第六五話 蹋頓の野望
のんびりと昼寝をしていた蹋頓は、涼やかな風に頬をなでられ目をさました。
幽州遼西郡に吹く秋の風は心地よい。
中原の人々は肌を刺すように冷たく感じるそうだが、彼には信じがたいことであった。
「はて、中原の連中が軟弱なのか。それとも、われわれが頑丈なのか」
大きくあくびをしながら、寝台から起きあがる。
曹操軍が撤退をはじめたと聞いてから、蹋頓は上機嫌だった。
曹操の大軍勢とまっこうから戦になれば、負けるとまでは思わないが、少ない被害で勝てるとはより一層思えない。できることなら、このまま戦わずにやりすごしたいところである。
曹操が布告したのは、烏丸討伐の延期であって、中止ではない。
だが、そう思惑どおりに進むものか、と蹋頓は思う。
「秋冬になるのを待って進軍を再開するだと? ふん、もう秋だぞ。いっこうに動く気配がないではないか」
冬が近づくにつれ、寒さが烏丸に味方する。
地の利にくわえ、天の時も曹操軍は失いつつあるのだ。
では人の和は、という疑問に、蹋頓はみずから答えを出すことができた。
一日ごとに山のような兵糧を消費し、千里の悪路を踏破して、勝利したところで金銀財宝や肥沃な土地が手に入るわけではない。
「そのような愚かな遠征を、将兵たちが支持するはずもあるまい」
烏丸としては、地の利をいかして万全の布陣をしき、ねばり強く戦っていればよいのである。
寒さに音をあげなかったとしても、そのうち南方で騒乱が起きる。
曹操もこちらにかかずらっている余裕などなくなるであろう。
「曹操と敵対してまで、袁譚をかくまう理由はない」
「烏丸の将来を考えるなら、袁譚の首を斬って、曹操と和を結ぶべきだ」
との声もあるが、なんと浅薄な判断であろうか。
蹋頓は、なにも仁義ゆえに袁譚をかくまっているのではなかった。
烏丸の将来を見すえているからこそ、袁譚に利用価値を見いだしたのである。
現在、蹋頓たちの領土は遼西郡を中心に三郡にまたがっている。爪の先ほどのせまい地域だ。夏は水害に悩まされ、冬は大地が凍りつく。めぐまれた土地とはいえなかった。そのうえ鮮卑との勢力圏争いでも、烏丸は苦戦を強いられている。
彼らは苦境に立たされているのだ。
曹操と和を結んだところで、それは変わらない。
現状のままでよしとするのは、危機意識の欠如というものである。
この状況を打開する鍵が、袁譚の存在であった。
曹操が南に軍を動かせば、蹋頓は河北の曹操領を切りとるつもりでいる。
「わが軍だけでも侵略はできるが、統治するとなるとむずかしい。だが、河北を統治していた袁家を利用すれば、民衆の反発もおさえられよう」
袁譚を対曹操の矢面に立たせて南下させ、その背後で烏丸領をひろげていく。
そして、いずれは烏丸族の国家を建ててみせる。
志の小さな者は、夢物語だと笑うかもしれない。
しかし、かつてこの地には燕という国があった。
燕の国土に匹敵する領土を支配できれば、夢は現実のものになろう。
布石はすでに打っている。
烏丸の単于として知られる蹋頓は、じつは単于ではない。
彼は指導者としての実権は握ったまま、すでに単于の座をしりぞいていた。
先代の烏丸指導者は、蹋頓の従父である丘力居だった。
蹋頓から単于の座をゆずりうけたのは、丘力居の子・楼班である。
つまり、三代にわたって同じ血族から指導者が輩出されようとしているのだが、これはきわめて異例のことであった。
もともと烏丸では、もめごとを裁くことができる実力者を、族長として選出していた。世襲制ではなかったのだ。
その伝統や風習を、蹋頓は変えようとしている。
いちいち後継者争いで紛糾していては、安定した体制など望めないからである。
いまの数倍の領土を有したうえでの、世襲王権制による国家の樹立。
それが彼の思い描いた、烏丸の将来像であった。
実現すれば、烏丸の力は鮮卑を大きく上まわる。
蹋頓自身も烏丸国の高祖として、絶大な権力を手にするであろう。
執務にもどるために、彼は部屋を出た。回廊を歩いていると、部下があわてた様子で駆けよってきて、ひざをつく。
「蹋頓さまっ! 一大事にございます! 曹操軍が大凌河の渓谷を進軍しておりますっ!」
斥候はなにをしていたのだ!
