第五十話 孔明、魏氏春秋に話を盛られる
杜畿が陸渾を去ると、私はさっそく人材データバンクに照会した。荀彧に手紙を送ったのだ。
「もしもし、文若さんや。杜畿ってどうよ? なかなか見どころのある人材なんじゃない?」と。
返書はすぐにとどいた。要約するとこんな内容である。
「ふっふっふ。君もそう思ったか。なにを隠そう……杜畿を見いだしたのは、この私だ!」
おまえだったのか!?
というわけで才能は保証されてるようなもんでしょう。安心の荀彧ブランド。
……けれど、私の前世の記憶に、杜畿の名前はない。
功績を残せなかったのだ。才能があっても、埋もれてしまったのだろう。
そんな人材、いくらでもいる。いくらでもいるはずなのに……妙にひっかかるものがあった。
半月後、その杜畿が陸渾を再訪した。
「許都めがけて進軍していた劉備軍ですが。汝南郡の西平県までせまっていながら、急に撤退したもようです」
肩の荷がおりたといいたげな声で、杜畿は端的に結末を伝えた。
「ほう。戦をして負けたのではなく?」
「ええ、戦わずして。おそらく、曹操さまの軍勢が許都に近づいているのを知ったのでしょう。逃げ上手とはよくいったものです。あれでは捕まえようがない」
杜畿は拍子抜けしたように肩をすくめる。
それから、荀彧が夏侯惇の後詰めに李典をむかわせたこと。
李典と合流した夏侯惇が、敗残兵をまとめて劉備軍を追いかけたものの、Uターンして撤退する劉備軍といきちがいになり、雪辱の機会を得られなかったこと。
そうした戦況の推移をくわしく説明する途中で――、
ふいに杜畿は口に手をあて、ゴホゴホと咳きこんだ。
「失礼。近ごろ、夜どおし馬を走らせる日もありまして。季節はずれの寒邪におそわれてしまったようです」
これだ! 私は直感した。これが、杜畿の名が残らなかった理由にちがいない。
注意深く見てみると、杜畿の頬はかすかにやつれている。
彼は功績をたてる前に、病に倒れ、早世してしまったのだ。
ふと郭嘉の顔が脳裏をよぎる。その瞬間、私は思わず席を立っていた。
「杜畿どの、しばし待たれよ」
といいおいて、書斎にむかう。
人材データバンクこと荀彧によると、杜畿は私や荀彧と同年代、アラフォーである。
年齢だけならベテランに思えるが、戦乱をさけて荊州に避難していたため、曹操に仕えてから日が浅い。キャリアをはじめたばかりで病に倒れたのだとしたら、名前が残っていないのも当然だ。
席にもどったとき、私の手には青い嚢があった。
「杜畿どの、あなたにこの書をゆずろう」
私にうながされ、青い嚢のなかから書物をとりだした杜畿は、首をひねった。
「青嚢書、とありますが、これは? 医書のようですが……」
私は華佗から青嚢書をあずかり、写本を作成して世に広めようとしていることを語る。
「じつはそれが最初の写本でしてな。まだ陛下にも曹司空にも、献上しておらぬのだ」
杜畿は目を丸くした。
「それはまた、大変なご厚意をいただいてしまったようで。されば、この場でいただいたことは、伏せておいたほうがよいかもしれませぬな」
ちょっと先走ったかもと思わないでもないが、夭折する予定の郭嘉と重ねあわせてしまったのだからしかたがない。まあ、朝廷にもすぐおさめるつもりだし、問題になるようなことではない。
ああ、そうか。ストンと胸に落ちる。
ずっと医書とにらめっこしてたから、無意識に杜畿から病の気配を感じとっていたのかもしれない。だから気になっていたのか。
「ありがたく頂戴いたします。これよりのち、私は河東郡にて、戸籍の調査にたずさわることになっております。北の地にむかえば、それだけ死をつかさどる北斗星君の御座にも近くなりましょうが、この青嚢書を参考にして、養生を心がけます」
杜畿は拝伏して、大仰な口調でいった。
青嚢書が杜畿の運命を変えられるかは、わからない。
けれど、歴史は変えられる。人の生死も変えられる。
官渡の戦いがそうだったように。
顔良と文醜が史実と同じ場所、同じタイミングで討ちとられているから、勘ちがいしてしまいそうになるが、追いつめられるはずだった曹操が、常に優勢に戦を進めていたのだ。この時点で、死ぬ予定だった曹操軍の兵士たちの多くが助かっていることになる。
