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第十九話 孔明、錦馬超をたたえる


 ときの声にも似た大歓声のなか、馬超と閻行はみるみる距離をつめる。

 柵の中央に近づき、たがいにのみ声がとどく間合いになるや、彼らは思いのたけをぶつけあった。


「死ね、閻行!」


「死ね、馬超!」


 はからずも、選んだ罵声は合致がっちしていた。

 やいばを布で覆い隠そうとも、闘志まで覆い隠す理由はなかった。


 あふれでる戦意に遠慮のない殺意をかさねて、馬超がもつ緑槍りょくそうと、閻行がもつ黄金の槍とが激突した。


 衝撃はすさまじかった。両者の身体からだが大きくゆらぐ。あまりのはげしさに、乗馬までもがよろめいた。


 動揺する愛馬を、馬超と閻行は足のみで支配してみせた。一瞬、柵から離れようとした彼らの馬は、馬首をひるがえして、柵に寄った。


 第二撃をはなつ。わずかに馬超のほうが速い。


 緑槍が、閻行の顔面めがけて、するどく突きだされた。


 閻行はかろうじてそれをかわした。が、体勢をくずして、攻撃は中断せざるをえない。


 すかさず、馬超がたたみかける。


 飛燕のごとく突きだされる槍を、閻行はしのぎつづけた。かわす。はらいのける。馬超の呼吸にあわせて、ようやく反撃に転じる。


 長大な槍が、うなりをあげた。


 ただ一撃だった。ただ一撃で、万全の姿勢でうけとめたはずの、馬超の顔がゆがんだ。


 痛みによるものではなかった。衝撃の重さによって、敗北の記憶をよびおこされたのである。


 馬超とて剛力自慢ではある。三年の鍛錬で、さらに力は強くなった。それでも、閻行の巨躯が生みだす膂力には、およんでいなかったのだ。


 単純な力比べの優勢が、閻行の攻勢を勢いづかせた。

 黄金の槍が、暴風となっておそいかかる。馬超は守勢に立たされた。


「ああ……」


 と、手に汗握る観衆の目には、防戦一方となった馬超が追いこまれたかに見えた。閻行の苛烈な連撃には、見る者にそう思わせるだけの迫力があった。


 しかし、注意深い者であれば、別のことに気づいただろう。閻行の槍は、燎原の火のごとく馬超を攻めたてながらも、その白銀の鎧に一度たりともふれていない。


 攻めきれないのだ。少なくとも戦っている当人たちは、はっきりとそれを認識していた。


「こしゃくな!」


 閻行がはきすてた言葉に、焦りがある。だが、馬超はすぐには攻撃に転じなかった。そこから十合、二十合と、完璧な防御に徹しつづける。


 そしてついに、暴風の間隙をぬい、閻行の喉元をめがけて、緑槍が目にもとまらぬ速さで突きだされた。


「くっ」


 閻行はそれをのけぞってかわしたものの、あやうく落馬しそうになった。たまらず鞍の前輪まえわに右手をかけて、馬の腹を蹴り、逃げにかかる。


 馬超は、逃げる背中を追わなかった。追う必要はなかった。


 この手合わせには、取り決めがある。

 交戦する範囲は柵の中央付近と定められており、そこから先に離脱した者は、逃げたとみなされて減点されるのだ。こうした減点がふたつで、落馬と同じあつかいになる。


 すなわち、敗北である。

 一度逃げた閻行に、もう逃走は許されない。


「次で終わりだ、閻行」


 つぶやき、馬超は悠然と自陣にもどる。


 敵手とは対照的な、凛然とした姿の若武者を、歓呼の声がむかえた。




 はげしい撃ちあいに耐えられず、穂先を包む布が傷み、ゆるんでいた。兵に槍をあずけて、布を交換してもらいながら、馬超には敵手を観察する余裕があった。


 閻行の顔は、憤怒と屈辱に紅潮している。槍をまじえる前と、立場は逆転していた。閻行の思惑どおりに事がはこんでいないのは、誰の目にもあきらかだった。


 たしかに、馬超の膂力は鍛えてなお、閻行のそれにおよばなかった。だが、馬超の技量は、閻行の予想を凌駕していた。膂力の差を埋めるどころか、くつがえしてみせるほどに。


 両者の準備がととのった。貴賓席の孔明が一歩前に進み出て、白羽扇をさっとひるがえす。合図をうけて、兵が再開の銅鑼を鳴らした。



 ジャーン! ジャーン! ジャーン!



