第十五話 馬具革命
建安四年(一九九年)三月のある日、郭嘉から手紙が届いた。
手紙といっても木簡である。
高価な紙ではなく安価な木簡を使っているのは、飲む・打つ・買う! のせいで、散財しているからだろう。
さっそく巻物をひらくと、カラカラッという小気味よい音とともに、ミミズが組体操をしているような文字があらわれる。
冒頭はだいたい、こんなふうに解読できた。
『孔明パイセン、おひさしぶりんご!』
私はクルクルと巻物を閉じた!
「………………ふぅ。……郭嘉め、なんという奇怪な文字を書くのやら」
これが紙だったら、紙飛行機にして窓の外へ飛ばしていたかもしれない。
まさか、そこまで見越して木簡にしたのか。いや、まさかね。
「なにを遊んでいるのか知らないが、……ううむ、前世の黒歴史がよみがえるようだ」
中学生のころ、自分のサインを考案して練習したこともあったっけ。うへへ。
……気を取りなおして、私は郭嘉の挑戦を受けて立つことにした。
この私に崩し文字で挑もうとは十年、……いや、一八〇〇年早いのだ!!
崩し文字になんか、絶対に負けないッ!!
「……ええと、なになに。『呂布を倒したことで、徐州にいた陳長文がもどってきました』とな。ふむ」
陳長文、陳羣のことだ。
九品官人法という官吏登用制度によって、三国志どころか歴史の教科書に名を残すことになる、超大物政治家である。
天才肌の郭嘉は、同年代の少年たちと話が合わなかったようで、年上とつるむことが多かった。それが私や荀彧であり、陳羣だった。
祭りやなにかの集会があるたびに、遊び歩いて羽目を外そうとするのが郭嘉という男で、行動をともにしてそれにブレーキをかけるのは、年の近い陳羣の役目だった。
注意したり、叱りつけたり、ときには逃げる郭嘉を追いかけまわしたり。
性格は正反対でも天才どうし、どこかで馬が合ったのだろう。
なんだかんだ文句をいいながらも、陳羣はつきあいをやめようとはしなかったし、郭嘉のほうも忌憚のない態度で接していたように思う。
「さて、次は……と。『あいつ、新入りのくせに、オレの品行をいっつも批判してくるんですよ。マジうぜえ!』」
さっそくかい!
にしても、郭嘉よ。
悪態を書きつらねているが、陳羣が帰ってきたうれしさは隠しきれていないぞ。
心なしか、ミミズ文字が胸を張ってイキイキとしている。
ふふふ、私でなきゃ見逃しちゃうね。
「この件につきましては、全面的に陳羣に協力したいところですが。さて、最後は……。『例のモノができあがりました。めずらしい人が送りとどけると思いますよ』、……ほう?」
例のモノとは、乗馬時に足をかける馬具、あぶみのことだ。
私はかつて、下馬する際に足をくじいてしまい、痛い思いをした。
その帰り道、涙をこらえながら、天に誓ったのだ。
もう、この悲劇を繰り返してはならない。あぶみを開発しよう、と。
しかし、あぶみとなると、単なる馬具ではすまされない。
革新的な兵器として、軍事利用されるのは明白である。
そんなものを勝手に制作したら、おえらいさんににらまれてしまう。
というわけで、折よく訪ねてきた郭嘉におおまかな設計図を渡して、開発を依頼しておいたのだった。
「……なるほど、そういうことか」
なぜ、郭嘉がふざけた手紙を書いてよこしたのか。
内容に目を通して、理由がわかったような気がする。
「こんないいかげんな手紙に、軍事機密に関する情報がのっているなんて、誰も思わないわな」
あきれて私は、手紙を見つめる。
この時代、意外と郵便制度は発達しているのだが、手紙の紛失はちょくちょくあるので、第三者に見られることも想定しておかなければならないのだ。
極秘裏に進められていたあぶみの開発も、試作品ではなく完成品が私にまわってくる時点で、最終局面とみていいだろう。
すでに量産体制は整い、軍に配備する段階まで到達しているはずだ。
ここまでくると、情報どころか実物の流出も時間の問題である。
とはいえ、なにも自分のところから、もらす必要はあるまい。
用心するに越したことはないので、この手紙は消去しておこう。
私は小刀を取りだして、木簡の文字を削りはじめる。
「それにしても、めずらしい人ねえ。誰だろう? ……まぁ、曹操でなければいいか」
前フリじゃないよ。
曹操だけは勘弁な。
それから五日後。
わが家を訪れたのは、私のよく知っている人物だった。
