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第五八話 孔明、光を放つ


 洛陽の鍾繇は、賈逵カキが寄こした使者に問いただした。


「つまり、賈逵は叛徒にくみしてはいないのだな」


「はい、賈逵さまに二心は微塵みじんもありませぬ」


 使者の言によると、賈逵はなんの不幸か、張琰チョウエンが反乱を起こしたときに、たまたま彼の屋敷を訪れていたそうだ。


 偶然ではないだろう、と鍾繇は思わざるをえない。

 張琰のほうにも、邪魔者になるであろう澠池ベンチ県令を拘束するか殺害してしまおう、という目算があったのだろう。


「このままではとらわれの身となってしまう。しかたない、うわべだけでも同調してやるか」


 そう判断した賈逵は、反乱に協力的な姿勢を示してみせた。

 さらに、同謀者を得てよろこぶ張琰に、


「澠池県の治所があるレイ城は、少し城壁に手をくわえれば、官軍が攻めてきても容易には落とせない堅固な城となろう。蠡城に拠点をうつすべきだ。どうかな張琰どの。私に手勢を貸してもらえれば、さきに蠡城に入って城の普請ふしんを済ませておくが」


 と、ささやいたのである。


 うかつな張琰は、四百の兵を貸しあたえてしまった。


 まんまと兵を騙しとった賈逵は、その兵たちに道理を説いて張琰から離反させると、防衛の準備を万全にととのえた。むろん想定される敵は、官軍ではなく張琰軍である。


 そうとも知らずにのこのこ蠡城にやってきた張琰は、かたく閉ざされた城門をまえにわめきたてた。


「た、たばかったな、賈逵ッ!」


「ハッ、間抜けがやってきたぞ。たった三千の兵で朝廷に背こうとは片腹痛い。猪でももう少し知恵がまわろう。この愚か者めが」


 敵味方が注視するなか罵倒を並べたてられた張琰は、顔を真っ赤にして蠡城攻撃の命令をくだした。


 しかし、もともと三千の張琰軍は、四百を騙しとられて二六〇〇に減じている。

 対して賈逵軍は、蠡城の守備兵に四百を足して、一五〇〇にまで増加していた。

 この程度の兵力差であれば、城とはそう簡単に落ちるものではない。


「賈逵さまは援軍の派遣を要請しております。『張琰軍は蠡城を攻めあぐね、立ち往生している。叛徒が城外にいるいまこそ、殲滅の好機である』と」


 使者の言葉に、鍾繇はわずかに眉を動かして、


「洛陽の軍は動かさん」


 体裁をとりのぞいていうなら、動くに動けない。

 厄介なのは、洛陽盆地の内部で反乱が生じていることである。


 洛陽は首飾りのようにつらなる八つの関によって守られているが、城そのものは脆弱なのだ。関の内側、どこから敵が湧きおこるかわからない現状、洛陽を空にするわけにはいかなかった。


「そんなッ!?」


 冷淡に思える返答に、使者は悲鳴を発した。


「案ずるな。すでに馬超軍が澠池にむかっている。野戦になるのであれば好都合だ。到着したその日のうちに、張琰軍など撃破してくれるであろうよ」


 望んだ回答を得て、使者は重荷がおりたように安堵の色を浮かべた。


 援軍を呼んだのはわしだぞ。といってやりたくなりながらも、そのような稚気より、鍾繇の意識は賈逵にむけられた。


 賊にとらわれそうな危機を切り抜け、兵を騙しとり、張琰を城外におびきよせているのだ。才気といい、胆力といい、刮目すべきであろう。


「賈逵も杜畿トキもよくやる。さしずめ埋伏の毒といったところか」


「杜畿……さまも、ですか?」


 使者は不思議そうに尋ねた。


「うむ。河東でも衛固エイコという豪族が反乱を起こしているのは、おぬしも知っていよう」


「はっ、存じておりまする」


「おりしも杜畿が河東太守として赴任するところだったのだ。反乱勃発の報を知っていたにもかかわらず、杜畿は河東にむかってしまった。太守として衛固の説得に当たる、といいのこしてな。それも、わずかな従者と一台の車のみでだ」


「軍もともなわずに? それはあまりに危険では……」


「うむ。衛固軍の動きがにぶいところを見ると、それなりにうまくやっているのだろうが……」


 そこで鍾繇はいったん言葉を切った。


 責任感が強いのはけっこうだが、みずから進んで激流に身を投じようとは、どうかしている。


 たしかに、必要とあらば鍾繇とて無茶をすることもある。

 だがいまのところ、そこまでせっぱつまった状況ではない。


「許都から夏侯惇、関中から馬超が援軍として送られてくるのだ。彼らの到着を待てば、おのずと事態は好転するというのに……。己の才覚に自信がある者ほど、周りの人間をたのもうとしないのかもしれんが。まったく、どいつもこいつも」


「どいつもこいつも、でございますか?」


 と使者は首をかしげる。

 鍾繇は辟易へきえきしたように眉根を寄せ、口をとがらせた。


「いやなに、目つきがうるさいやつがおってな。うっとうしくてかなわんから、部隊を編成して陸渾に追い払ってやったわ」


「はぁ」


「ふん、たった二百人の小部隊では、なにもできんだろうが……。まあ、よい。若いころは、向こう見ずなくらいでちょうどよかろう」




 朝日を浴びて漢朝の旌旗せいきが燦然と輝く。


 目つきのうるさい若者がひきいるわずか二百騎の部隊は、黒山賊から解放された陸渾を経由し、澠池へむかっていた。


 この部隊は什長じゅうちょう以上の立場にある者から選抜されており、全員が馬に騎乗している。憎まれ口をたたいていた鍾繇だが、大軍を動員できない状況下で、せめてもと精鋭を送りだしていたのである。


