第十八話 馬超VS閻行
さあ、一時は開催をあやぶまれた、関中最強決定戦!
馬超 VS 閻行の好カード!
いよいよ、試合開始の時刻がせまってまいりました!
というわけで、私の目の前には、試合会場となる柵が左右にのびている。
場所は、長安郊外にある小高い丘のふもと。
傾斜を利用すれば、それだけ多くの人が観戦できると思い、ここを選ばせてもらった。
どうせやるなら、観客をたくさん入れて、盛りあげようではないか。
このエンタメ精神、三国志の時代に生きる方々にも、わかっていただきたいところである。
すでに、その傾斜地をふくめて、会場の周囲はびっしりと兵士で埋めつくされている。
韓遂軍、馬騰軍、そして鍾繇軍の合計で兵数は二千五百になるというが、どうやら全員観戦できるようだ。
また、自軍を代表して馬超と閻行が一騎打ちをするとなれば、兵同士の喧嘩沙汰も予測される。
そのため、クッションとして、鍾繇軍を真ん中に配置してみた。
兵士、すなわち観客の配置は左手から馬騰軍、鍾繇軍、韓遂軍となっている。
……自分で決めといてなんだが、とてつもなくデンジャラスな布陣だった。
もし馬騰軍と韓遂軍に挟撃されたら、兵数五百の鍾繇軍は一瞬で壊滅する。
ヤバくね?
どうりで、鍾繇と司馬懿がピリピリしているわけだ。
エンタメ脳全開で、軍事的な要素は考慮しておりませんでした。……なんて、とてもいえない。
なに、逆に考えるんだ。
四倍の涼州兵と野戦になったら、どうあがいても蹴散らされる。……これも、口に出せたもんじゃなかった。
「…………」
司馬懿さんの無言の圧力、冷ややかな視線を、横っ面にひしひしと感じる。
じつは彼の機嫌が悪い理由は、もうひとつあった。
例によって白い羽扇をもっている私は、もう一方の手に木札を握っている。賭札である。この一戦は、賭けの対象になっているのだった。
さきほど馬超に賭けてきてから、ずっとプレッシャーを感じる。賭け事に興じるのは名士らしくない、といいたいのだろう。
けれど、自分が推し進めた一騎打ちだし、賭けにも参加せず、高みの見物というのもノリが悪いような。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」といいたいところ。でも、現代日本じゃあるまいし、きっと通用しないと思う。むむむ。
私がひそかにむむむってると、そこに救いの手を差し伸べるようなタイミングで、韓遂と馬騰がやってきた。
なにがあったのか、韓遂は愉快そうな、影のない笑顔で、
「やあ、胡昭どの。貴殿にはかないませぬな」
「さあ、そろそろはじまりますぞ」
と、馬騰がほがらかに笑いながら、あごで指ししめす。
見れば、柵の左端に馬超が、右端に閻行が。
それぞれ馬に乗ってあらわれたところだった。
*****
時は少しさかのぼり、一騎打ちの準備にうつる直前のことである。
長安を出た韓遂は、不機嫌そうに黙りこんでいた。怒りをこらえているのは明白であったから、同行する馬騰、馬超、閻行の三人も無言をたもっていた。
四人の中で比較すれば小柄な韓遂も、涼州で名をはせる武人なだけあって、体格はよい。最も大柄な閻行にいたっては、岩のような巨躯の持ち主である。さらにいえば、彼らが乗っているのは、筋肉質でたくましい、一見してわかる優駿だった。
それが四騎、不穏な空気を発しているのだから、近づく勇気がある者はいない。
あたりに人影がなくなると、韓遂が沈黙を破った。
「かつて、曹操は自分を評価してくれるよう、許子将に頼みこんだ。いやがる許子将にしつこくつきまとい、強引に評価を聞き出したそうだ。
そうして得た『治世の能臣、乱世の奸雄』という評価は、手放しの称賛とはいえなかっただろう。……なにしろ、奸雄なのだからな」
韓遂の声は低い。彼は昔話をしているのではなかった。説教をしているのだ。
「だが、曹操はよろこんだ。一流の名士が認めた人物として、自分の名が天下に広がることを、彼は知っていたからだ」
この話の主旨は、曹操云々ではなく、名士に評価される意義にある。
「胡昭どのは人物鑑定にもすぐれている。彼に己の武勇を認めてもらえば、その名は関中どころか、天下にあまねく広まるだろう」
そこで、ついに韓遂は声を張りあげた。
「閻行! ついでに馬超もだ! おまえら、功名心にはやったな!」
閻行と馬超は、大きな身体を縮こまらせた。
馬上でうつむく彼らに、憤懣やるかたない様子の韓遂が、
「自分たちがなにをしでかしたか、わかっているのか!?
われわれは、あやうく天下の笑いものになるところだったのだ!
