第四九話 博望坡の戦い
盲夏侯。
隻眼の夏侯惇を、従兄弟の夏侯淵と区別するために、しばしばもちいられるあだ名である。
隻眼になったのは呂布軍との戦のさなかであり、名誉の負傷であって蔑称ではないのだが、そう呼ばれると夏侯惇は、残された右目の眼光をするどくとがらせ、相手をにらみつける。
彼は、自身の顔にきざまれた傷を忌みきらっていた。左目の傷跡を鏡で見るたび、鏡を殴りつけたくなるほどに。実際、衝動にまかせて鏡を床にたたきつけ、従者をふるえあがらせたこともあった。
おそろしげな風貌とはげしい気性は、部下に畏怖の念をいだかせるには十分だったが、それだけでつとまるほど曹操の副将という立場は甘くない。
夏侯惇が曹操のかわりに曹操軍をたばねていられるのは、畏怖を上まわる信望を集めているからである。清倹で気前がよく、面倒見もよい彼は、多くの人に慕われていた。
建安八年六月九日。豫州との州境に近い荊州葉県で、夏侯惇軍と劉備軍は遭遇した。
両軍ともに、敵がいるであろう方角に進んでいるのがわかっていながら、十全にそなえる前に遭遇してしまったのは、どちらもが行軍速度を優先させた結果であった。
曹操のいない許都に敵を近づけさせるわけにはいかない、と夏侯惇が判断する一方で、劉備もまた、曹操が帰ってくる前に許都を陥落させ、帝の玉体をおさえねばならないと考えていた。
たがいにさきを急ぐあまり、想定よりも早くかちあってしまったのである。
この状況は夏侯惇に味方した。
会敵したのは夏侯惇軍の先遣隊であり、わずか七百騎と少数であったゆえに、即座に臨戦態勢にうつれたのである。
街道に列をなしたままの劉備軍を見て、先遣隊をひきいる于禁はすかさず号令をかけた。
「突撃っ! 長くのびきった劉備軍の横っ腹に、風穴をあけてやれっ!」
劉備軍の総兵力は、劉表から借りた二万とあわせて二万三千である。まともに戦えば造作もなく、于禁隊をたたきつぶせたはずであった。
だがしかし、まさかの荊州での戦である。
部隊を展開するのがおくれたうえ、兵士たちの動きも鈍い。劉備軍のうすい陣容は、まるで縄を断ちきるかのように、あえなく引き裂かれた。ここで気勢までくじけてしまったのは、借り物の兵が大半をしめていたからであろう。その場に踏みとどまろうという気概もみせずに、劉備軍は後退をはじめた。
「追撃のご命令をっ!」
血気にはやる部下の声に、于禁は首を横にふる。
「とりあえず機先を制しただけでよい。欲をかけば痛い目を見る。寡兵で深追いをすれば、どこかで袋だたきにされるであろう。追撃は本隊と合流してからだ」
歴戦の名将らしく落ち着いた判断をすると、于禁は夏侯惇との合流を優先させた。
戦果を聞いた夏侯惇は喜色を浮かべ、
「おう。よくやった、于禁」
「しかし、劉備軍の損害は軽微です。全軍で追撃すべきかと存じます」
「むっ、劉備はしぶといやつだからな。ここで追撃の手をゆるめれば、軍を再編して、進軍を再開するであろう。そうはさせん」
ちりぢりに逃げる劉備軍を、夏侯惇軍は追いかけた。
かたや逃げ、かたや追いかけ、干戈をまじえる音もそこそこに、戦場は西南へとうつっていく。
そして、夏侯惇たちが足をとめたのは、宛城手前の博望という地であった。
夜営の指図をしながら、于禁は夕暮れの空を見あげた。
「宛城か……」
つぶやきをひろった夏侯惇が、眼帯に隠れていない右眉をひそめて、
「いやな場所だな」
宛は、かつて曹操が九死に一生を得た、因縁の地である。
曹操軍が壊走した宛城の戦いにおいて。張繡軍を迎撃し、味方の身ぐるみをはぐ青州兵を取り締まり、最後まで部隊の形を保ちつづけたのは、他でもない于禁だった。
当時、張繡は劉表の支援をうけて宛を統治していた。
張繡が曹操に帰順したあと、宛は劉表領となっている。
これ以上進軍すれば、劉表は領土侵犯とみなすだろう。
曹操が劉表との全面対決を望んでいないため、追撃はこの博望で打ちきらねばならない。
「結局、たいした打撃はあたえられなかったか……」
夏侯惇はもどかしそうに顔をしかめた。
于禁は楽観的な見通しを口にする。
「ここまで後退すれば、劉備とて許都を狙うのはあきらめるでしょう」
「だといいのだがな……」
劉備軍に痛打をあびせられずとも、できうるかぎりの仕事はこなした。
そのささやかな達成感が精神的弛緩となり、しこりのように小さな油断が生じていたことは否定できない。
彼らは、逃げ上手の劉備がいつものようにうまく逃げおおせた、と思いこんでいた。それゆえ、劉備軍の逃走が途中から擬態に変わっていたことを見抜けなかったのである。
攻勢がとまったとき、えてして戦局は転換する。
刀のように細い月が浮かぶその夜、夏侯惇軍の野営地は炎に包まれた。
白雲たなびく隆中の道を、駄馬に乗った男がゆっくり進んでいた。身なりも質素だが、見る者が見れば、ひと目でただ者ではないとわかるだろう。男のまなざしには、任侠の英気と澄明な知性が同居していた。
