第七三話 天下三分の計
近ごろ、荊州の民のあいだでは、天下三分の計なる噂話が流れている。
曹操が華北に覇を唱え、孫権が江東を制圧し、荊州の劉表が益州の劉璋と手を組む。天下を三勢力に分かつことで、三本足で立つ鼎のように均衡を保つという策である。
「天下三分の計か……。新野でも襄陽でも耳にしたことはある。たしかに、実現すれば曹操とも戦えるのだろうが……」
劉備は困惑の目つきで諸葛亮を見かえした。
諸葛亮はうなずき、断言する。
「はい、とうてい実現しえぬ、夢物語でございます」
問題は一目瞭然だった。
劉表と劉璋との領境では、いつ果てるともなく抗争がくり返されている。
同じ魯王劉余を祖にもちながら、彼らはたがいに親和の念をかけらも抱いていないのだ。
仮に盟約を結んだとして、どれほど信を置けよう。
曹操との戦がはじまって、背後ががら空きになれば、いつ劉璋軍が侵攻してくるかわかったものではない。
これで手を組もうなど、どだい無理な話である。
「ですが、もし荊州と益州の主がひとりであったなら、どうでしょうか?」
「……私に、荊州と益州をうばえと?」
劉備の声が低くなった。
「お嫌ですか?」
「劉璋はともかく、劉表どのは新野をあずけてくれた恩人だ。できれば裏切りたくはない」
諸葛亮は劉備の実直げな表情を眺め、ゆっくりとまばたきした。
「もともと天下三分の計とは、南郡蒯氏の祖先である蒯通が、韓信に献じた策でございます」
楚漢戦争期、弁士の蒯通は、名将の誉れ高い韓信に、劉邦のもとから独立して、漢の劉邦・楚の項羽と並び立つように説いた。
これが天下三分の計である。
韓信は悩んだすえに、その献策を拒絶したが、結局は劉邦に処刑されてしまう。
その際、蒯通の策に従っていれば、と嘆いたといわれる。
「荊州にゆかりのある人物の策とはいえ、そのような昔の策が、どうしていまになって広がっているのか。我が君はおわかりですか?」
「戦乱がせまっているのだ。民の声に耳をかたむけていると、曹操軍の南下におびえているのがよくわかる。あれこれと噂話も生まれるであろう」
「おびえが生んだ噂話であると同時に、願望が生んだ希望的観測でもあるのです。こうすれば曹操の南下を防げるのではないか。戦乱に巻きこまれずにすむのではないか。民のそうした淡い願いが、天下三分の計という形となってあらわれたのでございます」
保境安民という観点で見れば、劉表はまずまず名君といってよい実績を残してきた。
郷里が戦火に呑まれることなど、誰も望んではいない。
荊州の民は、はかない夢物語だとわかっていても、望まずにはいられないのだ。
劉表が往年の辣腕ぶりを発揮して、劉璋と講和し、曹操軍の侵略をはねのけてくれることを。
「ですが、劉表さまの体調は思わしくありません。お年を考えると……」
回復の見こみはうすい、とは口に出さず、諸葛亮はまつげを伏せた。
沈黙にはさらなる意味がふくまれている。
すなわち、荊州の民が願う天下三分の計を叶えられるのは、劉表ではなく劉備である。と彼は言外に告げているのだった。
「たしかに、劉表どのはご高齢だ。衰えは隠しようもない。……だが、荊州の民が劉表どのに強くあってほしいと願うのなら、荊州を盗むのではなく、劉表どのをささえるのが私の役目なのだろう」
かつて劉備は、陶謙から徐州をゆずりうけたことがある。
盗んだのではない、ゆずりうけたのだ。
こうした点はまちがいなく劉備の美徳なのだが、良識に拘束されていて、はたして曹操に対抗できるのだろうか。
諸葛亮は苦い気分に支配されそうになったが、彼の懸念を、劉備は平然と一蹴した。
「だがそれも、劉表どのが強くあろうとするかぎりだ。懦弱の道を選ぶようであれば、そうもいってられん。曹操にむさぼられるくらいなら……、私が荊州を手にいれる。そして、劉表どのの代わりに天下三分の計とやらを実現させてみせよう」
劉備は乱世を生き抜いてきた男なのだ。お人好しであるはずもなかった。
単なる善性の人物であれば、幽州牧の劉虞のように、乱世の波にあえなくさらわれていたであろう。
わずかではあるが、これで道はひらけた。
諸葛亮は安堵の息をついた。
彼の心が無防備になった、まさにその瞬間だった。
「諸葛亮どの、いや、これからは孔明と呼ばせてもらうが……」
自分が不意をつかれたことを、諸葛亮は認識した。
劉備は口元に笑みをかたどり、
「正しいことばかり述べようとしなくてもいい。正しかろうと結果が散々なこともあるし、どうしてうまくいったのか説明がつかぬときもある。かしこまって窮屈そうにしていられるより、思いついたことをそのまま伝えてくれたほうが、私はうれしい。それができてこそ、真の主従といえるのではないか」
おおらかな、影の感じられない微笑を前に、諸葛亮はいくぶん意識して表情を消さなければならなかった。
