第一四四話 中国貨幣史
劉巴におくれを取った丁儀は、その夜、官舎の一室を訪れて憤懣を吐きだした。
「くそ忌々しい! 曹操さまの御前でとんだ恥をかかされた!」
唐突な訪問客を快く迎え入れた楊修は、愚痴につきあわされながらも、嫌な顔ひとつ見せなかった。
彼らは曹植と親交が深く、曹操の後継者の座をめぐる争いにおいては、同志といってもよい間柄である。
丁儀からすれば、楊修は曹植陣営随一の切れ者であり、楊修からすれば、丁儀は曹一族と近しい貴重な人物であった。
「私は劉巴に負けたわけではないぞ! だいたい、胡昭どのの知恵を借りてくるとは卑怯ではないかッ!」
「劉巴どのも、曹操さまの期待に応えようと必死だったのでしょう」
ため息を胸中にのみこんだ楊修は、穏やかな声でつづける。
「話を聞いたかぎり、劉巴どのの献策の有用性は理解できます。曹操さまが惹かれるのも無理からぬことかと思いますが」
「なにを悠長なことを! 劉巴は陳羣の腰巾着だ。……むざむざと敵の名を成さしめてしまったのだぞ」
さすがに大声で敵というわけにはいかず、丁儀は声を低めた。
陳羣は曹丕の側近であり、取り巻きの劉巴も、曹丕派と見なさなければならない。
そもそも、丁儀が大銭の発行に反対したのは、劉巴個人や彼の案そのものというよりは、曹丕に対する敵対心に原因があった。
曹一族と丁一族は同郷の有力者として、代々婚姻関係をむすんで縁を深めてきた。
父を失って一族を継いだ丁儀にも、曹操はごく自然に娘を嫁がせようとした。
そこで反対の声をあげたのが、曹丕だったのである。
「あのようなやぶにらみの醜男に嫁がされたら、姉上がかわいそうです」
ある意味では姉思いの発言だったのかもしれないが、丁儀にしてみれば屈辱以外の何物でもなかった。
楊修はため息を禁じえない。
曹操の娘をもらいそびれた丁儀の腹のなかでは、曹丕に対する憎悪の炎が渦巻いているのである。
同志としてはその感情すら頼もしいが、あまりに攻撃的な態度を取っていたら、曹丕当人はともかく、周囲の反発まで買ってしまう。
もうすこし角が立たないやりかたを身につけてもらわなければ、曹丕陣営を助長するだけであろう。
現に、劉巴にちょっかいを出したことで、かえって劉巴の評価を高めてしまったではないか。
「そこまで心配する必要もないでしょう。陳羣どのも劉巴どのも、暗闘を好む人物ではありますまい」
彼らを見習えとまではいわないが、権門と近しい一豪族としてだけでなく、名家としてのふるまいも丁儀には学んでほしい、と楊修は願うのである。
「それが名士のありようというものか。誇り高いのはけっこうだが、節を曲げてでも勝たなければならないときもあろう」
「……そのとおりです」
全面的に賛同する気にはなれなかったが、楊修はうなずかざるをえなかった。
誇りや理念で勝てるなら、名士が宦官に粛清されることも、漢朝のいまの惨状もなかったにちがいない。
丁儀は、ふと思い出したように、
「そういえば、楊修どのも胡昭どのと会ったそうではないか」
「とくに収穫があったわけでもありませんが……」
「どうだった? 胡昭どのを子建さまの味方に引き入れるのはむずかしそうか?」
「かねてより言明しているとおり、曹操さまの後継者問題に口をはさむつもりはないように見受けられました」
楊修の返答を予期していたのであろう、丁儀は猜疑と懸念の声で、
「しかし、胡昭どのは曹丕の宴席に参加し、劉巴にも入れ知恵しているではないか?」
「宴席をひらいたのが子建さまであったら、子建さまの宴席に参加することになっていたでしょうし、丁儀どのが相談をもちかけていたら、丁儀どのが助言を受けていたでしょう。ただそれだけのことのように思いますが」
「ふうむ……」
「いずれにせよ、我々にとっては好都合です。胡昭どのと荀彧どの。人後に落ちない影響力をもつ彼らが、曹操さまの後継者問題には関与しないと表明しているのですから。もし、彼らが支持をするとしたら……」
「長子の曹丕、ということか。……ならば中立でよしとせねばなるまい」
納得した様子で、丁儀は酒杯をつかんだ。
そして、その中身を一気にあおると、酒臭い息を残して帰っていった。
丁儀がいなくなると、楊修ははじめて迷惑そうな表情を浮かべた。
「やれやれ。さすがに、長居しない程度の分別はあったようだが……」
曹植の相談役を自認している楊修だが、丁儀の相談役にまでなったおぼえはない。
とはいえ、彼は数少ない明確な味方である。
頼られれば、拒むわけにもいかなかった。
丁儀と顔をつきあわせて、うしろ暗い話をするたびに、楊修は互いの考えかたの齟齬を認識させられる。
「それともこれは……私が甘いのだろうか」
楊修は自分の才能を疑っていなかったが、才能だけでうまくいくと信じこむほど楽天的な性格ではなかった。
曹操の後継者の座がひとつであるように、官職の席もかぎられている。
競争相手をおとしいれようとする丁儀の手法は、俗物的ではあるが有効にちがいなかった。
見習わなければならないのは、楊修のほうかもしれないのである。
陰鬱な手法をどこまで取り入れるべきなのか?
