第八話 襲撃計画
朝早く、ある門下生が屋敷に駆けこんできた。
「先生! た、たいへんですッ!」
それから、私以外に人がいないことをたしかめるように、きょろきょろとあたりを見まわして、こうつづけた。
「周生が、司馬懿を殺そうとしているんです!」
「なん……だと?」
なんで!? なにが起きたら、そんな物騒な話になるのっ!?
「どういうことだ? どうしてそうなった!?」
おっと、取り乱してしまった。いかん、いかん。
「わかりませんよ! 私だって、昨日、『よそ者に好き勝手されてたまるか。やっちまおうぜ』と誘われたときは冗談だと思ったんですよ……。でもっ! さっき、周生がとりまきをつれて、門の外に出ていくのを見てしまって……。ああ、あれは本気だったんだ、と……」
もう少しくわしく、話を聞いてみる。
周生は、司馬懿の帰路を待ち伏せして、殺害しようと計画しているらしい。
仲間を三人ひきつれて、門の外に出ていったそうだ。
大都市ほどしっかりした城壁ではないが、陸渾も県だ。ちゃんと城壁に囲まれている。
その外、集落から遠い、人目につかない場所で、おそうつもりだろう。
「むむむ……。ともかく、よく教えてくれた。たしか、おぬしの家は……」
「……はい。私の父は、周生の家から土地を借りている小作農ですから、逆らうわけにもいかず、とめることもできず……。だけど、司馬懿は先生の客人ですし、いくらなんでも、これはまずいんじゃないかと思いまして……」
「うむ……」
おおぅ。まるで、私の客人じゃなかったら、まずくないような口ぶり。
乱世ともなれば、民の殺意もマシマシである。あなおそろしや。
「どうしましょう? 司馬懿にも伝えたほうがよいのでしょうか……」
「いや、待て」
と制止して、考える。
この件が表沙汰になれば、計画の成否にかかわらず、周生は士大夫の殺害をもくろんだとして、きびしい処罰をうけることになる。
そして、私も監督不行届だ。
私まで罰せられる、ということはないにせよ、せっかく手に入れた名声には傷がつくだろう。
なにより、司馬懿からどう思われるか、わかったものではない。
入門をかたくなに拒まれたうえに、門下生に命を狙われる。
そんな目にあえば、気分を害したって当然だ。
可愛さあまって憎さ百倍、という言葉もある。
現状、抱いてくれているであろう好意や敬意が、裏返る可能性だって……、ちょっと考えたくありません。
これは……司馬懿にも知られないのが一番でしょう。
「この件は、誰にも口外してはならん」
「えっ?」
「私が周生を説得して、思いとどまらせてみせよう。……そうだな。ひとつ、いい考えがある。おぬしにも協力してもらうぞ」
「は、はい……」
朝食をすませて、いよいよ司馬懿が出立しようかというとき。
さきほどの門下生が素知らぬ顔をして、ふたたびやってきた。
「孔明先生、おはようございます」
「うむ。おはよう」
と屋敷の門の前で、私とあいさつをする。
彼は、馬上の司馬懿をちらと見てから、
「お見送りですか?」
「うむ。今、司馬懿が帰るところだ」
「それは、ちょうどよかったかもしれません」
「む、なにがだ?」
「昨日、市で客商がぼやいていたのです。なんでも、宜陽に向かう山道が、落石でふさがってしまったとか」
宜陽への道は、これから司馬懿が通る予定の道だ。
「そうか。……となると、宜陽に行くにしろ、黽池に行くにしろ、ひとまず洛陽に引き返したほうがよいであろうな」
私は、その予定を変更するようにうながした。
司馬懿の家がある温県と、この陸渾。
行き来するには、途中で洛陽を経由する。
まず、温県から南西に進み洛陽にでる。
洛陽からさらに南西に、伊水をさかのぼるように進むと陸渾がある。
帰りは同じ道を使わず、陸渾の北に位置する宜陽、黽池を経てから、東に進んで洛陽にもどる。
洛陽と陸渾を時計回りに移動するのが司馬懿の移動ルートなのだが、陸渾から宜陽への道が通れないとなれば、伊水沿いの道を引き返すしかないはず。
「そうですね。なに、今回は縁がなかった、ということでしょう。宜陽にも黽池にも立ち寄らず、帰ることにします」
司馬懿はそういって、ゆっくりとうなずいた。
よしっ、望みどおりの返答を引き出せた。
帰り道が変われば、周生の待ち伏せは無意味になる。
「それでは。孔明先生、いずれまた」
「うむ。道中、気をつけてな」
私は、馬に乗って去る司馬懿を見送った。
やがて、そのうしろ姿が小さくなると、ともに見送っていた門下生が、大きく息をはきだした。
「どうでしたか? 先生のご指示どおりにしたつもりですが……」
「おお、よくやってくれた。これで、司馬懿と周生が出くわすことはない。あとは、もう二度とこのような計画は立てぬよう、私が周生を説得すれば、無事におさまるだろう」
周生のとりまきは、いずれも、陸渾の若者だ。
この地での、私の力はかなりすごい。
信望、権力……周生の父よりも、ずっと大きな影響力をもっている。
よほど下手を打たなければ、説得は十分に可能だと思う。
「ところで先生、そのお召し物は……」
「秋らしく、五行にあわせて白を基調にまとめてみたのだが。どうかな?」
私は口元で、羽扇を揺らした。
「え、ええと。この前、教えていただいた……。そうそう、神韻縹渺……でしたか。そんな高雅な感じが……します?」
「うむ。……ウム?」
なんだか微妙な反応だった。
似合っているのか、いないのか、判断に困る。
私がどんな服装をしているかというと、白地に黒いふちどりの鶴氅、頭には綸巾、手にもつのは白い羽扇。
そう。
はずみで購入したはいいものの、ついぞ着る機会のなかった、諸葛亮っぽい服であるッ!
