第七四話 歴史を変えるために
「さすがだ、郭公則。おぬしに隠しだてはできぬな。ちと荊州情勢について考えていたのだ」
といいつつ、諸葛亮の名は出さない私。とんだ二枚舌である。
これを隠しだてといわずして、なんといおう。
けどまぁ、そこは割愛したほうがいいと思うのだ。
諸葛亮が劉備の旗下に加わった、という情報に特別な意味を見出しているのは私だけなのだから。
郭図は火鉢に手をかざしながら、
「聞くところによると、曹操は鄴近郊に人工の湖をつくり、そこに船を浮かべて、舟師を訓練しているそうでございます。三か月か、六か月か……。どの時点で曹操が納得するかは見当がつきませぬが、今年中に荊州へ攻めこむつもりでしょうな」
建安十三年春一月、曹操は玄武池という人造湖で水軍の調練をおこなっている。意図はあきらかだった。南船北馬という言葉どおりに、南方への進出をにらんでいるのだ。
郭図はあごひげをなで、考えこむ身ぶりをした。
「動員可能な兵力は、曹操軍が少なくとも二十万、劉表軍は多く見積もっても六万ほどかと……。おそらく一年以内に決着がつくのではありませんかな。さらに一年で、江東の孫権を。もう一年で巴蜀の劉璋を。……敵対する勢力が抵抗しようとも、都合三年あまりで、曹操の天下が訪れましょう」
「…………」
なんてこった。
情報入力はまちがってないはずなのに、結論がおもっくそはずれとる!
これが出ると負け軍師、郭公則の底力だというのか!?
とはいえ、多くの人が郭図と同じように考えているだろう。
曹操の天下統一はもはや時間の問題である、と。
けれど、そう簡単にはいかないのだ。
私が無言でいると、郭図はなにやら得心したように、
「戦に巻きこまれる荊州の民を憂えているのですな。まったく孔明どのらしい」
よせやい。
郭図の目にどう見えているかは知らないが、私はそんな聖人君子じゃない。
諸葛亮が加入した劉備軍を警戒しているだけだ。
そんな私の内心を、当然、郭図は知るよしもない。
「ですが、孔明どの。誰かが勝者とならなければ、戦乱がつづくだけでございますぞ。ようやく乱世の終わりが見えてきたのだと、歓迎すべきでございましょう」
たとえ勝者が曹操であっても、と郭図は言葉にしなかった。
いささかならず複雑な心情はあるはずだが、戦乱を厭う気持ちが勝ったのだろう。
「うむ……。それは否定しようがないな」
私はうなずいて同意をしめした。
実際、戦乱の世なんて、さっさと終わらせるに越したことはない。
となると、赤壁の戦いで負ける予定の曹操を勝たせなきゃいけないわけだが……。
はたして、そんなうまくいくのだろうか?
郭嘉が生きてるとはいえ、かなりハードルが高い気がする。
不可能とまでは思わないが。
……過去改変をテーマにした物語に、「歴史の修正力」という言葉が出てくることがある。
タイムトラベラーが過去に介入しても、なんやかんやあって、結局本来の歴史と同じ結末になってしまうという、あらがいようのない巨大な力のことである。
もし、この世界に歴史の修正力とやらが存在しているのなら、お手上げだ。
けれど、死ぬはずだった郭図や郭嘉が生きている以上、そんなモノはないと見ていいように思える。
個人の生死は変えることができても、歴史の大きな流れは変えられないというパターンも考えられるが、おそらくそれもない。
というのも、私がすでにあぶみを発明しているからである。
私の発明品となってしまったのは誠に恐縮でございますが、誰のアイデアであろうと馬具の真価に変わりはないわけでして。
あぶみは便利な馬具として普及するだけでなく、かつて趙の武霊王が取り入れた胡服騎射のように、戦のありかたをも大きく変えようとしている。
胡服騎射の胡とは北方・西方の異民族をさし、胡服とはズボンのことをいう。
春秋戦国時代、中国における戦の主力は歩兵であり、戦車だった。
対して、異民族は弓を手にして馬に乗り、戦場を軽快に走りまわっていた。
その脅威を肌で実感していたのだろう。
