10 事情とニーズと平常運転
時峯次久、三十六歳。通称、トキジ。
大手芸能プロダクション、ダマスクローズ所属の看板俳優である。
十六歳で同プロダクションが主催するコンテストにて審査員特別を受賞。グランプリは逃したものの、このコンテストがきっかけとなりスカウトされる。
デビュー当時から、年齢にそぐわぬ精悍な顔立ちと、上質な色気が話題となり、モデル業界CM業界からオファーが殺到。一躍人気若手タレントの座に上りつめる。
十八歳からは予てからの本人の希望により俳優業に専念。残虐非道な敵役から、コメディ調の三枚目役までこなし、瞬く間に頭角を現す。
二十を過ぎる頃には、それまでのアイドルのようなイメージから脱却し、世間からも「実力派俳優」として認識されるようになる。
近年では、俳優業に主軸を置きつつモデル業を再開。年齢を重ねたことにより、ファン層の広がりも見せている。
以上が、世に知れ渡り浸透している、俳優・時峯次久である。
しかし彼の裏には、決して語られることの無い歴史が、身を潜めていた。
婚外子、日生果恋の存在である。
時峯が交際相手から妊娠を告げられたのは、彼が二十になる手前。相手は二十二歳の、いわゆる『アイドル声優』だった。
俳優への転身に現状が最も重要な時期の男と、
恋愛など御法度とされる身である声優の女。
双方の事務所及び本人達の間で、どのような話し合いが行われたかは不明であるが、結果的に、『療養による休業』という発表の裏で、未入籍のまま女は女児を出産した。
世に隠されたまま産まれた子。それが、果恋だった。────────
「はえ~。そりゃーイケメンなわけだ。」
マヨネーズまみれの箸でテレビを指しながら、アメリは能天気に口をあけた。
手元にはインスタント焼きそば、画面では渦中の男、時峯次久の続報が取り上げられている。
「……。」
「あっ。ねねね! 頼んだらサインって貰えたりする?」
「……。…………、」
「できたら右京さんのもほしいっ。」
「お か し い だ ろ !!!」
日生は盛大にテーブルへ拳を落とした。
卓上で突っ伏せる、悲壮感すら漂う姿勢で吼える全身全霊全力のツッコミを、本日も不健康メニューを美味しそうにもくもくさせる美少女へ、荒々しく捧げる。
「流れ! この! 流れ!! おかしい!!」
「まーたゴリってるよこの人。」
無常にも、捧げた対象は平穏な姿勢を崩さない。
「私、結構重っっったいカミングアウトしたぞ! わりと! 重い、暗い、きつい境遇! え、なにそのテンション!? リアクション!!」
「いや~だって、言われてみればそっくりなんだもん。顔。」
「真っ先に顔かよ!」
「遺伝子は偉大ですなあ。」
「気を遣え! もっと、こう、暗くなれ! 沈め! 気まずくなれ! それやめろマヨネーズのそれ!!!」
荒ぶる日生に相槌を打ちながら、アメリは追いマヨネーズの円を焼きそば上に描く。
今にそのショートパンツが悲鳴をあげるからな。冷静さを取り戻しながら、日生はアメリの太腿に恨めしく訴えかけた。
「でも、ぶっちゃけ神妙とかナシでしょ?」
日生の呼吸が整ったのを見計らうように、アメリは頬杖をついた。
そのきょとんとした言いぐさに、日生も反射的にきょとんとした。気まずさなど皆無、沈んだ雰囲気も張り詰めた空気も神妙な面持ちも無い、ひどく平穏な空間に呑みこまれる。
悔しいことに大方、当たっていたのだ。
慰めてほしい、同情してほしい、とは違う。
この数日間、辟易するほど耳を攻撃し続けたあの報道や、それに伴う、自分の生い立ち。存在価値。生存意義。剥がしたくても剥がせないこの顔。
奇異としかいえないタイミングではじまってしまった、出逢い。
すべてがごちゃ混ぜになって、麻痺してしまったところで壁紙の父と目が合って、なんとなく気まぐれに、吐き出してしまったのだ。
