ヨークドシャーに着く
カスパルが宿に着いた時、アシュレイはぐっすりと眠っていた。
ベケットは今夜はサリンジャー伯爵に付き添うつもりで、ベッドの横の椅子に座っていた。
「何事だ?」もう夜遅いのに宿屋の下が騒がしい。
まさか襲撃なのかと思ったが、殺気を感じない。
「兵士の気配と、あれは魔法使いだな。ヨーク伯爵はカスパルを遣わしたのか?」
カスパルとは年齢も違うし、師匠も違うから、さほど親しいとは言えないが、優れた魔法使いだと認めている。
「サリンジャー伯爵を心配されたのだろう」
カスパルに任せて、身体を休めても良いかとベケットは思う。
やはり若い頃より無理が効かなくなっている。
「ベケット様、お久しぶりです」
カスパルはヨーク伯爵に仕えているのに、寄子のマクドガル卿に仕えているベケットにも腰が低い。
きっとヒューゴ様に厳しく修行をつけられたのだろうと、ベケットは思った。
「カスパル様、サリンジャー伯爵の容態が心配で来られたのですか?」
「まぁ、ヨーク伯爵はサリンジャー伯爵の知り合いだからね。で、どういう事なのかな?」
カスパルにアシュレイの事はぼかして崖崩れの事故について説明する。
聞いていたカスパルは、何か変だと思う。
ベケットは上級魔法使いマリオン様の弟子だが、崖から落ちた馬車に乗った3人を救助して治療する程の魔力があるとは思っていなかったのだ。
「それはお疲れでしょう。今夜は私がサリンジャー伯爵の看病をします。ベケット様はお休み下さい」
御者とサリンジャー伯爵のお供のサミュエル卿は意識もはっきりしていると聞いた。
未だ起き上がる事ができないサリンジャー伯爵を重点的に看病したら良いのだとパスカルは判断する。
「パスカル様、助かります。では、お言葉に甘えて休ませて頂きます」
あっさりとベケットが引いたので、やはり疲れていたのだろうとカスパルは思う。
でも、何かが引っかかっていた。
次の朝にはサリンジャー伯爵もベッドの上に起き上がれるようになり、お粥を食べる事もできた。
「これなら馬車でヨークドシャーまで行けるでしょう」
カスパルの診断が出たので、一行は3台の馬車でヨークドシャーを目指す。
サリンジャー伯爵はサミュエル卿と共にカスパルが乗って来たヨーク伯爵家の馬車に乗ったので、アシュレイはハーマンとベケット師匠と同じ馬車に乗り、マクドガル卿は奥方と侍女と乗る。
ベケットはなるべくカスパルとアシュレイの接触を避けたいと思っていたので、馬車に乗り込むと注意しておく。
「アシュレイ、お前がサリンジャー伯爵を助けたのは確かだが、目立ちたく無いなら余計な事は言わない方が良い。ヨーク伯爵の寄子達が集まる会合があるのだ。きっと自分に仕えて欲しいと言われるからな」
アシュレイは、マディソン村の遠くには行きたくないから、黙っておく事にした。
「うん、わかった」
ベケットは「はい」だと何度言えば良いのかと溜息をつく。
本を読ませるとすぐに覚えるし、中身もちゃんと覚えるのだが、礼儀作法はすぐに元に戻る。
「うんじゃなくて、はいだ」
横で聞いていたハーマンは、それではアシュレイの手柄を認めて貰えないのでは無いかと不満に思った。
「アシュレイは褒美を貰うべきなのではないか?」
ベケットは褒美より未だ世間知らずのアシュレイが下手に利用される方が怖いと考えている。
「アシュレイは未だ10歳だ。他の貴族に仕えて無茶を言われても、それをしても良いかどうかも判断できない。だから、もう少し分別をつけるまでは目立たない方が良いのだ。いずれは知られるだろうが、出来るだけ遅くしたい」
ハーマンも空を飛ぶような魔法使いは見たことが無かった。
確かに前の主人みたいな貴族にアシュレイが仕えたら、ろくでも無い事になりそうだと眉を顰める。
