第一四六話 会見と再会
益州中の珍味佳肴をとりそろえた歓宴の幕があがり、劉璋季玉と劉備玄徳は、和気あいあいと会見した。
「援軍要請を受けたときより、一日でも早く季玉どののもとに駆けつけねばと、もどかしく思っておりました。我が軍が来たからには、もう張魯の好きにはさせませぬ」
劉備の言葉は、誠実そのものである。眼光は穏やかで、声には自信がみなぎっている。
「おお、さすが百戦錬磨の玄徳どの。なんと心強く、頼もしいお言葉か」
劉備の堂々たる姿に、劉璋は素直に感激した。
いまだに劉備が敵か味方か判別はつきかねるが、このときばかりは疑念が吹き飛ぶ思いだった。
張松と龐統がなかなか尻尾をつかませない、と王累はぼやいていたが、そもそも尻尾が存在しないのであれば、つかめないのは当然ではないか。
「漢室を盛り立てようとする気骨ある宗族は、いまや私と季玉どのだけになってしまいました。だからこそ、互いに手を取りあって、ささえあわなければなりますまい」
「まさしく、おっしゃるとおりです」
遠い益州にも、中央の噂は伝わってくる。
曹操は魏公に就任するや、魏王の座をもとめて圧力をかけているという。
漢朝は、まさしく危急存亡の秋にあった。
皇族に名をつらねる劉璋であるから、人並み以上に漢室を憂える気持ちはある。
なんとかできるものならなんとかしたいのだが、あまりにも曹操軍はおそろしい。
ふと、劉璋の双眸に打算の光がよぎった。
張魯を征討したあかつきには、劉備に多大な報酬を払わねばなるまい。
資金と兵を供与すれば、劉備軍は交州から北上して、荊南四郡の曹操軍と争うであろう。
荊南四郡に配備されている曹操軍の兵力はたかが知れているから、勇猛なる劉備軍ならば勝てるにちがいない。
その状況が、自分にとって非常に都合がよいことに、劉璋は気がついたのである。
曹操軍が益州に攻めこむには、おもにふたつの道がある。
関中から南進して漢中郡に攻めこむ道と、江陵から西進して巴郡に攻めこむ道である。
このうち関中から南進する道は、険しい秦嶺山脈を踏破しなければならないため、大軍を動かすのはむずかしく、江陵から西進する道が常道とされている。
だが、劉備が荊南四郡を手に入れれば、江陵の曹操軍が巴郡に攻めこんでくる可能性もきわめて低くなる。
江陵から見て、江水の対岸に劉備軍が存在しているのだ。
彼らを無視して益州に攻めこめば、江陵を奪われるか、補給路を断たれてしまう。
その前に、まずは劉備軍を討伐しなければならない。
劉備軍が荊南四郡を占拠しているかぎり、属人的な要因においても、地理的な要因においても、曹操が優先すべきは劉備討伐であり、劉璋の順番はあとまわしになるはずである。
荒事をさけたがる劉璋が、どこまでも彼らしい想像をしているあいだにも、劉備はおもだった部下をひとりひとり呼び寄せては、劉璋に紹介していく。
諸葛亮、張飛、趙雲……。
彼らのように益州でも名が知られている人物もいれば、劉璋が名を知らぬ人物もいる。
劉備に手招きされ、五十歳をいくつか過ぎたくらいの男が、劉璋の前にやってきた。
「こちらは孫家の呂岱どのです」
「孫家の?」
劉備の言葉に、劉璋は目を丸くして驚いた。
呂岱は拱手して、
「徐州広陵郡出身の姓は呂、名は岱、字は定公と申す。劉備どのとともに劉璋どのをお助けせよと、我が君から申しつかっております」
「なぜ、孫権どのが部下を派遣してきたのでしょうか?」
劉璋のかたわらに控えていた黄権が、主君の代わりに訊ねた。
「できることなら我が全軍でもって、季玉どののお力になりたかったのですが、交州の守りを疎かにするわけにもいきません。私が募兵を急いでいたところ、交州の一部を領有する孫権どのから使者が参られ、事情を知った孫権どのが、兵を貸してくださったのです」
劉備が事情を説明すると、劉璋は、
「なるほど、そういう経緯でしたか。まさか孫権どのまで助勢してくださるとは、これほどありがたいことはありません」
人のよい笑顔を呂岱にむけながら、内心考える。
かつて、劉備と孫権は同盟をむすんで曹操と戦い――敗れた。
その後、孫権が曹操に臣従したため、劉備と孫権の関係も悪化したと思われていた。
だが、臣従したといっても、曹操軍が江水北岸の孫権領を占領したことで、曹操と孫権の関係が険悪になっているのはまちがいなかった。
劉備と孫権はふたたび手を組んで、曹操に対抗しようとしているのだ。
であるのなら、劉備の腹の底も読める。
第三の同志として、私の力を必要としているにちがいない。
確信に近い思いを抱いて、劉璋は笑みを深めるのであった。
宴席は数日催される予定である。
