第九十話 江東の英雄
周瑜と会ったその足で、諸葛亮は自分の部屋に龐統を招き入れた。
再会を祝して杯を交わしながらも、彼らは酔いしれようとはせず、現況を語りあった。
「そうか、士元は柴桑にいたのではなく、周瑜どののもとにいたのか」
龐統は孫権軍と協力する道を模索して、江東を訪れていたという。
とはいえ、彼は劉表の正使ではないし、劉表と孫権は不倶戴天の敵だ。
孫権と会ったところで実りは少ないだろう。
そこで龐統が狙いをつけたのが、孫呉一の実力者とされる周瑜である。
さいわいなことに、周瑜は感情論に身を任せるような人物ではなく、さらには曹操に降伏するつもりもないようだった。
同盟は結べずとも、同志にはなれる。
龐統は手ごたえを感じていたそうだが、そのころ荊州情勢は、彼の想定をはるかに超える速度で推移していた。
「……で、私が勝手に江東で動きまわっているうちに、劉表さまが逝去され、劉琮さまが降伏してしまったというわけだ」
止まり木を失った鳳雛は嘆いてみせるが、そのわりに、彼の声に深刻なひびきはなかった。
むしろ、諸葛亮が柴桑にきた経緯や徐福の投降を知った龐統の目には、自身に対する憂いではなく、友人を気づかう色が浮かんでいる。
「そっちも大変だったようだが、……徐兄を恨むなよ」
「わかっている」
「劉琮さまが降伏したときに襄陽にいたら、私だって曹操に仕えることになっていたかもしれないんだぞ」
「……いまからでも遅くはない。龐士元なら、曹操だって歓迎してくれるだろう」
「おいおい、ずいぶん弱気じゃないか。どうした孔明? 管仲・楽毅に比するというご自慢の頭脳はどこへいったんだ?」
「そんなふうに思いあがっていたら、このていたらくだ。……私の才が本当に管仲・楽毅に匹敵するものだったら、もう少しうまくやれただろうに」
斉の名宰相・管仲、燕の名将・楽毅。
どちらも小国をささえ、覇権国家へと押し上げた人物である。
書生時代、諸葛亮は自分の才は彼らに比すると豪語したことがあった。
若気の至りといえばそれまでだが、過去の言動と比較して、いまの自分のなんと情けないことか。当時を思い返し、諸葛亮は恥じた。
次の瞬間、龐統は目をつりあげた。
「世の中なめるんじゃねえ」
凄みを利かせた声をぶつけられ、諸葛亮は目をしばたたかせた。
「曹操打倒がどれほど困難な道かなんて、はなから理解していたはずだろう。覚悟がないなら、やめちまえ」
「覚悟はしている」
「覚悟が決まってないから、ちょっと失敗したぐらいで、くよくよしていられるんだろうが」
「…………」
諸葛亮は反論できなかった。
曹操が何度敗北して、何度死にかけたことか。
劉備が何度城を失い、何度逃げだしたことか。
彼だけが失敗もせずに、なにもかもうまくいくはずがない。
それこそ、思いあがりというものだろう。
「結局、おまえは、『ああすればよかった、こうすればよかった』と後悔しているだけなんじゃないか?」
「……士元のいうとおりだ」
襄陽だけでなく許都の動向にも目を配っていれば、もっと早く曹操軍の動きを察知できたのではないか。
劉琦が父の見舞いに襄陽を訪れたとき、彼と接触して協力体制を構築できていれば、襄陽を乗っ取ることもできたのではないか。
江陵にこだわらず、最初から夏口をめざしていれば、そこから船で南下して荊南四郡を占領する時間もあったのではないか。陸つづきの江陵よりは、よほど現実的な案だったはずだ。
しかし、諸葛亮が江陵に固執したばかりに、その時間も失われてしまった。すでに、荊南四郡にも曹操の手が伸びてしまっている。
長沙はかつて豊かな国だった。零陵もそれなりに人口の多い郡だ。荊南四郡は国力・防衛、どちらの観点においても、人口が少ないうえに上流をおさえられている江夏に勝る。江夏を放棄して、荊南四郡を拠点とする手もあったはずなのだ……。
取れなかった選択肢が思い浮かぶたびに、諸葛亮を苛んでいる自責の念は、際限なくふくれあがっていたのである。
「悔やむな、とまではいわないが――」
「ああ。いつまでも、うじうじと悩んではいられないな」
我ながら妙にさっぱりした声だと、諸葛亮は思った。
外部からの指摘は、良くも悪くも風穴をあける。
龐統の言葉は、諸葛亮のよどんだ胸中に新風を吹かせる効果があったようだ。
「ふん、目が覚めたようだな。お互い、もう無責任な書生ではない。時代の潮流に翻弄されようが、立ちすくんでいられるような期間はとっくに過ぎている。……と、高説を垂れたいところだが、あいにくと無責任な無職の身でね」
龐統は決まり悪そうに首を掻いた。
「士元は、このまま孫権どのに仕えるつもりなのか?」
「わからん」
「なら、劉備さまに仕えてみないか?」
「お誘いはありがたいが、しばらくは周瑜どのを見てみようと思う」
主君の孫権を差し置いての判断である。
龐統にそういわせるだけのものを、周瑜はもっているのだろう。
「周瑜どのは、どのような人物なんだ?」
諸葛亮は尋ねた。
龐統の人物批評には癖がある。
相手の欠点を指摘しながらも、美点をその数倍褒めたたえるというものだ。
