第三二話 騎兵戦術の革新
都督たる淳于瓊が烏巣の守備を任されたのは、むろん、袁紹が烏巣を重要視したからであり、淳于瓊が兵站の重要性を理解しているからである。
袁紹軍は大兵力であるがゆえに、兵站に異常をきたしては、その巨体を支えられない。小規模な軍隊ならば、略奪で糧秣をまかなうこともできるが、そうはいかないのだ。
淳于瓊は、柵をはって陣地を築き、兵糧を保管するための食糧貯蔵庫を大量につくった。後方から輸送されてきた兵糧をそこにたくわえ、大規模な輜重隊を編成すると、前線から到着した護衛の軍とあわせて、前線へと送り出す。
敵襲にそなえ、哨戒もおこたらなかった。
烏巣の周辺は、小部隊がこまめに巡回している。
深夜、淳于瓊の安眠を妨害したのは、その小部隊からの急報だった。
「南に、曹操軍の騎兵部隊を発見しましたッ!」
天幕から不機嫌そうに出てきた淳于瓊に、部下が緊迫した声で報告した。
「南か。敵の数は?」
「不明ですが、千や二千ではないようです。五千はくだらないと思われます!」
「……まずいな」
淳于瓊は舌打ちした。千騎ほどなら、狙いは輜重隊かもしれないが、五千をこえる規模となると、まず烏巣が標的だろう。眠気は一瞬で吹きとんでしまった。
「兵士たちをたたきおこせ。南と西の守備をかためろ」
あごひげをなでながら、淳于瓊は指示した。
「はっ、南と……西ですか?」
部下が意外そうにいった。
「旗を見ろ」
淳于瓊があごをしゃくったさきには、風にあおられて、バタバタと音をたてる旌旗がある。
「強い西風が吹いている。乾いた風だ。曹操軍は、風上から火矢を射かけてくるにちがいない」
「……っ」
顔を真っ青にした部下は、礼もそこそこに、伝令に走り去っていく。
彼をとがめる気に、淳于瓊はなれなかった。兵糧庫が炎上するさまを想像して、心おだやかでいられるほど剛胆でも無神経でもないのは、淳于瓊も同じだったのである。
はたして、曹操軍が姿をあらわしたのは、西であった。
「報告、袁紹軍に出撃の気配なし! 陣中にこもり、前面に弩兵・弓兵をならべて、待ちかまえるもよう!」
物見の報告に、曹操軍の将・于禁はうなずいて、眉間にしわをきざみこんだ。
「出撃してくれれば、このまま一気に攻めこみ、乱戦に乗じて烏巣の陣に突入する、という手もあったのだが……。徐晃、おぬしはどう思う?」
問われ、徐晃は敵将の経歴に触れる。
「淳于瓊は、西園軍の校尉をつとめていたほどの男だ。われらの騎兵と野戦をすれば、顔良の二の舞になることぐらいわかっていよう」
「うむ。慎重にもなるか」
西園八校尉といえば、曹操や袁紹と同役である。かつて、皇帝直属の軍で、高い地位にあった人物なのだ。油断しては痛い目にあうだろう。
「ならば、やつらのお望みどおり、矢戦をしてやろうではないか。……ただし、われらの矢だけがとどく距離で、だがな」
于禁が敵陣を遠望しながらいうと、
「フッ、心得た」
徐晃はにやりと笑い、持ち場にもどっていった。
于禁は、風を確認して場所をさだめると、
「火矢を放てッ!」
強弓の士を選んで射られた火矢は、西風にびょうと乗って、烏巣の陣中に落ちていく。二度、三度とくりかえされるうちに、篝火とはことなる地点に、ぽつりと赤い点が灯った。
火の手があがり、煙がのぼる。
曹操軍は、飛距離を競うかのように、火矢を射つづけた。
やがて、一方的な射撃に耐えかねて、淳于瓊が反撃を命じた。
闇にうごめく于禁隊めがけて、無数の矢が放たれる。
夜空を埋めつくす銀色の矢尻は、火矢の十倍の密度があるかと思われた。
頭上に降りそそいでいれば、曹操軍は目を覆いたくなるような惨状をさらしていただろう。だが、矢のあらかたは風にあおられ、敵にたどりつく前に、勢いをうしなっていった。
それにしても、すさまじい数の斉射である。
「なんという矢数だ。正面からまともに突っこんだら、どれほどの被害が出るかわからん」
于禁はうなった。
補給基地だけあって、烏巣の物資は潤沢なのだろう。
強行軍で移動してきた曹操軍は、軽装で、矢にもかぎりがある。
あのような無駄撃ちはゆるされなかった。
