第十七話 孔明の提案
私たちは表に出て、涼州の馬術を見学していた。
長安城内の庭では、馬超と韓遂の護衛、二名の武人が馬をはしらせている。
「……見事なものですね」
「うむ」
司馬懿がもらした感嘆に、私はうなずく。
かたい蹄の音が、途切れることなくつづいていた。
馬超は芦毛の愛馬を、足だけで巧みにあやつっている。
槍を右へ左へ鋭くしごき、最後に頭上で旋回させる。緑色の槍が白銀の鎧に映えて、京劇のように華やかだ。……京劇見たことないけど。
次に、馬超は弓を手にとる。
揺れる馬上をものともせず、彫像のように身じろぎもせず、矢をつがえずに引き絞る。狙いを定めて、弦をはじく。これまた右に左に、後方に。次から次へと、弦音を響かせていく。
そして、ふたたび槍にもちかえる。
もう一方の手で手綱を握るや、芦毛の馬はぴたりと足をとめた。と、そのまま横歩きにうつってから、後退をはじめる。
軽やかな蹄の音は、まるで踊っているみたいだ。
まさに、人馬一体。
流れるような一連の動作には、見惚れるしかない。私は素直な感想を口にした。
「これを見るだけでも、長安まで来たかいがあったというものだ」
仕事を手伝ってくれ、と鍾繇にいわれたとき。
私は正直にいうと、めんどくさいと思った。
厄介だなあ、とも。
だって交渉相手が、反乱マイスターの韓遂だもの。
けれど、顔を貸すだけでいいといわれれば、断るわけにはいかない。
私が暮らしている陸渾は、洛陽盆地の南端、盲腸のようにくっついた場所にある。
この一帯を取り仕切る兄弟子との関係は、おざなりにするわけにはいかなかった。
つきあいを優先させた形だったけど、来てよかった。
――ああ、『錦馬超』と謳われただけあって、当時の人からも輝いて見えたんだ。
思い返せば、この時代に生をうけて、もうそろそろ四十年になる。
いつも戦の回避に全力だったから、有名武将の雄姿を見る機会もほとんどなかった。
「ははは。いかがかな、われらの馬術は」
誇らしげな声がした。韓遂だ。
「……と自慢したいところだが、あのあぶみという馬具がなければ、ああも上手くはいきますまい。胡昭どのの発明は、騎兵の運用に変革をもたらすやもしれませんぞ。なんとも、すごいものを発明されましたな。はっはっは」
さきほど声を荒らげたのがうそのように、韓遂は上機嫌だった。
……なるほど、わざとだったか。
私が名士ムーブをすることで、交渉に干渉しないと意思表示しているように。韓遂も気分を害したふりをしていたのだろう。
交渉の場を、屋内から屋外へとうつすために。
自分が用意した場所で交渉できれば、それだけ心理的に余裕がもてる。
鍾繇が用意した部屋より、屋外のほうが韓遂にとってはやりやすい。
となると、次は、
「しかしながら、彼らはもとよりすぐれた騎手だ。どうかな、胡昭どの」
「……うむ?」
「あなたの発明品が、われらの兵にどれほどの効果をもたらすのか。直接その目で、たしかめてみてはいかがかな?」
「…………」
韓遂の陣へと、誘いこもうとする。そういうことだ。
韓遂と馬騰はそれぞれ千の兵をもって、長安郊外に陣どっている。
彼らにとって、ベストな交渉場所はそこだろう。
私は無言でいた。口をはさむ人物がいるであろうことは予測できた。
「おぬしらの兵を何人か、城内に呼び寄せるぶんにはかまわぬぞ。だが、あの護衛たちから感想を聞くのが、さきではないかな。韓遂どの」
案の定、鍾繇がくぎを刺すようにいって苦笑した。
「ふむ……。では、そうするとしようか。おおーい!」
そう上手くはいかぬか、といわんばかりに、こちらも苦笑をひらめかせてから、韓遂が遠くに呼びかける。
馬超と韓遂の護衛は、その声にすぐさま反応した。
芦毛の馬と栗毛の馬。
騎馬は競うように、ほぼ同時にもどってきた。
下馬するのもほぼ同時、わずかに早かった韓遂の護衛が、
「胡昭どの。あぶみの乗り心地、まこと素晴らしいものでございました」
「この閻行は、わが軍随一の勇将。関中においても比類なき剛の者よ」
主君に紹介され、韓遂の護衛はうやうやしく拱手した。
「閻行、字を彦明と申します。以後、お見知りおきを」
「……うむ、よしなに」
ん、閻行? もしかして……。
閻行はちらと馬超を見やって、
「ふふふ、そうむくれるな。関中一の座は、まだまだおぬしには早い」
「…………」
馬超は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「私と馬騰は、かつて敵対しておってな。戦をしたこともある。その際、閻行は一騎打ちで馬超を圧倒しておるのだ」
韓遂の説明が、前世の記憶と一致した。
やっぱりそうだ!