「このまま北に進めば、今日中にも黒山賊の最後尾に追いつくでしょう。……どうしますか、隊長」


 普段は部下をたばねているだけあって、彼らはただいわれるままに動く人形ではなかった。

 自分たちがどのような目的で編制されたのかを、ひとりひとりが自覚していた。


 孔明救出――それが彼らに課された使命である。


「張白騎と交渉の席を設けるつもりだ。その席で、孔明先生の居場所をつきとめる」


 黒馬にまたがった黒衣の隊長、司馬懿は兵の疑問にそう答えた。


「つきとめたら?」


「奇襲をしかけて、先生の身柄を奪いかえす」


「たった二百名で可能でしょうか」


「一撃離脱が前提となる。そのためにも先生の居場所を正確につかまなければならない」


「孔明先生の居場所がわからなかった場合は、どうするので?」


「偽りの好条件を提示して、酒宴でもひらいてやろう。そして、その場で張白騎を斬る」


「ほう……。ぬかよろこびさせたうえで騙し討ちとは……」


 兵は愉快そうに顔をほころばせると、


「いやいや、隊長は戦がお強そうだ。人がよくては戦に勝てませぬからな。――なんだ? あの光は」


 彼らはまぶしそうに目を細め、顔をしかめた。


 山麓に建つ古塔が、まるで彼らの目を痛めつけるかのように、白いぎらぎらした光を放っている。おそらく、鏡のようなものが太陽を反射しているのだろう。


「ちっ、どこの子どものいたずらだ」


 兵は舌打ちしたが、司馬懿はその意見にうなずかなかった。


「いや。われわれに合図を送っているのかもしれぬ」


「……ならば、黒山賊が伏兵をひそめていて、われわれをおびきよせようとしているのではありませんか?」


「罠があったとして、あのような奇抜な方法で官軍を誘いこもうとするか?」


「……いえ」


 そう、普通はもう少しそれらしい方法を用いるはずである。

 だが常識の枠にとらわれない発想をする者ならばどうだろうか。


 たとえば、孔明のような。

 あの古塔にいるのは孔明の手の者か、もしかすると本人かもしれない。


 その可能性が頭をかすめた時点で、司馬懿の心は決まっていた。


「行ってみるぞ」


「……はぁ」


 不満顔の兵たちをひきつれ、司馬懿は街道を進んだ。


 ふと思い出す。


 かつてこの道で、周生シュウセイという男が司馬懿の暗殺をもくろんだことがあった。

 そのときは孔明が走りまわり、暗殺を未然に防いだのだ。

 今度は司馬懿が孔明を救おうとしているのだから、この道にはなにかしらの奇縁があるのかもしれなかった。


 ややあって、前方に黒山賊の背中が見えた。

 さいわい賊徒の数は十数名と少なく、武装に身をかためた二百騎の集団を見るや、彼らはあわてて北へ逃走していった。

 黒山賊の殲滅が任務ではないのだから、見逃しても支障はない。


 そこからすぐのところに、古塔へとむかう山道はあった。

 道というより、道だったというべきであろう。

 草木が生い茂った幅の狭い山道は、馬での行軍に苦労しそうである。


 司馬懿は部隊をふたつに分けると、半数に馬をあずけて街道の脇に待機させ、残り半数とともに徒歩で山に入った。


 ほどなくして、いかにも幽霊が好みそうな寺門にたどりついた。

 警戒したまま、朽ちた敷地内に足を踏み入れる。そこで、


「おーい!」


 と頭上から声がかかり、彼らは晴れわたった空を仰ぎ見た。

 古ぼけた塔の上に師の姿を見つけ、いち早く司馬懿が声をはずませる。


「先生! よくぞご無事で!」


「仲達。よく来てくれた!」


「いまお迎えにあがります!」


 黒山賊に連れさられた孔明が、なぜ廃寺にいるのか。

 どのような手段で賊から脱出しえたのか。

 疑問と興味は尽きないが、さしあたって重要なのは、ここに孔明がいることである。


 きわめて困難に思われた彼らの任務は、どうやら彼ら自身の努力とは別の要因によって達成できたようであった。


 司馬懿は数名の部下とともに古塔に歩み入った。

 窓から射しこんだ朝日が光の筋となり、そのなかを大量のちりが舞っている。

 きしむ階段をあがりきった彼らは、窓辺に立つ孔明を見て、衝撃をうけたように動きをとめた。


 ――このとき司馬懿に随伴した兵たちは、のちに語り広める。


「孔明先生は羽扇を手に悠然とお立ちになっていました。そのお身体からだは白い後光に包まれ、この世のものとは思えぬほど犯しがたい、超然とした空気をまとっていらっしゃいました。神々しく、きよらかなそのお姿をまえに、畏敬の念に打たれぬ者がどこにおりましょうか。神仙が人の世に姿をあらわしたならば、まさにこのような姿をとるにちがいない。私たちには、そう思えてなりませんでした……」


 もちろん孔明は発光していないし、なんの意図もなく突っ立っていたにすぎない。

 逆光と塵がおりなした幻影である。誤光であった。




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― 新着の感想 ―
>>もちろん孔明は発光していないし、なんの意図もなく突っ立っていたにすぎない。  逆光と塵がおりなした幻影である。誤光であった。 うーむ…。まさに、歴史は「造られる」ってやつですなwww 古代では「…
[良い点] 無事に再会できて、また名もちょっぴり上がってよかったですね。
[良い点] 誤光www [一言] こちらの孔明さんも(ある意味)ビームを放つとは思いませんでしたw かつて某無双であちらの孔明さんが初めてビームを放ったのを見た時には「なるほど、○栄さんはこれがやりた…
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