だから歴史は変えられる。人の生死も変えられる。
杜畿の、郭嘉の運命だって、変えられない道理はないのである。
*****
諸葛亮は思った。なんと美しく、のどかな光景だろう。
沔水の川面で、陽光が光の粒となって踊っている。川を吹きぬける風は涼しげで、こうして木陰に腰をおろして、川辺で戯れる子どもたちを眺めていると、刻を忘れてしまいそうになる。
「孔明、劉備どのが撤退したのは聞いたろう?」
頭のすぐそば、斜め上から、気が抜けるような、しまらない声がふってきた。
桑の大樹からはりだした枝に、男が腰かけている。
龐統 あざなを士元といい、襄陽龐氏の若者である。
「ああ、もう少しだったそうだが……」
相手にあわせるような、ぼんやりとした声で諸葛亮は答えた。
「おいおい。もう少しだったとか、そんな噂を信じているのか? らしくもない」
「…………」
諸葛亮は返答に窮した。
信じてはいなかった。盤石に見える曹操の覇権にも穴があるのだと思いたかっただけである。
「劉備軍は全軍で進まなければ、許都を落とせないんだ。が、曹操はちがう。騎兵だけで先行すればいい。許都に到着するのは、曹操のほうが早かったろうよ」
「……曹操が騎兵だけで動くともかぎらないだろう?」
反論しつつ、われながら説得力のかけらもない言葉だ、と諸葛亮は唇の端をゆがめた。
彼らは、当代随一とされる曹操の戦術を研究している。曹操が機動力を重視し、騎兵のみで動くことはめずらしくないと知っているのだ。
反論になっていない反論を、龐統は気にしていない様子で、
「なら、劉備軍がさきに許都に着いたとしよう。城を攻めてる最中に、曹操が大軍をひきいてもどってくるわけだ」
「手はある。城内の朝廷勢力を呼応させれば、許都はまたたく間に陥落していただろう」
「そのあとはどうする? 城外には曹操の大軍がせまっているぞ。しかも城内には曹操の味方が大勢いる。彼らが曹操に呼応しないと思うか? まさか虐殺でもするのか? それとも天子の身柄ひとつで、曹操がおとなしくいうことを聞くとでも? あの曹操が!」
龐統の容赦ない指摘に、諸葛亮は秀眉を寄せて、
「……天子をお連れして、逃げればいい」
「逃げきれるわけがない」
まさしく一刀両断である。
「結局、劉備どのには力が足りないのさ。曹操の隙をついて、いやがらせをするのがせいぜいだ」
事実そのとおりではあるが、劉備に対して辛辣な言葉をはく、龐統の魂胆はわかりきっている。
「だから劉表どのに仕えろ、といいたいのだろう?」
「……まあな」
劉表に仕官した龐統は、なにかにつけて諸葛亮も誘いこもうとするのである。
「士元のいうことは正しいよ。なら、劉表どのが動けない理由をなんとかしてくれ」
劉表にも野心はある。曹操を倒すには、いまここで袁譚と同盟し、軍を動かすべきだと計算しているだろう。その計算が机上で立ち消えてしまうのは、動こうにも動けぬ理由が、内外に存在しているからである。
荊州内部を見れば、力ある豪族が劉表の外征にいい顔をしない。彼らは天下平らかなれと願うより、あくまで私領の平穏を望んでいるのだ。かつての袁紹と同様の問題を、劉表も抱えている。
外を見れば、孫権と劉璋が荊州を狙っている。どちらもあなどれぬ相手であり、曹操に大軍をむけるわけにはいかないのである。
「なんとかしたいのはやまやまだがな……」
龐統の声はほろ苦い。
内の豪族も、外の敵も、仕官したばかりの若造にどうこうできる問題ではない。
これで彼が、劉表の寵をうけていれば話は別だったかもしれないが、そういった特別あつかいは、弁舌あざやかで見目のよい若者がうけるものと相場が決まっている。
一般に思い描かれる優秀な若者像と、残念ながら龐統はかけはなれているのだった。
彼は首筋をかくと、そのまま頭のうしろで両手を組んで、桑の幹に背中をあずけた。
「いっそのこと、どうだ孔明よ。おまえが兄貴の伝手を使って、孫権との仲を取りもってみないか?」
「無理をいうな」
無茶ぶりをさらなる無茶ぶりで返され、諸葛亮は苦笑するしかなかった。
