第九八話 最後の神算鬼謀
烏林の陣から白煙がのぼりはじめたのは、昼前のことであった。
その報せが軍議中の周瑜のもとにとどけられるや、帷幕は歓声に包まれた。
「曹操め、自陣に火をつけて撤退したか!」
「ざまあ見ろ、ついに疫病に耐えられなくなったのだ!」
「勝った! 曹操軍に勝ったぞ!!」
幕舎が喜び一色に染まるなか、周瑜としては喜ぶというよりも困惑に近い心情だった。
曹操は、孫権軍を叩き伏せ、周瑜を屈服させなければならないはずなのだ。
にもかかわらず、いやにあっさり撤退したように感じられる。
挑発の効果がなくなってしまったのか。
それとも、皆がいうように疫病に耐えられなくなっただけなのか。
「周都督、どうされましたか。我々は曹操軍の撃退に成功したのですぞ」
魯粛が、周瑜の物憂げな表情に気づいて声をかけた。
「まだだ。よろこぶのはまだ早い。江陵を奪うまで、我々の勝利とはいえぬ」
周瑜の返答は、諸将の気勢に油をそそいだ。
「ならば、いますぐ追撃のご命令を!」
「曹操の首を取れれば、江陵どころか天下がくつがえるでしょう!」
彼らのやる気はたのもしいが、これも喜んでばかりはいられなかった。
やる気も過ぎれば、命令違反や暴走につながる。
周瑜としては彼らの手綱をひきしめねばならない。
「戦に敗れて潰走しているのであればともかく、曹操軍は自主的に後退しているのだ。追撃したところで、曹操の首は取れまい」
自分自身の言葉ながら、周瑜は思った。
なんとつまらない発言であろうか。
これでは、昂奮にはやっていた者は水を差されたように感じてしまうだろう。
納得がいかない者も、少なからずいるにちがいなかった。
「だが、追撃しない手はなかろう。江陵を奪おうと思えば、曹操本隊にできるだけ損害をあたえておかねばなるまい」
案の定というべきか、程普が白いひげをふるわせて反論した。
声をあげたのが程普だったことは、周瑜にとってまだしも幸運だった。
軍部の最重鎮である彼さえ説得できれば、周囲の者も納得してくれよう。
もっとも、簡単に説得できる相手ではないのだが。
「程普どの。残念ながら、敵軍後方にいるのは疫病にかかった兵士ばかりのはず。それではいくら討ち取ったところで意味はないでしょう」
「むっ……」
「曹操軍の病兵には、健康な兵の重荷となり、枷となってもらわねばなりません」
と、周瑜は説明した。
傷病兵は足手まといとなる。
殺すよりも、生かしたまま曹操軍の足を引っ張ってもらったほうが都合がよい。
「病兵ばかり殺したところで、むしろ敵を助けることになりかねん、ということか……。しかし、撤退する敵をみすみす見逃すというのか?」
程普は声を低くして問いただした。
周瑜は方針を告げる。
「我々は陸路ではなく、水路で江陵にむかうべきかと存じます」
「むむ、水路か……。漕ぎ手を交替しながら急げば、風向きによっては、曹操に先行できるかもしれぬな」
「もし江陵に先行できれば、野戦で曹操を討ち取る機会もあるでしょう」
「では、曹操の帰還のほうが早かった場合は、どうするつもりなのだ?」
程普の眼光が鋭さを増した。まるで周瑜を射すくめるような、異様な光を放っている。
「おくれて帰還してくるであろう曹操軍の病兵を、すべて江陵城内に追いやったうえで、そのまま攻城戦に移行します」
病兵を大量に収容させ、都市機能を麻痺させてしまえば、江陵を陥落させることは容易となろう。
たとえ曹操本隊がいすわっていようと、大きな支障はない。
城内が機能不全に陥っていれば、いかようにも崩す自信が周瑜にはあった。
一拍おいて、周瑜が意外に感じるほどあっさりと程普はうなずき、明言した。
「よかろう、私に異存はない」
妙に物分かりがよい。老将の態度をいぶかしんだのは、周瑜だけではなかったろう。
が、ほかならぬ程普が反論の矛をおさめたのだ。
これ以上の議論は不要である。
孫権軍は出航の準備にとりかかった。
言葉少なに指示を出しながら、程普は軍議での自分の態度を思い返して、ひとりごちた。
「やれやれ。我ながら丸くなったものだ」
きっかけは、曹操の使者が黄蓋の遺体を送りとどけてきた日の夜のことであった。
周瑜は程普の天幕をひそかに訪れ、頭をさげた。
いわく、黄蓋の死については全面的に自分に責任があるが、いまは危急存亡のときである。あとでいくらでも責任を追及してくれてかまわないから、曹操軍を撃退するまでは協力してほしい、と。
周瑜の申し出は正言であり、殊勝に聞こえなくもなかったが、同時にひどく厚かましいものでもあった。
