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第二八話 白馬の戦い


 白馬城の包囲をつづける顔良のもとに、急報が入った。

 西の方角で、砂塵さじんが高く舞いあがっているというのである。


「バカな!?」


 顔良は眼をみひらき、声をうわずらせた。


 砂塵が高く舞いあがっていれば戦車部隊が、低く垂れこめていれば歩兵部隊がせまっている、といわれる。


 もっとも、騎兵戦術の発展にともなって、機動力の劣る戦車は時代遅れになっている。すでに部隊としての運用はすたれており、顔良がそうしているように、高い場所から指示をあたえるために使用するものとなっている。


 戦車部隊は、中原には存在しないのである。となれば、隆起した土ぼこりが意味するところは、敵騎兵部隊の存在にほかならない。


「なぜ、曹操軍がここにいる!?」


 曹操軍は延津にむかったはずであった。

 だが、友軍ではない以上、そこにいるのは敵軍と判断するしかない。

 奇襲こそかろうじて回避できたものの、してやられた感は否めなかった。


「もはや、白馬城にかまってはおれん。全軍で敵を迎え撃つ! 逆賊・曹操に、目にもの見せてくれるわ!」


 顔良は奥歯をかみしめて、おそろしい形相のまま、旗下一万の兵に集結を命じるのだった。






 天から地上を見下ろせば、奇妙な光景にうつるだろう、と曹丕は思った。


 曹家の旗がひるがえる白馬城を、顔良軍が攻めたてている。そこに曹操軍の騎兵五千が急行しており、遅まきながら、顔良軍の孤立を知った郭図・淳于瓊の軍が、白馬にとって返している。さらにその後背を、曹操軍三万が追いかけているのだ。


 味方を救うために、敵を挟撃するために、曹袁の旗がかわるがわるあらわれる。まるで、縦糸と横糸が交互にあらわれるように。


 この奇妙な状況を意図的につくりだした荀攸に対して、曹丕は感嘆以外の感情をもたなかった。


 見れば、顔良軍の旗には落ち着きがなく、陣容が乱れている。

 迎撃の準備をととのえるまえに敵があらわれ、浮き足だっているようだ。

 おそらくは、曹操軍を発見するのが遅れたのだろう。


「なるほど。匹夫ひっぷの勇とは、こういうことか」


 曹丕は心中でつぶやいた。


 かつて荀彧が、「顔良は匹夫の勇である」と酷評したことがあった。

 血気にはやり、注意力がたりない。大将の器にあらずと、ばっさり斬って捨てた形である。


 それを伝え聞いた曹丕は、「用心深く行動すればいいだけじゃないか」と当時は単純に思ったのだ。単純にすぎた、と反省すべきだろう。


 注意力がたりないとは、偵察部隊を手足のようにあつかうだけの力量がない、という意味でもあったのだ。


「性格だけでなく、能力の問題でもあったのか。……そりゃあ、簡単に解決できるもんじゃないな」


「はっ? なんでしょうか?」


 なんでもない、と曹丕が配下に答えたとき、戦鼓せんこがけたたましく打ち鳴らされた。


 前進せよ、との合図である。


 曹操軍五千騎は、いっせいに馬に鞭を入れた。


 進め! 進め! 進め!


 戦鼓のひびきが天をつんざき、馬蹄のとどろきが大地を揺るがした。


「あそこだ! 顔良はあそこにいるぞッ!!」


 誰かが叫んだ。


 顔良軍の陣容には厚みがない。中央の戦車に指図旗さしずばたがはためいているのが、はっきり目視できる。

 顔良は、あの戦車にのっているにちがいなかった。


 対する曹操軍は、虎豹騎一千をふくむ中央の三千を曹操が指揮し、左翼の一千を徐晃が、右翼の一千を張遼がそれぞれ率いている。


 曹操軍の方針は、このうえなく単純明快であった。


 顔良の首をとる! 敵大将めがけて、ただひたすらに突撃せよ!


