第八四話 孔明、船に乗りこむ
張遼率いる騎兵部隊が江陵へ急行している。しかも、自分たちを追い越したらしいとの報告を受けて、劉備と諸葛亮は深刻な顔を見合わせた。
「どうする孔明。江陵以外に曹操軍に対抗しうる城はないのか?」
「残念ながらありませぬ。こうなれば東へむかい、一刻も早く、夏口の劉琦どのと合流すべきでしょう」
「む……」
劉備はすこし考えこんで、
「夏口にも水軍基地はあるはずだが、夏口では江陵の代わりにならないのか?」
諸葛亮は首を振る。
「残念ながら、むずかしいでしょう。夏口は漢水と江水の合流する地。上流の襄陽と江陵をおさえられた状況では……」
「だが、それでも夏口へいけというのだな」
「はい。利点はふたつあります。ひとつは、単純に兵力が増えること」
「うむ。劉琦どのと合流すれば、三万近い軍勢になろう。これは大きい」
「もうひとつは江東の孫権の存在です。夏口であれば、江水を船でくだり、孫権と連絡を取ることも可能となります。孫権と同盟して、曹操にあたることができれば……」
都合のいいことをいっていると、諸葛亮も重々承知している。
だが、他に曹操に対抗する手段は見当たらない。
味方を欲しているのは孫権も同じはずだ。そこに賭けるしかないように思われた。
「なるほど。孫権が協力してくれれば、心強い」
「曹操に対して、抗戦するか否かは、孫権次第ではありますが……」
「よし、夏口へむかうぞ」
あっさり決断すると、劉備は逃亡中とは思えぬほどほがらかな笑みを浮かべた。
「もともと一万五千の兵で樊城を守るつもりだったのだ。それが三万で夏口を守ることになった。兵力が倍になったと考えれば、そう悪いことばかりでもないだろう」
諸葛亮は絶句した。意表をつかれたのだ。
劉備の認識は楽観的すぎるかもしれないが、一面においては事実である。
だが事実であるにもかかわらず、指摘されるまで、諸葛亮の頭の中には存在しないものだった。
第二の故郷ともいうべき襄陽を奪われ、民を巻きこむような下策しか献策できず、そうまでしてめざした江陵も曹操の手に落ちようとしている。たたみかけるような負の連鎖が、彼の思考に影を落としていたのである。
それにしても、劉備の精神的頑健さにはおどろかされてばかりだった。
諸葛亮はつくづく思った。自分は得がたい主君を得たのだ、と。
劉備軍は南から東へと進路を変更した。当然のように劉備が先頭を進み、将兵が列をなしてつづき、そのあとを流民が雑然と追いかける。進路を転じようが、その歩みが遅々としていることに変わりはない。
劉備たちの懸念が現実のものとなったのは、当陽県の長坂にさしかかったときのことである。
深夜、突如として風が泣き叫ぶような音が起った。
後方から鳴りひびいたその異様なうなりを聞くや、劉備は悟った。
敵に追いつかれたのだ。
「散れっ、散って逃げろッ!」
劉備は即座に命じた。
さすがに彼は逃げなれており、状況判断を過らなかった。
一度追いつかれたら振り切ることは不可能である。抗戦などもってのほかだ。
軍隊としての形を捨て、各自の才幹を頼りに逃げるしかないのだ。
指示を受けた劉備軍の将兵たちは、こちらもさすがというべきであろう、夜の闇に溶け込むように次々と姿をくらませていく。
このとき、張飛や趙雲は史書に残るほどの奮戦を見せたが、それは個人の活躍であって、きわめて局所的なものにすぎない。
のちに長坂の戦いといわれるこの一幕は、戦と呼べるようなものではなく、あくまで逃走劇であった。
曹操軍と劉琮軍に追い立てられながらも、彼らは散り散りになって夏口をめざす。
劉備はおのれの経験と嗅覚を最大限に生かし、まっさきに夏口にたどりついた。
お供は、諸葛亮以下わずか数十騎にすぎない。
やがて部下を案ずる主君のもとへ、次々と劉備軍の将兵が落ちのびてきた。
おもだった将のうち、もっとも到着が遅れたのは徐福元直であった。
「おお、元直! 無事だった、か……」
