第四一話 審配の結論
袁紹陣営にいる友人たち全員の生還を祈願している私にとって、最大の問題が、郭図の死亡フラグをどうやってへし折るかである。
郭図が死亡するのは、袁紹が病死してから曹操が河北を平定するまでのあいだである確率が、きわめて高い。
そろそろ袁紹がやばいので、郭図の死期も近づいているということになる。
彼の死亡パターンは、おおまかにふたとおりと考えていいだろう。
曹操軍との戦か、はたまた冀州閥との争いか。
前者の場合、その戦場にいない私にできることはない。
従軍するであろう郭嘉に、可能なら郭図は生け捕りにしてくれ、と頼んであるが、うまくいくかは運を天にまかせるしかない。
では、後者の場合どうか。
これがまた、かなり厄介な死亡フラグが立っている。
袁家分裂がなくなったところで、派閥争いまでなくなるはずがない。
本来ふたつにわかれるはずだった集団が、ひとつの陣営にとどまるのだから、袁紹存命時よりも、権力争いは過激化すると見たほうがいいだろう。
冀州の豪族たちから恨みを買っている郭図なんて、格好の標的である。
ここで、私の立ち位置がけっこう重要になってくる。
私は曹操の部下ではない。つまり、冀州の豪族とも交流をもちやすい立場にいるのだ。
というわけで、私は冀州の豪族たちに手紙を送った。
名声をほしがる豪族は多いから、何人かは私との交流に魅力を感じてくれるはずだ。
同時に、こうも思うだろう。
「潁川の名士たちと、あまり派手に敵対したくないな」と。
私の友人たちと争っていては、せっかく手にした名士の仲間入りをする機会が、ふいになってしまう。そんなふうに考えてくれれば御の字だ。
彼らは、派閥争いの過激化をおさえようと、穏健派にまわってくれるだろう。
ようするに、自分の名声をエサにして、冀州閥内部の穏健派勢力を増やすのが、私の狙いである。
この計画、以前からあたためていたのだが、問題があった。
袁家の派閥争いをとりなすのだから、下手したら、いや、上手くいきすぎたら、袁家分裂がなくなってしまうかもしれない。
だったら、分裂するまで待ってから、手紙を送りつければいいではないか。
私はそう考えていたのだけれど、袁譚が後継者に指名されたことで、分裂する未来はなくなった。
それなら待っていてもしょうがない。さっさと動いたほうがいいはずだった。
*****
郭図暗殺を中止すると聞いて、審栄は声を荒らげた。
「なぜです! なぜ郭図を殺さないのですか!?」
「これを読んでみろ」
審配から孔明の手紙をうけとると、審栄は不審そうに片眉をあげた。
「胡昭? あぶみを発明した男ではありませんか」
審配はうなずいて、
「うむ。その手紙を読み解けばわかる。郭図は生かしておいたほうがよい」
審栄は孔明の手紙に目を通した。しばらくして、
「……そうか、郭図と胡昭は親交があると聞く。胡昭に気に入られれば、審家にも名家となる道がひらかれるかもしれません。しかし、郭図殺害がばれたら、その道は閉ざされてしまう」
審栄の目に打算の光がやどる。彼は利を計算できる男であった。
だが、審配は首を振って、
「たしかに、そのような考えかたをする豪族もいるだろう。だが、そんなことはどうでもいい。その手紙には、もっと重要なことが書かれている」
「もっと重要? 儲け話ですか?」
「われわれは曹操に勝てぬ。そう書いてあるのだ」
「バカな!?」
審栄はサッと気色ばんだ。
「官渡で負けたのは、烏巣の兵糧庫を燃やされたからです! 騎兵の質に差があったからです! 今度はそうはいかない!」
「そのとおりだ。私とて、そう思っていた」
曹操が河北に攻めてくれば、兵糧庫となるのはこの鄴である。
烏巣の陣と鄴城とでは守りがちがう。堅城・鄴はたやすく落とせる城ではない。
また、あぶみの有無によって生じた騎兵の差も、袁紹軍があぶみの配備を急いですませたため、すでに解消されている。
負ける要因はなくなった、はずであった。
「だが、胡昭どのは、ちがう見方をしているようだ」
「胡昭……どの? 叔父上は、袁紹さまの招聘を拒んだ胡昭を、きらっていたのでは?」
「いままではな。しかし、あくまで民草の暮らしを憂えるこの手紙を読んで、彼の為人を理解した。胡昭どのは本物の名士なのだ。袁紹さまと同じようにな」