馬超に一騎打ちで勝った武将だ。
いわれてみれば、ご立派なお体、お強そう。
馬術でも、馬超と遜色ない動きをしていた……ような。
あまり見ていなかった。失礼いたしました。
「あくまでも、三年前のことにございますれば」
馬超が不機嫌そうにいいすてた。馬騰が深々と嘆息して、
「今でも顔を合わせるたびに、この調子よ。敵対していたのは、過去のことだというのに」
「父上、ちょうどよい機会ではありませんか」
「む、なにがだ?」
馬超は、槍の石突きで地を突いた。
若獅子の両眼に、挑戦とも挑発ともとれる光がやどる。
「馬に乗り、槍をふるい、矢を放つ真似事をする。
それだけで、あぶみを試すのに万全といえるでしょうか?
もっと実戦に近いほうがよいのでは?」
好戦的な言葉に答えたのは、馬騰ではなく閻行だった。
「ほう、……私との手合いを所望するか。おもしろい」
ふたりの武人が、視線をかわす。
「いつまでも、過去の勝利を誇られてはたまらぬ」
「今なら勝てる、と聞こえるぞ。ふん、ひろった命だろうに」
これはもしや、……一騎打ちが発生しようとしてる?
ふと、懐かしい記憶がよみがえった。
前世の記憶、小学生のころ、学校の図書室で三国志の漫画を読んだ思い出だ。
その漫画は全巻そろっていなかった。表紙カバーなんかとっくになくなっていて、すり切れてボロボロになっていた。それでも、私にとってはお気に入りだった。
ほかにも歴史物はあったけれど、三国志ほど心を躍らせたものはなかった。一番わくわくしたのは、やはり豪傑同士の一騎打ちだったと思う。……一騎打ちのほとんどが三国志演義での創作だと、あとで知って、ちょっとがっかりもしたっけ。
その一騎打ちを見る、チャンスかもしれない。
戦場でおこる本物の一騎打ちでこそないが、けっして練習ではない。
意地と誇りをかけた、真剣勝負だ。
ましてや、馬超クラスの一騎打ちとなると、きっと私が目にする機会は二度とないだろう。
馬超と閻行、双方ともに視線をそらそうとはしなかった。
にらみあったまま、圧迫するような緊張感が場を支配する。
それにつられて、期待が高まるのを胸に感じる。
「これ、閻行。客人の前だぞ」
韓遂が注意するも、閻行の耳には入らなかったようで、
「そういえば、馬超よ。ずいぶんと立派な鎧を身につけているではないか。
おぬしの代わりに風穴をあけた鎧には、ちゃんと感謝したか?」
「むっ」
「ふふふ、わが矛を折ってくれたあの鎧には、私も感謝せねばならぬ。
あやうく、馬騰どののご子息を殺してしまうところであった」
「……三年前のようにはいかぬ」
「三年前とちがうのは私も同じこと。特別にきたえたこの虎頭湛金槍こそ、折れることのない、関中一の勇士の証よ」
閻行は頬を獰猛にゆがめながら、手にした槍を勲章のように誇った。
それは黄金の虎をしつらえた、輝かしい槍だった。
馬超がもつ緑色の槍もあざやかで印象深いが、閻行の槍はそれ自体が威をはなっているかのようだ。
「ふたりとも、黙れ」
馬騰の声はしずかだった。が、有無をいわせぬ強さと重みがあった。
「やれやれ、一騎打ちの真似事だと? そんな危険なことを許すわけがなかろう」