まさかずっと参加するわけにもいかないので、諸葛亮は自分にあてがわれた客室で、休憩していた。
そこへ来客があった。
劉璋のもとにもぐりこんでいる龐統である。
「来たか、士元。劉璋どのの様子はどうだ?」
「待望の援軍が到着して、機嫌はよさそうだ。……だが、万事こちらの思惑どおりとはいいがたい」
と龐統は肩をすくめた。
「なにかあったのか?」
諸葛亮が眉をひそめて問うと、龐統は後頭部をかきながら、
「どうも、私の周囲を嗅ぎまわっている者がいるようでな」
「そうか……」
「正直にいうと、疑われるとは思っていなかった。荊州から益州に避難してきた人物は、めずらしくないはずだが……」
「劉璋どのの配下にも、できる人物がいるということか」
半分は感嘆の、半分は落胆のため息を、諸葛亮はこぼした。
龐統は舌打ちせんばかりに、
「残念だが、劉備さまと会うのは、やめておいたほうがよさそうだ」
ただでさえ龐統は疑われているのだ。
ここで劉備に会いにいけば、疑念を深めるばかりである。
もちろん、諸葛亮の部屋を訪れるのは別だ。
龐統と諸葛亮が友人であることは、いまさら隠せるようなものではない。
むしろ、接触しないほうが不自然であろう。
「我が君への言伝なら、あずかるが」
「いまさら私がいうまでもないだろう。劉璋暗殺は中止せざるをえまい」
劉璋暗殺という、最速最善の策が失敗に終わったことを、龐統は認めた。
広都城城内に招かれた劉備軍の将兵は、百名にも満たない。
ほとんどの兵は城外に設けられた宴席でもてなされている。
それに対して、劉璋は三万もの兵を引きつれて入城しているのだ。
この場で劉璋を暗殺しようものなら、劉備たちが皆殺しにされるのは目に見えていた。
諸葛亮はうなずいて、
「この状況ではいたしかたあるまい。それに暗殺という手段に、もともと我が君は乗り気ではなかった」
龐統は、わざとらしくまばたきした。
「なにを甘いことを。益州を奪うこと自体、すでに信義にそむく行為だ。いまさら外聞を気にする必要などあるまい」
「私もそう思う。だが、劉備軍の中核となっているのは、劉備玄徳という個人につきしたがう将兵たちだ。彼らの心がはなれるようなやりかたは、さけられるのであれば、さけたほうがよい」
「外聞ではなく、仲間内に対する求心力の問題、ということか」
眉根を寄せながらも、龐統は納得してみせた。
「そういうことだ。我が君は、そこまで計算ずくではないかもしれないが」
「まあいいさ。どちらにせよ、劉璋暗殺は不可能なんだ。そうなると、劉璋軍を打ち破り、成都を占領しなければならん。……きびしいぞ。正面から戦うだけでは勝てまい」
入蜀した劉備軍の兵力は二万一千。
呂岱率いる二千の孫権軍と合わせても、二万三千にすぎない。
劉璋軍と正面から戦うには、倍の兵力があっても十分とはいえなかった。
味方を増やし、兵力を増やさなければ勝ちの目は見えてこない。
「調略の成果はどうだ? 益州の豪族たちは、劉璋政権に非協力的だそうだが」
諸葛亮は、二歳年上の友人に訊ねた。
「それなりだな。益州の豪族たちを説き伏せるのは、張松どのに一任しているが、私も動いたほうがいいのかもしれん」
「それは危険だ。士元は警戒されているのだろう」
「なに、成都でなにもできないのなら、成都をはなれるだけのことさ」
にやりと笑い、龐統は自信ありげにいいはなった。
その直後、宴席の合間に、龐統は劉璋にこう願い出た。
「友人の諸葛亮が、劉備どのの下で活躍しているというのに、私はこの地に来てから、なんの功績も立てておりません。劉備軍に随伴する部隊を率いるのが、法正・孟達の両人であることは存じておりますが、おそれながら私も彼らに同行させていただきたく存じます。前線におもむいて張魯討伐で功を成し、劉璋さまのお役に立ってごらんにいれましょう」
危険な任務に、わざわざ志願する物好きは、そう多くない。
普通ならば、快く受け入れるであろう申し出である。
はたして、龐統の要望は受理された。
劉璋が、龐統を信じているのであれば、彼は龐統の申し出に感激したであろう。
疑っているのであれば、龐統に成都で策動されるより、劉備軍とひとまとめにして前線に追いやったほうがあと腐れがない、と判断したのであろう。つまりは、体のいい厄介払いである。
いずれにしても、かりそめの主従関係は終わり、龐統のなすべきことは定まった。
劉備軍に同行して前線の葭萌関におもむき、周辺の豪族を味方に引き入れながら南下する。
成都でなにもできずにじっとしているより、はるかに有意義な時間が、龐統を待っているはずであった。




