だが失う
このゲームのプレイヤーは頭がおかしい。その中で敢えて一番を決めるとしたら、僕はシリアかユーリかホシノの中の誰かを推していただろう。こいつに会うまでは。
「いやいやしかし面白いことになったね。まさか君が自分からレッドネームになるなんて正直予想できなかったよ。楽しいことになったっていう思いと、今じゃないだろうって思いが混ざってるよね。こういう一大イベントは然るべき場を整えてドカンとやったほうが盛り上がるのにさ、こっちはまだ準備不足だよ。だからといって動かないわけにはいかない。不自然だからね。手を抜くのも有り得ない。だからまぁこんな状況になっちゃったわけだけど、あれだね、不可抗力ってやつだ」
頭のおかしいレッドネームの元締めであるみずっちは僕の対面の席に腰を下ろし、相変わらずのわざとらしい笑みを浮かべながらつらつらと言葉を紡いだ。馬鹿にするような、弁明するような、よくわからない口ぶりで。
自身が愉しむためだけにあらゆる外道行為に手を染める真正の狂人だ。レッドを手懐け、場を整え、戦争を引き起こす。裏で糸を引く黒幕ムーブが大好きな拗れた精神を持ち、それを実行に移すだけの能力がある。タチの悪い人物だ。
「……どうやってここに来れたのさ」
「『ケーサツ』も大概ガバセキュリティだからね。逃げ惑うクソスポーツ民のフリをして警戒を解いたんだ。ギルドハウスに入っちゃえば、あとは『ケーサツ』に潜ませてる内通者の案内で楽々突破だよ。ゲームの潜入ミッションってなんでこんなガバガバ設計なんだろうね? あくびが出るよ」
『ケーサツ』にも手下を送り込んでたのか。本当に徹底してる。これだけ手広くやってるのによく存在を隠し通せるものだと感心するよ。
シリアに聞いたことがある。みずっちのことを廃人連中に言いふらさないのか、と。あのシリアが、バラされたくない他人の秘密を口外しないわけがないと思ったのだ。
疑問に思って尋ねたところ、シリアは苦渋と辛酸を一息に飲み干したかのような渋面を浮かべた。彼女のそんな表情を見たのはその時が初めてだ。そして漏らすような一言。
「バラしたら、たぶん引退させられる」
このゲームのログイン地点は三つ。自宅、噴水広場、ギルドハウス。ギルドに属していないものは自宅か噴水広場に絞られる。そして自宅は小型爆弾数発でわりと簡単に解体できる。これらの要素とレッドネームたちの組織力、そしてキルペナ付与という反則技が合わさるとどうなるか。
誰でもレベル1にできる。
ログイン中は無防備だ。イン待ちからのリスキルは何があっても防げない。街が出来る前は草原がログイン地点だったが、リスポーンポイントがわりとランダムだったのでリスキルが難しかったらしい。それが解消された今、やろうと思えばいつまでもいつまでも粘着することができる。逃れる術は強制ログアウトしかないだろう。
レベル1にされたらどんなに腕前があってもレベル20には歯が立たない。キャラクタークリエイトはやり直せないから粘着を躱せない。脳波とかいうデータを登録されているので新キャラクターを作ることもできない。
引退以外の道がなくなるのだとか。裏切り者には引退を。ぞっとしない話だ。
なるほど、このゲームは彼の胸三寸という言葉も頷ける。やろうと思えば何もかも台無しに出来るわけだ。それが面白くないからやらないというだけで。キルペナの押し付けというのはそれだけゲームのバランスを崩壊させる要素だ。
……そういえば、民度浄化作戦リターンズの時にレッドネームにされたあっさんと、それを間近で見ていたシンシアはその話題を口にしないな。下手に藪をつつかないほうがいいという考えだろうか。それとも、あれが僕の仕業ではないと薄々勘付いている?
