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アシュレイの桜  作者: 梨香


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重要書類

 アシュレイは崖の下の土砂が落ちた所まで飛んできた。


「ベケット師匠も人使い荒いよ」


 崖崩れの場所まで飛んで、下に落ちていた馬車から3人を引っ張り出し、それに治療魔法を掛け、草原まで飛んで運んでいったのだ。感謝されても良いと思うのに「ギャァ」と騒がれるし、怪我もサッと治しただけなのに暴れるから、眠りの魔法を掛けた。


 3人を寝かせてから、峠まで飛んでベケット師匠を待っていたら、案内しろと言うので、連れて飛んだら叱られた。アシュレイとしては不本意だ。


 その上、3人を起こせと言われるし、荷物を取ってこいと命じられた。かなり魔法を使って、朝食は食べたけど、アシュレイのお腹はぺこぺこでさっきからグーグー鳴っている。


「さっさと鞄を見つけて帰ろう。昼食はまだかな?」


 アシュレイにとってシラス王国の危機などは未だ遠い話で、今は昼食の方が大事だ。自分が居ない間に昼食が終わったら食いっぱぐれる。家の祖母なら取っておいてくれるのだが、一度、裏庭の菜園に夢中なった時は昼食が終わっていたのだ。召使いの昼食のパンを貰って食べたけど、二度と食事の時間には遅れないようにしようとアシュレイは決めた。


 半分土砂に埋まった馬車にアシュレイは身体を入れる。床に転がっているのが書類鞄だろう。


「多分、これだよね」


 さて帰ろうと思ったアシュレイだが、少し先に衣装櫃らしき物が2つ土砂に埋まっているのを見つけてしまった。見つけなきゃ良かったと愚痴る。


「師匠は書類鞄を取ってこいと言われたんだから、あれは良いのかな? でも、服って高いんじゃ無いの?」


 ベケットがどうにかしないといけないと考えているアシュレイの服だが、これは祖母が魔法使いの弟子になるのだからと新しく縫ってくれた物だ。アシュレイにとっては一張羅だ。いつもは祖父のお古を解いてアシュレイの服を縫っていたが、布を買って服を縫ってくれた新品だ。


