逃げるが勝ち
エモーションペナルティには引っかからなかった。動揺はしたが、発狂するには至らなかったのだろう。
嫌になるほど五感が冴え渡っていて、それでも周囲の喧騒はどこか朧気だった。意識が内に向いていたのだろう。集中力が手許を離れて暴走しているような状態だった。
風船の紐を離してしまったかのように中空を漂う意識の中で、僕はひたすらに己を俯瞰していた。幽体離脱さながらだ。魂が抜けて人形のようになっている自分をどこか他人事のように分析する。
レッドネーム。それは罪人の証だ。
このゲームでは悪意あるプレイヤーキルを行ったプレイヤーには罰が与えられる。キルされるたびにレベルが下がるという、努力の全てが水泡に帰す可能性がある特大の罰だ。進んで他人の足を引っ張るのならば、自分も奈落の底に落ちる覚悟をしろ。そういう、運営からのメッセージなのだろう。
賛否両論のシステムだが、僕は良く出来ていると思う。正直、僕はプレイヤーキルを全否定するわけではない。ネットゲームのプレイスタイルは人それぞれだ。ヒールを演じて楽しむ程度ならばアリだと思っている。相応の咎を背負うのならば尚更だ。
ただ、無秩序なのは良くないと思う。リスキルだの初心者狩りだの、果ては処刑などという頭のおかしい行為はさすがに看過できない。ゲームを楽しむという前提から大きく逸脱したマナー違反行為だ。運営が取り締まっていないならセーフと開き直った連中を、僕は断じて許すことはないだろう。
なるほど。だからか。
自分のレベルを上げるために無抵抗の廃人をひたすらに爆殺する。なんだそれは。義に悖る悪行と呼ばずしてなんだというのか。
廃人連中が納得してたからとか、新エリアが開通すれば全プレイヤーのためになるとか、そんなのは体のいい言い訳だ。不実を誤魔化すための方便に過ぎない。僕はそれに甘えた。だから罰が当たったのだろう。
天網恢恢疎にして漏らさず。高い精度を誇るこのゲームのシステムは善悪の境界に割って入り、それぞれに相応しい処置を下す。そして僕はシステムの網に引っかかってしまった。それだけのこと。
まったく、本当に脳波ってなんなんだ。僕よりも正確に僕を分析して、鬼の首を取ったように罪状を突きつけてくる。これが正義か? と問われているようだ。
なるほどね。そりゃレッドネームになるわけだよ。僕は思わず自嘲的な笑みを漏らした。
「……気が付いたか」
「……ここは、大洋館の地下取調室か」
「おいおい、マジで大丈夫なのかよ。今の今まで人形みてぇだったんだぞ、お前。呼びかけても反応ねぇしよぉ」
「それは……ごめん。ちょっと、ぼーっとしてたみたい」
「……」
神妙な顔をして腕と足を組んだショチョーさんが目を瞑って大きくため息を吐いた。眉間に刻まれたシワが深い。呆れられているのだろうか。
室内を見回す。何かあるたびに連れてこられる『ケーサツ』のアジト、その地下にある取調室という名の茶番会場だ。普段は雰囲気を出すために薄暗く調節してあるのだが、今は普通に部屋の電気が点いていて明るかった。
僕の対面のパイプ椅子に座ったショチョーさんが簡素な机に肘をついて僕を睨めつける。
「どこまで覚えてる」
「……『先駆』のメンバーを爆弾でキルして、僕がプレイヤーキルペナルティを課されたところまで、かな」
僕がほとんど何も覚えてないことを告げると、ショチョーさんは乱暴にガリガリと頭を掻いて顔を顰めた。
「マジで気を失ってたのか? 洒落になんねぇなおい……。いいか、ザッと現状を話す。よく聞け」
短く息を吐いたショチョーさんが頭の中を整理するように目を瞑る。そして事のあらましを語った。
どうやら僕がレッドネームになった瞬間は他のプレイヤーにバッチリと目撃されていたらしい。情報はすぐにゲーム内公式掲示板を通して拡散された。