たしかに彼の兄・諸葛瑾は孫権に仕えているが、孫権にとって劉表軍は父の仇である。仲裁などうまくいくはずがない。それでもせめて――、
「せめて、益州の劉璋どのだけでも味方にできればいいのだが……」
「父子や兄弟でも争うもんだ。どこで血がつながってるのかもわからん同族なんて、他人と変わらんさ」
龐統はそこで視線を動かした。諸葛亮がその視線を追うと、司馬徽の屋敷から徐福がでてきたところだった。
「なんだ徐兄、きてたのか」
と龐統がつぶやき、枝からおりた。
諸葛亮も立ちあがり、かるく違和感をおぼえた。こちらの姿を見つけ、近づいてくる徐福だが、その足どりがいつになく力強く感じられるのだ。
同じように感じたのだろう、龐統が、
「徐兄、どうしたんだい」
と問いかけると、徐福は目力も強く、いいはなった。
「士元、孔明、私は劉将軍に仕えようと思う」
「そりゃ、めでたい」
「おめでとうございます」
龐統と諸葛亮の祝福に、徐福は、「ハッハッハ」と陽気に笑う。
「私が心に決めただけで、劉将軍に断られたら浪人だがな」
「そりゃあ大丈夫でしょうよ。けど、なんでまた劉備どのに?」
龐統の疑問に、徐福はうなずいて、
「こたびの戦で、私ははっきり実感した。曹操の野望をとめるために、積極的に動こうとしているのは、劉将軍をおいてほかにいまい。士元だって、消極的な劉表どのを歯がゆく思っているだろう?」
「劉備どのの志は認めますがね。ですが徐兄、新野一城でなにができるというのですか」
「だからといって、手をこまねいていて事態がよくなるものか。曹操が許都にひきかえすや、河北では袁譚の反撃がはじまったそうだ。許都こそ落とせなかったが、劉将軍の出兵は無駄ではなかったと――」
諸葛亮には、彼らの声がどこか遠くでいいあっているように感じられた。
それといれかわるように、子どもたちのはしゃぐ声が耳にはいり、ちらりと横目で川辺を見やる。
なんとはかない光景だろう。
ひとたび戦にのみこまれれば、この光景は一瞬にして破壊しつくされるのだ。
人々の声は消えうせ、風は血の匂いをはこび、川の流れは死体で埋めつくされるのだ。
曹操が南下する、その刻に。
その刻はやがてくる。奇跡でも起こらないかぎり。
悲しいかな、刻を忘れていられるのは子どもだけの特権であり、大人になるにつれ、人間は刻と戦わなければならなくなる。
龐統は劉表に仕官し、いままた徐福も劉備に仕えると決断した。
彼らは前へと踏みだしたのだ。
諸葛亮には、友人たちの姿が遠くに感じられてならなかった。何者にもなれずにいる自分が、もどかしくてならなかった。
だがしかし、焦りは禁物である。
曹操の天下統一をはばむ。
諸葛亮の望みを知れば、世の人々は荒唐無稽と笑いとばすであろう。
彼の望みは、それほどまでにだいそれたものであり、とほうもない難事であり、天下統一にも比肩する大事業といえた。
曹操打倒を確実になす方法など、すでに存在しない。
残された可能性をいかにしてつかむか。
諸葛亮の歩むべき道はいまだ霧のなかにある。
ことがことだけに、一度道をあやまれば、その残された可能性すら急速に閉ざされてしまうであろう。最初の一歩は、慎重に踏みださなければならないのだった。
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溺死
文帝(曹丕)は杜畿に命じ、天子の乗る御座船建造の指揮を執らせた。その試走中に強風で船が転覆し、杜畿は川に転落し溺死した。
孫盛の『魏氏春秋』によると、ある日、杜畿は胡昭の屋敷に泊まった。杜畿の顔に死相を見た胡昭は、夜空の輔星を指さして「あの星が見えるだろうか」と問いかけた。「見えません」と杜畿は答えた。輔星が見えなくなると死期が近づいているとされており、杜畿の余命が幾ばくもないと悟った胡昭は、北斗七星に祈り寿命をのばす術を授け、誰にも口外しないように念を押した。杜畿は七日間における祈祷を行い、延命に成功する。しかしそれから20年が過ぎ、うっかり秘密を話してしまい、その日のうちに水死したという。
杜畿 wiikiより一部抜粋
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