18 ハートブレイクさえ程遠く
なんかすっげサマんなってきたし。
壁際でだらしなく座り込みながら、此花は果恋の撮影を見届けていた。
白で囲われたセットに立ち、目新しいスタイルに身を包み、堂々と眼光を点しながらフラッシュを浴びる彼女は、此花の知る日生果恋とは程遠い。
良く言えば新鮮、悪く捉えれば違和感。新たな可能性を見出した果恋を、此花は茫然と見つめるしかなかった。
程遠い。いいや、遠い。遠いな。ぼやくように此花は思う。セット中心からこの壁際は、あまりにも遠い。
「いやはや~。サマになってきましたなあ、カレンちゃん。」
隣から、癇に障る声が自分と同じ意を唱えた。アメリが壁に寄り掛かって腕を組んでいる。神出鬼没かよてめーは。毒を含んだ睨みを一刺しきかせ、ふんと鼻を鳴らした。
「なーんかノッてきたよね~。」
「あー。」
「本物のモデルさんみたい。ほんっとイケメン!」
「んー。」
「カレンちゃんの素材と、ミチオちゃんのセンスが光ってるよね~。」
「……あー。」
「ま! 最初に発掘したのはアメリなんですけどね~。」
「…………。」
薄い。此花の反応があまりにも薄い。あれほど狂犬の如く喧嘩上等だった彼女あるまじき態度に、アメリは拍子抜けすると同時に、身勝手な不満を募らせた。
「もーなんか言ってよー。張り合い無いなあ。」
口論にならなければならないで、これである。
「なんかって何だよ。」
此花はうんざりと眉間に皺を寄せた。
「『もっとゆるふわヘアじゃねーと認めねー! 沈めっぞオラ!』とかー。」
「物騒すぎんだろ。」
ようやく言い返してきた攻撃も、どうも味気ない。
アメリは壁にもたれ掛かったまま、すすっと腰をおろした。此花と並んで座る。隣り合った二人は暫しの間、会話も交わさず口論も起こさず、顔も見合わせずに、ただひたすら果恋を眺めた。
評するとおり被写体として様になってきた果恋は、バイトとはいえ、モデル業初体験の高校生とは、俄かには信じ難い。
個性的で華やかなヘアスタイルにも引けをとらない、精悍で中性的な美貌。捕らえた者すべてを魅了するであろう眼力。堂々とした振る舞いに潜む確かな色香。
……トキジは化け物を生んでしまいましたなあ……と、アメリは呟きかけた言葉を飲み込んだ。いけない危ない。この件はトップシークレットである。
「……そりゃさ、思わねーわけじゃねーし、」
アメリが口を結ぶのと同じタイミングで、此花はぽつりとこぼした。ちらりと横を見ると、彼女は変わらずひたすらに、果恋をみつめている。
「髪色、もっと落ち着いてたほうが理想だし……化粧も、服装も、理想だけなら、まあ、あるわけで……。…………でも、」
みつめたまま溢し続けた。淡々と、彼女らしくない宇喜多此花が連ねる声は、覇気こそ無いものの、愚痴とも落胆とも違う。
「でも?」
アメリは抜かりなく聞き返した。
「……ンでもねーよ。うざ。」
間を挟み、少しだけ持ち返した悪態を此花は吐き捨てた。
ぶー、ひっどー。あざとく、わざとらしい不愉快を表してくるアメリに、此花は先程より控えめに鼻を鳴らした。
理想だった。
此花は果恋をみつめたまま、世界を遮断する。
上等なスタジオも、専門的な機材も、面倒な身内も、その舎弟たちも、身内の上司も、隣にいる、アメリも。
果恋以外のすべてを自分の世界から消す。果恋だけを、自分の世界に残す。
なんて無意味な愚行だろう。彼女は気づいていた。どんなに周りを遮断しようと、ひたむきに、自分の世界を捧げようと、
既に日生果恋が別世界の人間であることに。
遠いな。セット中心からこの壁際は、あまりにも遠い。
どうして、素直に振舞えなかったのだろう。
どうして、まともに接しなかったのだろう。
