第一三九話 五銖銭
「もともと春秋戦国の世には、さまざまな貨幣が流通しておりました。国が異なれば、発行される貨幣も異なるのですから、当然のことでございましょう」
緊張はほぐれたようだが、依然として劉巴の声は平静ではなかった。緊張とは別種の硬さが感じられる。
それだけ彼は曹操の下問を重く受けとめており、かつ真摯に取り組んでいるのだろう。
「ですが統一帝国にとって、地域ごとに決済手段が異なるのは弊害以外の何ものでもありません。貨幣のちがいは経済の統合を阻害するだけでなく、徴税の手間をも煩雑にさせてしまいます」
私の顔色を確認しながら、劉巴は説明する。
私は、いかにも経済に精通していそうな顔でうなずきつつ、
「うむ。天下を統一した秦が、自国の通貨である半両銭の普及をはかったのもむべなるかな。貨幣の統一は商取引を活性化し、経済を安定化させる効果がある」
漢が導入した五銖銭は中国における二番目の統一通貨であり、最初の統一通貨は秦の半両銭である。
どちらも形状は円形で、中央に四角い穴があいている。
ちなみに両も銖も重さの単位だ。
一両が二十四銖だから、半両だと十二銖ということになる。
劉巴はうなずき返して、
「漢もまた、秦の半両銭政策を引き継ぎました。しかし、そっくりそのままというわけにはいきませんでした。建国当初の漢は、王朝の直轄領と比べて諸侯王の領地が広大であったため、中央の政策を各地に波及させることが困難だったのです」
自国の圧倒的な軍事力によって天下を統一した秦の始皇帝とちがい、漢の劉邦は、単独では楚の項羽を倒せなかった。
斉王韓信、九江王英布といった協力者を得て、諸侯の力を束ねて天下統一をなしとげたのだ。
自国の政策を各地の勢力へ浸透させるだけの支配力を、当初の漢王朝は持ちえなかった。
「統一貨幣を普及させるために、漢朝は民間による半両銭の鋳造を解禁しました。民間の力を活用しようとしたのですが、これは功罪相半ばする判断だったといえるでしょう」
劉巴は奥歯にものが挟まったような表情を浮かべながら、小さく首を振った。
劉巴の言葉を継ぐように、私は口をひらく。
「私鋳を認めたことによって、半両銭の流通量はふくれあがった。だが同時に、軽量で粗悪な半両銭が出まわってしまった、ということだな」
半両銭一枚が一銭なのだ。
そうなると誰もが邪な考えを抱く。
半両銭をすこし小さくすれば、浮いた銅の分だけ得するではないか!
「さようでございます。楡の莢のように小さく薄いと揶揄される、いわゆる楡莢銭が出まわったことによって、物価が高騰してしまいました」
劉巴の苦々しげな言葉に、私は応じる。
「半両銭の価値を担保していたのは、素材となる銅の価値だ。『穀の貴きゆえんは、銭の賎しきによるゆえなり』という言葉があるように、小さくなれば貨幣価値の低下もさけられぬ」
貨幣の価値が下がれば、物価が上昇するのは自明の理である。
支払いに悪銭が使用されるようになるのだから、商品を売る側にしてみればたまったものではない。
悪銭で支払われるのを想定して値段を上げなければ、自身の生活が立ち行かなくなってしまう。
劉巴はため息をついて、
「こうした混乱は、文帝が半両銭の重さを四銖と定められたことによって、一時的に収束いたしました。ですが軍事に重きを置いた武帝の御世に、ふたたび表面化します」
十二銖あったはずの半両銭が、わずか四銖に! 三分の一である。
それで混乱が落ち着くのはいかがなものかと思わなくもないが、それほどまでに半両銭は小型化していたのである。
一銖程度の重さしかない楡莢半両銭と比較すれば、四銖の半両銭は十分立派に見える。
信用に値すると、市場と大衆は評価したのだろう。
劉巴は表情を曇らせたままつづける。
「武帝は、あらたに三銖銭を発行なさいました。半両銭の重さは四銖。半両銭三枚分の銅を使用して、三銖銭であれば四枚鋳造できる。そうして貨幣の流通量を増やそうとしたのですが、これが貨幣価値の下落と物価の高騰、経済の混乱を引き起こしてしまった。三銖銭はわずか数年で発行されなくなったものの、経済の混乱はとまらなかった」
劉巴の声から、もはや硬さは感じられない。そこにあるのは、貨幣問題の解決に挑もうとする熱量である。
それも道理で、彼の話はいよいよ核心に触れようとしていた。
「経済の混乱を収拾するために、武帝はあらためて五銖銭を発行なさいました。原料のほとんどは半両銭です。重さ四銖の貨幣を五銖に改鋳するのだから、貨幣の総量は減少してしまいます。しかも当時の五銖銭は五銖より重かったため、その分さらに目減りしてしまったのですが、しかし、だからこそ民衆の信認を得られました。また、品質を均一に保つために、私鋳を禁じたのも大きかったのでしょう。物価は安定し、五銖銭の普及も進んでいきました」
それにしても、よく調べあげたものだ。
この問題にかける劉巴の意気込みが、ひしひしと伝わってくる。
いちおう、この時代では私もインテリに分類されるわけでして、半両銭から五銖銭へのおおまかな流れは、だいたい知っているつもりである。けれど、劉巴ほどくわしくはない。司馬懿の知識だって、私と似たようなものだろう。
ちらりと横目でうかがうと、私の視線に気づいた司馬懿がかすかにうなずいた。神妙な表情をしているが、そこに戸惑いの色はない。よし、ちゃんと話についていけてるな。大丈夫そうだ。
もちろん司馬懿の頭脳と識見を疑っているわけではないのだが、これは総合職というよりもスペシャリストとしての能力が要求される問題だろうし、漢朝が長年抱えつづけてきた問題でもある。
究極的にいえば、インフレや通貨偽造は、二十一世紀でも解決されていないわけで、完全な解決策など望むべくもないのである。
そもそも正答が存在する問題だったら、劉巴から相談を受けた時点で、陳羣がその正答を提示しておしまいだったはずだ。
そういう意味では、正答が存在しないと理解しているからこそ、陳羣は劉巴と私を引き合わせたのかもしれない。
私なら、なにかしらの打開策を見つけだせるかもしれない、という余計な期待をこめてッ!! ……おのれ、陳羣!
まあ、それはともかく。
先に相談を受けていた陳羣は、劉巴と同等の知識を有していると見ていいはず。
まちがいなく戦力になる。
この様子なら、司馬懿も戦力として数えられそうだ。
彼らがいれば、それなりの案は出せるのではなかろうか。
陳羣と司馬懿やぞ!
このふたりでダメだったらあきらめもつくし、私が妙案を出せなくてもなんら恥じ入ることはあるまい。
心のなかで予防線を張る私をよそに、劉巴の声にはさらに熱がこもる。
「しかし、原料銅の生産が低下して、貨幣の供給が滞るようになると、ふたたび粗悪な私鋳銭や剪輪銭が横行するようになります」
剪輪銭とは、五銖銭を打ち抜いた内側の部分で、これはそのまま貨幣として使用された。
外側の部分はどうしたか?
いうまでもない。あらたな五銖銭の原料として再利用したのだ。
「そして、こうした混乱に対処しようとして、火に油を注いでしまったのが、かの乱臣賊子・王莽でございます」
劉巴はまなじりをつりあげると、まるで親の仇を見つけたかのように、拳を握りしめるのであった。