趙の武霊王は、自国の軍事力を強化するために、異民族のやりかたにならおうと考えた。
そこで採用したのが胡服である。
当時の大夫(貴族)たちは裾の長い着物を着ており、服装からして乗馬に適していなかったのだ。
当然のことながら、反発は強かった。
なにせ、周辺の異民族を未開の野蛮人と蔑む人々である。
「なぜ蛮族のまねごとをしなければならないのか」
そのような声を押しきって、武霊王は改革を断行した。
彼には先見の明があった。
プライドにこだわらない弾力的な頭脳と、実行力があった。
騎兵が運用されるようになって、成果をあげていくと、批判の声は小さくなっていき、やがて機動力に劣る戦車は戦場から姿を消していった――。
胡服が戦の常識を変えたように、あぶみも戦に変革をもたらしつつある。
北方遊牧民や涼州兵は例外として、漢代の戦の主力はあくまで歩兵であり、騎兵はおまけだった。
騎兵の強みはなんといっても速度であるが、反面、機動力を失って守勢にまわるとひどくもろい。
本来、馬は臆病な動物だ。いかに鍛えようと限度がある。
騎兵はすぐに恐慌状態に陥るし、自陣で暴れまわることすらある。
維持するのに費用はかかるわ、地形上の制約はあるわで、とかくクセの強い兵科なのだ。
そんな騎兵がいままで戦場で担ってきた主な役割は、機動力を生かして敵軍の側面や背面にまわりこみ、矢を射かけることで敵陣を崩し、混乱させるというものだった。
いうなれば、本隊である歩兵に付随する飛び道具である。
ところが、あぶみの登場によって軍馬の使役が容易になり、馬に乗れる兵士も増えた。
統制面の向上、規模の拡大、騎兵部隊は急激に存在感を増している。
これは曹操がうまく運用しているからだろうが、騎兵による一斉突撃で一気に勝負を決めるなんて事例も見られるようになった。
まさに異民族ばりの騎兵戦術を、官軍が使うようになっているのだ。
クセの強さは消せないにせよ、騎兵は歩兵と並ぶ主力兵科になりつつある。
私が死のうが、曹操が死のうが、こうした戦史上の大局的な流れはとまらない。
あぶみが世に出た時点で、もはや不可逆である。
つまり、歴史の修正力とやらが実在するのなら、あぶみの開発を実行に移す前に、私は始末されていたはずなのだ。
馬から落ちて岩に頭をぶつけるとか、足を滑らせて井戸に転落するとかで。
……意外なところで危ない橋を渡っていたものである。
変なことを考えてたせいか、胃がきゅっとした。思わず腹を押さえる。
郭図が気づかわしげに、ピクリと眉を動かした。
「民衆の犠牲を減らす方法もございましょう。……劉表が降伏してくれればよいのですがな」
あいかわらず私の悩みを誤解しているが、彼の発言自体はもっともである。
劉表の跡を継いだ劉琮は降伏する。
そこまではいい。問題はそのあとだ。
赤壁の戦いにおける曹操軍の敗因は、いくつか頭に思い浮かぶ。
そこらへんは、郭嘉経由で改善していけると思う。
けれど、それだけで勝てるのか。どうにも心もとない。
曹操軍が船戦に不慣れなのも、江水が孫権軍のホームグラウンドなのも、動かしようがない事実である。
「孔明どのならば、打てる手のひとつやふたつ、あるやもしれませぬぞ。武を用いずとも、天下の情勢を動かすことはできる。それはほかならぬ孔明どの自身が、証明してきたことでございましょう」
郭図はしみじみといった。
よせやい。私はそんな立派な人物じゃない。
「たとえ徒労に終わったところで、どうということもありますまい。なにもしなかったと、あとで悔いることと比べれば、いくぶんましでございましょう」
むむっ、けだし金言である。
うまくいくか、いかないかじゃない。
やるか、やらないかだ。
なら、答えは決まっている。
いっちょ歴史を変えてやろうじゃないか!
……それにしても。
前提である私の悩みごとは勘違いしたままなのに、出てくる助言は適切だなんて……。
郭図の頭のなかは、いったいどうなってんだろう?




