第一五二話 孔明の旅路(事実)
「曹操さま、この国がそうであるように、鮮卑族や烏丸族もけっして一枚岩ではありませぬ」
私の声は落ち着いている。
なぜなら、ここは実際に体験した出来事を、ありのままに語るだけで用が足りるからである。虚偽を述べなければ、嘘を見破られる心配もない。
私の新必殺技「旅路の途中でこんなことがあった」は、隙を生じぬ二段がまえである。
前世の知識を活用するために、架空の体験談を捏造することもあれば、旅の途中にあった事実を、都合のいいようにピックアップしてそのまま語るといった、王道的な使用方法だってあるのだ!
「彼らは曹操さまに貢物を献上し、表向きは恭順していますが、現状に不満を持っている人物も少なくありません」
「そいつらを皇子の味方として利用しろということか」
曹操は、あきらかにおもしろがっている。
潜在する敵をまとめて叩きつぶせることを、歓迎しているようだった。
「はっ。私が鮮卑と烏丸の地を旅した折に、そうした不満を抱く人物が近寄ってきては、心情を吐露していきました。おそらく、郭公則がいたからでしょう」
郭公則――郭図のことである。
「なるほど。余の統治に対して不満を抱いている者からすれば、袁家の参謀だった郭図は、相談相手としてうってつけだ。そこにおぬしも居合わせていた、と」
「さようでございます」
郭図は曹操と何度も戦い、主家が滅んでも曹操に仕えるのを拒んだ気骨の士である。
これから先、どんな評価が待っているかはわからないが、とりあえず現時点ではそんな感じで、前世のような散々な評価ではないのだ。
曹操と敵対しようと考えている者は、郭図を信用できる相談相手と考えたのだろう。郭図に近づいてきて胸のうちをさらけ出し、彼の経験談や意見を聞きたがった。
とくに曹操の本拠地に近い鮮卑や烏丸では、その傾向が顕著だった。
「どうして郭図と同道したのか、疑問に思っていたが……。まさかそこまで計算していようとは。この曹孟徳の目をもってしても読めなかったわ」
感心しきりといった様子の曹操に、私は笑みを浮かべて答える。
「ふふふ、ただの偶然でございます」
表面上は不敵な笑みに見えるだろうが、じつのところ安堵しているだけである。
いやだって、郭図といっしょに旅をしていたことは、最悪の場合、曹操にとがめられる可能性すらあったわけでして。
それを、郭図の経歴を利用して曹操の敵を探ってきた、と勘ちがいしてくれたんだから、ありがたいったらありゃしない。
もちろん、本当にただの偶然だったのだが、そんなことはおくびにも出さず、私は冷静につづける。
「彼らは漢朝の徳治を懐古しており、とくに劉虞どのの死を惜しんでいるようでした」
「劉虞は異民族を懐柔するために、物資をくり返しあたえていた。彼らからすれば、これほどありがたい人物はいまい。……ふむ、漢朝の皇子たちが挙兵すると聞けば、そこに劉虞の姿をかさねあわせて、協力しようとする者も出てくるであろうな」
劉虞は、幽州で寛政につとめた人物である。
漢朝の異民族政策が、硬軟織り交ぜた飴と鞭だというのなら、飴を体現したような人物であった。
それに対して、曹操はどちらかといえば鞭である。
積極的に北方に進出しようとしているわけではないが、軍事力に絶対の自信がある曹操は、異民族に褒美をばらまく必要もなければ、頭を下げる必要もない。
鮮卑も烏丸も、「劉虞よ、もう一度」と願っているのだ。
皇子たちの反乱に協力して曹操を排除できれば、異民族に恩義を感じた皇子たちのはたらきかけによって、劉虞のような人物が北方に派遣されてくる。そう期待する者もあらわれるであろう。
「曹操さまに異心を抱いている鮮卑族・烏丸族の実力者を、私は何名か存じております」
彼らは、郭図を信じて曹操に対する不満を打ち明けた。
私が在野の士だと知っていたから、気兼ねなくしゃべってしまった。
うかつというしかない。そういう注意力が欠如した軽率な人物こそ、調略の対象とすべきであろう。
「皇子たちの挙兵する時期を早めたければ、そいつらと接触する機会をつくってやればよいのだな」
曹操はうす笑いを浮かべた。その目は無機質な冷たさをたたえていて、なんだか怖気を感じさせる笑顔だった。
私は唾をのみこんで、喉が凍りついていないことを確かめてから、
「はっ。強いていえば、烏丸のほうがおすすめでございます」
「ほう、その心は?」
「両勢力を比較すると、強勢な鮮卑のほうが反乱を起こしやすそうに見えますが、彼らには冷静に物事を判断できるだけの余裕がございます」
鮮卑に追いやられている烏丸とは異なり、鮮卑は北に広大な勢力圏を有しており、将来を悲観しているわけでもない。余裕があれば、正常な判断力を失わずにいられる。いうなれば、調略対象としては不適格である。
「すでに追いつめられている烏丸のほうが、こちらの思惑どおりに踊ってくれる可能性が高いということだな」
「さようでございます。くわえて、烏丸は曹操さまと戦い、大敗を喫した過去がございます」
「柳城遠征だな。あの戦で血族を討たれた者は、余に対する恨みを忘れていまい」
曹操は、けろりとした顔でいった。恨みなんていちいち気にしていられるか、とでもいいたげな表情である。
「現状の不遇。将来への悲観。さらには曹操さまに対する怨恨。さまざまな観点から、烏丸のほうが、軽はずみな行動を起こす可能性が高いと思われます」
「ふむ……」
曹操はわずかに沈黙してから、
「工作の的は、烏丸にしぼるべきか。おぬしはどう見る、賈詡」
賈詡に話を振った。
「私も賛同いたします。そもそも、速やかに鎮圧することが前提の反乱でございます。鮮卑の不満分子まで反乱に誘えば、小火が大火となる可能性も出てきます」
賈詡はすらすらと答えると、冷笑をひらめかせて、
「それに、異民族と組んだ反乱であれば、民衆のあいだに支持が広まることもありますまい」
「うむ。漢の皇子たちが、異民族を引き入れて反乱を起こすのだ。この策が成功すれば、漢の血統は汚れ、権威は失墜するであろう」
曹操も声を立てずに笑った。賈詡のそれより一段と深い、冷嘲の笑みだった。
「よかろう。荀彧、胡昭、おぬしたちの策をとる」
「はっ」
荀彧が短く答えると同時に、拱手して頭を下げた。
私もあわてて同じ動作をする。
「それにしても、あわれなものよ。皇子たちが上げる火の手は、余ではなく、漢朝の命運を燃やし尽くすことになるのだからな……。ろうそくというものは、はげしく燃えさかるほどに、早く燃え尽きるものではあるが」
皮肉というには酷薄すぎる言葉で、曹操は皇子たちの運命をあわれんだ。