僕がレッドネームになったことを知ったプレイヤー達は一斉に蜂起。僕のことをキルしてレベルを下げてやろうと意気込み、徒党を組んで襲ってきた。
僕のレベルが下がるのを好ましく思わない『先駆』や『検証勢』の面々は僕にログアウトするよう呼び掛けるも反応は返って来ず。『先駆』のギルドハウスでは守りきれないと判断し、南東の大洋館に逃げ込んだ。今現在は外で壮絶な攻防が繰り広げられているという。
全ては、レッドネームになった僕をキルするために。
「レッドネーム連中がマジだ。ギルド未所属の白ネームと『食物連鎖』の一部連中を取り込んで全力で潰しに来てる。お前、レッドのクソ共を従えてたんじゃないのか?」
「まさか。僕と彼らの間には主従も協力もないよ。彼らは面白いか面白くないかでしか物事を判断してない。……僕をリスキルしてレベルを下げたほうが面白い、そう思ってるんだろうね」
「……そりゃまた、難儀な関係だこって」
彼らはいつだって暴れ回る口実を探している。
馴れ合いではなく殺し合いにゲームの楽しみを見出した者達。ルールや倫理に囚われない全力のぶつかり合いをしたいという、サバゲーやスポーツでは満たされない欲求を腹に抱えた集団。なるほど、絶好のシチュエーション来たれり、といったところなのだろう。
「『食物連鎖』は向こうについたのか……」
「一部だ。大体半分に割れた。ビストロ氏は静観を貫くよう指示したが、全員従うって状況には、まぁ、ならなかったな」
「あそこは一枚岩じゃないからね。元々活動方針に縛りを設けないのが前提のギルドだし。……でも、そうか。半分は抑えてくれたのか」
「慕われてる証拠だな。……で、その他の状況としてだが、『花園』は完全に傍観の構えに入った。一切の介入を拒んでいる。レッドネームに加勢することはしないし、かと言ってこちらを助ける気もない。中立だ。テコでも動かんだろうさ」
「それは……彼女達らしいね」
元々争い事は好まないギルドだ。クソ環境に耐えるために戦闘職を抱えることになったものの、それは降りかかる火の粉を払うため。戦火の拡大は思うところではないのだろう。それこそ、街中で銃を乱射するプレイヤーが溢れる環境にでもならない限りは。
「ってことは、『先駆』と『検証勢』だけでレッドネーム達と戦ってるの?」
「おいおい、俺らを勘定から省くんじゃねぇよ。ちゃんと配信して戦ってるっつの」
「いやそれ数字が欲しいだけでしょ」
ショチョーさんがボケたので僕はツッコんだ。
どうやらボケじゃなかったらしい。いかつい顔を、更に少し顰めたショチョーさんが冗談を排した声色で言う。
「映すターゲットを白ネームの連中に絞った。こっちは残そうと思えば奴らのデジタルタトゥーを残せるからな。日和見気質の奴らはふるい落とせた。あとはクソスポーツをダシにして攻勢を削いでる。またこのゲームの評判を落とす気か、既存プレイヤー達が協力して作り上げた環境を破壊するのか、ってな。良心の呵責を逆手に取らせてもらった。これで連鎖の大半は抜けたぞ。だいぶ貢献してんだぜ?」
「それは……凄いね。正直、『ケーサツ』は向こうにつくものだと思ってたよ」
「俺らは使えるものは何だって使う。だがな、使い潰す気はさらさら無ぇ。お前は数字が取れるからな」
「結局それじゃん」
「当たり前ぇだろ」
そこで初めてショチョーさんは冗談めかしてニッと凶相を歪めた。しかし数秒もすればしかめっ面に元通りだ。人差し指でトントンと机を小突きながら続けた。
「だが状況は悪い。廃人は総出で襲撃を防いでるが、レッドネームはまだまだ増える事が予想されてる。お前がレッドネームになったと聞いてわざわざ復帰してきたアホまでいやがる。『検証勢』がお前から競り落とした特殊爆薬を使った自爆戦法でなんとか抑え込んじゃいるが、それが尽きたら均衡は一気に傾く。どれだけ保たせようとあと一時間、ってとこだ」