曹操軍の撃退に成功すれば、周瑜は救国の英雄である。帰還した彼は称賛一色で迎えられ、その功績の前では、黄蓋戦死の責任などささやかなものとなろう。
一方で、もし敗れれば、責任追及どころではない。孫呉は滅び、曹操を中傷した周瑜は処刑されるであろうから、これまた一武将の死にともなう責任など吹き飛んでしまう。
「つまり、勝とうが負けようが、この件でおぬしの立場が悪くなることはない、ということではないか!」
という怒声が喉元まで出かかったが、程普はかろうじてこらえた。
結局、程普は沈黙をもって回答とし、周瑜は返答を得ることなく天幕を去ったのだが、程普が激発をこらえたのには理由があった。
じつをいえば、失敗に終わった一連の策が黄蓋の発案であったことを、程普は黄蓋から知らされていたのである。
しかし、周瑜はすべて自分の責任だといった。「あれは黄蓋どのがいいだした策だったのだ」と告白すれば、いくらか批判はかわせるだろうに、言い訳しようとはしなかった。
黄蓋の名誉を守ろうとしているのか、故人に責任を押しつけるのは大将としてあるべき姿ではないと判断しているのか。周瑜がどう考えているかまではわからないが、利己的な感情で動いていないことだけはたしかである。
「これでは、個人的な感情で反発している私が、いかにも幼稚ではないか……」
と、自分が狭量であったことを、程普としても認めざるをえなかったのである。
いずれにしても、ことの重要性をはきちがえるわけにもいかず、彼は心を入れ替えて、周瑜に協力してやろうと決心したのだった。軍部筆頭ともいうべき彼が賛同してみせれば、諸将の手綱も握りやすくなろう。
とはいえ、その旨を口に出して伝えるほど、彼の矜持は安くない。
黄蓋の死が、かえって程普のわだかまりを氷解させ、周瑜へと歩み寄らせる結果になったことは、当の周瑜ですらあずかり知らぬところであった。
もうひとつの戦場では、趙儼軍と劉備軍が漢水をはさんで対峙している。
数で勝る趙儼軍に対し、劉備軍はあらかじめ台地に布陣し、高処を占めることで均衡状態にもちこんでいた。
こちらの戦況も膠着していたが、それでも烏林・陸口と比較すればいくぶん流動的である。
漢水の川幅は江水ほど広くないため、敵陣に攻勢をかけることはさほどむずかしくなかったのである。
そうはいっても、全面攻勢に出ようとすれば、渡河中に攻撃され、甚大な被害をうけるであろう。
両軍ともに壊滅的な被害をさけようとしてか、夜襲・陽動といった小規模な動きに終始しており、武力衝突は小競りあいにとどまっていた。
烏林で白煙がのぼったのと同じころ、こちらの戦況も急転した。
趙儼軍が撤退を開始したのである。
劉備は決断をせまられた。
「この撤退が本物であるのなら、烏林の曹操軍か許都で、変事が生じた可能性が高い。だが、我が軍を誘いこもうとする偽計の可能性も捨てきれん」
とにもかくにも判断材料が不足している。
とりあえず敵陣に斥候をはなって、劉備は考えこんだ。
烏林では疫病が蔓延しているという。曹操が罹患しても不思議はない。
許都で異変が起きたのであれば、反曹操派が朝廷をおさえたのかもしれぬし、天子が崩御した可能性すら皆無ではない。
まったく、可能性でよいのなら、いくらでも考えられるのだった。
しばらくして、斥候が帰陣した。
「趙儼軍は整然と撤退していったようであります。敵陣の跡にはまったく物資が残されていません」
「ふぅむ……。ご苦労だった」
劉備は薄いあごひげをつまみ、悩ましげに顔をしかめた。
「もし、これが我々を誘いこむ罠であるとしたら、いかにもあわてて逃げだしたように偽装するのではないだろうか?」
関羽の意見に、張飛がわけ知り顔でうなずきながら、
「逆に考えれば、罠じゃないってことか」
劉備もうなずいて、
「うむ。そうなると、本当に撤退したのかもしれん。だが、追撃するにしても、慎重に進まねばなるまい」
撤退する趙儼軍の後背に襲いかかれば、大打撃をあたえられよう。
好機が到来したように見えるが、浮かれるわけにはいかない。なにしろ、趙儼軍の兵力は四万、劉備軍は二万六千と、敵のほうが数は多いのだ。不用意に飛びつけば、伏兵にあって大損害をうけるのは劉備軍のほうである。
斥候に道をさぐらせながら、劉備軍は用心深く前進した。
彼らがあらたな判断材料を得たのは、夕刻になってからのことであった。
東の空に、高々と烽火があがったのだ。
これは烽火台をもちいた劉琦からの伝達で、「烏林の曹操軍が撤退した」というものである。
劉備は馬をとめて、諸葛亮と顔を見合わせた。