怒鳴りつけそうになるのを、蹋頓はかろうじてこらえた。
「どういうことだ。子細を話せ」
冷静に問いただそうとするが、蹋頓の顔は怒りでひきつっている。
部下は身をちぢめて、激発寸前の主君を刺激しないよう、できるだけ整然と報告した。
曹操軍撤退のうわさが流れると、烏丸の斥候たちは真偽をたしかめるために、危険を承知のうえで敵地に忍びこんだ。
そこで目にしたのが、進軍延期の旨を告げる立て札である。
誰よりも早くこの知らせを持ち帰れば、手柄になるだろう。
そう考えた斥候の多くは、さきを競うように柳城に帰還した。
なかには用心深い斥候もいて、彼らは立て札が偽報ではないか、とうたがった。
帰還をおくらせて、さらに調査してみたが、たしかに曹操軍は撤退したという。
こうして曹操軍が撤退したことをたしかめると、敵地に長くとどまるわけにもいかず、斥候たちは全員、烏丸領に引き揚げたのだった。
ところが、曹操軍はひそかに転進し、山岳地帯の道なき道を進んで、柳城をめざしていたのである。
否、道はなくとも、廃道があった。
発見するのがおくれたのは、通行不能なはずの廃道を行軍していたためである。
現在、曹操軍は柳城から二百余里の地点にいる……。
「つまり、わが軍の斥候はみごとにだまされたのだな」
蹋頓ににらまれ、部下はふるえあがった。
「はっ。……面目ありませぬ」
「まあよい」
廃道の存在を見落としていたのは、蹋頓自身にも責任がある。
迂闊だったかもしれない。が、警戒できるはずもなかった。
烏丸族がこの地に移住したとき、その道はとうに廃道になっており、彼らはそこに道があると認識していなかったのである。
「ちっ、……大凌河の渓谷、二百余里か」
蹋頓は舌打ちして、すばやく距離を計算した。
意表をつかれたが、まだ猶予はある。
この時点で発見できたのは、さいわいというべきであろう。
「そもそも、一戦もまじえずに曹操軍が引き揚げるなど、虫がよすぎる話であったか」
苦虫をかみつぶしたような表情で、蹋頓はいくつかの指示を出した。
彼の執務室に、袁譚が呼びだされたのは、その直後のことであった。
袁譚が領土を放棄して烏丸に身を寄せたのには、やむをえない事情があった。
部下の造反にあい、泥沼に陥ってしまったのだ。
曹操軍が攻めてきても戦うどころではない、と悟った袁譚は涙をのんで、柳城に落ちのびざるをえなかったのである。
流浪の袁譚軍を構成する主だった将は、弟の袁煕・郭図・王修。兵数は約五千である。
よくついてきてくれた、と袁譚は思うが、いまの彼に五千の兵士を食わせていく力はない。
兵力を維持できるかどうかは、蹋頓のさじ加減ひとつであった。
……のだが、烏丸の支配者が見るからに機嫌をそこねていたので、袁譚はいつも以上に腰を低くしなければならなかった。
「……して、蹋頓どのはいかように対処するおつもりでしょうか」
曹操軍の接近を告げられた袁譚の両眼には、さぐるような光が浮かんでいる。
「そう警戒せずともよい。袁譚どのを売りわたすようなまねはせん」
「では、ともに曹操軍と戦ってくれる、と」
「むろん」
返答を聞いた瞬間、袁譚は全身から力が抜けるのを実感した。
彼は楽観主義ではなかったから、蹋頓の合図とともに、周囲の烏丸兵たちが剣を抜きはなつ、という最悪の展開を想像していたのである。
どうやらこの場での無駄死にはまぬがれたようだが、そうなると問題は一点に絞られる。どうやって曹操軍に勝つか。
袁譚は悔しげに、
「曹操は強い。認めたくはありませんが……」
「勝算はある。敵全軍を相手にする必要はないのだ」
「と、いいますと?」
