第五一話 鄴攻城戦
建安九年二月。私は青嚢書を献上すべく、許都にむかった。
ようやく、といった感じだが、遅くなったのは私ではなく、曹操のせいである。
許都に帰還した曹操が、なかなか再出陣してくれなかったのだ。兵糧をためたり、朝廷ににらみをきかせたり、いろいろやることがあったんだろう。
年が変わって曹操が河北にむかい、人材コレクターに圧迫面接される可能性がなくなったところで、私はのびのびと荀彧の屋敷を訪れたのであった。
「おそらく、曹操さまより私のほうが、華佗の医療技術を高く評価していたのだろうね」
と、荀彧は青嚢書に視線を落としながら、恨めしげに、
「孔明。私はできれば、華佗には宮廷に残ってほしかったのだが。……ひきとめてくれればよかったのに」
「華佗の年齢を考えれば、もう十分であろう。そもそも宮仕えを拒否してる私に、どうして彼をひきとめることができようか」
私の返答に、荀彧はため息をついた。
「それはもっともだ。……けどなあ。優秀な人材が、君にならって野にくだってしまうと、こちらが困るのだが」
「漢王朝の人事権を握り、中原を支配しているのだぞ。それで人材が足りないとは、荀文若ともあろう者が、ずいぶん贅沢なことをいうようになったものだ」
「いくらいても困るものではなかろう」
「まあ、鄴を落とせば、袁譚の家臣がだいぶ流れてくるであろうよ」
鄴は袁譚の本拠地だ。私が心配してる潁川組も、そのほとんどは鄴に居をかまえている。彼らが味方になれば、荀彧の仕事だって楽になると思う。
「うむ。……ところで、そこにある大量の写本だが」
といって荀彧は、床にうずたかく積まれた青い嚢の山をながめた。
納期がおくれたことで、いいこともあった。写本の量が増えたのだ。ひとりで運べそうになかったので、門下生にも数人、同行してもらった。
これだけあれば、帝と曹操に献上するだけでなく、荀彧、郭嘉、陳羣たちに配ってもあまりある。
「この書物の山を運んできた君の門下生たちのなかに、おすすめの人材はいるのかな。司馬懿のような」
無理をいいおる。
「司馬仲達を育てたのは司馬家であって、私ではないと知っておろうに」
「なにも司馬懿のような大器とはいわん。太守や県令の器量があれば十分だ」
「十分すぎるわ」
「ハハハ」
荀彧は笑うと、青嚢書を文机においた。
「この書を読んでいると、医術を学問として体系づけようとしていた華佗の苦労がうかがい知れるよ。……では、青嚢書はたしかにあずかった。どうせ、陛下に拝謁するつもりはないのだろう?」
訊くだけ無駄、といった調子で荀彧はいった。
「うむ。宮廷に近づくつもりはないのでな」
「あいかわらず欲がないな、君は」
ふふふ。私、知ってるよ。
のこのこ朝廷に顔を出したら、朝臣に呼びとめられて、
「じつは……奸臣曹操をどうにかして排除できないか、と陛下はお考えでしてな」
なんて、曹操暗殺計画に巻きこまれちゃうんでしょ。
劉備みたいに! 劉備みたいに!
そんなの絶対にNO!!
