第一五一話 使わざるをえない
「私の狙いは、武庚の乱でございます」
荀彧が口にした武庚の乱とは、周王朝の時代に、武庚という人物が起こした反乱である。武庚は、殷王朝の最後の帝王である紂王の子だった。
殷周革命といえば、伝説の軍師太公望だとか、牧野の戦いだとか、封神演義だとかが有名だけれど、それはさておき。
革命後も、殷の残存勢力がそれなりに力を有していたこともあって、周王朝の統治は簡単にはいかなかった。
周の台頭を受け入れがたく思っていた人々は、殷を打倒した武王が崩御すると、これを好機と見て叛旗をひるがえした。
その旗頭となったのが武庚だったのである。
この反乱が鎮圧されると、殷の残党は急速に力を失い、周の支配力が大幅に強化されたことによって、天下は安定にむかいはじめた。
その後、周は混乱や衰退の道をたどりながらも、秦に滅ぼされるまで、約八百年もの長期にわたって存続したのであった。
「武庚のように、皇子たちに反乱を起こさせろというのか?」
眉をひそめる曹操に、荀彧は説明をつづける。
「このまま処刑すれば、まだ年端もいかぬ皇子たちの身の上に、民衆は同情を寄せるでしょう。ですが、武装蜂起させてしまえば、その時点で皇子たちは反乱軍へと身をやつします」
皇子たちの年齢は、たしか十歳前後だったと思う。
幼い皇子たちを処刑したとなれば、やはり人聞きは悪い。
だが、反乱を起こしたとなると話は別である。
ネームバリュー的に、皇子たちが旗頭にされることはまちがいないのだ。
たとえ周囲の大人に担ぎあげられただけであろうと、謀反した以上は、死罪になるのも当然である。多くの人は納得するであろう。
ふむ、と曹操はうなずいて、
「皇子たちが、彼ら自身のおこないによって身を滅ぼすのであれば、彼らに集まる同情の念も、余を非難する声も少なくなろう」
「公明正大なやりかたで、誰はばかることなく、皇子を討てるようになるのです。世の移り変わりを、誰もが意識させられるでしょう」
「ふふふ。公明正大なやりかたで、漢の皇子を討つ、か。荀彧のいいたいことはわかった。一考の余地はあるようだ」
そこで曹操は首をかしげると、
「だが、余が漢朝に対して優位に立っていられるのは、絶対的な軍事力の差があるからだ。わざわざ皇子たちに、兵を集める機会をくれてやってよいものだろうか?」
「皇子たちのもとに兵が集まるのが不安ですか?」
「バカを申すな。誰が皇子を担ぎあげようが、何万の兵が集まろうが、我が軍がおそれるほどのものではない!」
挑発のようにも聞こえる荀彧の言葉に、曹操は声を張りあげた。
「軍事力で見れば、我がほうの優位は動きませぬ。ですが、伝統や正統性で競えば、漢朝の優位も揺るぎませぬ。勝ちやすきに勝つべきでございます」
「ふむ……。余に逆らう者を一掃できるのであれば、あえて乱を起こさせるのも悪くないが」
「平地に乱を起こすような策は、私も申し上げたくありませぬ。しかしながら、漢朝という大樹が斃れようとしているいま、乱を完全にふせぐことなど、もはや不可能だと考えたほうがよいでしょう」
荀彧が声に無念をにじませると、曹操はからかうように、
「降参するか、荀彧」
「はっ。申し訳ございませぬ。全力を尽くしてはおりますが……」
実際、荀彧の発言は白旗を上げるに等しかった。
自分の手には負えないと認めたのだ。
反曹操派の本拠地は、いうまでもなく許都である。
許都を治め、彼らの動きを封じこめるのは、荀彧の役目ともいえる。
曹操の魏公就任によって、反曹操派の声は高まっている。
伏皇后、それに皇子たちまで処刑されれば、彼らの声はさらに強硬になるだろう。しかも、この先には、曹操の魏王就任まで控えている。
このままでは反曹操派の動きを制御しきれなくなると認めたから、荀彧はこの献策をしているのだった。
ようは、ダメージコントロールである。
なにが一番まずいかといえば、許都で問題が発生することである。
皇子たちを流刑とし、それに漢朝の忠臣を自認する反曹操派を同道させる。もちろん、全員とはいかないが、過激な人物を何人か追い出してしまえば、許都で乱が生じる可能性は低くなる。
僻地で反乱が勃発したところで、たいしたダメージではないし、曹操からしてみれば、お得意の軍事力で敵対勢力をつぶせるのだから、悪い展開ではないはずである。