『検証勢』が爆薬を手放してまで……。そうか。そこまでするのか。
僕はなんとなしに天を仰いだ。灰色の天井。その先で、誰かが戦っているのだろうか。
そんな思考はショチョーさんの言葉で断ち切られた。ここまで説明すれば言いたいことは分かるだろ、と。
「お前が敵を前にして逃げるってのを嫌うことは知ってる。だがそれを押して言う。レッドネームの期間が終わるまでログアウトしててくれねぇか? 俺らがここまでやってやったんだから、なんて善意の押し売りをする気は無ぇ。オンゲーで他人に無理やり言うことを聞かせるなんてのはクソの所業だってのは百も承知だ。ただ、それでも、だ」
「…………」
「レイドボス事件……草に操られたせいで爆弾は底をついてるんだろ? 大型はいくつある」
「……三つ」
「雀の涙だな。状況を覆すにはまるで足りねぇ。レッドネームの期間はあと何日だ?」
「……十二日」
マジかよ、と呟いたショチョーさんが片手で顔を覆った。重苦しいため息を吐き出す。クシャリと髪を握り潰し、そのままガリガリと乱暴に掻きむしる。
十秒ほど経過し、ショチョーさんは意を決したように目を細めた。
「ライカン、お前『ケーサツ』に入れ」
「え?」
「偽の報を流す。ライカンはもうログアウトしてる、レッドネーム期間が終わるまでは戻ってこない、と。お前は、そうだな……一日くらいログアウトしてくれりゃいい。んで、日を置いて戻ってこい。そうすりゃここにログインできる。奴らの目を欺けるだろ。それなら正義に反しないんじゃねぇか? 考えを変えろよ。今は雌伏の時だ。レッドの期間が過ぎたらその時はギルドから抜けりゃいい」
ギルドには割と簡単に加入できる。お決まりの脳波だ。
自宅の登録に似ている。自分はこのギルドに加入したいとギルドのリーダーに申し出て、リーダーが許可すれば晴れてギルドの一員だ。抜ける時もまた然りである。
正直、ギルドという機能が何なのか未だに分かっていない。ギルド対ギルドのイベント戦があるわけでもないし、それらしい特典はギルドハウスの登録くらいだ。
だがその小さな特典が隠れ蓑になる、と。……隠れ蓑、か。
「言わんとしてる事は大体分かる。お前が小型をバラ撒いてた時からの付き合いだからな。性に合わねぇんだろ? だが俺ぁもうそれ以外の策が思いつかねぇ。ま、考えておいてくれや」
そう言い残すとショチョーさんは席を立った。紺の帽子を被り直し、部屋の出口へと向かっていく。
「偽の情報をバラ撒いてくる。正直効果は無いだろうな。この勢いが止まるとは思えねぇ。だが布石として機能すりゃ十分だ。三十分後にまた来る。自分なりの考えをまとめておいてくれや。それまでここにはアリの子一匹通さねぇ」
「ショチョーさん……」
ショチョーさんは言葉ではなく、ぶっきらぼうに片手を挙げることで応えを返した。ガチャリ、バタンという音の後に静寂が訪れる。
「雌伏の時、か」
耳触りのいい言葉だ。あんなナリをしていて人を慮ることを欠かさない。配信中はふざけていても、裏では大真面目なのがショチョーさんだ。どんな悪評だろうと、見向きもされなくなったらそれで終わりじゃないかと進んで道化を演じる三枚目。
『ケーサツ』は戦闘や検証とはまた別の形でこのゲームに向き合うことを決めた者達だ。そんな彼らが頭をひねって僕を生かそうとしている。打算もあるだろう。でもきっと、それだけじゃないと思いたい。
僕は、どうするべきなのだろうか。
思考に水を差すようにガチャリという音が響いた。すぅと開いた扉から一人の人物がひょっこりと顔を覗かせる。
「やぁ」
みずっちだった。
アリの子一匹通さないとは一体何だったんだ……? 猛毒を持った蛇が堂々と入り込んでるじゃないか……。




