第八六話 賈逵、感服する
鍾繇の恨みがましい視線を、私は真っ向から受けとめる。
引くわけにはいかなかった。
彼の手慣れたコテさばきを思い返さねばならぬ。
その意味するところは、何度もこの店でお好み焼きを焼いた経験があるということであり、その都度、ソースで鉄板に文字を書いては店を困らせてきたにちがいないということである。
相手の官職が高すぎて、料理人たちも注意しづらかったのだろう。
私だって、曹操が相手だったら、なにもいえない。
こっそり荀彧に告げ口して、注意してもらう。
だから、料理人たちの気持ちはよくわかる。
この迷惑行為は、私がとめなければならないのだ。
鉄板をはさんで、鍾繇と私の視線が交錯する。
その様子は、まるで江水をはさんで対峙する曹操と孫権のよう。
……小さい。あまりにもスケールが小さすぎる。
おお、亡き師よ。
あなたの弟子たちは世間からの評判こそ上々なものの、中身はホントしょうもないです。
すると仲裁でもしようというのか、第三勢力の賈逵が口をひらいた。
「……そういえば、劉琮の旧家臣たちは現状を受け入れているのでしょうか?」
無関係な立場をつらぬきとおした、どこまでも中立な話題転換であった。
自分に火の粉が飛んでこないように、との鉄壁の意思を感じさせる。
賈逵梁道、やはりできる男よ。
「うむ、目立った不満の声はあがっておらんようだな。彼らも、自分たちが厚遇されているのはわかっていよう」
鍾繇もさすがに大人げないと感じていたのだろう、刷毛を置いて、蔡瑁・蒯越というおもだった人物の現況を説明していく。
蔡瑁は従事中郎に任じられたそうだ。上級参謀ともいうべき役職で、許都にいく必要はないため、襄陽にとどまっている。それほど高い官職ではないが、彼にとって重要なのは、豪族としての既得権益を維持できるかどうかである。そうした点では満額回答に近いものを提示されたらしく、曹操軍の統治に積極的に協力しているようだ。
蒯越は九卿のひとつ、光禄勲に任じられたらしい。九卿は三公に次ぐ大臣職であり、三公九卿とひとまとめにして呼ばれることもある。ただし、現在三公制は廃止されているため、九卿の上に存在する官職は丞相のみである。
そして韓嵩が、同じく九卿の大鴻臚に任じられたそうだ。
これで劉琮の旧家臣から二名が、九卿に選任されたことになる。
荊州人士にも栄達の道はひらけている。
そう知らしめるのに、充分な人事といえるだろう。
一枚目のお好み焼きを食べ終えた鍾繇は、二枚目を注文すると、
「蒯越・韓嵩以外にも朝廷に招聘された人物は何人かいるのだが、わしとしては、彼らよりも王粲が気になるな。曹丞相も、王粲は丞相掾として自分の手元に残したようだ」
「王粲といえば、蔡邕どのにその文才を見込まれ、蔵書を託されたという人物ですね」
ひと足先に一枚目を完食していた賈逵が、二枚目のタネをかきまぜながら相づちを打った。
書に異常な執着を見せる鍾繇のことだ。
王粲自身の才能にも、彼が蔡邕から託されたという蔵書にも興味は尽きないだろう。
私はお好み焼きを食べながら考える。
う~ん、卵や豚肉が入ってないとやっぱクオリティは落ちるな。
けど材料費が高くなると、メニューの値段もあげなきゃいけなくなるし……。
ちがう、そうじゃないッ!
いま考えるべきはメニューについてではない。人事についてである。
私もいちおう書家だから、博学多識な王粲という人物に興味はあるのだが、それより気になる人物がいるのだ。
「鍾兄、許都に招聘された人物の中に、龐統と黄忠という名はありませんでしたか?」
「むっ……。おおっ、たしか黄忠という人物が偏将軍に任じられ、許都に異動していたはずだ」
よしっ! これで、史実通りに曹操が赤壁で負けて劉備の大躍進がはじまったとしても、黄忠が劉備軍に加入することはない。
我が策、半分だけ成れり!
しかし、そうなるともうひとりの動向が気にかかる。
龐統は襄陽に残ったのだろうか?
鍾繇がタネをかきまぜながらいう。
「龐統は……行方不明だそうだ」
「……え?」
思わぬ言葉だった。私の頭の中に、大きな疑問符が浮かんだ。
「どうも龐統という男には放浪癖があるらしくてな。劉琮が降伏を決断したとき、彼は襄陽をはなれていたようなのだ。そして、そのまま行方知れずだ」
むう……。龐統はどこでなにをしているのだろう?