だから謙虚な私は、絶対に朝廷に近づいたりなんかしない! のである。
*****
鄴城が曹操軍によって包囲されるのは、昨年の夏以来のことである。その兵数は約六万と、守備側の二万にくらべると三倍にもなる。
野戦であれば袁譚軍の兵士たちは、少なからず怖じ気づいたであろう。しかし攻城戦において、三倍の兵力差は有利とも不利ともいいきれなかった。
曹操軍はまず雲梯や衝車をそろえて攻めよせたが、守備の総指揮をまかされた審配は堅実に対処をし、攻城兵器が城壁にとりつくのを許さなかった。
「妙だな……」
一見、戦況は順調だが、審配の胸中には疑念がひろがっていた。
「曹操の攻撃はこの程度だったか……」
昨年の攻撃にあった苛烈さが、なりをひそめているように見える。
疑念の正体は、籠城からひと月後、見知った男の顔をしてやってきた。
城門に一騎の騎馬が近づいてきたのだ。その騎影がしだいに大きくなり、顔の判別ができるようになると、守備兵たちがざわつきはじめる。
「許攸」
「許攸だ……」
許攸は城門から一里のうちに馬をとめた。
「許攸っ!! 貴様っ、よくもおめおめと顔を出せたなっ!!」
審配はまなじりをカッとつりあげ、怒声を発した。
官渡大敗の直接的な要因となった裏切り者は、審配を無視して朗々と声を張る。
「城内の勇敢なる兵士たちよ、よく聞くがいい! われわれは官軍であり、袁譚軍は賊軍である! 袁譚の私戦に加担し、叛徒に身をやつさねばならぬ理由がどこにあるというのか! 戦う必要はないのだ。ただちに降伏せよ! 曹司空は寛大な御方である。この許攸を見るがいい。かつて賊軍に加わっていた私も、こうして厚遇をうけているぞ!」
審配は怨敵をにらみつけると、城壁の上にある凸形の女牆に、握り拳を打ちおろした。
「あの恥知らずに、矢を射かけよっ!!」
つばをとばして命じるや、たちまち数百の飛箭が降りそそぐ。
だが許攸とて、自分が恨まれていることなど重々承知している。抜け目なく弓矢の射程外に馬をとどめていた。
「アッハッハ! 審配っ! 鄴北西にある毛城は、曹司空の手によって陥落したぞ! じきに鄴は孤立する。貴殿も冀州の豪族らしく、冀州の民の安寧を考えなされい!」
許攸は高笑いを残して、悠々と自陣に帰っていった。
曹操軍の攻撃が精彩を欠いて見えたのは当然だった。まだ本腰を入れていなかったのだ。曹操はこの場にいない。鄴を包囲したあと、みずから一部の部隊をひきいて、毛城の攻略にむかっていたのである。
毛城は城の規模こそ小さいが、太行山脈の山間を抜け、并州の上党郡へとつながる要地である。つまり、并州方面からは援軍も補給も期待できなくなったのだ。
鄴城内の人々は動揺した。城を守りつづけたところで、食糧がつきれば、いずれ干からびてしまう。彼らの心に、刻限という枷がはめられようとしていた。
その動揺は、翌月になると一段とふくれあがった。
「邯鄲城も攻め落としたぞ!」
と曹操軍が盛んに喧伝したのだ。
鄴の北に位置する邯鄲城は、こちらも交通の要地である。
兵士や民衆ばかりか、ついに袁尚までもが不安を隠せなくなった。
「兄上の援軍はいつ到着するのだろう。われわれを見捨てはしないだろうか?」
審配に尋ねる声は、心細げだった。
袁尚は父の袁紹に似た端正な顔をしていて、体格においては比較的小柄だった袁紹にまさる。その堂々とした若武者ぶりは、審配も評価していたのだが、どうやら父の胆力は継げなかったようである。失望を隠して、審配は答える。
「ご安心くだされ、袁尚さま。鄴を制する者が冀州を制し、河北を制するのです。いわば、この地こそ、袁家の命運を握る決戦の地。袁譚さまが見捨てることはありえませぬ」
袁尚を励ましながら、審配は、袁譚に南皮へと移動するよう具申したときのことを、思い出さずにはいられなかった。
「本拠地を南皮にうつすべきかと存じます」
審配の言葉に、袁譚はあからさまに不快な顔をした。
鄴から南皮にうつるとなれば、誰の目にも格落ちである。
しかも袁譚は曹操再来の報をうけ、黎陽城の奪還をはたせぬまま帰還したばかりだった。不機嫌になるのも無理はない。
「この鄴城だけは死守しなければなりませぬ。南皮まで退く必要はありませぬぞ」
真っ向から反論したのは、黎陽攻略に同行していた郭図だった。
「もし鄴が曹操の手に落ちれば、曹操の国力は当方の倍にもなりましょう。そうなれば挽回がむずかしくなるのは、審配どのもわかっておられるのではありませんかな?」
