止めが利かない。
和みと呆れと尊敬。今ばかりは呆れの割合を多めに占め、果恋は視線を卓上へ流した。
「誤解も何も、ファンを不快にさせるのはアイドル失格だと思いますけどね。」
少しばかり小生意気に吐き捨てる。
そんな娘の態度に、信五は眉を八の字にしてまた笑いを漏らした。
「ははは。
アイドル、としてはね。」
「?」
多少腰を折るだけならともかく、完全に話が脱線してしまった。
別に母を非難したいだけというわけではない。切り替えなければ、話を戻さなければとばかりに果恋は小さく首を振る。
卓上で指を重ね、改めて切り出した。
「……私、最近、いろいろ、生活というか見方というか……生き方、みたいなのが変わること、たくさんあって……自分自身をみつめ直すうちに、どうしても母という人間が外せないって、気づいて…………その……ごめんなさい。うまく、言えないんですが、」
用意していたはずの主張が、脳内の整理整頓も虚しく散らばる。母を、信五を、今の両親を、非難したいわけじゃない。
「……どうしても母に、芹澤るるなに、好意的になれない気持ちが確かなんだって……思い知って、しまったんです。義父に対して、負い目を感じてしまう、くらいに。」
これは純粋な想いだ。
日生信五と日生瑠奈、ふたりの、日生果恋としての。
自分の出生。隠し子という立場。
成長するにつれ実父と瓜二つに成ってゆく自分の顔と、その顔を嫌厭し次第に壁を作ってゆく実母。
実母との関係を取り持ってくれるばかりか、母の演者生命を救い、自分の生活まで援助してくれる、義父。
そして、七年前の、事件。
日生果恋の、日生信五と日生瑠奈へ対する感情は、複雑に、歪に縺れ、解答の無い疑問ばかりが果恋の心臓に絡まった。
卓上で重ねていた指に、果恋は力を込め、唾を飲む。
腹をくくり、口を開いた。
「……七年前の、あの事件のときだって、信五さんにはそうとう迷惑を……――――」
「あれは事件じゃない。事故だ。」
果恋の覚悟を決めた声を、信五は容赦無く一刀両断する。
その語調は、声質は、瞳は、今しがたまでの少年のような彼からは程遠く、確固たる意思を貫く事務所代表の身姿に、果恋は言葉を失った。
「……被害に遭った方々は気の毒だったけれど、るるなへのバッシングはお門違いだと、僕は今でも思っているよ。」
図らずも果恋を黙らせてしまい、良心の呵責を感じたのか、信五は少しずつ語調を和らがせた。それでも意思だけは一向に揺らがせようとせず、言葉には芯を残す。
「るるなは悪くない。」
その断言が、母への庇護なのか、果恋への気遣いなのか、彼の信念なのか、果恋には判断できそうになかった。鎖された唇を内側から噛む。
「守り切れなかったくせに、偉そうに言える立場じゃないけどね。」
最後は自虐と無念と罪悪感を織り交ぜた苦笑で、この話題について、自身の言い分を締めた。
その一方で果恋にはまだ、終わりかたがみつからない。
むしろまだ、終わらせられそうに、ない。
すっかり忘れていた二品目の牛炙りを一切れ頬張り、落ち着かない唇に蓋をした。噛まなくてもほぐれるほどの上等な肉質と、文句なしの味付け。マヨネーズの直飲みとは大違いだ。
しかし奮い立つには少々パンチが足りない気もする、なんて考えてしまう時点で、自分はずいぶんと鍛えられたのだなあと、良くも悪くも開き直れた。
「……責任だったんですか?」
開き直ったついでに聞く。
果恋同様、食事を再開していた信五は、一切れをフォークに刺したまま顔をあげた。
「母を、守りきれなかったから……引き取って、結婚、したんですか?」
露骨な言葉を選び、並べ、果恋は父に迫った。
娘の、これまでとは違う目の色に、信五は沈着な真顔を向ける。
やがて穏やかに結んでいた口端を上げ、鼻から呼吸をおとすような微笑を浮かべた。
「るるなは、僕の最高傑作だ。」
娘の真摯な瞳へ返す、誠実なまなざし。穢れのない水面が果恋を身じろがせる。
「声優芹澤るるなとしても、もちろん妻としてもね。」
……答えになってねーよ。内心でついた悪態は、言葉に変換するに至らなかった。悔しいことにあながち、理解できなくもないのだ。
今月のアミューズも絶品だね。メインも期待できそうだ。
何事もなく平然と、話題をランチコースへシフトする父の要領の良さに、果恋はようやく、降参という形での、締め方に辿り着けた。




