15 混沌スタジオ
その日、女は夜勤明けだった。
昨夜は大きなトラブルも緊急の分娩も無い平穏な一晩であり、勤務先から程近い自宅には、普段より早めの午前十時前に戻ることができた。
「あっ、おかえりなさーい。」
平日金曜の朝十時。本来ならば自宅に居ないはずの高校生の娘が、どう見ても登校するとは考え難い身なりで、出掛け支度をしつつ迎え入れる。支度とはいっても、あとは靴を履くくらいか。つまり入れ違いである。
「どこか行くの?」
行き先が学校ではないであろうと大前提に、率直にきく。
「うんっ。ほら、前言ってたミチオちゃん新店の撮影ー。」
「ああ。あれ、今日だったのね。」
娘の隠す気もない予定に、女は咎める気配すら見せず会話を繋げる。
撮影ということから、大方のセットは現場で行うのだろう。娘は普段より控えめな化粧をサングラスで隠し、目深に被った帽子からゆるいウェーブ掛かった黒髪を垂らしていた。
娘は鼻歌まじりにシューズクロークを開き、リズムをとるような指さしで一足を選ぶ。
「アメリ、」
靴紐を結ぶ娘に、女は呼びかけた。
「あんた最近、楽しそうね。」
「おやや? わかっちゃう~?」
こちらも隠す気無しか。探りを入れるつもりなど無かったが、こうなるとどんな質問で、娘がどういった反応を見せるのか、女は好奇心に駆られた。要は悪戯心だ。
「恋人でもできたのかしら?」
大胆に切り込んでみる。
「あはー。ばれた。」
娘の反応は、女が期待するものとは違っていたが、予測するものには近かった。
「でもでも、残念ながらまだ未遂だよー。」
補足説明を付け加えたところで靴紐が結び終わる。娘はぴょんっと小さく飛び上がり、愛らしい姿で振り返った。
「夜勤おつかれさま。
ゆっくり休んでね糸子ママ。いってきます。」
いってらっしゃい。
女は溜め息まじりに笑う。そして眼鏡を外し、眉間を軽く押さえた。
「まだ未遂」って……。娘にはもっと本を読ませるべきだなと、女は少しばかり誓った。
澄んだ空気とやわらかな陽差しが心地良い、秋晴れの空の下、果恋とアメリは表参道駅から程近いビルの前に到着していた。ここの九階スタジオが、本日の撮影場らしい。
「ふいーっ。絶好の撮影日和だねー。」
背伸びをしながらアメリは言う。
「って言っても、屋内でしょ。」
すかさず指摘する果恋に、アメリはお約束どおり「あはー」とふざけた。
「……にしても、すごい場所で撮るんだね。朝丘さん、初期費用は抑えたいって言ってたのに。」
立地としても建物としても上等な現場を前に、果恋は感嘆の溜め息をついた。
「なんでもね、ミチオちゃんの部下さんのコネで、格安で貸してもらえるんだって。しかも撮影スタッフさん付き! やばくない?」
確かにやばいな。やはり只者ではないであろう天使の人脈に、果恋は妙な納得の下、頷く。
「でもね、アメリとしては、そんなことより100万倍も謎な件があるわけですよ、」
得意気な説明の直後に、アメリは怪訝な表情になって果恋の真横を指差した。
「なんでコノカスちゃんまでいるの?」
予定に無かった宇喜多此花の現地集合に不快感を表す。
「は? おまえが教えてくれたんじゃん。今日の撮影。」
「来いとは言ってないよね? 来てとも言ってないよね? むしろ来ないでほしかったよね!」
「押すなよ絶対押すなよ理論とか知らねーの?」
「知らないもん。そんなダチョウ倶楽部。」
「大いにご存知じゃねーか。」
「つーん。」
不機嫌にそっぽを向くアメリを、果恋はまあまあと宥めた。
「私、人見知りだし、知らない人ばかりより宇喜多が居てくれたほうが心強いよ。」
「アメリとミチオちゃんがいるじゃん。ぶー。」
「朝丘さんのお店スタッフさんも来るんでしょ? 初対面の人、多くなりそうだしさ。」