むしゃくしゃして酒を飲んで主人と揉めたのがクビの原因だけど、あのまま仕える気も無かったので清々したぐらいなのだ。
「分かった。でも、褒美が出たらアシュレイにもやって欲しい」
「当たり前だ!」とベケットが声を荒げたので、ハーマンは謝っておく。魔法使いを怒らせるのは危険なのだ。
アシュレイはご褒美を貰えるかもしれないと浮き浮きしている。
「師匠、俺はお祖母ちゃんに肩掛けを買いたいんだけど、ご褒美で買えるかな?」
聞いていたハーマンは、肩掛けなら10枚以上買えるさと内心で笑う。
確かに世間知らずの田舎者が師匠の監督下から離れるのは良くない気がする。それもあんなに魔力が多いのは危険だ。
馬車は順調に走り、ヨークドシャーには昼前に着いた。
「ねぇ、あれがヨークドシャーなの? 周りを高い壁で囲っているんだね」
ナンツは大都会で防衛壁もあったが、港街なので開放的な雰囲気だった。
アシュレイは初めて見る防衛壁に囲まれた都市を見て驚く。
「アシュレイ、座っていなさい。壁の中は馬車や人が多い。急に止まる事もあるからな」
立ち上がって窓に顔を寄せていたアシュレイは「はい」と返事して座る。
そのアシュレイを見たベケットは、相変わらず髪の毛がぐちゃぐちゃだと溜息を一つつく。
帽子と服を買ってやるのを忘れないようにしようとベケットは考えた。
「ねぇ、何かのお祭りなの?」
領都であるヨークドシャーはこの地域で一番大きな街だ。
その上、今はヨーク伯爵の寄子の貴族達が集まっている。普段より人が多いのは確かだ。
「ヨークドシャーは西部一の領都だからな」
マディソン村の全住民より通りを歩く人の方が多い。アシュレイは様々な人々を眺めているだけで疲れてしまった。
「師匠、気分が悪い」
ベケットは真っ青なアシュレイに慌てて「目を瞑ってなさい」と言って軽く酔い止めの魔法を掛ける。
「大勢の人を見て酔ってしまったのだ。人混みに慣れるまでは、余りじっと見ない方が良いだろう」
魔力がありすぎるのも問題だとベケットはアシュレイの指導が難しいのに溜息をつきたくなる。
ヨーク伯爵の馬車なのでお城にもスムーズに入る。勿論、それに続くマクドガル卿一行もだ。
「師匠、お城だよ!」
祖父がマクドガルのを館だと言った理由がアシュレイに分かった。お城とはヨークドシャーにあるような物なのだ。
「ああ、お城だな。ここに2日は滞在するからちゃんと私について来なさい。迷子になるなよ」
弟子を持つとはなかなか大変だとベケットは改めて思った。
ベケット師匠の荷物を持って後ろをアシュレイはついて行く。
つい見た事が無い物に目が行き、遅れそうになるけど、どうにか迷子にならずに泊まる部屋に着いた。
「さて、食事はどうすれば良いものやら」
あの事故が無くサリンジャー伯爵をアシュレイが救出しなければ、少しずつ貴族に慣れさせるのも良いとベケットは思っていたのだが、妙に注目されるのも困るのだ。
「俺は何処でも食べれたら良いよ」
マクドガル館でも朝と昼は師匠と一緒だが、夜は召使い達と食べている。
アシュレイはどちらかと言うと召使いや兵士達と食べる方が気楽だと思っていた。
「そうだな。アンナと一緒に食べたら良いか」
ヨークドシャー城には伯爵に仕える兵士がいっぱいいる。
幼いアシュレイを少し乱暴な兵士達と一緒に食べさせるのは少し危険に思えた。
マクドガル卿の奥方の侍女と一緒の方が安全だとベケットは考えたのだ。
「アンナさんとかぁ」
アンナは奥方の侍女だから、他の館の召使いよりツンとした態度で、アシュレイは少し苦手にしていた。
勿論、口をきいたこともない。ユリアなんかも「アンナさんは偉そうだ」とアシュレイに陰口を言っていた。
「まぁ、良いか」なんて言われてるとアンナが知ったら気分を害した事だろう。
だが、ベケット師匠の気遣いはサリンジャー伯爵によって全て覆された。




