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第四三話 孔明、勝利を確信する


 洛陽についた私がまっさきに政庁にむかうと、執務室で鍾繇と司馬懿が待ちかまえていた。

 彼らは私の姿を見るなり仕事の手をとめた。さっそくとばかりに、鍾繇が口をひらく。


「孔明、急を要する事態だ」


「高幹軍にどう対抗するかでしょう? 私になにができるとも思わないのですが……」


 そう答えて、私は席に座した。


 高幹は、文武にすぐれた経験豊富な将として、世間に知られている。顔良、文醜といった有力な武将を失った袁家においては、トップクラスの武将と考えていいだろう。前世の記憶では、一流ではなくそこそこ、という印象でしかないが。


 并州ヘイシュウ刺史の彼が動かせる軍となると、兵力は二万ちょっとぐらいだろうか?


 天下分け目の決戦だった官渡の戦いと比べれば、規模は小さい。けれど、もし洛陽が戦場となるようなら、距離が近いぶん、私にとってはより深刻な脅威になる。


 鍾繇は眉間にしわを寄せて告げた。


「高幹軍は総兵力三万を超えようかという勢いだ。どうやら、南匈奴ミナミキョウド呼廚泉コチュウセンと手を組んだようでな」


 敵兵の数は、私の想定をはるかに超えていた。


 北方異民族である匈奴のうち、漢朝に帰順した人々は南匈奴と呼ばれている。呼廚泉はその単于ゼンウ(君主)だ。


 呼廚泉の名前も前世の記憶にある。こちらも一流ではない、そこそこの武将だったと思う。


 并州と南匈奴、あわせれば、たしかに三万を超えてもおかしくはない。


「それで、こちらの兵力は?」


 私の問いに、鍾繇は険しい顔のまま答えた。


「せいぜい一万五千だな」


 だめじゃん!


「まあ、援軍は要請する。要請するが、手元にないものを計算していても、無益であろう。……そこでだ。たぐいまれなる人物鑑定眼をもつおまえさんに、ちと尋ねたい」


「…………」


 なんだ、この持ちあげよう。いやな前振りをしてくる。

 なにを聞かれるのかと、私は身がまえた。


「わしと司馬懿の軍事的才能、どちらのほうが上だと思う――」


「仲達ですな」


 私は即答した。間髪入れずに即答した。かぶせぎみに即答した。


「……少しは迷ってもいいじゃろ?」


 鍾繇が口をへの字にする。自分で聞いといてねないでほしい。


「ははは。天下一の書家が誰かと問われれば、迷うことなく鍾兄の名をあげますがね」


 一応、フォローしておく。

 すると、鍾繇はすばやく立ち直って、ふんと鼻息で髭を揺らした。


「当然であろう。……というわけだ。司馬懿、こたびの戦の指揮はおぬしにまかせる」


 おおっと、大胆な決断!? 