「もちろんだ。この城は私が守ってみせる」
「……本拠地をうつせと主張しておきながら、審配どの自身は鄴にとどまると?」
「私はこの地の豪族だ。この地にいてこそ、袁譚さまに貢献できよう」
「…………」
郭図の目がすっと細まる。
審配が裏切るのではないか、と警戒しているのだろう。
鄴をあけわたせば、これほど曹操がよろこぶことはない。
審配は曹操陣営でも確固たる地位を手に入れるだろう、と。
郭図の狐疑などどうでもいいが、袁譚には納得してもらわねばならない。
審配は言葉を尽くして訴える。
「袁譚さま。籠城戦は一城では成りたちません。援軍が必要なのです」
「それはわかっているが……」
「黎陽城を失ったのは、領内で反乱が起きたためであることを忘れてはなりません。曹操も馬鹿ではない。袁譚さまを鄴に閉じこめたなら、各地で寝返り工作をすすめるでしょう。それでは援軍の兵力も少なくなります」
「むうっ……」
「曹操が鄴を包囲しているあいだ、袁譚さまみずから領民を慰撫し、兵を集められませ。さすれば半年後には、援軍は大軍勢となっておりましょう」
半年が限度だ。半年で食料が底をつく。
鄴の内情にくわしい審配は、すでに計算をすませていた。
「攻城戦が長引けば、曹操軍にも疲労が蓄積し、気のゆるみが生じます。そこを袁譚さまひきいる援軍が包囲の外から戦をしかけ、同時に私どもが鄴城から打って出る。これが私の策でございます」
「むむむ……」
悩ましげに沈思していた袁譚は、翌日、衆臣を集めて告げた。
「本拠地はうつさぬ。だが、私は郭図や王修をつれ、一時的に南皮にむかう。これでよいな。審配」
折衷案である。つまり、袁尚や潁川出身者の大半は鄴に残る。
彼らは裏で、このような命令をうけているにちがいなかった。
「審配が裏切るそぶりをみせたなら、即刻、首をはねよ」
こざかしい真似をしてくれる。おそらく郭図か王修の入れ知恵だろう。
審配はすばやく思考をめぐらす。
問題ない。もとより裏切る気などかけらもないのだから。
懸念があるとすれば、審配憎しで暴走する者がいないかだが、それは力でねじ伏せればよかろう。
袁譚の結論は、審配にとって完璧ではなかったが、まずまずといえた。
彼は拱手し、主君に誓う。
「御意。見事、鄴を守りきってご覧にいれましょう」
こうして袁譚は、二万三千の兵をひきいて南皮にむかった。
曹操軍によって鄴が包囲されたのは、それから半月後のことであった。
包囲から三か月が経過し、曹操軍の陣地に帥の旗が燦然とひるがえった。
鄴周辺の諸城をすべて攻め落とし、曹操がもどってきたのである。
いよいよ本格的な攻撃がはじまるかに思われた。
ところが曹操は、それまでの攻城兵器を中心とした正攻法をとりやめ、別の手段をとった。漳水の水を引き入れて、水攻めをはじめたのだ。
兵糧攻めである。
「食糧不足が深刻化すれば、守備兵と住民とのあいだには、いさかいが生じるであろう。そうなれば住民の敵意と憎悪は、袁譚軍へとむけられる。占領後に食糧を配給してやれば、統治もやりやすくなろう」
大都市・鄴はその人口ゆえに食糧の消費がはげしい。もってあと三か月ほどだろうと曹操は看破していたのだった。
限界がせまるなか、勝利を信じつづけられる者がどれほどいるだろうか。
少なくとも審配の甥・審栄は、叔父ほどに心を強くもてなかった。
「まさか敵兵ではなく、民衆に武器をむけることになろうとは……」
さきほど大規模な暴動が起きた。城門をひらいて曹操に降伏しようとする民衆を、東門校尉の審栄は鎮圧せねばならなかった。
民の血で剣を濡らし、暴動の理由を問うてみれば、配給がとどこおっているからだという。
返す言葉もなければ、解決策もない。
審栄は、食料庫に足を踏み入れることを許された数少ない人物であり、備蓄が尽きようとしている現実を目の当たりにしていたのである。
「くそっ。配給を減らされているのは、将兵だって同じだというのに……」
「審栄どの」
陰気な顔をして愚痴をこぼす彼の前に、ふらっとあらわれたのは、近ごろとみに言葉をかわす機会が多くなった逢紀だった。荊州出身の謀士は、人好きのする笑みを浮かべて、審栄にささやきかけた。
「貴殿を見込んで内密の話があるのだが、よろしいかな」
籠城生活は半年になろうとしていた。