……今は考える必要のないことか。
僕は余計な思考を揉み消して対面を見据えた。どこまでも虚ろな笑みを浮かべた男。混沌よりも濁ったその考えを見通すことは出来ない。僕は素直に問いかけた。
「で、何しに来たの」
「つれないなぁ。もしかして少し落ち込んでたりする? ……おぉ、そんなに睨まないでよ、怖いなぁ。何しに来た、ね。目的は二つ。まずはね……釘を刺しに来たんだ」
そう言ってみずっちは相好を崩した。わざとらしい笑みにほんの少し感情が宿る。しかし目だけが笑っていない。人間離れした表情だ。
「君の置かれている状況は分かるよね。死ねば終わりの危機的状況。このままだと積み上げてきた全てがあっという間に崩れるんだ。必死こいて積み上げた積み木を、幼気な暴力で横からひっ叩くみたいに、それはもう呆気なく。馬鹿正直に付き合う義理なんて一ミリも無い。ログアウトするのが賢いと誰もが口を揃えて言うだろう。その上でボクは言うよ?」
「まさか、逃げないよね?」
心臓を直接握られたような気分だった。血を巡らせる生命の源を無遠慮に鷲掴みにされたような感覚。知れず、拳を握りしめていた。
僕の内心を悟ったであろう化け物がますます笑みを深くする。
「君のために戦っている人間を壁にして、自分は安全圏へと退避。そんな正義を、ボクは正義だなんて認めない。何より自分が認められないんじゃないかなぁ?」
「……分かったようなことを言うね」
苦し紛れの反論だった。何かを言わないと呑み込まれるという危機感からまろびでた反骨心。やつは、それを見透かしたように目を細めた。
「プレイヤーネーム、ライカン。およそ一年前にこの地に降り立った君は挨拶代わりのキルを貰い奮起。火薬師の初期装備である小型爆弾十個を用いて下手人にキルし返そうとしたところ無関係の三人を巻き込む。しかしながら君はレッドネームになることは無かった。それが紛うことなき正義であったが故に」
「急にどうしたの」
「分かったようなことを言う、そのためのエビデンスさ。その後君は『検証勢』や『ケーサツ』に目を付けられた。ペナルティの踏み倒し……あぁ、彼らの理屈だよ? その方法を教えろとせがまれ、正義の一点張りで押し通した。今日に至るまでね。面白がった両ギルドの支援を受けた君は正義に基づき悪徳プレイヤーを次々と爆殺。レベルを4まで上げ、中型爆弾作成を覚えた瞬間にその勢力を急速に拡大させた。君に可能性を見出した『先駆』がバックに回る。もう止まらない。さながら燎原の火の如き勢いで悪を灼き、生産職とは思えない速度でレベルを二桁に乗せてみせた」
「……」
「だが性急に過ぎるやり方は相応のアンチも産んだ。煽りを受けることが多かった『食物連鎖』や『花園』。もちろんボクらだって君のことは最大限警戒してたよ。それこそ『先駆』なんかよりもね。何が起きたか。リスキルだ。君に一切の行動を許すなと結託した者達による、十日に及ぶ粘着行為。あれ程の事件、当事者の君なら覚えてるだろう?」
「ああ、覚えてるよ。忘れるわけがない」
頭のおかしいプレイヤーのネジが今よりも外れていた時代。標的にされた僕は自宅を爆破され、延々と粘着されていた時期があった。ログインしたら指一本動かせず殺され、そのまま何もできずにログアウトする日も珍しくないという地獄のような環境。そう簡単に忘れられる出来事じゃないよね。
「そんな状況に置かれてなお君は逃げなかった。五時間以上何も出来ない日もあった。ログアウトする時間が来たら強制ログアウトで離脱する。そんな日々が十日も続けば、リスキルされ続けた時間は二十時間を優に超える。常人なら引退してもおかしくない。だというのに、君は何食わぬ顔をしてログインし続けた。全ては正義のために。そして抱いた夢のために。なかなか出来ることじゃない。それが君の強さだ」
「褒められてる気がしないなぁ。あれの指揮を取ってたのって君でしょ」
みずっちは肯定も否定もしなかった。ただ薄く笑って軽く受け流し続ける。
「だが、揺らいだ。芯にヒビが入った。だから君は今レッドネームになっている。よく聞くといい。君は今瀬戸際に立たされているんだ。ここで逃げたら君の正義はその効力を失うだろう。そういう脳力なんだ。あれだけ罪を糾弾することに心血を注いでいた君が、いざ自分が咎を負う立場になった途端にそそくさとしっぽを巻いて逃げる。それが君の正義かい? 芯が折れれば凡百に成り下がる。そんなつまらない展開は御免なんだよね。君には愛すべき敵であってほしい」
「ならレッドを引き上げさせてよ」
「言ったろう? それは不自然なんだ。何より面白くない」
「……結局何がしたいのさ」
「ボクの本懐はいつだって一つ。ここでしか体験できない、本能と感情を剥き出しにしたぶつかり合いだよ。君は本当にいい起爆剤だ。ここまで盛り上がるのは予想外だったよ。だが今回は少し君たちの側が不利に過ぎる。平等じゃない。ボクらがしたいのは蹂躙じゃなくて、互いが熱烈に身を貪り合う愛憎劇なんだ」
相変わらずトチ狂った価値観だ。一切の遠慮を排した殺し合いを愛に喩える思考回路。一生をかけても理解できないだろう。