 私が司馬懿の軍事的才能を高く評価していることを、鍾繇は知っている。

 とはいえ、思い切ったもんだ。


 私としても、全面的に賛成です。

 軍の指揮能力で司馬懿を上まわる武将なんて、それこそ曹操ぐらいなもんでしょう。


「私は戦働きの経験すらない、一介の書佐にすぎないのですが……」


 当然のように、司馬懿は困惑顔である。


「なあに、そこらへんはどうにでもなる。表向きは、わしが指揮をとるように見せかければよかろう。というわけで、頼んだぞ」


「はぁ……」


 司馬懿はちらりとこちらを見て、私が乗り気なのを察すると、観念したようにため息をこぼした。


「……うけたまわりました」


「まあ、失敗したら、責任は全部わしがとるから、な」


 と、鍾繇がニヤリと笑う。


 部下に責任を押しつけないのは立派だと思う。こういうところがきっちりしてるから、世間では人格者あつかいされているのだろう。


 ……人格者、人格者かあ。いまいち釈然としないけれど。


 それにしても、東で曹操、西で司馬懿か。


 えらいこっちゃ。

 まさか、三国志の統率力ランキング一位、二位が、そろいぶみとはね。




 司馬懿に大役を押しつけてしまった手前、さよならばいばいと陸渾に帰るのは、さすがに無責任だろう。


 そう考えた私が洛陽に逗留すること数日、関中に使者として出向いていた張既チョウキが帰還した。


 張既の名も前世の記憶にある。かなり優秀な文官だったと思う。


 彼は喜色を満面に、興奮した様子で報告した。


「鍾繇さま、およろこびください。関中軍閥が援軍要請を受諾しました!」


「おお、よくやってくれた! で、いかほどだ?」


「馬超、龐徳ホウトクひきいる一万三千の軍がこちらにむかっています!」


 そばで突っ立っていた私は、心のなかで喝采した。


 なんと心強い援軍だろうか。


 馬超はいわずもがな。龐徳も、あの関羽と激闘をくりひろげるほどの、ものすごい武将だ。


 これはいける。

 あらためて武将を比較してみよう。



 高幹、呼廚泉。

  VS

 馬超、龐徳 with 司馬懿。



 圧倒的じゃないか、わが軍は。


 よし、勝ったな。

 私は勝利を確信し、祝勝会の準備を考えはじめるのだった。




 *****




 平陽ヘイヨウ城陥落後、侵略者たる高幹たちは円筒型の倉庫に足を踏みいれ、たちまち破顔した。そこには、食糧が山のように積まれていたのである。


「これだけあれば、民を飢え死にさせることなく冬を越せそうだ。高幹どのの誘いに乗って正解であった」


「ふふふ、私についてくれば、損はさせんよ」


 呼廚泉に賞賛されると、高幹はしたり顔で笑声をくぐもらせた。


「呼廚泉どの、平陽城ひとつで満足されては困るぞ。われらが手にすべき地は、まだまだ南に広がっている」


 と、つづけたのは豫州沛国ヨシュウハイコクの人で、郭図らと同族の郭援カクエンである。


 この戦にのぞむ郭援の意気込みは、並大抵のものではない。

 なにせ彼は、袁譚によって河東太守に任じられたのだ。

 みずからの手で河東郡をもぎとってやろうと、大いに気炎をあげていた。


「……しかし、本当に曹操に勝てるのか? 勝算がなければ、これ以上の協力はできんぞ」


 呼廚泉の眼に懐疑の色が浮かぶ。

 彼が求めるものは食糧であって、領土ではなかった。


「官渡での敗北は許攸の裏切りのせいだ、と考える者も多い。しかし、私はそうではないと思っている」


 高幹は悠然と見返して、自信の根拠をのぞかせた。


「ほう?」


「あれだけの規模の戦だ。どちらの陣営からも、裏切り者のひとりやふたりは出るだろう。勝敗をわけたのは、どれだけ激しく攻めても官渡城が落ちず、たった一度の夜襲で烏巣の陣が焼け落ちたからにほかならない」


 己の器量をしめそうというのか、高幹の声が熱をおびる。


「官渡城は堅牢な城砦だった。曹操は戦がはじまる前から、官渡に城を築いていたのだ。だが烏巣の陣は、河北からの補給をつなぐために、急ごしらえでつくられた陣にすぎなかった」


「なるほど、陣の差か。それでは勝てん」


「うむ。曹操が選んだ戦場で戦ってしまった。それが真の敗因なのだ」


「それはつまり、曹操の戦略眼が、袁紹どのを上まわったのだろう?」


 呼廚泉の用心深さに、高幹が苦笑を浮かべる。


「いや、伯父上おじうえが戦場を選べなかったのには、原因がある」


「ふむ、原因とは?」


「君側の奸を討つ、これだ、これにつきる。天子を救うにしろ、曹操を討つにしろ、許都をめざして進軍すると公言しているようなものだった。曹操からすれば、やりやすかったろう。河北から許都への線上で、戦いやすい場所を選べばよかったのだから」


「……大義を掲げてしまったがゆえに、天下を取りそこねたか。袁紹どのは不運だったな」


「まったくだ。許都ではなく、まず洛陽を狙うべきだったのだ。洛陽を占領し、鄴と洛陽の二方向から攻めれば、曹操は官渡城にこもってはいられなかった。それで天下の趨勢は決していたはずだ」