いずれは、敵が射かけてきた矢をひろって、再使用することにもなろう。
「なに、これほどの数の矢を、一斉に放てるのだ。
敵が射手を西に集めているのは、まちがいなかろう。
われらにとっても、好都合である。
終わりのときがくるまで、淳于瓊にはつきあってもらうとしよう」
心につぶやき、于禁は冷静に指揮をとりつづけた。
陣中の炎はしだいに広がっていくが、兵糧庫全体の規模と比べれば微々たるものである。
ときに気がはやって前に出そうになる部下をおさえながら、于禁は辛抱強くそのときを待った。
しばらくして、忍耐は完全な形で報われた。
陣の西ではなく、東で煙があがりはじめたのだ。
「あの煙を見よ! 曹公の攻撃がはじまったぞ!」
于禁の檄に、将兵たちが雄叫びでこたえた。
この場にあらわれた曹操軍は、官渡を出撃した一万騎の半数だった。
于禁と徐晃――曹操が全幅の信頼をおく名将たちは、風上から火矢を放ちつつ、敵を引きつけていたのである。
もう半数――曹操本隊は、手薄になった東から攻めこんだのであった。
東北の夜空に煙がのぼるのを見て、袁紹本陣は烏巣の危機をさとった。
あわただしく軍議がひらかれた。派閥争い、権力闘争、政治的打算といったしがらみで紛糾するのが恒例となっている袁紹軍の軍議ではあるが、このときばかりは全員一致で結論が出た。それも、きわめて迅速に。
「急ぎ、烏巣の救援にむかう」
袁紹の決断に、異を唱える者はいなかった。
第一陣として、騎兵が先行する。夜明けごろには烏巣につくであろう。
第二陣は、歩兵のなかで比較的足の速い、軽装歩兵である。
そして、足の遅い重装歩兵は、本陣にとどまることになった。
官渡城から曹操軍の援軍が出撃するようなら、阻止しなければならない。
官渡城ににらみをきかせるのが、この地にとどまる将兵の役割である。
重装歩兵を率いる張郃、あざなを儁乂という武将がいる。
彼は、人の気配がうしなわれて閑散とした陣中を歩きながら、胸のうちを僚友にこぼした。
「袁紹さまの判断は正しいのだろう……。それはわかっているのだ。だが、救援が間にあわなかったら、どうするつもりだろうか?」
寒風が吹きぬけて、篝火がたよりなげに揺れた。
河北育ちの身とはいえ、この時期の寒さは身に染みる。
首をすぼめて、張郃は凍りつくような小声でつづけた。
「烏巣が落ちてしまったら、軍は維持できなくなる。
袁紹さまは、そのまま撤退なさるだろう。
前線に取り残された私たちは、殿とならなければならない。
……いや、それどころか、捨て石にされてしまうのではないか……」
口にしながら、張郃は身ぶるいした。
それは、寒さのためであったろうか。
それとも、味方に捨てられる、おそれのためであったろうか。
彼は敵をおそれてなどいなかったが、前をむいて勇敢に戦うだけでよしとされるのは、兵卒までである。
将たる者、あらゆる状況を想定しなければならない。
もしも、袁紹が彼らを見捨てるようであれば……。
烏巣では、曹操軍が陣営の東から突入をはたしていた。
白馬からはじまった一連の戦いで猛威をふるいつづけ、すでに、曹操軍の騎兵は恐怖の象徴にまでなっている。
その進撃は、烏巣においてもとどまるところを知らなかった。
喊声とともに彼らが馳せれば敵はたじろぎ、刃をふるえば血と絶叫がはねあがる。
各所に火を放ちながら、曹操本隊は敵陣深くへと侵入していった。
これに対処すべく淳于瓊が西からはなれるや、その西からもすかさず、于禁たち別働隊がなだれこんでいく。
たちまち、袁紹軍は混乱におちいった。
いたるところが燃えあがり、視界を赤く染めあげる。炎の壁が行く手をさえぎり、逃げ道をうばい、せまりくる人馬への恐怖を、いっそうはげしくかきたてる。
狼狽する守備兵たちに、組織だった動きができるはずもなく、彼らは右往左往するばかりだった。
消火活動にあたるべきなのか、敵と戦うべきなのか、……それとも、逃げるべきなのか。
その均衡をかたむける報が、炎と馬蹄の音をつきぬけ、混迷する戦場にこだました。
「淳于瓊将軍、討ち死に! 淳于瓊将軍、討ち死にッ!」
叫び声は、潰走のきっかけとなった。
無秩序に逃げだした敵兵を、曹操軍が追いかけまわす。