「孔明、曹操はどの道を通って撤退すると考える?」
「曹操がむかう先は江陵以外にありません。まずまちがいなく、往路と同じ華容道を通るでしょう」
「このまま趙儼軍を追いかければ、我々も華容道に出るのだろう? 烏林の曹操軍より、我々のほうが江陵に近いのではないか?」
「はっ、そのとおりです」
「……道を急げば、曹操の退路を断てるかもしれん」
劉備の口が、きわめて魅力的な想像をつむぎだした。
諸葛亮は、眸に逡巡の色を浮かべながらも、
「……不可能ではないかもしれません。ですが、先を急げばそのぶんだけ、趙儼軍の伏兵に奇襲される可能性が高くなります」
否定的な返答に、劉備は少々驚かされた。
曹操を討ち取れるのであれば、諸葛亮は一も二もなく賛同するだろうと考えていたのだが、よい意味で裏切られたのである。
たしかに、曹操の首を狙ったところで成功する確率は低い。
それよりも趙儼軍の伏兵を警戒したほうが、よほど現実的であろう。
諸葛亮は、劉備軍全体のことを考えて、冷静に判断しようとしている。
もはや、曹操に対する私怨にとらわれていないようであった。
この若き賢才は、まぎれもなく劉備軍の一員となったのだ。
主君として喜ばしく感じながらも、劉備は我をとおさねばならなかった。
ひとかけらであろうと、好機は好機である。
「危険は承知のうえだ。安全な手ばかり打っていては、曹操の首にはとどくまい。曹操の首級と引き換えであれば、全軍を賭す価値がある」
上手くいったらいったで、そのときは趙儼軍と曹操軍、合わせて十万の大軍と戦うことになるかもしれない。
十万、十万だ!
想像するだけで戦慄がはしるが、撤退中の敵全軍が戦闘に参加できるはずもない。
そもそも華容道は道幅が狭く、大軍を展開できる道ではない、と劉備は聞いていた。
先に要地をおさえ、陣形をととのえて待ちかまえれば、曹操を討ち取れる可能性は十分にある。
「警戒はおこたるな! だが、できるかぎり先を急ぐぞ!」
劉備は全軍に号令をかけた。
烏林を撤退してから三日後、曹操軍は華容道を西進していた。
烏林にまで進出しておきながら、孫権軍にも劉備軍にも勝てず、なにも得ることなく後退しなければならない。将兵たちに笑顔はなく、士気は否応なしにくじけている。
さらに悪条件をあげるなら、この地域には雲夢沢という大湿原が広がっているため、道が悪く、曹操自慢の騎兵も展開させようがなかった。
劉備がこの光景を目にすれば、
「この好機をつかむために、どれほどの年月を耐え忍び、どれほどの兵士たちが命を落としたか。いまこそ曹操を討ち取る好機である!」
と気炎万丈、さらに先を急がせたであろう。
また、周瑜の推察も的中していた。
疫病に罹患した兵士たちは、曹操軍の最後尾にしたがっている。そこに殿軍という名の誉れは寸分も見受けられず、捨て駒や肉壁とでも形容すべきありさまであった。
ただし、何事にも例外は存在する。
郭嘉を乗せた軒車は、曹操がいる前軍に随行していた。
曹操の親衛騎兵隊・虎豹騎の指揮官である曹純が、郭嘉の馬車に馬を寄せ、声をかける。
「軍医どの」
声に応じて、馬車の病窓から軍医が顔をのぞかせた。
「郭嘉どのの容態はどうなっている?」
曹純はしずかに問いかけた。
「昏睡状態のまま、体温低下がさらに進んでおります。……残念ながら、江陵までもたぬでしょう」
「そうか……」
馬車のそばをはなれ、曹純は眉間を指で揉みほぐした。
じつは、彼も昨夜から体調がすぐれないのを自覚していた。頭痛はどんどんひどくなっているし、変な咳も出る。だが、江陵につくまでは、倒れるわけにもいかなかった。
趙儼軍からの伝令によると、北から劉備軍が近づいているらしい。
物見の報告では、周瑜は陸路ではなく水路を選択して、江陵をめざしているという。
「こんな状態で戦闘になったら……。考えただけでおそろしい。まあ、心配する必要はあるまい。すべては、郭嘉どのの思惑どおりに動いている」
けだるげに、曹純はつぶやいた。
曹操軍の撤退を嚆矢として、戦況は堰を切ったように動きだしている。
撤退を提言したのが誰かといえば郭嘉であり、それにともなう劉備軍と孫権軍の反応もまた、彼の透徹した知性によって操られているにすぎない。
紅玉のように鮮やかな夕日が、西空を赤紫色に染めていた。行軍する曹操軍の背中を、夜の闇が追いかけてくる。
郭奉孝の命は、いままさに燃え尽きようとしていた。
だがしかし、彼の神算鬼謀は、おのれの生命を超越し、敵味方の大軍勢をのみこんで、歴史を凌駕しつつある。