宥める果恋の背後で、此花が勝ち誇った表情を向けてくる。アメリは更に「むうう」と眉を顰めると、果恋の腕にしがみ付き正面口へと引っぱって歩いた。
三人揃ってエレベーターに乗り込み『9』を押す。階数表示が他の階に停まることなく目的地九階に辿り着き、扉が開いた。
「ミチオちゃーんっ。アメリ&カレンちゃん、ただいま参上しまし――――」
到着早々、天真爛漫にあげたはずのアメリの声が、突如として中断する。
それは前例の無い異常事態だった。
異常事態の原因は、扉が開いた目前に広がる物々しい光景、
「…………。」
作業の手を止め果恋一行に注目してくる、鋭い眼光の、厳つい顔をした男数名。
「…………。」
アメリと果恋、どちらともなく光の速さで『閉』ボタンを押した。
「…………、」
「…………。」
ほぼシェルター化したエレベーター内で、二人は静かに目配せすると、
「「…………なに今の!!!!???」」
小声でパニック状態に陥った。
「は!? は!!? 何!? 今の人達!!!?」
「カタギじゃない!! 身なりはともかく顔が普通じゃない!!!!」
「あの目はやってる! 一人2~3人は殺ってる!!!!」
「場所! 違う!? 約束! 場所! 正しい!?」
「こんな時ゴリんないで!!!」
「なんだ? どした?」
唯一後方にいた此花だけが、事態を把握できずに首を傾げていた。
取り乱す二人(+α)を前に、無常にも勝手にエレベーターが開く。外側から操作されたようだ。果恋とアメリは顔面蒼白に息を呑む。
恐怖に怯える彼女たちの前に現れたのは、
「ああ。いらっしゃい。」
朝丘道臣だった。
((みっ、ミチオーーーーーーーーー……!!!!))
常時より数倍の後光を背に迎え入れる大天使の降臨に、果恋の腰は抜けかけ、アメリは涙ぐむ。
導かれるままにエレベーターを降りたのはいいものの、やはり先ほどの光景も幻ではなかったらしく、強面な男たちが朝丘の後ろで構えるように並んでいた。
「今日はありがとう。……あ。こちら、本日お手伝いしてくれる、撮影スタッフの、みなさん。」
「っす!!!」
やわらかな彼の背後を飾る厳つい面々。禍々しいコントラストに話が全く入ってこない。
……へ? 今、撮影スタッフって言いました? 彼らが? この堅気か怪しい面子が? 時間差で耳に流れ込む情報に混乱する。
なんか「っす!」とか返事してるし……それ挨拶? えっ、なんか律儀にお辞儀してるし……!
果恋とアメリの脳内を、ほぼ同じ思想意見ツッコミが乱反射した。
朝丘はというと至ってマイペースに、以前と同じようにアメリ、果恋、そして此花にも丁寧に視線を配った。
「? ああ、新しい、お友だち? …………ん? きみ、って……」
此花の顔を見るなり、僅かな沈黙を漂わせた朝丘は、やがて「あっ」と小さく驚いた。
「もしかして、このかちゃん?」
「……? …………うおっ!」
此花も何かに気づいたように声をあげる。
「春んとこの店長じゃん!?」
「ああ。やっぱり、このかちゃんだ。」
「?」
状況を飲み込めない果恋とアメリを置き去りに、朝丘は両手を合わせにこにこふわふわと、花を撒くような笑顔を見せた。
「うわあ、久しぶりだね。ずいぶん変わっちゃってたから、気づかなかったよ。」
「あっ……いや、あの、それは……」
心なしか、此花に狼狽が窺える。
「そっか、ハルちゃんに、会いにきたんだ? 待ってて。奥、いるはずだから。」
「いいいやいいって! 呼ばなくていい!」
「たしか、もう、ハルちゃん、きてるよね?」
制止する此花に聞く耳持たず、朝丘は後ろで整列する強面集団の一人に声をかけた。
「ウス! お待ちくださいッ! 春さぁん!!! 道臣さんがお呼びですッ!!!」
あにさん!!?