 白馬城周辺は平坦な地である。

 騎兵の突進を妨げるものは、なにもなかった。

 われさきにと功を争い、ときの声をひびかせて、人馬の群れが平原をなだれうつ。


 もっとも速い部隊は、当然のように虎豹騎である。

 だがしかし、彼らよりさきをゆく騎影がある。

 ともにくつわをならべて右翼から飛びだし、目の覚めるようなはやさで先頭を疾駆しているのは、関羽と張遼であった。


「ちょ、待てよ」


 思わず、曹丕は口走っていた。

 無謀にしか見えなかった。あぶみを配備されていない張遼隊では、あの速度についていけないだろう。


 案の定、前のふたりと張遼隊との距離は、みるみる広がっていった。


 あきらかに突出している関羽と張遼をめがけて、驟雨しゅううのような矢がはげしく降りそそぐ。

 それでも、彼らは速度を落とさなかった。

 長柄を旋回させて矢を叩き落としながら、おくせず、強引に突き進んでいく。


「そんなのありかよ……」


 目を疑うような光景に、曹丕は唖然とする。

 彼もまた、いつのまにか虎豹騎の最前列で疾走していた。にもかかわらず、前をいくふたりとの距離は縮まらない。背中が遠い。


 顔良軍のまっただなかに、関羽と張遼は誰よりも早くおどりこんだ。

 関羽の大刀がうなりをあげ、張遼の槍が銀色にひらめく。

 どちらも劣らぬ驍勇の士が馳せるところ、次々と敵兵は倒れていった。




 彼らの活躍を見越していた曹丕ですら、度肝を抜かれたのだ。

 顔良軍のおどろきは、その比ではなかった。


 そもそも袁紹軍が白馬城を攻めたてた、この二か月のあいだ、野戦をいどんでくる敵など存在しなかったのである。たとえ、そのような身のほど知らずがいたとしても、鎧袖一触がいしゅういっしょく、またたく間にひねりつぶしていたであろう。


 袁家の大軍勢に敵はいない。兵士たちの多くはそう信じていた。


 遠からず、白馬城も陥落するだろう。

 そのときこそ、剣を抜き放つときであった。

 切っ先をむける相手は、武器をもった敵ではない。城内で息をひそめている、武器をもたない住民である。


 略奪をとがめる将校もいるだろうが、兵士にだって言い分がある。


 彼らは奉仕活動をしているわけではなかった。

 従軍したところで、支給される食糧はたかがしれている。

 それだけでは、とても生活していけないのだ。


 家族にひもじい思いをさせないために、現地で金目のものや食糧をあさるのは、正当な権利であろう。そうした状況下で、獣性と残虐性が鎖から解き放たれて、乱暴狼藉がくりひろげられるのも、戦地では見慣れた光景であり、もののついでであった。


 郭図・淳于瓊の軍が白馬をはなれたとき、顔良軍の兵士たちから、心細いとの声はあがらなかった。彼らはむしろ、味方が減ることを歓迎すらしたのである。三万の軍勢が一万になれば、取り分は三倍になるではないか。


 白馬城が落ちていれば、いまごろ城壁という名のおりのなかは、住民の悲哀と絶望とで満ちあふれていたにちがいない。


 ところが、どうやら現実は、顔良軍の兵士たちにそっぽをむいたようであった。


 兵士が張遼にむけて槍を突きだすと同時に、張遼の槍が疾風となって突きだされる。穂先が空中ですれちがい、兵士の首から血しぶきがあがる。そのときすでに、張遼をのせた馬は兵士の横を駆けぬけている。


 関羽が地を這うように大刀をふるうと、巨大な鉄の塊が暴風となって荒れくるう。盾をさしだして受けとめようとした兵士の体が、次の瞬間、盾ごと折れまがって宙に浮き、味方の頭上を飛んでいく。


 いまや顔良軍の兵士たちこそが、猛獣の檻に放りこまれた生け贄であった。


「おおっ、なんということだ……。たった二騎を相手に、なにをしているッ!!」


 総崩れの様相をていしてきた自軍に、顔良は怒号を発した。


 周囲を兵士の壁にとりかこまれても、関羽と張遼の勢いが衰える気配はない。

 ついには、恐怖にかられた兵士たちが、戦わずして道をあける始末であった。


 切りひらかれた道には、怒涛のごとく曹操軍がおしよせてくる。

 こうなっては、形勢逆転などとうてい不可能であろう。


「むむむ。ここまで兵が狼狽ろうばいしてしまっては、どうにもならん」


 屈辱に顔をゆがめ、顔良は決断をくだした。


「くっ、ここは退いて、白馬津にて態勢を立てなおす! 退却せー!」


 顔良をのせた戦車が、ゆっくり動きだした。


 車軸をきしませて転進する戦車を見て、張遼が舌打ちし、関羽が笑う。

 大将首は、関羽がいるがわに、転がりこんできたのであった。


 関羽は乗馬をあおって、戦車に肉薄する。


「顔良! その首、もらいうける! 覚悟せいッ!」


「うぉおお!?」


 顔の筋肉をひきつらせながらも、顔良はほこをかまえた。兵士たちの恐慌が伝染していたのか、あるいは敗戦の衝撃が尾をひいていたのか。勇将として知られる彼らしからぬ、精彩を欠いた動きである。