じつは、荀彧は迷っていた。
良案らしきものは思いついたが、本当にこれを献策していいものかどうか。
「私、失敗しないので」を地でいく荀彧には、自分の手には負えないと決断することが、職責放棄であるかのように感じられたのである。
そうなると、私としては助言するしかない。
「部下が弱音を吐いたからといって、どうこうする曹操ではあるまい。できないことをできるといってくる部下のほうが、よほど厄介であろう」
というわけで、過剰な責任感から解放された荀彧は、自分に完璧をもとめるのをやめ、暴発寸前の現状とその改善策を、曹操にぶちまけているのであった。
案の定、曹操の顔に、荀彧を責める色は見えなかった。
「よい、おぬしでおさえられないのなら、ほかの者でも無理であろう。つづきを申せ」
「どうあがいても火の手が上がるのをふせげないのなら、その場所と燃料を制御すべきであろうと存じます」
「許都や鄴で騒ぎを起こされるより、僻地のほうがよい。場所に関してはわかる。だが、燃料とはどういう意味だ?」
「薪としてくべられるのは、漢朝に近しい立場をとっている士大夫たちだけで十分でございます。民衆が燃料となれば、その炎は際限なく燃え広がり、制御不能となるおそれもございます」
「できうるかぎり速やかに鎮火しなければならぬ、ということか。いわれるまでもない」
曹操は自信ありげにいうと、なにがおもしろいのか、ふふふ、と含み笑いをして、
「余を討つために、漢の皇子と民衆が心をひとつにあわせて挙兵する。漢朝を絶対視する連中が、夢想しそうな物語だと思わぬか、賈詡」
曹操に問われ、賈詡は冷笑を浮かべた。
「さようですな。民草が武器を手に取るのは、困窮から脱するため。正統性や大義で腹はふくれませぬ。……それに、私が耄碌して記憶ちがいをしているのでなければ、黄巾の乱は漢朝打倒を掲げていたはずでございますが」
「黄巾の乱に参加して命を落とした農民の無念を、結果的に、余が晴らすことになるのか。なかなか奇妙な話ではあるが、亡者の意もくんでやらねばならんな。そうであろう、荀彧」
「はっ、そのとおりでございます」
「森林や草原を焼きはらって灰を肥料とし、そのあとに作物を植える農業手法もある。おぬしの策がうまくいけば、皇子たちの反乱は、魏の施政を円滑におこなうためのこやしとなってくれるであろう」
曹操は満足そうに口元をほころばせた。
だが、荀彧は浮かれることなく、
「ただし、うまくいけばの話でございます。皇子たちが反乱を起こさなければ、ただ恩赦を施しただけになってしまいます。それならそれで、曹操さまの寛容さを示すことになりますが……」
「いや、遅かれ早かれ、反乱は起こすであろうよ。漢朝の歴史が重いというのなら、その重みゆえに、彼らは兵を起こさざるをえまい。周囲の者に担ぎあげられるか、十年後二十年後に、みずからの意思で兵を起こすかのちがいはあるだろうが。……ふむ、二十年後か」
曹操はいったん言葉を切ると、あごに手をあてながら、
「余が八十歳まで壮健でいられる保証などない。皇子たちには、できるだけ早めに挙兵してもらいたいものだが。荀彧、なにか手は考えてあるのか?」
「はっ。挙兵時期を早めたいのであれば、皇子の周囲をかためる人々に、ここで挙兵すべきだと錯覚させなければなりますまい。まずは、このまま座していては漢が滅びる、手遅れになる前に動かなければならない、という状況に追いこむこと。そして、挙兵するに足る兵力がそなわった、と彼らに信じこませること。この二点が肝要かと存じます」
「一点目は簡単だ。余が魏王になればよい。問題は二点目だな。しかし、彼らが兵を集めるにしても、そううまくいくものではないと思うが……」
その疑問にも、荀彧は答えを用意してあった。
「異民族の兵を利用します」
「ほう?」
「異民族の内情については、孔明のほうがくわしいのですが」
そう述べると同時に、荀彧はこちらを見やった。
曹操と賈詡の視線も私にむけられる。
むむむ。
荀彧が全部説明してくれりゃいいのに。ここで私に振ってくるとは。
どうやら、傍観者のままではいられないようだ。
いたしかたない。ここはアレの出番であろう。
「旅路の途中でこんなことがあった」を使わざるをえない。