「僕に、何をしろってのさ」
「この状況を覆してほしい。このままワンサイドゲームで終わるのは何も面白くない。盛り上げ役が要るんだ」
「……あいにく、この前の事件のせいで爆弾の在庫がほとんど無い。君らと手を組んだときと同じことをしろと言われても無理だ」
「知ってるよ。だからボクが来た。ライカン、君に力を授けよう。使い方いかんによっては廃人も、最強ですら軽く打ち倒す、ボクらだけに許された力だ」
言うや、みずっちは金に輝くコインを指でつまんだ。所持金をアイテム化させたコイン。それを見せつけるようにチラつかせた後、ピンと弾いて中空に飛ばした。
「よく見ておくといい」
くるくると回るコインはやがて勢いを減じ、重力に引かれて落ちてくる。手元まで落ちてきたそれを、みずっちは勢いよくパシッとキャッチした。
いや、していない。
コインは手をすり抜けてテーブルの上にチャリンと落下した。
掴みそこねた? いや、違う。確かにコインは手の中に消えたはず。掴んだあとに落とした。……無いな。あの勢いで掴んだらコインは吹っ飛ぶはずだ。
掴んだのに、掴んでいないことになっている? すり抜けた? いや、これは……なるほど。
「インベントリ操作……」
「素晴らしい」
いやらしく口角を上げたみずっちが再びコインを弾いた。今度は僕の方へ。それを受け取ろうとした瞬間にコインがふっと消失した。まるで夢幻であったかのように。
「ボクらはスキルを用いた戦闘が苦手だ。克服できない不治の病と言ってもいい。だけどボクはどうしても諦めきれなくてね。日夜研鑽を繰り返し、一年を費した末に習得したのがこれだ。ボクのギルドのどんな精鋭でも成し得なかった業。突き詰めれば、こんなことだって出来る」
ゆっくりと立ち上がったみずっちが弓を取り出して構えた。矢を番え、ぐっと引いて狙いを定める。的は部屋に一つしかない出口のドア。
弓弦の音が弾ける。放たれた矢は――いや、放たれていない。しかし着弾を知らせる音だけが鳴る。左だ。見れば、壁に突き立つ一本の矢が微振動して存在を主張していた。
そんな馬鹿な。放たれた弓が直角に曲がった?
有り得べからざる物理法則。これは……。
「軌道の、変更? 射出した瞬間にインベントリを経由して、収納と取り出しを同時に……? 運動状態をそのままに……方向転換?」
「そんなに難しい話じゃないんだよ。例えば剣を取り出す時、普通に握るか逆手の状態で取り出すかを無意識で選べるだろう? ボクはそれを拡張して行える。そして君もその才能がある。食らいポーション、あれは廃人でもなかなか出来ない技術だ。吹き飛ばされてる時ってのは座標が安定しないからね。天は二物を与えずって言うけど、ボクらは与えられるはずのものが与えられなかった。その差異を埋めるのがこの力だ」
……なるほど。説得力がある。
みずっちは以前、僕に不思議な業を見せたことがある。空想の弓を構え、空想の矢を番え、そして射った。果たして、堂に入った仕種に応えたかのように矢が顕現し、的の中心を狙い過たず撃ち抜いてみせた。
世界を騙す業。そんな馬鹿げた感想が浮かぶ。それは種も仕掛けもない手品というよりは、システムが用意したそれとは違う魔法のようなものじゃないか。
僕は所持金をコイン化させた。ピンと弾き、パシッと掴む――瞬間にコインを収納、取り出し。
手に弾かれたコインが甲高い音を立ててテーブルから落下し、ころころと転がってから床へと落ちた。……難しい。だけど、手応えはあった。なんとなくだけど、感覚で分かる。
「さすがに一発成功とはいかないか。ま、それをされたらボクの立つ瀬がないし」
「……確かに、可能性を秘めた力だと思うよ。こんな使い方は想像したことがなかった。君のそのプレイヤーキルへの執念には感服するよ。……でもさ、これをどう応用すれば戦況をひっくり返せるの?」
「一から十まで教えるつもりはない。それは君自身で考えるんだ。それと、制限時間を設けようか。あと二十時間。それまでになんとかしないと手遅れになるだろう。よし、伝えたいこと終わり。あとは精々頑張るといい。死にもの狂いで、ね」
本当にそれだけの用事だったのか、みずっちは満足したように一つ頷くと部屋から出ていった。本当に、あいつの行動原理は読めない。
……この状況を覆せ、と言われてもなぁ。
今から弓でも練習するか? 無いな。迂遠に過ぎる。そもそも練習してる時間がない。制限時間が二十時間……どういう意図だ。何もかも分からない。
……ログアウトするか? 逃げと言われても、それ以外の方法が無い。正義が効力を失う……。何だというんだ。脳波って何なんだ。でも実際、僕は僕の正義を枉げたからレッドネームになっているわけで……
「くそっ」
考えが纏まらない。苛立ちが呟きとして溢れる。
僕は気を落ち着かせるようにコインを弾いた。くるくると宙に舞うそれをぼうと眺める。コインが頂点に達した。落ちてくるそれを掴もうと身構えた瞬間、部屋の外から弓弦の弾ける音が響いた。
僕は脳天を矢で貫かれて死んだ。