あごをなでながら、韓遂も軽はずみな行動をいましめた。その冷や水を浴びせるような声と視線が、ひりつく空気をたちまち雲散霧消させてしまう。
まずい。主君がそろって乗り気でない様子。
このままでは一騎打ちはお流れになってしまう。
「父上、韓遂どの、なにをおっしゃるのですか。手合わせなど、めずらしいことではありますまい」
「刃を布で包めば、問題はなかろう。それで怪我をするような軟弱者は、捨ておけばよい」
馬超と閻行が反論を試みた。
だが、彼らの主君はかけらも感銘をうけなかったようだ。
「ならん。頭を冷やせ」
「ぐっ……」
馬騰が息子を黙らせた。
「閻行、おぬしも時と場所を考えろ」
「……ははっ」
韓遂の叱責に、閻行も頭をさげる。
だめだ。やはり主君には逆らえない。
だが、私は馬超の一騎打ちを見たいのだ!
一騎打ちを実現させるには、外部からの圧力が必要に思えた。
ここは、私が説得するしかない。
私の脳内で、一騎打ち推進委員会が発足される。
孔明Aいわく、
「馬超は、めずらしいことではない、といいました。
手合わせそのものは、普通におこなわれているのでしょう」
孔明Bいわく、
「韓遂は、危険なことは許さない、といいました。
つまり、危険を減らす方法があれば、説得は可能と思われます」
孔明Cいわく、
「韓遂は、時と場所を考えろ、ともいいました。
なるほど、私たち外部の者をむかえる場で、死者でも出たら縁起が悪い。
これも、危険を減らせばよろしいかと」
……なんということでしょう。
どの孔明も自分の顔をしてるせいで、イマイチ確信がもてません。
けれど、まちがってはいないはず。
前世の記憶を洗っていく。
なにかヒントになるものはないか。
探して、探して………………見つけた。
思い当たったのは、世界中の不思議やミステリーを発見すると題した、司会者がスーパーなクイズ番組だった。
「韓遂どの、馬騰どの。危険を減らすことができればよいのだな?」
「あ、ああ……」
「それはそうだが……」
韓遂と馬騰が意表を突かれたような顔をした。今まで極力発言をさけていた私が、急に口を差しはさんだのだから、戸惑うのも無理はない。
「ならば、私によい案がある」
「孔明?」
「…………」
私の方針転換が理解できないのは、鍾繇と司馬懿も同じようだった。彼らも、私の意図を探るような、けげんな表情を浮かべている。
だがしかし! いかな司馬懿も、私の真意は見抜けぬであろう。
私は、馬超のリベンジマッチが見たいのだ!
「ひとつ、柵を用意してほしい。長く、まっすぐな柵を」
参考にするのは、中世西洋の騎士文化、馬上槍試合である。
多くの死傷者を出した馬上槍試合は、危険性を少しでも抑えようと、さまざまな工夫を取り入れてきた。その大きなものが、柵をはさむことによって、騎馬の正面衝突を防ぐというものだ。
私は柵をもうける効果を説明した。
馬上槍試合の詳細な知識があるわけではないし、中世西洋と古代中国では戦いの形式も異なる。現場とのすり合わせが不可欠だ。相談しながら、案をつめていく。
かくして、三国志版、馬上槍試合の準備がはじまった。