前世の記憶によると、たしか……龐統は呉の武将と親しくしていたように思う。
となると、曹操の南下に対抗すべく呉へおもむき、孫権と協力する途を模索していた。しかし劉琮があっさり降伏してしまったため、帰る場所を失ってしまった、といったところだろうか。
考えこむ私の前で、鍾繇が二枚目のお好み焼きを焼きはじめる。
兄弟子がお好み焼きの形を丸ではなく四角にととのえるのを見て、私は彼の意図を察した。
文字を書くスペースを増やすために、お好み焼きの形を最適化したのだろう。
書き狂いの執念、おそるべし。
今度は私も注意しなかった。人に迷惑をかけないのであれば注意する必要もない。
……人に迷惑さえかけなければ、尊敬できる人なんだろうけどなあ。
後日、料理人たちとの面談を無事終えて陸渾に帰った私のもとに、その料理人たちから苦情の手紙がとどいた。
鍾繇がお好み焼きのタネをうすく広げて、ひとりで三、四人分のスペースを占有しているらしい。
そのせいで、鉄板焼き用の席が少なくなって困っているとのこと。
そんなに広げたらひっくり返せないだろうと思うのだが、どうやら竹簡のように短冊形にすることで、その問題を解消したようである。
鍾繇本人は「うわっはっは! これが竹簡焼きよ!」と悦に入っているそうな。
だめだ、あの人。早くなんとかしないと。
私は呆れて、ため息をついた。
どうやら、鍾繇宛の苦情の手紙を書かなければならないようであった。
*****
孔明とのささやかな食事会の翌日、賈逵は洛陽の書庫にいた。
董卓の暴挙によって多くの書物が失われたが、それでも鍾繇が書をかき集めていることもあって、書庫には膨大な資料が集まっている。
各地の人口動態と災害の記録の確認、それが賈逵の目的である。
まず彼は、各県の戸数の推移に着目した。
書庫の役人の手を借りながら、二百年ほど前の数字と照らし合わせて、州ごとにまとめて整理していく。
注意しなければならないのは、二百年のあいだに県の統廃合や新設がおこなわれ、県数や管轄範囲が変化している点である。戸数が増えているように見える県も、実態は管轄範囲が広がっただけにすぎないのかもしれないのだ。
そうした数字を補正し、時系列すらろくにそろっていない断片的な資料をつなぎあわせていく。
半月ほどかけて可視化された地域別の戸数変化は、おおむね賈逵が予想していた通りのものであった。
華北の地はのきなみ戸数を減らしている。
とくに涼州や并州では落ちこみが著しい。
沿岸部が比較的ゆるやかな変化にとどまっているのは、海流の影響で暖かく、寒冷化に耐性があるからであろう。
一方、荊州・揚州・益州といった南方は大きく戸数を増やしている。
「かねてより寒冷化の影響は取りざたされていたが……。こうして数字で見ると顕著だな」
せっかく補正した数字だが、そっくり信用するわけにはいかない。
北方では労働力を集約する必要があったのだろう、一戸あたりの成員数に増加傾向が見られる。
対して、南方に移住したのは若者が多いからか、一戸あたりの成員数が少ないようだ。
とはいえ、寒冷化に対処するため、北方から南方へと大規模な人口移動が起こっていることは、疑いようもない事実であった。
「たったこれだけのことを調べるのに、半月もかかるとはな。まったく、董卓も余計なことをしてくれたものだ」
資料の系統づけが不十分なため、時間がかかってしょうがない。
魔王と呼ばれた男に呪詛を吐きつつ、つづいて災害の記録を確認する。
旱魃、洪水、大雪、不作、飢饉……。
災害の発生件数を年代ごとにまとめていく。
漢建国以来、約四百年間の情報をまとめ終えると、賈逵は息をのんだ。
意外な事実が浮かびあがったのだ。
黄巾の乱以降の二十余年は、この国にとって最悪の時代であった。
政治的、軍事的混迷の泥沼に叩き落された時代であった。
当然、災害も頻発していたのだろうと賈逵は思いこんでいたのだが、そうではなかった。
漢帝国四百年の歴史において、もっとも災害が多かったのは、百年ほど前からの二十年間だったのである。
天変地異の観点では、この二十余年は小康状態にあった。
つまり最悪ではなかった。さらに悲惨な状況もありえたのだ。
この事実は、賈逵に衝撃をあたえた。
「太平の世は近い、近づいているはずだ。だが……もし百年前のように災害が頻発でもしたら……」
天下を手中におさめんがため、多くの実力者が血で血を洗い、覇権を争ってきた。
曹操が荊州を制圧したことで、長かった戦乱の世もようやく終わろうとしている。
だがしかし、不作や飢饉が相次げば、黄巾の乱のような農民反乱がふたたび勃発するであろう。
時の流れは、乱世へと逆行してしまいかねない。
賈逵はため息をついた。
治国平天下への道はいまだ遠いのかもしれなかった。
悲観的な思考は、しかし深刻なものにはならずにすんだ。
彼は同時に、自分の推測が的を射ていたであろうことも知ったのである。
「やはり……胡昭どのが戦っておられる相手の正体は、これか」
孔明が発案した種もみの選別法は、実りの良い品種を残す方法であり、すなわち、寒冷化に適応した強い品種を残す方法でもある。
寒冷化、不作、飢饉……。
人間の手がおよばぬ天変地異に、とほうもなく巨大な相手に、孔明は立ちむかっている。
「天下統一だけでは足りないのだ。胡昭どのはさらに先を見据えて動いている」
目先の功績や出世のことばかり考えている自分が、ひどく矮小に感じられた。
「視野がちがう、桁ちがいだ。……まさに気宇広大。なんと遠大な志を秘めておられるのだろうか」
敬服以外の感情をもちえず、賈逵はただただ感嘆するのだった。
……粉もの普及委員会にそのような崇高な理念があったらしいことも、あらたな会員がくわわったことも、むろん孔明自身は知るよしもなかった。