 決着をつけるべく、両者は愛馬を疾駆させた。


「おおおおっ!」


 閻行が獣のような咆哮をあげた。尋常でない気迫だった。馬の勢いをのせた、この一撃でもって、勝利をもぎとろうというのである。


 力で押しきれず、撃ちあいで競り負けた。馬超の力量が上回っているというのであれば、閻行はどこかで賭けにでるしかない。


 ここが最大にして、唯一といっていい勝機であった。


 この機を、閻行はのがさなかった。


 つい今しがた、馬超の呼吸にあわせて攻勢に転じてみせたように、彼はただ力任せに槍をふるうだけの男ではない。幾多の戦功を積みかさねてきた歴戦の勇士であり、本物の武勇の持ち主であった。


「おうっ!」


 と馬超も吠えて、雄敵の覚悟にこたえるように馬を速める。


 黄金と緑、二条の軌跡が交差した。


 閻行の槍が、馬超の兜をすべってくうに流れ、

 馬超の槍が、閻行の胸の中央に吸いこまれる。

 鎧を砕かんばかりの勢いに、閻行の巨躯が宙に浮いた。


 砂塵をまきあげながら人馬がすれちがったとき、鞍上あんじょうに閻行の姿はなかった。


 勝負がついたのを見て、大歓声があがる。


 万雷の喝采を浴びながら、馬超が手綱を握る。芦毛の馬がいななき、さお立ちになって脚をとめた。


 閻行は地に叩きつけられていた。その姿を見た馬超の顔に、勝利の実感がゆっくりとひろがっていく。


 やがて、馬超は天高く槍をかかげた。


「今日このときをもって、関中一の座は、この馬孟起バモウキがもらいうけた!」


 うずまく熱狂の中心で、堂々と宣言する。


 その声は高らかに、誇らかに、全軍に響きわたった。




 *****




 いやあ、閻行は強敵でしたね。


 一騎打ちは盛況のうちに幕を閉じ、その場で、関中軍閥との交渉もすんなり終わった。


 関中側は一万の民を洛陽に送りだし、曹操側はあぶみと鞍のセットを百組提供する、という形で話はまとまった。これ以上ない成果といっていいと思う。


 人身売買といってはいけない。この時代、民を無料ただで引っ張ってくることすら、めずらしいことではないのだから。悲しいけど、これが乱世のならいなのよね。


「お疲れさん。孔明が手伝ってくれたおかげで、いい結果を持ち帰ることができそうだ」


 長安にもどったその夜、私は鍾繇と酒を酌みかわしていた。

 鍾繇は上機嫌に酒杯をかたむけてから、肩をすくめた。


「もっとも、あんな危険な真似は二度とごめんだがね。いつ韓遂軍と馬騰軍が牙をむいてくるかと、気が気でなかったよ」


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、というでしょう。先人にならっただけですよ」


 私はしたり顔ではったりをかました。計算どおり、ということにしておく。


「ふむ。おまえさんも、ずいぶん大胆なことをするようになったもんだね。……弟子をとって変わったか?」


「仲達のことですか……」


 長安にもどる道中、司馬懿は、「先生の真意を見抜けなかった、己の不明を恥じるばかりです」と、しきりに感服していた。


 彼がいうには、私が一騎打ちを推し進めたり、賭け事に参加したりしたのは、すべて民心融和のためであったそうな。……そういう解釈もあるのか、なるほど?


「彼は、優秀な若者ですよ」


 私はそういってから、煮豆をつまんだ。


「うむ。あれは世に埋もれるような人材ではないだろう。わしより出世するかもしれんな」


 鍾繇はうなずいて、竹簡をひらいた。と、眉間にしわを寄せる。


 どうしたのだろう?

 私の視線は、兄弟子の顔と、彼のかたわらに存在する巻物の山を行き来した。


「む、これか? 読んでみればわかる」


 鍾繇は、なかば放り投げるように竹簡をよこした。

 ぞんざいなあつかいにおどろきつつ、私は書を一瞥いちべつする。


「これは、蔡邕サイヨウどのの書!? ……いや、偽書ですかね」


 蔡邕が書いたにしては、文字がいびつだ。

 本物だったら、もっときちっと書かれていると思う。


「うむ。長安は蔡邕どのが亡くなられた地だ。彼の書がどこかに残っているのではないかと、めぼしい廃屋を部下にさがさせておいたのだが、……彼の名を騙った偽物ばかりのようでなぁ」


 蔡邕は、董卓の破滅に巻きこまれて獄死した、博覧強記で知られる政治家である。


 書物の校訂に多大な貢献があり、有名な書家でもあり、私や鍾繇といった書にたずさわる者にとっては、手本とすべき人物だった。


 三国志では初期に退場してしまうので、あまり存在感はないかもしれないが。


「……で、もし本物が見つかったら、鍾兄しょうけいはどうするおつもりで?」


「…………」


 鍾繇は不思議そうな顔をして、首をかしげた。


 当然のことながら、本物の蔡邕の書であれば価値は高い。本来なら、朝廷におさめるのが筋というものだ。


「……くすねるつもりですね?」


 私はあらためて尋ねた。断定するように。


 鍾繇の目が泳ぐ。


 それって、犯罪ですよね?

 あなた、警視総監とか警察庁長官とか、そういう立場の人ですよね?