楊修が自問しているところに、楊家の家人がやってきてこういった。
「ご主人さま。許都より書簡が届いております」
楊修は書簡を受け取り、ざっと目を通した。
たいした内容ではない。返書を急ぐ必要もあるまい。
家人を屋敷に帰させ、ひとりになると、楊修はふたたび思考に没頭した。
楊修と丁儀は同志だが、だからといって、まったく同じ立場に置かれているわけではなかった。
一族ぐるみで曹家と仲が深いからか、丁儀は曹魏の繁栄を疑っていないようである。
彼にとって重要なのは、誰が曹家の実権を握るのか、その一点のみなのだ。
ゆえに、曹丕を打倒し、曹植を当主に据えることだけを考えていられる。
楊修の境遇は、そこまで単純ではなかった。
弘農楊氏は、漢朝有数の名門である。
名門は名門同士で縁を深めるものであり、彼の母は汝南袁氏から嫁いできた。
曹操は、楊修の才覚こそ認めているが、血筋や家柄で見れば、好意的な感情は抱いていまい。
だからこそ、楊修のほうでも一歩引いた視点から、客観的に認識できる。
曹魏の繁栄は、いまだ確固たる根を張っておらず、その大半が曹操個人の器量に依存している。
曹操が没したあとのことを考えたら、絶対視などできるはずがない。
曹丕が継ごうが、曹植が継ごうが、曹家は大幅な弱体化を余儀なくされよう。
そこで漢朝が反撃に出れば……。
いまの権勢が幻であったかのように、曹家は衰亡の道をたどるであろう。
つまり、曹丕と曹植の後継者争いだけでなく、曹家と漢朝の対立も、楊修は考えなければならないのである。
彼は自他ともに認める明晰な知性の持ち主であったが、このふたつの対立軸がどのように推移し、どのような変化が生じるかは、とうてい予測しきれるものではなかった。
曹植の側近として、曹丕と争うのか。
漢朝の名士として、曹家の支配に立ちむかうのか。
どちらを選ぶにせよ、成功すれば栄達は思いのままであり、失敗すれば……先があるとは思われない。
彼の生涯において、最大の選択となるのはまちがいなかった。
先ほど届いた書簡の一文を思い返して、楊修は自嘲とも皮肉ともつかぬ、複雑な苦笑を浮かべた。
「天意とともにあらんことを、か。これほど便利な言葉もあるまい……」
※
胡昭の法則は、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉で知られる経済学の法則のひとつ。
ある社会において、同一の額面価値でありながら実質価値に差がある貨幣が流通する場合、より実質価値の高い貨幣がその価値ゆえに退蔵されたり、溶解されたり、輸出されたりなどして流通市場から駆逐され、より実質価値の低い貨幣だけが流通するようになることをいう。
「胡昭の法則」という名称は、新貨幣の導入を考えていた魏の劉巴に対し、「貨幣制度が崩壊した原因は、私鋳銭の横行にある」と胡昭が助言した故事に由来する。
劉巴はこの助言を基にして、百銭相当の新貨幣と減税、悪銭の回収を一体化した直百五銖銭制度を提唱した。
曹操は直百五銖銭制度を推進することで、市場に流通する悪銭の減少と、貨幣の発行総額の増大をはかった。これによって経済の混乱は安定化にむかい、商業活動は活発化した。
この直百五銖銭は、晋代に一両銭と改称され、一両銭は元代に銭貨の使用が禁止されるまで、中国史上最も長期にわたって流通した。
胡昭の法則 wiikiより一部抜粋