必然的に言葉数は多くなるのだが、その彼が、周瑜にかぎっては、たったひとことでいいあらわした。
「……英雄」
曹操と戦う。
孫権がすでに決意をかためていたことを、周瑜はよろこんだ。
それこそ、孫家の棟梁たる者のあるべき姿である。
孫権が柔弱な姿勢を見せるようなら、周瑜は活を入れるつもりだったのだ。
それが逆に、尻を叩かれたようにすら感じられた。
「伯符……。私たちの弟は、立派な主君になったぞ」
決断するのが主君の仕事である。
あとは家臣に、周瑜たちにまかせればよい。
孫権の意思を確認した翌日、周瑜は張昭のもとへ足をはこんだ。
「曹操と戦うわけにはいきませぬ」
張昭ははっきり告げた。
「主戦派は『戦って勝てばよい』と勇ましい言葉を口にするが、いざ戦になれば、責任を取るのは孫権さまなのです。敗北すれば、孫権さまの命はない……」
周瑜は名家の出身であり、張昭にも儒学者としての名声がある。
戦って負けたとしても、処刑をまぬがれる可能性は高い。
だが、孫権はちがう。
家格も属人的な名声もない。なにより、最高責任者たる身なのだ。
曹操に、孫権の処刑をためらう理由はない。
「劉琮は青州刺史に任じられたと聞いております。降伏すれば命は助かるでしょう。曹操軍の強大さと孫権さまの身を思えば、降伏以外の道は考えられませぬ」
奥歯を噛みしめるようにして、張昭は顔をしかめた。
彼は徐州から流れてきた人物である。
たとえ漢朝の丞相であろうと、曹操に降伏することに、抵抗を感じていないわけがない。
さらにいえば、主君に降伏をすすめること自体、ほめられた行為ではないのだ。
張昭とて自身の感情をのみこみ、世間から非難を浴びる覚悟をもって、降伏論の先頭に立っている。
「張昭どの、あなたが負けたときのことを考えてくださるから、私は勝利だけを考えていられるのです」
周瑜はいたわるような声でいった。
「周瑜どの……。あなたまで、曹操に勝てるなどという、甘い考えをお持ちなのか?」
「勝てるのです、いまならば」
「……いまならば?」
説明を要求するように、張昭が目をすがめた。
「曹操軍十六万、荊州軍六万。合わせて二十二万の大軍勢といいますが、そもそも曹操軍十六万は水戦に不慣れで、物の数ではありません。また、江陵で軍船が大量に建造されているという話もない。つまり、いま江水で戦うのであれば、荊州水軍を相手にするのとさしてちがいはないのです」
周瑜は敵軍の総兵力のみならず、その内情をも正確につかんでいた。
孫呉において、彼ほど間者のあつかいに長けている人物はいない。
いまでこそ前線指揮官・水軍指揮官を兼ねて軍部をまとめる立場にいるが、彼はかつて諜報・兵站を一手に担っていたのだ。
それというのも、相棒の孫策が前線指揮官としてこの上なく優秀で、なおかつ型破りな人物だったからである。
孫策の積極的すぎる軍事活動をささえるために、周瑜は補佐と後方支援に注力していた。
裏方の重要性を知りつくしている周瑜は、自身が全軍に号令をかける身になっても、間諜をおろそかにしない。隣接する荊州・徐州・豫洲はおろか、河北にまで間者を送りこんでいる。一見すると地味なようだが、間者の仕事が勝敗の行方を大きく左右するのである。
「仮になにもせずに時間が過ぎれば、我々はより困難な事態を迎えることになるでしょう。まず、劉備がほろんで、曹操軍に夏口をおさえられる。荊州の混乱も落ち着くでしょうし、いずれは江陵で軍船が増産され、曹操軍にも水練に長けた部隊が編成されてしまう。いまこそ、戦うべきときなのです」
「むぅ……、夏口の劉備、ですか」
張昭は、劉備の名に引っかかりをおぼえたようだった。
「……周瑜どのの策には、もしや諸葛亮が一枚かんでいるのではありませんか?」
諸葛亮にしてやられたとの思いがあるのだろう。張昭の声には警戒のひびきがあった。
「まさか」
周瑜は首を振り、張昭の目を正面から見据えた。
「孫呉の命運は孫呉が決める。劉備だろうが曹操だろうが、人にゆだねるつもりはありません」
曹操にもゆだねるつもりはない。その発言から周瑜の決意のかたさを感じとったのか、張昭は嘆息すると、すこし考えこんでから、口をひらいた。
「……ひとつ、無視できぬ問題がありますな」
「なんなりとお答えしましょう」
「水上で勝てたとしても、江陵を奪わないかぎり、一時しのぎにしかならないように思うのですが」
「そのとおりです。水戦で勝利し、曹操軍に打撃をあたえたうえで、江陵を奪う。そこまでいかなければ、我々の勝利とはいえないでしょう」
「……では、もし曹操が水戦をさけたら、どう戦うつもりなのですか? 曹操軍が江東に攻めこもうとせず、江水北岸の防備をかためたら、我々には江陵を奪う方法など――」
張昭は口を閉ざした。
彼は見たのだ。周瑜の口元に微笑が浮かんだのを。
それは、芳醇な美酒を思わせる、かぐわしくも刺激的な微笑だった。
翌日、孫権は諸将を集めて、曹操との対決を宣言した。
張昭は異論を唱えようとはしなかった。
周瑜が柴桑に帰還してからわずか二日で、孫呉は開戦に踏み切ったのであった。