客人の前で私闘をはじめる野蛮人! だとな!」
「今回は幸いにして、胡昭どのが話に乗ってくれた」
と、馬騰が顔をしかめていった。
「彼が助け船を出してくれたおかげで、笑われずにすんだが……」
「ああ。馬騰のいうとおり、胡昭どのが推し進めた手合いを笑う者はいまい」
だがな、と韓遂は鬼のような形相で叱りつける。
「おまえらが訓練の延長だと思っている手合わせは、中央の者からしてみれば、粗野な私闘でしかないのだ。胡昭どののように、われらの風習に理解を示してくれる御仁は例外なのだと、よく覚えておけ!!」
「……申し訳ありませぬ」
と閻行が頭をさげておそれいった。馬超もばつが悪そうに頭をさげる。
それを見て溜飲をさげたのか、韓遂は説教を切りあげて、鼻を鳴らした。聞こえよがしに、「うちの閻行は中央指向が強くて困る」とぼやく。
馬騰が呼応するように、「うちの息子は頭に血がのぼりやすくて困る」と嘆息した。
閻行と馬超は、ますます下をむいた。
主君からきびしい言葉をいただこうとも、本日の主役はまぎれもなく、馬超と閻行のふたりである。
彼らが雌雄を決するための準備はつつがなく終わり、あとは手合わせの開始時刻を待つばかりとなった。準備といっても、必要なのは柵一枚のみ。簡素なものだ。
馬騰と韓遂は、血の気の多い兵が問題をおこしていないか、兵たちの様子を見まわっていた。
「もはや、ただの手合わせと呼べる規模ではないな。そう思わぬか、韓遂」
「うむ。兵卒たち全員が観戦できるように、か。胡昭どのは、奇妙なことを考える御仁だ」
「鍾繇どのの兵も、賭けに参加しているようだぞ」
「……そういうことか」
韓遂は得心してうなずいた。
「兵たちの交流が深まれば、争いの種も減る。胡昭どのの狙いはそこにあったか」
狙いと結果をどう結びつけるかは韓遂の自由であるが、この場に孔明がいたら目をそらしていただろう。
馬騰もうなずき、
「柵を使った一騎打ちを取り入れれば、訓練での死傷者も少なくなる」
「そうだな。……馬騰よ、ときに尋ねるが」
韓遂は声を押し殺して、慎重に、
「董卓は、悪だったと思うか」
「むろんだ。あの男が権力を握ったのは、悪夢以外のなにものでもなかった」
馬騰は不快感をむきだしに答えた。
「ああ。私もそこに異を唱えるつもりはない。やつのしたことに、擁護の余地など一片もなかろう」
と、韓遂は苦笑さえ浮かべずに、
「だがな、やつは涼州ではそれなりに上手くやっていた。ちがうか?」
「……ちがわぬな」
「奪い、分け与え、力を示す。それができなければ、異民族とまじりあう辺境を治めることなどできはせん。董卓は、そうした人心掌握には長けていた。……だが、そんな野蛮な方法が、中央で通用するはずもない。あの男はそれでも力を誇示しようとして、どこまでも残虐になっていった」
韓遂は、董卓という男をよく知っていた。
何度も戦った。勝ったことも、負けたこともある。部下となったことも。
粗野な男だった。冷酷な一面のある男だった。それでも涼州にいるときは、暴虐非道な大悪党ではなかった。
韓遂は結論づけるしかなかった。
董卓は、洛陽に行くべきではなかったのだ。
気風のあわない朝廷を牛耳るよりも、辺境で王様を気取っていたほうが、本人にとっても民にとっても、よほど幸福であったろう。
「馬騰。中央の統治方法で涼州を治めようとしたら、どうなると思う?」
「不可能だ。お行儀のよいやりかたをしていては、内外ともに治まらん」
馬騰は即答した。考えるまでもなかった。
「うむ。李傕のような残忍な男を御しきれず、寝首をかかれるか。
それとも異民族に抗しきれず、すべてを奪われるか。
どちらにせよ、ひと月ともたぬだろう」
韓遂の声に、冷笑や皮肉の響きはなかった。ただ、淡々と、
「結局、風習がちがうのだ。
函谷関を境に東を関東といい、西を関西という。
両者は対等ではない。関東が主で、関西が従だ。
関東が中央であり、関西は辺境にすぎないのだ」
韓遂は疲労を感じたように、ため息をついた。
「漢王朝が安定して、関東が太平の世を謳歌しているときですら、関西は異民族の侵略にさらされつづけてきた。
ときどき思う。われわれは本当に同じ国の民なのだろうか、とな」
武帝以来十余万をかぞえた漢朝の中央軍は二万を下回り、辺境軍も縮小した。兵が不要になったのではない。軍事費の削減が理由である。
これでどうやって異民族をおさえろというのか。
中央を当てにできぬ戦いの日々は、関西の民に根深い不信を植えつけていった。
韓遂の人生もまた、戦いの連続だった。
相手が異民族か中央軍か、選り好みなどできはしない。
手をとり、その手を離し、生きるために戦いつづけた。
深くしわの刻まれた盟友の顔を、馬騰はまじまじと見た。
「老いたな、韓遂」