なにもかも、見透かされているような気がしたのだ。
劉備と曹操の器量を比較していたことも。
荊州を守らなければ、と気負っていたことも。
敵軍の強大さを考えるあまり、余裕を失っていたことも、なにもかも。
どちらがより追いつめられているかといえば、劉備のほうであるはずだった。
極論すれば、諸葛亮は曹操打倒をあきらめさえすれば、田舎で安穏と暮らしていけるのだ。
だが、曹操暗殺未遂犯である劉備はそうもいかない。
逃げ切らなければ、死あるのみ。
さらには大勢の仲間を食わせていく責任もあろう。
にもかかわらず、劉備は諸葛亮よりよほど落ち着きはらっている。
二十年という人生経験の差はけっして小さくないが、彼らのあいだにある差はそれだけではなかった。年月だけでは埋めえぬなにかが、諸葛亮の心を打った。
晴れやかな表情で、彼は頭を下げた。
それまで抱えこんでいた打算や思惑を捨てて、らしくもない、頭のなかをからっぽにした諸葛孔明がそこにいた。
彼らが書堂を出ると、待ちわびていたのだろう、関羽が泰然と、張飛が足早に歩みよってくる。
劉備と諸葛亮のうちとけた様子を見るや、張飛は虎髭をふるわせ、挑戦状をたたきつけるような語気で呼びかけた。
「やい、諸葛亮! 俺たちを武辺者とあなどるなよッ!」
万夫不当の豪傑は、左手の親指で自分の胸元を指ししめす。
「いっておくがな! この張飛さまは、あの孔明先生に『きれいな文字を書きますね』と、お褒めの言葉をもらったことだってあるんだからなッ!!」
まったく予期していなかった言葉に、諸葛亮はなにも返答できず、ただただ目を丸くするのだった。
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見える……、見えるぞッ!
私には本物の孔明の動きが手にとるように見えるッ!
そらそうよ。
だって本人から連絡がとどくんだもの。
劉備に仕えることになりました、って。
「やっぱりこうなったか……。厄介な」
私だって、ただ手をこまねいていたわけではない。
諸葛亮と手紙のやりとりをするなかで、「洛陽に遊学してみないか」と誘って、それとなく劉備から引きはなそうと試みはしたのだ。
けれど、諸葛亮は荊州をはなれようとしなかった。
はなれがたいのは当然だろう。
彼にとって荊州は、故郷を失い、各地を放浪して、ようやくたどりついた別天地なのだから。
姉二人が名家に嫁ぎ、自身も名家から嫁をもらった。
諸葛亮は荊州に骨をうずめるつもりでいるのだ。
彼の手紙の端々からは、第二の故郷への郷土愛がひしひしと伝わってくる。
第二の故郷である荊州を、曹操軍の侵略から守りたい。
そうなると選択肢はかぎられる。
劉備に仕えるか、それとも劉表に仕えるか。
この二択、じつは二択としてあまり機能していなかったんじゃないか、といまになって思う。
なぜなら、スーパー軍師諸葛亮といえど、現時点では有望な若者のひとりにすぎないからである。
名家出身者にも優秀な官吏にも不自由していない劉表からしてみれば、諸葛亮を特別あつかいする理由はない。
特別あつかいというと語弊があるかもしれないが、ようは意見を聞いてもらえるかどうかだ。
数年後ならばともかく、現時点において、諸葛亮のはたらきかけによって劉表の動きが左右される可能性はきわめて低い。即効性がないのである。
対照的に、荊州の士大夫たちとのつながりがうすい劉備にしてみれば、諸葛亮はのどから手が出るほどほしい人材だ。
彼は荊州土着の士大夫でこそないが、襄陽の名家・豪族としてそれぞれ頂点に立つ、蒯氏・蔡氏とすら姻戚関係にある。
劉備が荊州でなにかをしようと思えば、新参者であろうと、まずは諸葛亮に相談してみるだろう。
いきなり、主君の相談役という重要なポジションに抜擢してもらえる。
曹操軍の南下に対抗すべく、なんらかの有効なアクションを起こそうと思えば、ほとんど劉備一択に近かったのではないか。
諸葛亮が劉備に仕えたのは、運命や相性以前の必然だったのかもしれない。
それはさておき、諸葛亮加入によって劉備軍が大幅に強化されたのは確定的にあきらかである。
「曹操軍が赤壁で負けるフラグが立ったような気がする。ピコーンと」
一級フラグ管理士をめざす私が考えこんでいると、郭図が主屋にもどってきた。
どうやら、学堂でおこなっていた講義が終わったらしい。
隣邑に居をかまえた郭図だが、まだ引っ越したばかりで、生活基盤は整っていない。
落ちついて暮らしていけるようになるまで、とりあえず月に数日ほど、うちの私塾で非常勤講師をしてもらうことになったのだ。
靴を脱いで板の間にあがる一瞬、郭図は怪訝そうな顔をした。
そして、私と同じように、筵の上に正座をすると、
「なにか悩みごとでございますかな? 孔明どの」