「速度が重要になる。急ぎ出陣すれば、敵全軍が間道を抜け出すより早く、戦端をひらける。うまくいけば間道の出口をおさえることもできよう」
なるほど、と袁譚はうなずいた。
大軍といえど、曹操軍が山岳地帯の隘路を行軍している以上、後方の部隊は戦闘に参加できない。
戦力として数えることができるのは、隘路を抜け出した部隊のみである。
袁譚の胸は高揚した。
勝機はある。ようやく勝機が見えた。
領地を捨て、異民族に庇護をもとめるという恥辱の判断を、悔いるときもあったが、彼はまちがっていなかったのだ。
「ならば、われらに先陣をおまかせくだされ」
「いや、戦は最初が肝心だ。私みずから先陣をきる」
蹋頓はにべもなく拒絶した。
「なにも袁譚どのを軽んじているわけではないぞ。だが、貴殿の身になにかあっては困るのでな。約束はおぼえていよう」
蹋頓の目は笑っていない。
相手をためすような、威伏させるような眼光に、袁譚は慎重に応じた。
「私が鄴を奪還したあかつきには、幽州の統治を烏丸にまかせる。わかっております」
これも屈辱の誓約だった。
烏丸に幽州をゆずりわたして、袁煕をとどめおく。
長く幽州刺史の任にあった袁煕が助力すれば、幽州の統治もやりやすくなろう。
半分は、弟を人質として差しだすようなものである。
「北は私が鮮卑をおさえ、南は袁譚どのが曹操を倒す。われらの利害は一致しておる」
「…………」
誰がだまされるか。表情に出ないよう、袁譚は努めた。
幽州を手に入れれば、つぎは并州か。それとも冀州北部か。
一州で満足する蹋頓ではあるまい。
もっとも、相手を利用しようとしているのはお互いさまである。
袁譚も初心ではない。
蹋頓の協力が善意によるものでないことは、もとより承知のうえであった。
「すでにわが軍は出陣の支度を急いでいる。袁譚どのも急がれるがよい」
「はっ……」
おそれいりながら、無力の味をかみしめながら、あらためて袁譚は自分に言い聞かせる。
敵は曹操だ、と。
いまは、蹋頓に頭を下げるしかないのだ。
いまはまだ……。
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秋晴れさわやかな昼下がり。
わが家を訪れた司馬懿が、照れくさそうにいった。
「じつは……子どもをさずかったようなのです」
「おお、それはめでたい」
おめでとう……! おめでとう……! 心からおめでとう!
「つきましては、もし男児であれば、師と名づけたいと思っているのですが……。よろしいでしょうか?」
「うむ? よいのではないか?」
当然のように、私はうなずいた。
だって、司馬懿の長男・司馬師といえば、晋の礎を築く重要人物なわけで。
別の名になってしまったら、そっちのほうがおどろきである。
「ありがとうございます」
司馬懿は平伏して、感謝の念を述べた。
そんなにかしこまらないでほしい。
だいたいにして、私に許可をもとめるような話でもない。
司馬家の子の名を決める権限なんて、私にはないのだから。
まあ、律儀な司馬懿さんらしいといえば、らしいのでしょうが。
司馬懿の用件はそれだけだったのだろうが、世間話をしていると、どうしても政治や軍事が話題になる。
目下のところ、私たちの意識を占めているのは、やはり柳城遠征であった。
「もし袁紹が生きていれば……。袁譚ではなく、袁紹が敵手であったならば、もっとたやすく討ちとれたのではないでしょうか。少なくとも、ここまで厄介なことにはならなかったように思います」
と、司馬懿は思慮深げに首をひねった。
「……ふむ?」
普通に考えれば、袁紹より袁譚のほうが与しやすいはず。
けれど、司馬懿の意見はちょっとちがうみたいだ。