「そうそう、優秀な若者といえば、馬超も見事な武者ぶりだったね」


「はぁ」


 強引に話を変える兄弟子に、私はあきれた。


「孔明が、『錦馬超キンバチョウ』といいあらわしたのも見事だった。彼の英姿が目に浮かぶようではないか。うむ、しっくりくる。じつに、すばらしい表現だ」


「はぁ。それはどうも」


 そりゃ、しっくりくるでしょうよ。

 遠い未来まで、『錦馬超』の異名は残りつづけるのだから。


 なんだか、私が命名したみたいになってしまったけれど、馬超も馬騰もよろこんでいたから、よしとしましょうか。


 警察権力の腐敗から目をそむける、わけでもないが、私はなんとなしに西の窓を眺めた。


 乾いて澄んだ星空の下、馬騰陣営では、馬超の勝利を祝ってうたげがひらかれているはずだった。




 *****




 さて、えんたけなわの馬騰陣営である。


 天幕のなかには、酒のにおいが充満していた。飲めや歌えと騒いだあげく、酒杯どころか、酔いつぶれた人間まで転がっているありさまだった。


 ふいに、天幕の出入口がゆれた。

 まだ正気をたもっていた者たちは、そこに思いがけない人物を見た。


 天幕に入ってきたのは馬騰の三男、馬鉄バテツであった。


「親父っ、超兄貴っ!」


 敷物の上にあぐらをかいていた馬騰が、目を丸くする。


「鉄? どうしておまえがここにいる」


「どうしたもこうしたも、あるもんか。たった千ぽっちの兵しか連れてかなかったから、心配になって、追いかけてきたにきまってるだろ」


「千ぽっちというが、戦をしにきたわけではないのだぞ」


 馬騰は馬鉄をにらみつけた。


「本拠地の守りを手薄にしてどうする」


「でも」


「鉄、おまえには城を守るよう、命じていたはずだ」


「そ、それは、キュウ兄貴と龐徳ホウトクがいれば大丈夫だろ」


 馬鉄の声が少しうわずった。追及をさけるように、


「それより、超兄貴だ。あの閻行に勝ったんだって!?」


「おう」


 酒をあおりながら、馬超がこたえた。

 すでに酔いがまわり、体が火照っているのだろう。衣服をはだけて、上半身をむきだしにしている。


「あれが奴から奪ってやった戦利品、勝利のあかしだ」


 馬超があごをしゃくった先に、黄金の槍が飾られている。

 虎頭湛金槍ことうたんきんそう、関中一の勇士の証、と閻行が自慢していた槍であった。


「やった、さすが超兄貴だ! あの野郎、図体よりでかいつらしてやがるから、気にくわなかったんだ。さすがだぜ、超兄貴!」


 小躍りしてよろこぶ馬鉄を見て、馬超が得意げに笑う。


「ふふふ。奴のくやしそうな顔を、見せてやりたかったな」


「それだけではないぞ。名士の胡昭どののことは、鉄も知っているな?」


 馬騰が満面の笑みでつづけた。


「胡昭? あの孔明先生のことか?」


「そうだ。その孔明先生が、超の武勇をご覧になって、『錦馬超』と称えてくださったのだ」


「あの孔明先生が!? すげえ、すげえよ超兄貴っ!」


 はしゃぐ弟に気をよくして、馬超は立ちあがった。


 今宵の彼は最高の気分である。不倶戴天の敵に勝利して、天下の名士に認められた。まさしく竜門にのぼった心地であった。


 口笛、指笛、はやしたてる声。


 馬超は右手で黄金の槍をとると、それを頭上で水平にかまえた。

 そして、たくましい三角筋と広背筋、ひきしまった腹斜筋を見せつけながら、左腕に力こぶをつくってみせるのだった。




 *****


建安4年(199年)3月、鍾繇との交渉の席で、馬騰と韓遂はどちらが関中の代表者となるかで争いになった。鍾繇の離間策であったとされる。そのとき胡昭がふらりとあらわれ、馬騰軍と韓遂軍の不満を解消するために、馬超と閻行の一騎打ちを提案した。かねてより辺境差別に関心を寄せていた胡昭が、余興を利用して鍾繇側と関中側の融和をはかろうとしたのだともいわれている。この一騎打ちに勝利した馬超は、胡昭に『錦馬超』と評され、その武勇を称賛された。馬超はいたく感激し、曹操に敗れて故郷を追われ、張魯や劉備にくだってからも、『涼州の錦馬超』と名乗りつづけた。


 馬超 wiikiより一部抜粋


 *****


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― 新着の感想 ―
>>馬超の槍が、閻行の胸の中央に吸いこまれる。  鎧を砕かんばかりの勢いに、閻行の巨躯が宙に浮いた。 戦う相手が全身に重たい金属鎧を着込んだ巨漢ならば、重さも相当でしょう。それでも宙に浮かせる程の威…
[一言] これはとてもどうでもいい指摘なんですが、超兄貴ってあの有名なハゲマッチョ2人のことじゃなくてあいつらに挟まれてるイケメン(主人公)のことなんですよ
[良い点] 超兄貴ぃ! (ぃを入れたのは良い点にはひらがなを入れろと怒られましたのでw) [一言] ド◯ツ!ド◯ツ!ド◯ツ!◯ャーマン!の歌詞が脳内再生されましたw 鉄、なんで超兄貴なんて呼び方して…
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