第四五話 肉をたたいて、首を断つ
パン粉を作り終えた私の前に、手のひらからはみ出るほどの大きさにカットされた豚肉が用意された。パン粉と豚肉。そう、私が祝宴に選んだ料理のメインは、日本の食文化を代表するメニューのひとつ、とんかつである。
戦働きをしてきた兵士たちに、たらふく肉を食わせたい。けれど、牛肉はお高いし、量を確保するのもむずかしい。将校だけではなく、一般の兵卒たちにもしっかり食わせたいとなると、豚肉のほうが適している。
とんかつほど、「がっつり肉を食ったなあ」と思えるメニューはそうそうないはず。分厚い肉にかぶりつく食感を、是が非でも堪能してもらいたいところだ。
そのために重要なのが、なんといっても下ごしらえである。
せっかくの肉の塊も、やわらかくしておかないと魅力は半減してしまう。
私は包丁を握り、作業にとりかかった。肉の赤身と脂身の境目には筋がある。ここに包丁を刺すように入れて、筋切りをしていく。
つぎに取り出したるは、おろし金と同じく、こちらも特注の肉たたき。この肉たたきはトンカチのような形状をしていて、たたく面がギザギザになっている。これで豚肉をまんべんなくたたいて、やわらかくしていく。
最後に、薄く広がってしまった豚肉の形をととのえて、厚みを回復させておく。
初めて見る作業だからだろう、料理人たちは熱心に私の作業を見学していた。
そのなかのひとりが目を輝かせながら、声をはずませて、とんでもないことをいった。
「なんだか敲刑のようですね!」
さらっと出てくる感想が拷問!?
……いやまあ、敲く対象が人間だったら、そのまんまだけど。
やれやれ。まったく、いやな世の中だぜ。
*****
馬超軍の突撃は、布を裂くようにたやすく敵の前線を切り裂いた。
呼廚泉軍は陣形を乱し、こらえきれずに後退をはじめている。
涼州兵と匈奴兵、ともに精強な騎兵軍団として知られる両軍のぶつかりあいは、一方的な様相をていしていた。
「なんだ、こいつらの強さは!?」
匈奴兵たちは悲鳴の答えをえる間もなく、馬超軍の喊声にのみこまれていく。刀槍矛戟におそわれ、大地にたたきつけられ、雪の残る地上をのたうちまわり、馬蹄に踏みつぶされていく。どうせ血まみれの肉塊と化すのなら、すぐに意識を手放せた者のほうが、まだしも幸運であったかもしれない。
「…………」
自軍の惨状に、呼廚泉は声も出せずにいた。
彼が後方にいるのは陣容をととのえるためであったが、たとえ前線で指揮をとっていたとしても、敵軍の突進をくいとめるのは不可能であったろう。そう思わせるほどに、馬超軍の攻勢は凄烈をきわめた。
呼廚泉にも敗戦の経験はあった。だがそれは、数倍の敵に包囲されたり、城攻めに失敗したりであって、正面から騎兵に圧倒されたことなど一度もなかったのだ。
この馬超軍の驚異的な強さは、いったいどうしたことか。
しばらくして呼廚泉は、その理由が両軍の馬具のちがいにあることに気づいた。
「……高幹っ! あの男、あの男っ!!」
怒りの矛先は、味方にむけられた。
つい先日、高幹が見慣れぬ馬具を使用しているのを見た呼廚泉は、その馬具はどれほどの効果があるのか、と尋ねていたのである。
高幹は、さもたいしたことがなさそうに、こう返答した。
「なに、これはあぶみといって、弱兵が馬に乗れるようささえるためのものよ。もとから一流の馬術を誇る匈奴兵には、さほどの効果はなかろう」
なにが、「さほどの効果はなかろう」だッ!!
おさえきれぬ憤怒が、呼廚泉の顔を紅潮させた。その口から歯ぎしりの音と、煮え立つようなうなり声がこぼれでる。
高幹があぶみを渡すなり、性能を知らせるなりしていれば、対処のしようもあったであろうに!!