きまぐれ、だったんだ。
「ふふん。アメリはニーズに応えられる女なのですよん。」
「なんだそれ、」
気まぐれの原因がアメリであることには、口を噤んだ。
「で、で、主演映画の試写会とか、コネで行けたりしないの?」
「ニーズどこ行った。」
アメリがミーハー心丸出しではしゃぐと、日生は素っ気なく返す。不覚にも、このやりとりから完全に、軌道の平常運転が確定した。
調子が狂うな。状況が整ってしまう。整ってしまって狂う、なんぞそれは。脳内で渦巻く理不尽と平穏を振り払い、日生は席を立った。
「私、もう一杯淹れるけど、」
ぶっきらぼうにコーヒーのおかわりの有無を尋ねると、アメリはいつもどおり、「あ、ほしー」と、顔を明るくさせた。
「ちなみにさー、何てアイドルなの? 日生ママ。」
平常運転のまま、生い立ちの話は終わらない。いたって自然に、無配慮に、単なる会話の延長線上でアメリは聞いてきた。彼女のこの茫洋とした所が今となっては正直悪くない。日生は湯を注ぐ手を止めずに応えた。
「いや……たぶん、聞いたことないアイドルだと、思う。」
しかしこれはまた別件で、母の芸名を口にするのには気が引けた。
「その……いわゆる、オタク向けのアイドルだったし……」
「ふ~ん。」
探られている、とは感じなかった。不透明な安心感に守られながら、落ち着き払いカップを手渡す。アメリが受け取る際、ネイルストーンが日生の指の腹を擦った。
また手の込んだ爪を。コーヒーを啜りながら日生は思う。
原色のドットとストライプを駆使した形容しがたい柄の上には、ウサギの飾り。前回よりポップな出来だなと感じる一方、このたった数日でまったく違う色、柄、装飾に作り変える腕前には、素直に感嘆するしかなかった。
「日生ちゃん、」
呼ばれて、咄嗟に爪から視線を外した。
「ネイル、やったげる。」
観察がばれていたのか? アメリの唐突で無邪気な提案に身じろぐ。
「いい。やらない。」
「えー。ここまできたら指先まで完璧にしよーよ。」
カップとマヨネーズを端に寄せ、鞄からマニキュアやらピルケースやらを賑やかに取り出した。用途不明のシリコン製品に金鑢、なぜか両面テープまである。
「ほらほら、やったげる。ていうかやらせろや。」
「やめろその言い方、」
「他意はございませーん。」
おちゃらけるアメリの前には、施術用品が準備万端に並ぶ。
これもまた、気まぐれか。引き続き、調子が狂っているのか。もしくは、二人ならではの平常運転なのか。
日生は言われるがまま、手を差し出した。
無色透明の付け爪を、爪鑢が丁寧に削ってゆく。日生の爪に何度も型を合わせ、確認しながら、こまめにこまめに、削ってゆく。
「付け爪、なんだね。」
途方もない作業に、日生はついもらした。
「ネイル処女に自爪はハードル高いっしょ。」
「なにそれ、」
「あはー。じゃあネイル童貞だ。」
「あほくさ。」
あはー。アメリは作業の手を止めることなく、また笑った。
途方もない、は、退屈、とは違った。
どんなにあどけなくあざとく目尻を下げようと、アメリの瞳は真摯にネイルチップを捉え、どんな飄々と振る舞いふざけようと、その指先は一瞬たりとも休まない。まるで視覚と手だけ、意識から半分剥離し、脳を半分占領しているみたいだ。
日生はそんな、目新しい少女アメリに目を奪われていた。奪われる中で、この作業が永遠に続くようにも思えた。
「死のうとしたのってさ、トキジが結婚したから?」
油断すると核弾頭ぶち込むな、この女は。現実に引き戻され、日生は眉間をおさえる。
「まあ、半分。」
そして素直に白状した。
「半分?」
「なんていうか、間接的に、きっかけ、みたいな。」
別に実父が結婚する自体はどうでもいいんだけどさ。そう前置きした上で、日生は自殺に踏み込んだ理由を、かいつまんで説明し始めた。