男が農園の脇で馬からおりると、その姿を見て、二桃をもって三士を殺すなどと不穏な詩を口ずさんでいた若い農夫が、農作業の手を休めて近づいてくる。
「やあ、徐兄」
若い農夫――諸葛亮は、泥のはねた頬にすがすがしい笑みを浮かべた。汗まみれの顔が、夏の日ざしにかがやくようである。
「孔明、朗報をもってきてやったぞ」
と、徐兄と呼ばれた男はニヤリと笑い、
「新野の劉将軍が、夏侯惇を負かしたそうだ」
「っ!? その話、くわしく聞かせてくださいっ!」
男の予想どおり、諸葛亮は目を見ひらいて食いついた。少年期の体験ゆえに、彼はひどく曹操をきらっているのだ。
友の影響をうけたか、男も曹操に反感を抱いていた。
いや、反感はもとからだ。民を虐殺するような奸物を、どうして支持できようか。強者は弱者を虐げる。いつもそうだ。それが許せないから、男は剣を手にとり、人を殺め、故郷を追われたのだ。
「まあ、待て。畑仕事はもういいのか?」
「ちょうど切りあげようと思っていたところです」
「そうか。……ほんとにそうか?」
男が片眉をはねあげて訝った。諸葛亮は苦笑して、
「まあ、いいではありませんか」
「わかった、わかった。では、おまえの庵にむかう道すがら、話すとしようか」
諸葛亮が手早く農具をまとめると、彼らはつれだって歩きだした。
徒歩の諸葛亮にあわせて、男も馬の手綱をひいて歩く。
「そも、劉将軍が、劉表から兵を借りたのがはじまりだ――」
劉備がいかにして勝ちえたのか。
伝聞に推測をまじえながら語るこの男、
姓は徐、名は福、あざなを元直といった。
――彼はのちに胡孔明と出会い、その思想に感銘をうけて、徐庶と名をあらためることになる。
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なにぃ、夏侯惇がやられただと!?
ふふふ……、やつは四天王のなかでも最弱……。
そんなセリフが脳裏をよぎったのは、夏侯惇・ 夏侯淵・ 曹仁・ 曹洪の四名が、曹操四天王と呼ばれていたのを思い出したからだった。
四天王、五虎将軍、二虎競食の計に天下三分の計。三国志の中二テイストって半端ない。よいぞよいぞ。
もっとも、曹操四天王という名は世間さまから聞いたことがないので、おそらく後世の創作と思われる。
夏侯惇と劉備の戦、当初は夏侯惇が優勢だったそうだ。ところが、劉備は逃げながらも、離散した兵をまとめあげた。
ここらへんは劉備の真骨頂、といったところだろうか。
逃げ慣れてるだけじゃない。ゼロから義勇軍を結成した人物なのだ。逃げる兵を集めて軍を再編するなんて、お手のものにちがいない。
追いかける夏侯惇は、結果的に敵地に深入りする形になってしまい、それまで逃げるばかりだった劉備軍は、鬱憤をはらすようにあばれまわったそうな。
場所が博望だったと聞いて、私は思った。
これはかの「博望坡の戦い」ではないか、と。
劉備軍に加わったばかりの諸葛亮が、火計をもちいて曹操軍を撃退し、張飛たち古参の臣に仲間として認められるのが、博望坡の戦い……だったような気がする。
いくつか共通点はありそうだが、別物と考えたほうがよさそうにも思える。
なにせ、肝心の諸葛亮がまだ出仕していない。
当然といえば当然だ。諸葛亮の出廬は、たしか二〇七年か二〇八年のはず。いまは西暦に換算すると、たぶん二〇三年である。
それに私が知っているのは、あくまで三国志演義をベースにした「博望坡の戦い」にすぎない。かなり脚色されていたはずだから、参考になるかも疑わしい。
「曹操さまは鄴城の攻略を中止して、許都への帰還を急いでおられます。袁譚が反撃に転じていますが、黎陽城にてふせいでいるとのこと。黎陽に残っているのは曹仁どのですから、そう簡単には落ちないでしょう」
と博望での戦から河北の状況まで、いろいろ説明してくれるのは、洛陽からやってきた杜畿である。
夏侯惇の敗報をうけて、曹操陣営はあわただしく動いている。
杜畿もそのひとりで、彼はいま、洛陽と広成関を行き来している。そのついでに陸渾まで足をのばして、私に会いにきたそうだ。
広成関とは洛陽八関のひとつ、洛陽と荊州をつなぐ街道に設けられた関である。
荊州方面からの侵攻に対する軍事拠点は、いいかえれば荊州に攻めこむための軍事拠点でもある。たとえば、劉備軍の背後をつつくために広成関から出陣する、なんてことも考えられる。
……まあ、曹操がなにを考えているかは、推測するしかないのだけれど。
洛陽と広成関の連絡役をまかされるだけあって、杜畿は口外してはならない情報についてはいっさいもらさず、匂わすだけにとどめていた。
それでいて戦況は過不足なく説明してくれるし、私の質問には間髪いれずに答えてくれる。
対話していて感じる雰囲気が、この前洛陽で会った賈逵や張既と、なんとなく似てるような気がするし、かなりの逸材ではなかろうか。
……ところで、杜畿、……トキ?
ううむ。……そんな武将、いたっけ?