激情でゆがんだ顔に、生々しい血風がふきつけてくる。部下が流した血が、血臭となって体にまとわりついてくる。
信用できない相手と手を組んだばかりに、呼廚泉は無為に兵を死なせてしまったのである。すべて、彼自身の選択から生じた結果であった。
かつて漢の高祖・劉邦をも屈服させた匈奴軍が、なすすべもなく犠牲となっていく。
誇りが、歴史が、前途が。あらゆるものが馬超軍の馬蹄によってたたきつぶされ、失われようとしている。
悪夢のような戦場のただなかで、南匈奴の単于は屈辱に身をふるわせ、憎々しげに呪詛をはいた。
「高幹めッ! 最初から、われらを盾にするつもりだったのだなッ!!」
一方、高幹は高幹で、友軍のふがいなさに対する不満をあらわにしていた。
「なにをしているのだ! 呼廚泉は!」
むろん彼は、意図的に呼廚泉軍を盾にしたつもりはなかった。
あぶみの効果をひかえめに伝えたのは、呼廚泉軍へ配るつもりがなかったからである。あぶみはまだまだ貴重品であるし、あたえようにも、そもそも数が足りないのだ。
仮に百や二百のあぶみがあったところで、馬超軍の猛攻には耐えられなかったであろうから、呼廚泉軍の苦境は、高幹の手抜かりのせいとばかりはいえない。
高幹が真に責められるべきは、そこではなかった。あぶみを渡さなかったことや、情報伝達をおこたったことよりも、敵戦力の見積もりの甘さにこそ、彼は責めを負うべきであった。
匈奴軍をなぎ倒していく馬超軍は、その力強さにおいても、兵数においても、彼の想定を上まわっていた。
「ちっ、まずいな……」
高幹は計算ちがいを悟って、舌打ちした。
戦況は、はかばかしくない。
高幹軍は鍾繇軍との戦いを優位に進め、じわじわ前進している。
だが、鍾繇軍は前面に盾をならべ、槍の穂先をそろえて、執拗に守備をかためていた。
押し切れるにしても、いますぐというわけにはいかないだろう。
このままでは鍾繇軍を崩壊させるより先に、呼廚泉軍が潰走してしまう。
そうなれば、高幹軍も窮地に立たされよう。
「手をこまねいているわけにもいかぬか。……やむをえん」
鍾繇軍を撃破するまでは、呼廚泉軍にも持ちこたえてもらわねばならない。
切り札を援軍にまわすことを、高幹は決断した。
「伝令! 郭援に戦場を迂回して、馬超軍の後背をたたくよう伝えよ!」
「はっ!」
伝令は、高幹軍の後方へと馬を走らせた。
高幹の切り札は、後方、北に待機させている郭援ひきいる騎兵二千である。
「あいわかった」
命令をうけとった郭援は、伝令を引き返させて、戦場を一望した。
西に迂回して馬超軍をたたけという命令だが、さもありなん、呼廚泉軍の苦戦は一目瞭然である。手助けしてやらねば、壊滅はまぬがれまい。
「ふっ、しょせんは蛮族か……」
郭援は友軍をあざ笑うと、槍の穂先で西南を指し示して、声を張りあげた。
「これより、わが軍は戦場をまわりこんで、馬超軍の後背におそいかかる!」
一万を超えるであろう馬超軍とまっこうから戦えば、郭援の部隊にも勝ち目はない。しかし、うしろからとなれば話は別である。いかなる軍勢も、敵を前方にとらえなければ、力は発揮できないのだ。
「調子に乗っている馬超軍に、用兵の神髄を教えてやろうぞっ! 関西の猪武者どもなど、おそるるに足らずっ! われにつづけええッ!!」
豪放に、あるいは粗野に兵士を鼓舞すると、郭援は馬を走らせはじめた。その兜についた赤い房が、風になびき、馬に揺られて、踊り狂う。血の色を思わせる真紅の房は、あとにつづく将兵たちの目に、このうえなく戦場に似つかわしく映るのだった。
*****
……えー、とんかつの作り方の講習をすませると、つぎの食材が用意された。
その食材を見て、私は一瞬、立ち尽くした。
にわとりである。
鶏肉、ではない。真っ赤なとさかのついた、にわとり丸ごとである!
なんで丸ごとっ!? さばいといてよっ!!
とはいえ、首はひねってあるので、すでに事切れておられる。
もう、あばれる心配はない。そこはひと安心。
料理人たちの目もあるし、怯んでいたら馬鹿にされかねない。さっさと解体するといたしましょう。
私とて、この時代に生まれた男である。にわとりをさばいた経験ぐらい、それなりにあるのだった。……慣れてるだけで、気分のいい作業ではないけれど。
ああ、にわとりさん、にわとりさん。
あなたがたはこんな昔から、家畜として私たちの食をささえてくれているのですね。
ありがとう。さようなら。そして、末永くよろしくお願いいたします。
馬、牛、羊、豚、犬、鶏……。
そうした生き物は五畜だの、六畜だのと呼ばれているけれど、家畜を飼養して食べている人間こそが、畜生を上まわる真の鬼畜なのかもしれません。ぐへへ。
というわけで。
私は躊躇なく、にわとりの首に分厚い包丁を振りおろすのだった。ドスッとな。




