第一三四話 訪問者
益州情勢については、司馬懿にも知らせておいたほうがいいだろう。いますぐなにかしてもらう必要があるわけではないが、彼なら悪いようにはしないはずである。
そう判断した私が、劉備軍の益州乗っ取り大作戦の全貌を伝えると、さすがの司馬懿も驚いたようであった。
普通なら「本当ですか?」と疑いの目をむけられそうなものだが、そうならなかったのは、私が積みかさねてきた師の威厳のおかげといっても過言ではあるまい。
私が信頼されるように外面を取り繕ってきたからではあるけれど、陳羣にしろ、司馬懿にしろ、陰謀論みたいな推論をよく信じてくれるなあ、と思う。
翌日の早朝。
私と司馬懿は司馬家の門前で、石苞と鄧艾を送り出した。
「行ってまいります」
「い、行って、まいり、ます」
石苞と鄧艾の声から、緊張と気負いが感じられる。
今日一日、彼らは軍事教練に飛び入り参加させてもらうことになった。
私が彼らを将軍として育成しようとしていることを知っている司馬懿が、軍部にかけあって話をつけてくれたのである。
鄧艾と石苞を史実よりも優秀な武将に育てるのは、私の責務ともいえるわけでして。
彼らの育成計画も順調に進んでいると見ていいはずである。
史実より優秀な鄧艾?
……私はとんでもない怪物を生みだそうとしているのかもしれない。
すこし足早に歩いていく鄧艾と石苞の姿は、はつらつとしていて、じつに若者らしい。
遠ざかる彼らの背中を見送りながら、司馬懿がいう。
「孔明先生の門人とはいえ、彼らは寒門の出身です。栄達すればするほど、孤立する可能性は高くなる」
「うむ」
寒門出身の彼らが出世街道を歩めば、人一倍ねたみやひがみを買うだろう。
まして、鄧艾は吃音ゆえに、石苞は並外れた容姿ゆえに、それぞれ注目を集めやすい。
「軍部であれば、出自は気にせず接してくれる。まずは軍部内に味方を増やしてほしいという孔明先生の思いを、彼らが汲んでいればよいのですが」
うむ?
……なるほど?
…………そういうことなのである!
私と司馬懿は家のなかにもどろうとする。
そこで司馬懿が動きをとめた。
高級官吏の屋敷が軒をつらねる通りを、ひとりの男が歩いてきたのだ。
年齢は司馬懿より上だろう。三十代半ばくらいに見える。
その男は、いかにも切れ者といった顔立ちに柔和な笑みを浮かべ、まっすぐこちらに歩いてくると、
「司馬懿どの。胡昭どのが鄴にいらっしゃったと聞いて、うかがったのだが。察するにそちらの方が?」
どうやら、私に用事があるようだ。
「姓は胡、名は昭、字は孔明と申す」
私が拱手して名乗ると、男も拱手を返して、
「姓は楊、名は修、字は徳祖と申します。かねてより一度お会いしたく思っておりました」
……こいつはまた厄介な人物がおいでなすった。
楊修は、鶏肋というエピソードによって、三国志ファンのあいだでもかなり知名度の高い人物である。
まず家柄だが、三公のひとつである太尉を四代にわたって輩出した弘農楊氏は、汝南袁氏にも匹敵する名門中の名門である。
楊修個人に関していえば、あの曹操をやりこめるほどに、頭も口もよくまわる。
それが有益かどうかはひとまず置いておくとして、とても優秀な人物であることはまちがいない。
で、くだんの鶏肋事件である。
曹操軍が、漢中で劉備軍と戦っているときの話である。
鶏の羹を食べていた曹操が、
「鶏肋……鶏肋……」
と、悩ましげにつぶやいた。
曹操の意図を理解できずに周囲の者が首をかしげるなか、ただひとり、楊修だけが撤退の準備をはじめた。
不思議に思った者がその理由を問うと、楊修はこう答えた。
「鶏肋――鶏のあばら骨は、出汁を取るのに利用できても、ほとんど肉がついておらず、腹の足しにはならない。捨てるのは惜しいが、たいして役には立たないもの。つまり、漢中は惜しいが、いまは撤退すべきである、と曹操さまはおっしゃられたのです」
こうして曹操軍は撤退準備に取り掛かったのだが、その光景を見た曹操は驚いた。彼は撤退など命じたおぼえはないのだ。
事情を知ると曹操は激怒し、勝手な命令を広めて軍規を乱したという理由で楊修を処刑してしまった。
ただし、それは表向きの理由で、本当は自分の内心を見抜いた楊修の頭脳をおそれたからだともいわれている。
その楊修は司馬懿の家にあがると、友好的な表情と声でいった。
「以前、胡昭どのが鄴に来られたころ、私は子建さまとともに関中に出征しておりました。あとで胡昭どのと会う機会を逸したことを知り、残念に思ったものです」
子建――曹植の字である。
そうだ。楊修は曹植と親しくしており、鶏肋の件以前に、そもそも曹操の不興を買っていたという話もあった。
曹操は、どのような質問に対してもすらすらと答える曹植の才知を高く評価していた。
しかし、さすがに答えがあざやかすぎる。
いぶかしんで調べさせると、曹操から質問されそうなことに対する答えが記された教本が見つかった。
その教本を作成したのが楊修だったのである。
これが曹操の逆鱗に触れた。
なにせ、後継者候補の器量をはかっているつもりだったのに、その曹植が楊修の操り人形となっていたのだ。
怒るのも当然である。
そして、後継者問題に干渉しすぎた楊修を排除しようと、曹操が機をうかがっていたところに、鶏肋の一件が起こった……。
ようするに、楊修は優秀ではあるが、いろいろ問題のある人物である。
報連相を怠らずに、鶏肋という言葉の真意を曹操に確認しておけば、少なくともそれを理由に処刑されることはなかっただろう。
曹植のために教本をつくってしまったのもそうだが、才覚に自信があるゆえに分をわきまえないというか、差し出がましいというか、独断の気があると見るべきであろう。
以上のことから、私が取るべきスタンスも自然と定まってくる。
楊修とは一定の距離を置いたほうがいい。
あまり親しくしていると、曹操ににらまれる可能性がある。
楊修はいかにも私と交歓するのが目的といった調子でなごやかに話すが、私は警戒心を強める。
すると、彼は穏やかな声のまま、話題を権力の中枢へと転じた。
「先日、曹操さまが、子桓さまと子建さまを呼びだして、ご質問なさいました……」
こいつ、さっそく曹丕と曹植の後継者争いに、私を巻きこむつもりか。
「曹軍において、最も名将と呼ぶのにふさわしい人物は誰か? もちろん曹操さまご自身をのぞいての話です」
……?
曹操の質問の意図も、ここで楊修がその話を持ち出す意図もはかりかねる。
「胡昭どのであれば、誰とお答えになるでしょうか?」
むむむ……。
うかつに名を挙げて、曹丕か曹植の答えと被るのはよくないような気がする。
とりあえず、曖昧に返すのが無難であろう。
「さて……。世間で名将と呼ばれている人物の名を挙げることはできても、私自身が判断するのはむずかしい。この目で彼らの活躍を見たわけではないのだからな」
相手は頭と口のまわる楊修である。
どんな返答をしても利用されてしまいそうだし、楊修のペースに乗せられてしまいそうにも感じる。
ここはやはり、まともに取りあわずに、のらりくらりとかわしていくべきであろう。
この胡孔明……。
曖昧、中立、不干渉の三本柱を主軸として、徹頭徹尾消極的にお相手いたす!




