第三五話 縁談
ふふふ、結婚ラッシュといったな……。なにが、ふふふだッ!
他人事のようにいってたけれど、すっかり巻きこまれております。
狙われたのは妻帯者の私ではなく、息子の纂だ。
片っ端から断るのもむずかしいだろうと判断して、私は迅速に動いた。
まず、本人に意中の相手がいないかを聞き出した。
しぶしぶ白状したところ、陸渾に引っ越してくる前、仲よくしていた女の子が気になるらしい。
潁川陳氏の娘だというので、私は許都に急いだ。
潁川陳氏の頭領は陳羣である。
仲介を頼むと、彼はこころよく引きうけてくれた。
いわく、その娘さんにも、いくつか縁談がもちこまれていたとのこと。
恋は神速を貴ぶ。
ぎりぎり間に合わせた自分の行動力をほめてやりたい。
えらい! えらいぞ、私ッ!!
ふうっ。
お見合いの日取りを決めて、ひと息つく。
纂は仕官する意思がないようだ、と話しているうちに、有望な若手をどう確保するかが話題になったので、
「荊州に、臥龍、鳳雛と評される若者たちがいる。まあ、中央に推挙しようとして、丁重に断られてしまったのだが」
と私は陳羣に明かした。
荀彧から諸葛亮の名を聞いた私は、荊州にいる人材の噂を軽く集めた。諸葛亮が臥龍と称されていること、龐統が鳳雛と並び称されていることを確認して、中央官庁に勤めてみないかと、彼らに勧めてみたのだ。
……じつは、当初は三人推挙する腹づもりでいた。
諸葛亮と龐統、そして、劉備の最初の軍師になる徐庶である。
ところが、徐庶の評判を拾えなかったのだ。残念だがやむをえない。これで徐庶までスカウトするのは、あまりにも不自然すぎる。
「臥龍に鳳雛ですか……。また、ずいぶん大仰ですね」
陳羣は疑わしげに眉をひそめた。
「大げさな評判を立てて、身内の若手を売り出そうとするのは、めずらしいことではなかろう」
私は、彼らの縁戚関係を説明する。
龐統は、荊州で信望が厚い龐徳公の甥である。諸葛亮の下の姉は龐家に嫁いでいるので、諸葛亮と龐統は親戚になる。また、諸葛亮の上の姉は、荊州の名門、蒯家に嫁いでいる。書生時代の諸葛亮は不遇なイメージがあるが、とんでもない。諸葛家、めっちゃたくましかった。荊州の名士社会に、したたかに食いこんでいる。
「それを差し引いても、相当な大器であろうよ」
「しかし、孔明どのでも断られてしまった、と」
「うむ。司馬徳操に手紙を送ったのだが、彼と龐統と諸葛亮から、それぞれ返書がとどいた。龐統は荊州をはなれるつもりがないそうだ。諸葛亮の手紙には、『曹操に仕える気はありません』と書かれていたな。……彼は徐州出身だから、しかたなかろう」
「……彼らの気持ちも、よくわかります。いつ、なにが起きてもおかしくない世のなかですからね。郷里に代わるよりどころなど、どこにもありません」
陳羣はそういって、痛ましそうにまぶたをさげた。
「あのとき、私も徐州にいました。見るにたえない光景でしたよ。潁川や青州がそうだったように。私は、同じような光景を何度も目にしていましたし、もう大人でしたが……」
「……はかりしれない衝撃をうけたであろうな。諸葛亮は」
それまで不自由のない生活をしていた少年にとっては、青天の霹靂だったろう。
「青州兵たちによる乱暴狼藉は、ふせぎようがなかった。ならば、敵地にさしむけるしかない。……その判断を『いたしかたなし』と思いこもうとするのは、私が若さを失って、いろいろあきらめてしまったからなのかもしれません」
半ば冗談めかして、陳羣は自嘲するように苦笑した。四捨五入すれば、まだ三十歳だろうに。
「おいおい。結婚したばかりの身で、なにをいう。わが子の縁談を見繕っている私ならともかく」
アラウンドどころか正真正銘四十歳の私がそう返すと、陳羣は自嘲をしまいこんだ。
「それはそうと、荊州の若手を狙うのは、なるほど、いい着眼点ですね」
「むっ。そうか?」
「洛陽、潁川、汝南。かつて学問の中心として栄えた地が、どこも深刻な被害をうけています。街並みの再建は進んでいるのですが……」
陳羣は困り果てたというように、首を振ってみせた。
建てなおせる建築物とは、事情がちがう。
となると――、
「焼失、散逸した書物は取りもどせない、か……」
「ええ。貴重な文献が、数多く失われてしまいました。原本がなければ、写本も作成しようがない。教育水準の低下に、頭を悩ませているところでして」