「だから、袁譚どのは洛陽を狙う、か」


 納得したように、呼廚泉はうなずいた。


「うむ。前車のくつがえるは後車のいましめ。同じてつを踏みはせん。敵の弱いところを攻めればよい。そこが豊かな地であれば、なおさらであろう」


「洛陽が攻めやすい地とも思わないが……」


 なおも懐疑的な呼廚泉に、高幹はあきれないでもなかったが、大事な同盟相手である。ぞんざいなあつかいはできない。


「地形だけならばな。だが、軍備に力を入れていない。そうだろう、郭援?」


「洛陽はめざましい復興をとげているものの、兵力はさほどではないのだ。鍾繇どのが、武事より行政に長じた人物だからであろう」


 郭援の母親は鍾繇の姉である。彼は叔父おじ為人ひととなりをよく知っていた。


 高幹は一言一句、まるで勝利を約束するかのように、


「洛陽をうばえば、黎陽にいる曹操は許都を守るために撤退せざるをえない。その背後から、従兄弟いとこどのの本軍が襲いかかれば、壊滅的な打撃をあたえられよう」


 力強い高幹の声に、ようやく呼廚泉は警戒を解き、笑みをたたえた。


「この作戦を考えたのは、高幹どのであろう?」


「わかるか?」


「高幹どののはたす役割が、あまりにも大きいからな」


「少々、出しゃばりすぎたかもしれん。……しかし、顕思ケンシにまかせていては、曹操に勝てるのか、どうにも心許ないのでな」


 主君・袁譚をあざなで呼び、高幹は悩ましげに眉根を寄せた。


 いらぬ世話かもしれないが、呼廚泉は忠告せずにはいられなかった。


「……古来より、功を立てすぎた臣下は、粛清されるのが常であろう。親族といえど、例外ではない。いや、親族であればなおのこと、うとまれるのではないか?」


 己の言葉がもたらした変化を、呼廚泉はたしかに見た。


 ほんの一瞬、高幹の双眸を炎が支配したのだ。


 それは野心の炎であった。理性のふたによって覆い隠されていた、動乱の時代に生まれた男の渇望であった。


「……そのときはそのときよ」


 高幹が素っ気なくいうと、南匈奴の単于は豪放な笑い声を立てた。


「ハッハッハ。高幹どのは、乱世に生まれるべくして生まれた男よな」




 高幹軍は、さらに南へと進軍した。


 途上にある絳邑コウユウ皮氏ヒシといった要所を次々と陥落せしめ、三百里を侵攻してなお、敵らしき敵はあらわれない。


 曹操は河東郡に兵をまわしておらず、その隙をつくことに、高幹は成功したのである。


「たわいもない」


 戦略面で優位に立ったとの思いが、高幹の自信を深めていた。


 皮氏城を出立する日の早朝、彼は厩舎にむかいながら、かたわらを歩く郭援に語りかけた。


「曹操も、五大謀士とやらも、たいしたことはないな」


 俊才賢才をそろえた曹操の幕僚たちは、天下一とうたわれている。


 とくに荀彧、荀攸、郭嘉、程昱、賈詡の知謀は世に冠絶し、彼らを指して五大謀士と呼ぶ声もあるという。


 だが、どうだ。この無様のさらしようは。


 鍾繇を倒せば、曹操を倒さずとも、天下への道はひらけるのだ。このような致命的な弱点を、仮に高幹が曹操陣営にいたならば、放置してはおかなかったであろう。


「天下に知らしめてやろうではないか。乱世にもっとも愛されているのは、この高幹だということをな」


 高幹は傲然ごうぜんといいはなった。軍事的成功が、彼の全身を高揚させていた。一歩ごとに天下取りへ近づいているという実感が、胸に秘めていた野心を刺激してやまなかった。


 呼廚泉が看てとったように、高幹には激動の時代でこそ光を放つ、梟雄きょうゆうの資質があった。その資質一点にかぎれば、あるいは袁紹をも凌駕していたかもしれない。


 だがしかし、高幹は知るよしもなかった。


 これから戦う敵の指揮官が、鍾繇ではないことを。

 乱世をべる宿命ほしに生まれた、巨大な才能を秘めた若者が、采配をふるうことを。

 そして、この戦いが、司馬仲達の華々しい初陣として、歴史を鮮烈にいろどることを。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 人格者ってなんでしたっけ…… [一言] じゃない孔明先生がフラグせっかく立てたのに、上回るフラグを立ててくるとは
[一言] 司馬仲達さんに丸投げ~~♪ 此れ主人公の推薦があったから断らなかったんだろうな~~。
[一言] まあ、司馬懿に防衛戦やらせるなら 2倍なら余裕でしょ? 洛陽なら防御さえしっかりしてれば 最低でも3〜5倍は兵数差ないとキツいと思う 司馬懿がしっかりと防衛してる間に背後を 龐徳がつけば勝…
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