 その時に布が高かったと祖父と祖母がこっそりと話しているのを聞いたアシュレイは、きっと衣装櫃には高い服が入っているのだろうと考えた。


「勿体ないよね」


 お腹はグーグー鳴っているけど、土砂を退けて衣装櫃2つも取り出した。


「これは師匠の所に送れば良いか」


 アシュレイはベケット師匠の所に衣装櫃2つを送って、書類鞄を持って草原へと飛ぶ。


 サイモン卿の馬車が着くのをやっと気絶から回復したサミュエルと待っていたベケットは、突然、ドン! ドン! と空から衣装櫃が降ってきて、驚いて飛び下がる。


「アシュレイ!!」


 誰でも頭の上から衣装櫃が落ちてきたら怒るだろう。それにやっと気絶から回復したサミュエルが「う~ん」と唸ってまた意識を失ってしまった。


 アシュレイは書類鞄を持って帰った時、ベケット師匠から盛大にお小言を貰う羽目になった。


「頭の上から衣装櫃が落ちて来たのだぞ! 頭に当たったら死んでしまう所だった」


「ベケット師匠の近くに送ったんだよ。頭の上じゃないよ」


 確かに衣装櫃が落ちた場所はベケットが座っていた所から少し外れている。でも、空から衣装櫃が落ちて来ている時にそんな誤差など冷静に判断できる人はいない。


「もう少し注意して、彼方の木の辺りとかに送れば良かったのだ」


 アシュレイはチラリと師匠が指さした木を見る。


「あんな大きな木に衣装櫃を送ったら枝に引っかかっちゃうよ。それに此処は初めて来た所だから場所を指定し難いんだもん。師匠なら何処に居ても分かるし……ごめんなさい」


 ベケット師匠に睨まれて、アシュレイはペコリと頭を下げる。


「まぁ、良い。それで書類鞄はそれしか無かったのか?」


 アシュレイは驚いて緑の目をまん丸に見開いた。


「ええっ! 2つあるなんて聞いてないよ! それにお腹ぺこぺこなんだ、もう無理だよ」


 空腹だと座り込んだアシュレイに「別に2つだとは聞いていない」とベケットは慌てて言う。


「酷いよぉ」と嘆くアシュレイにベケットがあれこれ説教をしているうちに、サイモン卿の馬車が着いた。


「何故、こんな所にいるのだ?」


 サイモン卿の馬車の後ろにハーマンが乗った馬車も着く。一応、ハーマンは従兄弟のサイモン卿に「アシュレイがベケットの手を掴んで空を飛んで行った」と説明したのだが「朝から葡萄酒の飲みすぎた!」と信じていなかったのだ。文武優秀なハーマンだが、少し酒が好き過ぎなのが欠点で、前の雇い主を酒でしくじり従兄弟を頼って来たのだ。


「ええっと……それどころではありません。あの貴族はサリンジャー伯爵なのです。そして若い人はお仕えしているサミュエル様です」


 サイモン卿はサリンジャー伯爵と聞いて、ベケットが何故こんなに先行していたのかの詮議は止めた。魔法使いが不思議な事をしても、騎士の自分には理解は出来ないないのだ。


 ベケットは自分が乗っていた馬車から黒い治療鞄を取り出して、サリンジャー伯爵、サミュエル、御者に気付け薬を嗅がせる。


 やはり若いサミュエルが一番先に意識が戻る。


「私はヨーク伯爵の寄子のサイモン・マクドガル騎士爵だ。其方の方はサリンジャー伯爵だとベケットから聞いた。これからヨークドシャーに行くのだが、同行されるか?」


「ええ、私達もヨーク伯爵に会いに行く途中だったのです。是非、同行させて下さい」


 未だぼんやりしているサリンジャー伯爵の代わりにサミュエルが答える。サリンジャー伯爵とサミュエルをベケットの馬車に乗せる。ハーマンはサイモン卿の馬車に移動だ。未だぼんやりしている御者も治療ができるベケットの馬車だ。


 アシュレイは御者席に座って、隣のボブに尋ねる。


「ねぇ、お昼は未だ?」


 ボブは空を飛ぶような魔法使いに逆らう気は無い。沼のカエルに変えられたら困る。


「これを食べろ」


 ガサゴソと袋の中から固いパンと瓶に入った葡萄酒を差し出す。


「えっ、良いの? ありがとう!」


 お腹ぺこぺこのアシュレイは、固いパンを丈夫な歯で噛みちぎって食べる。葡萄酒は一口だけにした。酔ったら寝て、御者席から転がり落ちてしまいそうだからだ。


「ボブ、いつもパンとか葡萄酒とか用意しているの?」


 葡萄酒の入った瓶を返しながら尋ねる。ボブは一口飲んで袋にしまう。


「ああ、お前も用意した方が良いぞ」


 毎回、自分のを食べられたら嫌だとボブは言ったのだが、アシュレイは凄く喜んだ。


「ありがとう! 今度から気をつけるよ。それとボブには親切にして貰ったから、何か困ったら俺に言ってね。お金は無いけど、体力はあるから手伝うよ」


 ボブは空を飛びたいとは思わないので、無言でスルーした。


 馬車の中では意識の朦朧としているサリンジャー伯爵だが、サミュエルに「鞄を絶対に手放してはいけない」とうわ言のように繰り返していた。


 サミュエルは「はい、分かっています。少しお休み下さい」と毎回律儀に答えている。ベケットは一番怪我が酷かった御者の手当をしながらも、サミュエルがぎゅっと胸に抱き締めている書類鞄の中の重要書類とは何なのだろうかと真剣に考えていた。

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