「やあ、孔明。ひさかたぶりだね。わしだよ、わし」
「……これはこれは、鍾兄。おひさしぶりです」
私は兄弟子の顔をまじまじと見て、あいさつをかわした。
彼の名は、鍾繇、字を元常という。
年のころは五十ほど。
ひたいには深くしわが刻まれ、頬にはやわらかい笑みが浮かんでいる。
郭嘉の手紙にあったとおり、たしかにめずらしい人物だった。
鍾繇は司隷校尉という重要な役職についているため、多忙な日々を送っているはずだ。私に会いにくるような暇はなかっただろう。
私からもとりたてて用事はなかったので、手紙のやりとりこそあったものの、長らく顔を合わせていなかったのである。
鍾繇のうしろには兵が三人、四頭の軍馬をつれて、護衛よろしくひかえていた。
司隷校尉のお供に選ばれるだけあって、人馬いずれも、熟練の気配を漂わせている。
私は家人のほうをむいて、
「そちらの方々を、厩舎に案内してさしあげなさい」
家人がうなずいて、護衛たちを裏手へと案内する。
彼らの物々しい姿に、ふと思った。
昔、私が師のもとで書を学び、鍾繇が新米官吏だったころとはわけがちがう。
今や私の兄弟子は、献帝をみちびき長安脱出を成し遂げた、漢室の功臣である。
自衛隊の一方面におけるトップと、警察庁長官を兼任するに等しい大物である。
都知事や県知事を、あごで使うような立場なのだ。
いくら新兵器とはいえ、あぶみをとどけるためだけに、わざわざこんなところにまで足をはこぶだろうか?
ちなみに、私の背後には、司馬懿が無表情に突っ立っていたので、迫力ならこちらも負けていなかったといっておこう。
お供の相手は家人に任せることにして、私と鍾繇、司馬懿は主屋にあがった。
「孔明は昔から、型破りなことを思いつく男だったがね。
このあぶみという馬具は、じつによくできている。心底おどろかされたよ」
と、鍾繇は目の前に置かれた鞍をぽんぽん叩いた。
その鞍は従来のものより、いくぶん複雑な形状をしている。
あぶみをつけるためには、鞍の形から見直さなければならなかったのである。
「ここへの道中も、ずいぶん楽に移動できた。軍の連中が大騒ぎするわけだ」
鍾繇はわざとらしく両手を広げて、
「おお、孔明よ。ついに、才能が花ひらいたか。しかし、惜しいかな。その真の才は書ではなく、発明にあったのだ。
……今からでも遅くはない。書家の看板をたたんで、本格的に発明家を名乗ってみるかね?」
ニヤニヤ笑う兄弟子に、私は肩をすくめる。
「……まあ、発明のほうが儲かっているのは認めますが。なにせ、軍が相手の商売ですので。……で、まさか皮肉をいうために来たわけではないでしょう?」
さらに、突き放すようにいう。
「もしそうなら、さっさと帰ってくださってけっこうですよ。
洛陽では、あなたの部下が、首を長くして上司の帰りを待ちわびていることでしょう。仕事の束を、両手に目一杯抱えながらね」
「はっはっは。……はぁ、恋文をもった美女と交換できないもんかのぉ」
鍾繇は嘆くように肩を落としてから、ひとつ首を横に振った。
「よし、本題に入るとしよう。わしの仕事を、ちょっと手伝ってもらいたいのだ」
「仕事、とは?」
私の問いに、鍾繇は簡潔に答えた。
「人さらいだ」
「仲達。帰路につく準備をするよう、お供のかたに伝えてきなさい」
「はっ」
「まあ待ちなさい、待ちなさい」
席を立とうとする司馬懿を、鍾繇はあわてて制して、言葉をつづける。
「董卓以来、荒廃していた洛陽を復興するために、わしらは尽力しておる。
だが、まだ人手が足りぬ。関中に流出した洛陽の民を、故郷に帰したいのだ」
「そうなら、そうといえばよろしい。
鍾兄、あなたはたまに過激な発言をなさる」
私はぴしゃりと苦言をていした。司馬懿は腰を落ちつけると、
「今はどこもかしこも人手不足だと聞いております。
関中の諸将は反発するのではありませんか」
その指摘は、事態の本質を突いていたのだろう。鍾繇はうれしそうに口元をほころばせた。
「そう、そのとおりだ。だから、人さらいといったのだよ。
関中をまとめている韓遂、馬騰と交渉せねばならん。
こちらとしても、できるかぎり誠意を示すつもりだ。
そこで、この新たな馬具と、その開発者である孔明先生の出番となるわけだ」
わが兄弟子はそういって、茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。