どうして、私だけが、みつけた彼女だったのに。
果恋が美しく輝くほど光を浴びるほど、思い知らされる。
理想の具現だったはずの彼女はいつの間にか、あまりにも遠い、別世界の人間だ。
殻の中にしまっておきたかった、なんて、
傲慢だったのだろうか。
「アメリさー、ずーっと疑問だったんだけどー、」
遮断していた外界から、無遠慮な声が甘ったるく侵入した。その甘く癇に障る音は防壁を難なく融かし、声の主は怯みもせずずかずかと攻め込んでくる。
「高校でさ、よくいじめられなかったよね。カレンちゃんて。」
不躾な弁舌に思わず隣を向くと、癇に障る声の主が、癪に障る表情を浮かべていた。意味深に目を細め、口角をあげている。
「まーいじめってのは大げさでも、かるーくいじられたり、陰で変なあだ名で呼ばれてたり、変な噂たてられたりするくらいはあっても、不思議ではないかなーって思ったわけ。カレンちゃんてば、ガチの陰湿根暗童貞陰キャだったみたいだし。」
べらべらべらべらとよく喋る女だな……というより、こいつ……。此花はアメリに向けて眉を顰めた。
「おまえ本当に日生が好きなん?」
「あはー。そりゃーもーぞっこんですよー。」
読めない女だ。やはり未来永劫解り合えそうにない。
「テレ朝刑事ドラマガチ勢、アメリちゃんの名推理としましてはですねえ、」
何の自慢にもならない肩書きを掲げながら、アメリは得意気に人差し指を立てた。
「誰かさんが率先して、カレンちゃんにちょっかい出すことで、いじめを防いでたんじゃないのかなーって思うわけですよ。」
「…………。」
「たーとーえーばー、カースト上位の女ボス的なー? ボスお手つきの公認オモチャに、誰も悪さなんてできないだろーし。きっとちょっかいの出し方も、本人には不快にならないように徹底してたんだろうなあ~。」
すいすいと動かす指に連動して、リズミカルに体をも揺らす仕草が、この上なくうざったらしい。視界からアメリを消すようにそっぽを向くと、あろうことかアメリは顔を覗き込んでくるという、うざさ満点の暴挙にでた。
「おやおやおやー? お心当たりがあるようで?」
柄の悪い舌打ちが、随分と懐かしい音で鳴った。付け睫毛がまばたきと共にダイナミックに上下し、少女アメリへ睨みをきかせる。
「ねーよ。つか私、月9派だし。」
「いやん、乙女~。」
無論、屈するアメリなどではない。
ようやく手応えのある恋敵に戻った此花へ、アメリは座ったまま体一つ分距離を詰めた。
「見かけによらず健気な乙女さんですなー。」
ウザさの極意、肘を使ってのウリウリ攻撃をかましてくる。
「うざ! くっそうぜえ!」
此花は咄嗟の反撃として、手首に巻いていたシュシュを投げつける。しかし殺傷能力は極めて低く、アメリはけらけら笑いながら「もーらいっ」と、自分の手首に装着した。
でも全然可愛くないなーコレ。アメリの趣味じゃなーい。光沢の強いベロア生地のシュシュを天井にかざしてアメリは言う。
うっせ返せやオラ。此花はすごんだ声で彼女の手から取り上げた。
一連のやりとりをアメリはなお、けらけら愉しむ。しかめ面の此花にお構いなしで、おちゃらける。
「ありがと。」
流れに乗ったまま、するりと告げる。
「半年間、カレンちゃんを守ってくれて。」
よめない、女だ。
どこまでも、どこまでも癇に障る。平然と私を読み取りやがる。
アメリの朗らかな攻撃に、此花は据わらせた目で応戦した。
「だからちげーつってんだろ。」
勝ち目など無いと承知の上で、喧嘩腰に言う。
「あれれー? 前は見守ってただけだって言ってなかったっけー?」