「ぬかせ」
「あれを見ろ」
そこでは、商人らしき白い衣服の男が軽食を売っていた。
客となっているのは韓遂の兵であり、馬騰の兵であり、洛陽からきた鍾繇の兵である。
「どうだ。同じものを食い、同じ賭けに興じ、同じように騒ぐ。
関東の兵とわれらの間に、なんのちがいがある。なにも変わらないではないか」
その言葉に、韓遂はようやく苦笑を浮かべた。気分を変えるように、閻行に賭けた木札を、懐からとりだして、
「ところで、馬騰。おぬしも、もう賭けたのか?」
「むろんだ」
馬騰も、馬超への賭札をとりだした。
今度は勝たせてもらうぞ、と息子の代わりに息巻く馬騰を見て、韓遂は苦笑を深めると、注意をうながした。
「賭けがおこなわれていることは、胡昭どのの前では話題にせぬほうがよいぞ」
「ああ。話を聞くに、名士はとかく風聞や品行を重んじるそうだからな」
彼らは木札をしまって、貴賓席にむかった。
貴賓席といっても、椅子があるわけではない。立ち見である。つくづく孔明は、彼らの考える名士像を破壊してくれる。
とはいえ、自分が推し進めた手合いが、賭けの対象になっていると知れば、いい顔はしないだろう。
そう思っていた彼らは、顔を見合わせることになった。
「…………」
「…………」
騎馬民族はすぐれた視力をもつ。
彼らは遠目に、孔明の手に木札が握られているのを発見したのであった。
韓遂と馬騰はどちらからともなく、破顔した。
関西の武を軽んじ、関東の文を重んじる中央において、今や最大の勢力となっているのが潁川閥である。
その中心人物が、己が足でこの地を踏み、己が身をもってこの地の風習に溶けこもうとしているのだ。辺境蔑視の風潮を疑問視し、一石を投じているのだ。
彼らは捨ておかれた民ではなかった。
悲観に別れを告げると、韓遂は孔明に笑いかけた。
「やあ、胡昭どの。貴殿にはかないませぬな」
「さあ、そろそろはじまりますぞ」
馬騰はそういって、晴れがましい舞台に立つ馬超を見やるのだった。
韓遂が叱責したとおり、閻行のように目をギラつかせるほどではないが、馬超にも功名心はあった。孔明に武勇を認めてもらえば、武名は天下に轟くだろう。
馬騰が頭を抱えたように、その孔明の前で過去の敗北を蒸し返されて、頭に血がのぼったのも事実ではあった。
だが、馬超の本懐はそこにはなかった。
「ようやくだ。……ようやく、このときがきた」
彼はこの日がくることを、かねてより渇望していたのである。
馬騰と韓遂が手を組んだとき、「それはようございました」と、馬超は祝福してみせた。
表向きは戦がなくなるのを歓迎しながら、しかし、胸にあったのは失望と絶望だった。
閻行を倒す機会はうしなわれた。もう、雪辱が果たされることはない。あの敗北は、永遠の汚点として刻まれたのだ。
ぽかりと、胸に穴があいたようだった。
あの敗北を夢に見て、何度夜中に跳ね起きたことか。どれほど鍛錬を積もうと、地平の果てまで馬を駆けようと。心にこびりついた屈辱を拭いさることはできなかった。
もう少し頭を使え、と父にいわれることもある馬超だが、そんな彼にもはっきりわかることがある。
――敗北を上書きできるのは、ただひとつ。勝利だけだ。
まっすぐのびる柵の端に、馬超は馬を進めた。
この場で馬に乗っているのは馬超と閻行だけであるから、視線は高く、周囲の景色がよく見える。
会場はすっかり兵に囲まれていた。左手の斜面には大観衆が、右手には孔明、鍾繇と名だたる人物が、この一騎打ちに注目している。
申し分ない。これ以上ないほどの大舞台だった。
どうやら、刻限がきたらしい。
円筒形の漏刻(水時計)をつぶさに確認していた兵士が、バチを手に銅鑼を鳴らした。
ジャーン! ジャーン! ジャーン!
「われこそ槐里侯・馬騰が長子、馬孟起なり!」
馬超は、布をきつく巻いた穂先で、敵手をさししめした。
名乗りに応じて、同じ処置をほどこされた槍を、閻行は天にかかげる。
「関中にその人ありと知られたる、閻彦明とは、わがことよ!
馬超よ。
またしても、わが前に立つことになった、己の運命を呪うがいい!
地に叩き伏せ、馬乗りになり、
後ろ髪をむんずとつかみあげて、
その生白い首を絞めあげてくれよう!
三年前と同じようにな!」
閻行の大音声とともに、韓遂の陣がどっと沸いた。
その嘲笑は風となって斜面を流れ落ち、馬超めがけて容赦なく吹きつけた。
「…………っ!」
激怒と恥辱に、馬超の顔は朱く染まり、その双眸は煮えたぎった。
口上が終わったとみて、兵士がふたたび銅鑼をたたく。
ジャーン! ジャーン! ジャーン!
次の瞬間、大地を蹴って勇ましく、風を切って猛然と。
馬超を乗せた芦毛の馬と、閻行を乗せた栗毛の馬は、はじかれたかのように飛びだした。