前世でもしたことのなかったコスプレなるものを、古代中国でしてみんとてするなり。(三十六歳男性、妻子あり)
呉に単身でおもむき、なみいる群臣を、論説の刃でばったばったと切り倒していった本物の孔明なら、こんな場面はいとも簡単に切り抜けるにちがいない。
というわけで、本物にあやかってみました。
外見は、説得力を構成する重要な要素のひとつである。
諸葛亮と同じ衣装に身を包めば、説得力アップも間違いなし!
かくして、モブ孔明から、雰囲気孔明にクラスチェンジした私は、周生を説得するべく北へむかうのだった。
馬に乗って、山道を駆ける。
すっかり葉が落ちて裸になった枝に、真っ赤に熟したナツメの実が、辛抱強くぶらさがっている。その枝の隙間から見える空は、寒々とした薄雲におおわれていた。
顔にあたる風が、肌を切りつけるように冷たい。
陸渾にきて、半年あまり。
宜陽への道も、何度か通ったことがある。
周生が待ち伏せている場所の見当はついた。
人目につきにくく、襲撃に適した、山中の隘路だろう。
「周生め。なんという愚かなことを」
おおかた、司馬懿の才能に嫉妬でもしたのだろうが、相手をまちがえている。
官吏になりたいとか、そんな次元の相手ではないのだ。
門下生の浅慮に憤りながらも、不思議と頭は冷えていた。
外気よりも冷ややかな自分が、頭の中から語りかけてくる。
「そもそも、あの司馬懿が、こんなところで死ぬわけないだろ。周生の行動は、どうせ無駄に終わってたのさ」、と。
そうだ。
歴史は、前世の知識どおりに動いている。
今までの経験から、それはわかっていた。
しかし、これからも、私の知っているように動いていくのだろうか?
私がいなければ、司馬懿が何度もこの地を訪れることはなかった。
周生との接点もなかった。
この殺害計画自体が、なかったはずだ。
行動が変われば、結果も変わる。歴史だって……。
「……そんな十年後、二十年後のことなんか、考えてもしょうがないか。なるように、なるしかない……」
そのときになって、考えればいい。
今は周生だ。目の前の出来事に、全力を尽くさなければ。
いつしか、山道は細くなっていた。
馬の足を緩める。
そろそろ、待ち伏せのありそうな場所である。
本当に落石でもありそうな、曲がりくねった、見通しの悪い道を進んでいると、
「むっ?」
人影が見えた。
若者が四人、周生たちだ。
そのうちひとりは弩を手にしていて、そばの木には、馬が四頭つながれていた。
「あっ、孔明先生!」
近づく私の姿に気づいて、周生が私の名を呼んだ。
私は、動揺する彼らの前に、馬を寄せて、
「とうっ」
颯爽と飛び降りる。
グキッ! と足首から脳天に、衝撃がはしった。
視界の端が、涙でにじむ。
ぐっ、こんな大事なときに、威厳が大事というときに……なんたる失態。
なにが、「とうっ」だ。私って、ほんとバカ。
大地の反撃をうけて、私の足首は深刻なダメージを負っていた。
だが、それでも。
なにが起きたか理解した瞬間、私はとっさに羽扇を動かして、口元を隠すことに成功していた。
耐えろ。耐えるんだ。
顔に出しちゃいけない。
ヒッ、ヒッ、フー。ヒッ、ヒッ、フー。
羽扇の陰で、こっそり呼吸をととのえてから。
私は、周生たちを、キリッとにらみつけた。