持ち出すなよ、回転寿司の件を。レスバ最強かよ。つか無駄に記憶力いいな。内心で連ねた反撃はそう簡単に口から飛んではくれない。歯を食いしばる長めの舌打ちをチイィと鳴らすと、アメリは勝ち誇るように、にししと歯をみせた。
いよいよ此花は降参する。
それがせめてもの意地や思念、そして理想を保てる手段なのだと悟り、天井を仰ぐ。
「……私は、」
やたら高い天井の、吊るされたストロボを眺めながら投げやりに言う。
「守りたかったんじゃなくて、寄せ付けたくなかったんだ。」
心からの本音を晒す。
「気づいたの、私だけだったし。日生の正体っつーか、可能性……みたいな。」
寄せ付けたくなかった。誰にも、日生果恋を、知られたくなかった
だろーねえ。アメリはあっけらかんと同意する。
「コノカスちゃんてば、人は変われるってこと、身を持って知ってる子だもんね。」
そのドエロい体が物語ってますわ~。茶化すアメリを尻目に此花は沈黙を守る。
「…………。」
そんな、きれいな理由だけじゃないのだ。
此花は鎖した唇の内側で、己にのみ呟く。
「だから、独占したかったんでしょ?」
アメリに見透かされているのだと、承知の上で。
「……だったらなんだし。」
「あはー。おっそろしい女。」
「は? 喧嘩売ってる?」
「んーん。最高に褒めてるってば。」
理想だった。
あの日、自分だけがみつけた、ぶ厚い殻の中に眠る大粒の真珠。咲き零れた優越感と恍惚……誰もが、貝殻に眠る真珠に気づいていなかった。
日生果恋、本人でさえ。
だからこそ独占したかった。他の誰にも、何者にもばれないまま、果恋を閉じ込めておきたかった。真珠の輝きが見られなくても、貝ごと手に入ればいい。
磨けば輝ける。人は変われる。そんな真実さえ、独占しながら。
「倒錯的で、おそろしすぎて、感謝するしかありませんわー。」
此花の奥底までを看破したアメリは、そんな言葉で彼女を賞賛した。
批判的な用語を用いた複雑な感謝の意に、此花は一瞬眉根をよせる。こんがらがるような表現はいくら解いても、賞賛として受け入れるのはなかなか難儀である。
「いや、全っ然感謝にきこえねーから、それ。」
わりかし真顔で冷静に突っ込む。好感の薄い無遠慮な接し方。ここからいくつかのやりとりを経て、此花とアメリは低レベルな口論へと展開させていくのだ。
今日だけは少し、例外のようだけれど。
「んもおー。自分は超メンドーなことしてるくせに、相手にはストレート求めんだからー。わーかーりーまーしーたーよっ。じゃあ、」
じゃあ、で意気込んだアメリは、小さく「コホン」と演技掛かった咳払いをし、語調と表情を改めた。
日生果恋を、生まれ変えてしまった元凶が、笑う。
理想も独占計画もぶち壊してくれた、災厄が、
「改めまして、ありがとね。此花ちゃん。」
愛らしくほころぶ。
「うわ。キモ。」
間髪いれず悪態をついた。
「ぷー。じゃあやっぱコノカスちゃん!」
「るせーよアメコ。」
「ええーあだ名のセンスうんこー。」
「そっちも大概だし。」
不本意な愛称を命名されながらも、そして言及しておきながらも、やはりアメリは愉快に笑う。
畜生こたえねーな、こいつ。真隣で並ぶ彼女の無邪気な笑みを喰らいながら、此花はただただ悔む。
悔しいなあ。計画はぶち壊しだ。だいたい日生はやっぱり、フェミニン系が似合うんだって。欲を言えばフェミカジ系! 半年間、無駄にしたなあ。くそ。ああ、悔しい。
敗北感と、無念と、悔しさを胸に、此花は果恋の撮影風景を今一度みつめる。
白い世界の中心で、精悍な顔つきの中性的な女が、堂々と恥ずかしげもなく色気を振り撒いている。
…………ちくしょう くやしい
「めちゃくちゃ……きれい、」
震える声に、アメリは耳を塞ぐ。
そして気づかれないよう、ふふんと鼻をならした。