頭を割られ、胸をつらぬかれ、烏巣の守備兵たちは血にまみれて倒れていった。
蹂躙の舞台となった陣中で、しかし、袁紹軍の将・呂威璜は、単独で行動している敵の騎兵を発見した。
呂威璜は、うかつな騎兵の背後に忍び寄り、えいやっと槍でひと突きにして絶命させると、馬をうばって飛び乗った。
「かくなるうえは、ひとりでも多くの敵を道連れにしてくれ――」
呂威璜の口は、そこで永遠に閉ざされた。
どこからともなく矢うなりが生じて、彼ののど笛を一閃、つらぬいたのだ。
馬から転がり落ちた呂威璜は、地にたたきつけられ四肢をねじまげ、そのままピクリとも動かなくなった。
矢を放ったのは、馬上の少年だった。
自分の手柄が信じられないのか、敵将らしき男の最期を、呆けたようにながめている。
少年と、その配下たち。
どちらがよりおどろいたのかは、さだかではない。
ともあれ、数瞬の沈黙を破ったのは、配下たちの賞賛の声だった。
「お、お見事!」
「おめでとうございます。曹丕さま!」
「身につけている甲冑からみて、あれは名のある敵将にちがいありませんぞ!」
「あ、ああ……」
褒めそやされ、曹丕はあいまいにうなずいた。
われに返って、周囲を確認する。
吹き荒れる熱風が汗を乾かし、渦巻く火焔は大地を焦がして、天までとどくかに見える。
十万の将兵をまかなうための、莫大な兵糧を燃料としているのだ。
まだまだ燃えつづけるだろう。
もはや、人の手で鎮火できるような勢いではなかった。
立っているのは味方ばかり。敵兵はことごとく地に倒れ伏している。
「……勝った。……終わった、のか」
のどがからからに渇いていることを、曹丕はいまさらながら意識する。
咳ばらいをしてから、視線をあげる。
東の地平線が、うっすらと瑠璃色に明るんでいた。
じきに、旭日がのぼりはじめるだろう。
夜明け前に、決着はついたのであった。
――のちに曹丕は、著書『典論』に、つぎのように記している。
「私がはじめて大功を立てたのは、官渡の戦いだった。
大功を立てたのは、私だけではない。
張遼が文醜を討ちとり、楽進が淳于瓊を討ちとり、ほかにも多くの者が輝かしい武勲をあげた。
都への帰路は、武功を立てた誇りと、勝利の高揚とで飾られたのだ。
しかし、それらを押しやる、漠然とした予感のようなものが、私の胸にはたゆたっていた。
袁家の大軍を相手に、こうもあざやかな勝利を手にできると、誰が予測しえただろうか。戦のありようが、変わろうとしているのではないか。
当時を思い返すに、変化の予兆を感じとり、いいようの知れない感情に心を揺さぶられていたのは、私だけではなかった。
あの大戦で戦場を駆けぬけた多くの戦士が、時代のうねりを感じとり、魂を揺さぶられていたのだ。
この動乱の世に、なにかとほうもなく大きな変革が起ころうとしている。私たちはその変革の先頭を、誰よりも速く駆けぬけようとしているのだ、と……」
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官渡の戦いは、鐙の使用が確認できる最古の戦争である。胡昭が発明した鐙をいちはやく取り入れた曹操は、騎兵を駆使して、終始、袁紹軍を翻弄した。
この戦いで、袁紹軍は多くの将を、敵将の手によって直接討ちとられている。これはそれまでの戦では見られなかったことであり、要因として、戦の主体が歩兵から騎兵にうつったことがあげられる。歩兵部隊で最前線に立つのは階級の低い兵卒であるが、騎兵部隊はそのかぎりではなく、指揮官が先頭に立つことも多かったためである。
こうした、騎兵が戦を主導する傾向は、後漢末期から三国期にかけて、とくに顕著にあらわれた。それにともない、一騎打ちや武将同士が刃を交える事例がたびたび見受けられるのが、この時代の戦争の特徴とされている。
官渡の戦いは、曹操と袁紹が覇権をかけて争った戦いであると同時に、騎兵の時代が到来したことを告げる戦いでもあった。
官渡の戦い wiikiより一部抜粋
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