黄巾の乱と董卓の暴政によって、この国の教育システムは根底から破壊されてしまった。
劉表の居城、襄陽は文化が成熟し、かつ焦土となるのをまぬがれた、数少ない都市といってよい。
しかし、その襄陽も、いずれ戦乱にのみこまれる運命にある。洛陽や許都に近すぎるのだ。ここをおさえずに、天下をおさめることはできない。華北の統一がなったなら、曹操の次のターゲットは荊州だ。それがわかっているからか、
「荊州が戦火にさらされるのは、できればさけたいのですが……」
陳羣の言葉は歯切れが悪かった。戦をさけると明言できないからだろう。
有言実行というか、不言実行というか。ともかく陳羣はそうした性格で、できそうもないことを、できるとはいわない。
けれど、前世の記憶では、曹操軍の侵攻に対して、劉表の後継者・劉琮は戦わずして降伏している。
劉備視点からだと、「なぜ降伏するのか!」といきどおる場面だが、曹操側からなら、話は逆だ。
武力衝突をさけるために調略、交渉を重ねた成果なのはまちがいない。
陳羣も、労を惜しまなかっただろう。
陸渾への帰り道。馬の背に揺られながら、私はあえて独白した。
「曹操に仕官する気はありません、か」
諸葛亮が曹操を恨んでいたという説は、前世にもあった。
その説が的を射ていたのだ。
三国志最高の軍師を味方にするのは、あきらめるしかないようだった。
考えてみれば、私だって劉備に仕えるつもりはなかった。
誰に頼まれようと、劉備に仕官する道は選ばなかっただろう。
こういった個人の事情は、どうにもならないものがある。
二十歳になってすぐ、私は頭痛と発熱にうなされた。
牀に伏したまま、ほとんど眠れない日が数日つづいた。
頭をえぐられるような痛みと全身の汗がひいて、気づいたら、あるはずのない、遠い未来の記憶をたどれるようになっていた。
自分の周りに歴史上の人物がいる。このさき、なにが起こるのかを知っている。
体調こそ回復したが、この時代の私と遠い未来の私、ふたつの記憶が混濁して、頭のなかはこんがらがっていた。
けれど、混乱してばかりではいられない。
私は翌月に結婚を控えていたのだ。
あらたな戸をもつ準備に、走りまわらなければならなかった。
このころが、人生で一番忙しい時期だったように思う。
じっくり将来を考えるための時間をもてたのは、結婚してしばらくたってからだった。
この記憶は、ただの妄想なのだろうか。
……それとも、本物なのだろうか。
もし、本物だったなら、乱世がはじまる。これからずっと、戦乱がつづくのだ。
妻を、家を、どう守っていけばいいのだろうか。勝者につかなければならない。
一番手に浮かんだのが、中原の覇者となる曹操だった。
自分の交友関係を見渡せば、曹操陣営に与するのはむずかしくなさそうだった。
この選択は正しかったと思っている。
だからといって、ほかの選択肢を検討しなかったわけではない。
三国志演義の主役といえば、やはり劉備だろう。
劉備の部下になったらどうなるかも、もちろん想像した。
最終的に蜀漢の皇帝にまでのぼりつめる劉備だが、その道程は波乱万丈というのも生温い。各地を放浪し、妻子を見捨て、艱難辛苦の生涯を送る。
関羽や張飛のような腕っぷし自慢ならまだしも、私なんか、とてもついていけない。絶対に死んじゃう。それに、主君が妻子を捨てなきゃいけないところまで追いつめられるのだから、部下だって似たようなもんだろう。
すべてを投げうって、劉備とともに生きる。
そんな人生、私はまったく魅力を感じなかったのだ。
お見合いの話をもち帰った私は、妻子に英雄のごとく迎えられた。
うわははは! あがめよ、たたえよ! 父親の威厳はうなぎのぼりよッ!!
決戦の日、お見合いの日が近づくにつれ、本人はもとより、私までそわそわしだす。けど、はじまってしまえば、あっという間だった。結婚は纂が成人してからになるが、つつがなく縁談はまとまった。
安堵して、気が抜けてしまった。大きな仕事をやり終えて、脱力感にとらわれる。よくある話だ。
そのまま春が過ぎ去ろうとしていたところに、手紙がとどいた。
実家に呼びもどされている司馬懿からだった。
『――このたび、平皋県張家の娘と結婚することとなりました。つきましては、日ごろご指導くださる先生に、ぜひ、ご来訪いただければと存じます』
どうやら、結婚ブームに巻きこまれているのは、うちの息子だけではないもようである。