「……そこまで高く評価するような手紙でしょうか?」
審栄は納得しかねるようであった。
手紙の内容は、たんなる世間話でしかなかったのだから、首をかしげるのも当然であろう。
「栄、袁紹さまが本物の名士であるゆえんはわかるな」
「はい。この国を代表するとされていた高名な名士たちは、宦官どもに敗れ、なにもできずに殺されていきました。しかし、袁紹さまだけはちがいました」
審配から何度もいい聞かされているため、審栄はすらすら答えてみせる。
「袁紹さまは若き日に宦官打倒を志し、長い年月をかけて、ついに宦官どもを討ち滅ぼしました。口先だけの名士たちとはちがい、袁紹さまは結果を出したのです」
「うむ」
審配は満足げにうなずいた。
もし、いいよどむようであれば。
袁紹がいかに偉大な人物か、あらためて教えこまねばならないところであった。
建寧二年(一六九年)、第二次党錮の禁が起きた。
宦官にさからった名士たちがつぎつぎと処刑されていると聞いて、まだ少年だった審配は、こう思ったのだ。
――名士なんて、しょせん負け犬だ。
きれいごとをいうだけいって、無責任に死んでいく。
そこになんの意義があるのだろう。
結局、優秀な人物が処刑され、あるいは官職を辞し、国が衰退していくだけじゃないか。
宦官の横暴を憎む、少年らしい清冽な心もあっただろう。
その一方で、名士たちをおろかしく思いながら、審配は育った。
名士の名声や言動をほめそやす人々に、同調する気にはなれなかった。
そんな形のないものより、形のあるもののほうが、ずっと好ましい。
賄賂を贈れるだけの力があれば、宦官であろうとおそれる必要はないのだ。
いかに財貨をたくわえるか。いかに私兵を組織するか。
家を継いだ審配は、表社会と裏社会の両面で、豪腕をいかんなく発揮していく。
そしていつしか、彼は冀州有数の実力者になっていた。
中平六年(一八九年)八月、袁紹が宦官の一掃に成功した。
時をおかず全土を駆けめぐったこの報に、審配はそれまでの価値観が揺らぐほどの衝撃をうけた。
袁紹は大将軍何進の側近となって、虎視眈々と宦官排除をはかっていたという。
何進の妹は皇后であり、何進は外戚であった。
漢朝を衰退させたのは何者かと問えば、第一にあげられるのが宦官であり、第二が外戚である。
それでも袁紹は何進と手をむすんだ。
きれいごとに拘泥せず、大悪を倒すために、小悪をのみこんだのだ。
審配は思った。
袁紹は理想を妄想で終わらせなかった。現実を変えてみせた。
本物の名士とは、彼のような人物をいうのだろう。
彼のような人物が、この国を救い、導いていくのだろう、と。
ところが、何進と宦官たちが共倒れになったあと、朝廷の実権をにぎったのは董卓だった。
袁紹の義挙は、快挙ではあったが、よい結果にはつながらなかったのだ。
袁紹の下に優秀な家臣団がついていれば、董卓の台頭もふせげたであろうに。審配は残念がったものだ。
袁紹は洛陽から逃亡し、反董卓連合軍の盟主となり、なんのめぐりあわせか、鄴の主となった。
天命という言葉を、審配は信じた。
袁紹がこの国の光となるなら、自分は彼の影となろう。ひそかにそう誓った。
いままで磨きあげてきた才腕、たくわえてきた力はそのためにあったのだ……。
「袁紹さまが、治国平天下の道を歩まれるように。胡昭どのもまた、荒れはてた国土を復興するために尽力しているのだ」
そう考えれば、すべてのつじつまがあう。審配の声には、隠しようもない感嘆のひびきがあった。
孔明が逃亡したのは、袁紹をかろんじたからではなかった。のちに、天子を推戴した曹操の誘いすら拒んでいるのが、その証左である。
孔明が冀州をはなれたのは、故郷潁川を再建するためだったのだ。
潁川が天子をむかえ、さらなる発展が確約されると、彼はこの国の中心である洛陽盆地を復興するため、陸渾に移住している。
口先だけでなく、世の人々を救うために行動する。
……なるほど、本物と認めざるをえない。
――ふん、さすがに気宇の壮大さでは、天下統一をめざしている袁紹さまにはおよぶまい。だが、天下の名士とうたわれるだけのことはある!