エレベーターの一件同様、果恋とアメリは勢いよく目を合わせた。
えっ? えっ? やっぱり強面集団そういう系??? てか、え? いつから大天使は舎弟を従えるように? へ? 偽装天使?
テレパシー、あるいはモールス信号のようなまばたきを交し合い、最終的に耳相談をする形で緊急囁きミーティングを開いた。
「(ちょっ、朝丘さんって何者……?)」
「(ミチオちゃんはミチオちゃんだよ! どこにでもいるごく普通の美容師。三十四歳独身。)」
「(あっ意外といってる…………じゃなくて、なんかヤバイ所の人じゃないよね?)」
「(ないないない! 実家は新潟の米屋兼定食屋だし。)」
「(清々しいまでの新潟人……!)」
「はぁーい。お呼びですかあ? 店長~。」
動揺する果恋とアメリ、狼狽する此花、マイペースに微笑む朝丘、整列する強面集団……統一性の無い混沌とした空間に、おっとりと響く女の声。
その場の視線を一身に受けながら、一人の女が現れた。
ふんわりとしたお団子ヘアに、縁の広い眼鏡。チェック柄のショールを羽織り、ロングスカートを揺らした、洒落た女性だ。
「このひとは、ハルちゃん。おれの、後輩で、今度から新店で、一緒にお手伝いしてくれる、スタッフさんなんだ。」
朝丘はまず、果恋とアメリに女性の紹介をした。その手短な紹介で、二人はこの『ハルちゃん』が、朝丘の所の部下であると把握する。
朝丘は続いて、此花に向けて手のひらを翻し、ハルへ呼びかけた。
「ハルちゃん、このかちゃんが、来てくれたよ。」
当の此花は狼狽から一転、観念するように額を抱えていた。
「あらあら、まあ此花ってば~。来るなら連絡してちょうだい。」
ハルはおっとりとした口調で此花に話しかけてすぐ、果恋とアメリのほうを向き、優しく目尻を下げた。
「ハルでーす。妹の此花がお世話になってま~す。……まあ! 此花のお友達が今日のサロモさん!? やだあ、二人ともとーってもかわい~。 此花、あなた、こんな可愛いお友達いたのね~。」
「――――ッッッンのキメェ喋りやめろっつってんだろ!!!」
観念から更に一転、此花の怒号が響いた。
しかしハルは口元に手を沿え「あらあらまあまあ」とおっとり笑うだけである。此花はわなわなと震えながら、構える強面集団を見渡し、人差し指を走らせた。
「つかよく見たらこいつら、ハルんとこの舎弟ABCDじゃねえか! 何してんだこんな所で! んな恰好して!!!」
「お久しぶりですッ! 此花さん!!! いい加減個々の名前覚えてくださいッ!」
「るせえ! 私はテメエらみたいな族とは1ミリも関わりたくねえんだよ! 平凡な女子高生を謳歌してんだっ!!!」
「やーねえ。とっくにみんな、あたしと一緒に足洗わせたわよ~。」
「(族……、)」
「(足……。)」
表参道駅程近く、立地も建物も上等な、撮影スタジオ9Fが、新たな混沌に染まってゆく。
「ねえねえ、アメリちゃん、ひなせさん。おれが、今日提案する、スタイルなんだけどね、」
状況をまとめ直すのも面倒なほどの情報過多の中、徹底してスタンスを崩さない朝丘道臣のおかげで、二人は本来の目的を思い出した。