劉備は満面の笑顔で迎えたが、その声がしりすぼみになったのは、徐福のただならぬ様子を見てとったからである。
徐福は拝跪して、告げた。
「劉備さま、お別れをいわねばなりません。母が、曹操軍にとらわれました」
「なんと……」
「老いた母をひとりにはしておけませぬ」
劉備は徐福の身の上を知っている。
彼は寒門の出だ。すなわち頼れる身寄りがいない。
母の身を託すことのできる身寄りがいないということである。
「ああ……、別れがたいが、やむを得ぬ。ご母堂を守ってやれ……」
「申し訳ございませぬ……」
劉備は徐福の手を取って立ちあがらせた。
「孝行を裁くような真似、誰ができよう。たとえ天が許してもこの劉備が許さん」
劉備の目に光るものがあった。徐福も涙を浮かべた。
これから敵に投降しようというのに、徐福に対する非難の声はあがらなかった。
その場で投降することもできたはずだ。だが徐福はそうしなかった。
わざわざ劉備に別れを告げるために、夏口までやってきたのだ。
それが彼なりの忠義のあらわれであることを、理解せぬ者はいなかった。
「元直……壮健でな」
「……遠い地から、我が君のご武運を祈っております」
罪人として故郷から逃げ出した徐福にとって、荊州で過ごした日々は特別なものだった。
学問を志し、すぐれた師に出会った。
尊敬すべき友と研鑽しあい、仕えるべき主君のもとで腕を振るった。
その充実した輝かしい日々に、不本意な形で幕を下ろさねばならないようだった。
劉備にとっても、徐福にとっても不本意な別離であったが、いつまでもそうしてはいられない。
劉備の前を辞した徐福は、自分の馬に歩み寄ったところで、近くにいた兵士に尋ねる。
もうひとつ気がかりなことがあったのだ。
「そういえば、孔明の姿が見えないようだが?」
「諸葛亮さまは、柴桑にむかわれました」
長坂から逃げる途中、劉備は魯粛という人物と遭遇した。
魯粛は孫権の臣で、曹操に対抗すべく、手を結ぶべき相手を探していたという。
渡りに船とはまさにこのことである。
劉備たちと魯粛の思惑は一致し、諸葛亮は魯粛とともに、孫権のいる柴桑にむかったのであった。
「そうか、孫権と盟を結びにいったか。うまくいってくれればいいが……」
事情を知った徐福は友と主君のために祈り、柴桑があるであろう東南を見やった。
彼の憂慮を溶かすように、江水は穏やかに流れている。
かくて、徐福は劉備のもとを去った。諸葛亮との再会をはたせぬままに。
*****
曹操・劉備・孫権。総計三十万近くにもなろうかという将兵が命を懸け、その数倍の人々の人生を大きく左右するであろう赤壁の戦いがせまっているころ。
粉もの普及委員会の会長を自認する私にも、ささやかながら決断のときがせまっていた。
会員番号何番だかは知らないが、会員に名をつらねているであろう許都の荀彧と鄴の司馬懿から、それぞれ手紙がとどいたのだ。
一等地を確保した、と。
どうやら、洛陽で経営しているレストランの、支店を出す時がきたようであった。
……歴史に名高い赤壁の戦いの裏でなにをやっているんだろうと思わなくもないが、庶民には庶民の生活があるわけでして、日常生活をおざなりにするわけにもいかない。
むしろ、そうした非難は官職についている荀彧と司馬懿にこそむけるべきであろう。
……ホント、あいつらなにやってんだろう? 意外と暇してるんだろうか?
丞相府勤務の司馬懿は、その丞相である曹操が出征中だからわからなくもないが、荀彧なんて年がら年中忙しくしてるはずなんだけど。
もしかすると、劉琮があっさり降伏したとの報が伝わって、朝廷の反曹操派がおとなしくなったのかもしれない。
ともあれ、支店を出すとなれば洛陽で働いている料理人を、許都と鄴に割り振る必要がある。
三十万という膨大な数とは比べるべくもないが、私の決断に、数人の料理人とその家族の人生がかかっているのだ。責任重大である。
しっかり個人面談をして、希望勤務地を聞き取っておかねばなるまい。
私は船に乗りこんで、伊水をくだった。めざすは洛陽である。