審配は知った。
胡孔明は本物の名士である!
あぶみを発明したのも、曹操軍を利するためではあるまい!
人々の暮らしに役立てようと、天下万民を思って発明したにちがいない!!
馬からとびおりたときに、足首を痛めて泣いちゃったから、だなんて審配は思ってもみなかった!!
「その胡昭どのが、なぜ、冀州の民を憂えるような手紙を送ってきたのか。理由がわかるか、栄」
「いえ……」
「これから、冀州の民にとって苦しいときがくると判断しているのだ」
「…………」
理解できぬ様子の審栄に、審配は説明する。
「官渡の戦いの前年、曹操軍が黎陽に攻めこんできたとき、胡昭どのはこのような手紙を送ってこなかった。なぜか? われわれの力で、曹操軍を撃退できると判断していたからだ。実際、彼の見立てどおりに、われわれは曹操軍を追い払い、河南に逆侵攻をはじめている」
だが、といって、いまや冀州一の豪族となった男は、表情を険しくする。
「今度はちがうと見ているのだ。いずれ攻めてくるであろう曹操軍を河北から追い出せず、この地に住まう人々が戦乱に見舞われる。そう見ているから、民の暮らしを案じる手紙を送ってきたのだ」
「むむむ」
審栄はうなった。
並外れた人物鑑定眼と、名士の情報網とをあわせもつ孔明である。天下の情勢もよく見えているであろう。彼の予見力を無視して、負ける要因はなくなったなどと希望的観測にとらわれていては、痛い目にあいかねない。
「し、しかし、それでどうして、郭図を生かしておいたほうがいいのですか?」
「対曹操にかぎれば、郭図は使える男だ。やつが許都にもっている諜報網は替えがきかん」
審配は不機嫌そうにいった。審栄はなおも不服そうに、
「郭図を殺して、諜報網をうばうことは――」
「できん。郭図の人脈のうえに成りたっているものは、郭図が死ねば維持できずに消えてしまう。うばいようがない」
財貨や民ならともかく、人のつながりまではうばえない。郭図がつくりあげた諜報網は、ある意味、審配が軽視してきた名士の力が、形となってあらわれたものといってもよかった。
「では、派閥争いはどうするのですか?」
「曹操に漁夫の利をあたえるのは、おもしろくない。過激な手段はおさえるしかなかろう。なに、家中の実権など、公明正大な方法でにぎってみせればすむ話よ」
審配は郭図たちをめざわりに感じていたが、難敵とまでは思っていない。
彼らが主君のまわりでさえずろうと、いかようにも対処はできる。
それより、曹操である。気にかけるべきは、曹操の動きである。
口元に酷薄な笑みを浮かべて、審配は結論づけた。
「ふふふ。曹操を倒すまでは、郭図にもしっかり働いてもらおうではないか」
冷静に思考をかさねたうえでの決断である。
審配は、名声というエサに食いついたわけではなかった。
だが結果として、彼はみずから進んで、孔明の思惑どおりの結論に達したのであった。