 その頭部めがけ、あかく濡れそぼった大刀が、すさまじい勢いでふりおろされた。




 *****




「たしかに、おとどけしましたよ。それでは!」


 と強い陽射しにも負けず、郵人が元気に走り去っていった。


 手紙が二通とどいた。今回は、どちらも私あてだ。

 送り主を確認してみると、関羽と……張遼だった。


「なぜに張遼?」


 頭のなかに小さな疑問符が浮かぶ。面識がなかったのは、いうまでもない。


 けれど、張遼といえば三国志ファンおなじみ、曹操軍最強といっても過言ではない名将である。


 よしみをむすんでおいて損はないだろう。コネクション・コレクション的に考えて。


 さっそく、書斎にこもって、手紙を読んでみる。


「まずは、関羽の手紙から、っと」


 ふむふむ。

 そこには、曹操軍の先陣をきって顔良を討ちとった、と白馬であげた武功が誇らしげに書かれていた。


「ヨシ!」


 やるじゃない、マイ ペンフレンド。さすが軍神。


 正史でも、関羽は顔良を討ちとっている。

 三国志演義では、顔良だけでなく文醜も討ちとっているが、こちらは創作であって事実ではない。


 演義の話はともあれ、広大な戦場で、関羽が顔良を討ちとる確率は、ものすごく低いはずだ。

 それが再現されているのだから、歴史は私の知っているとおりに推移している、と考えていいだろう。


 ふははははは。計画どおり。

 悪だくみが成功したふうに、ニヤリとする。

 すべて予定どおりである。


 上機嫌な私は、次に張遼の手紙を読む。

 そこには、白馬の戦いにつづく撤退戦についての記述があった。


 顔良軍を撃破したあと、城兵と住民をひきつれて、曹操は白馬城を脱出した。


 袁紹軍の郭図・淳于瓊は、顔良軍の敗残兵を吸収しつつ、白馬城の北にある白馬津の確保にむかったようだ。顔良軍の救援に間にあわず、うしろからは曹操軍三万がせまっていたのだから、妥当な判断だろう。


 その白馬津に、袁紹軍の本隊が上陸をはじめて、逃げる曹操を追いかける。

 住民をつれていて歩みの遅い曹操軍は、延津のあたりで追いつかれた。

 追いついたのは足の速い騎兵部隊、文醜を指揮官とした、およそ五千だった。


 ここで、荀攸が場に伏せていたトラップカード、「輜重しちょう隊のおとり」が発動。

 ノコノコといった感じであらわれた輜重隊に群がり、文醜軍が略奪をはじめる。


 略奪に夢中になって、軍隊としての統制がとれなくなったところに、曹操軍の騎兵部隊が突撃をして、今度は張遼が文醜を討ちとっ…………はわわっ?


「文醜を……張遼が討ちとった!?」


 まちがってないか、目を皿のようにして読みなおす。


「文醜の強く猛々(たけだけ)しいこと尋常ではなく、あぶみがなければ、おくれをとっていたかもしれません」なんて書いてある。


 ……まちがいないっぽい。


 直接、張遼がみずからの手で、文醜を討ちとったようだ。


「ふうむ……」


 私は腕組みをして、首をひねった。


 文醜は名のある敵将ではなく、雑兵の手にかかって最期をむかえたはずだ。


 少なくとも、張遼みたいな大物に討ちとられていたら、有名なエピソードとして残っていなければおかしい。


 つまり――、


「歴史、変わっちゃってるじゃないの……」




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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは。 歴史変わりましたなぁww山田はイケメンを相手にする際にヒゲ神とタッグで挑むのは正史に記載があるみたいですが、まさかブサイクさんを討つ功績まで立てるとは。 演義ベースの横山…
[良い点] >「歴史、変わっちゃってるじゃないの……」 あぶみ渡してるんだから仕方ないね!
[一言] おもしろい、おもしろい! 顔良・文醜を討ち取ったのが関羽・張遼とは! ひたすら、おもしろい!であります。
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