第一三三話 難題の予兆
ようするにだ。
劉璋が、劉備・龐統・張松といった人物に疑いの目をむけるようにしむければ、劉璋暗殺ルートは回避できると思う。
劉璋の心にはたらきかけることができる人物の協力が必要だ。
私が自分の名義で手紙を出すという手段も、いちおうあるにはあるが、これにはふたつ問題がある。
ひとつ、劉備陣営と敵対するリスク。
これは無視できるものではない。
たとえ劉備軍が益州で全滅したとしても、安心はできない。
ある日、張飛あたりがひょっこりあらわれて、
「胡昭、お前のせいで、みんな死んじまったッ!」
とかいって、襲いかかってきたらどうにもならない。
ジ・エンドである。
それに、劉備と敵対すると、私が曹操の味方だと見なされる可能性が高い。それもよろしくない。
私は在野の士として、中立の立場を有効活用して生きてきたのだ。
それを捨てるなんてとんでもない、というやつである。
ふたつめの問題は、私の交際範囲である。
私のお手紙外交の基本的なターゲットは、敵対したらヤバそうな人物、仲よくしておくとお得そうな人物である。
正直にいうと、劉璋はノーマークだった。前世の知識に鑑みると、彼は劉備に益州を乗っ取られて、処刑こそされていなかったと思うが、そのままフェードアウトしていく予定の人物である。
危険人物だとも、役に立つ人物だとも思っていなかったのだ。
したがって、劉璋との親交は、私にはない。
やはり、劉璋と交流のある人物のほうが適任だと思う。
人のふんどしで相撲を取らなければならない。
誰の助力を仰ぐかだが、それについては心当たりがあった。
陳羣である。
司馬懿はまだ若いので、交際範囲はそれほど広くないだろう。
荀彧であれば劉璋とも親交があるはずだが、彼の交際範囲も、許都や朝廷を中心としている。
その点、陳羣は地方の有能な人材を発掘するために、各地の人士と活発に交流している。劉璋は当然として、益州の人材にも伝手は多いだろう。
しかも、一時的に劉備に仕えていたこともあるし、もちろん名士としての信望も申し分ない。
劉備の危険性を喚起して、劉璋の危機意識を刺激するのに、陳羣ほど適した人物はいないと思う。
陳羣は関中遠征に参軍していたが、すでに曹操とともに鄴に帰還している。
そんなわけで、私は鄧艾と石苞をともない、鄴へむかうのであった。
「劉備軍が、益州を乗っ取る……!?」
私の推論を聞いた陳羣が、息をのんで呆然とした。
肝の大きい彼にしては、なかなか劇的な反応だった。
陳羣はむずかしげな表情をすると、眉間を中指で押しこんでから、
「孔明どのは……劉璋どのに劉備軍を招き入れるように進言した人物が誰か、ご存じでしょうか?」
「いや?」
「……なるほど。じつは、孔明どのが警戒すべき人物として名をあげた、龐統と張松の両人なのです」
「…………っ!?」
思わず私も息をのんでしまった。
ビンゴじゃん!
そのふたりの組み合わせだと、もう絶対によからぬことをたくらんでるって。
「どうやら、孔明どのの推察は、推察で済ませるにわけにはいかないようです。……それにしても、よく彼らの狙いを看破できるものです。私にはとうていできそうにありません」
陳羣はそういってため息をついた。
そのため息からは、感嘆というより畏怖のようなものすら感じられる。
よほど衝撃的だったようだ。
そりゃそうか。
まるで未来予知のような洞察力だもの。予知ではなく既知だけど。
のちの大器として育成するために、この場には鄧艾と石苞も同席させているのだが、陳羣につられてか、彼らの顔にも半分衝撃、半分興奮といった表情が浮かんでいる。
……ううむ。師の威厳を保つという観点では満点なんだろうけど、私に対する期待値のハードルがあがっているのを感じる。私だって、前世の知識が当てはまる状況じゃないと、こんなことはできないのだが……。
気を取りなおしたらしく、陳羣は冷静な声でいう。
「それで、私は劉備軍の危険性を喚起すればよろしいのですね?」
「うむ。私の懸念が当たっていれば、益州で不要な血が流れる。看過すべきではなかろう」
私はあくまで動乱と、それに巻き込まれる民衆を憂えてみせた。
曹操に味方しているわけでも、劉備と敵対しているわけでもないという、さりげないアピールである。
気づいているのかいないのか、陳羣はうなずいて、
「わかりました。私から、劉璋どのや彼の家臣たちに、手紙を送ってみましょう」
「手間をかけさせてすまぬな」
「私が適任であると、孔明どのが判断したのであれば、私がおこなうべきでしょう」
陳羣は苦笑をひらめかせてから、真顔になってつづける。
「劉璋どのの暗殺をくわだてているという話もそうですが、援軍要請に応じておいて領地を強奪するなど信義にもとるおこないでしょう。未然にふせげるのであれば、それに越したことはありません」
陳羣はそこで言葉を切って、あごに手をあてると、
「それに、ちょうどよかった」
「ちょうどよい?」
私が問うと、陳羣は困りはてたといったふうに目尻をさげる。
「ええ。こちらにも、孔明どのの知恵を拝借したいことがございまして」
「うむ?」
「こみいった話になるのですが……」
「相談にはいくらでも乗るが、おぬしが困っているような問題なのであろう? ならば、そう簡単に答えは出まい」
即座に予防線を張る私。あがりまくった期待値のハードルをすこしでもさげようと必死である。
「まずはひとり、紹介したい人物がいます」
「ほう?」
「零陵郡出身の劉巴どのです。彼の話を聞いていただけないでしょうか?」
そんなわけで、明日、劉巴と会う予定が入った。
私と鄧艾、石苞の三人は、陳羣の屋敷をあとにして、今夜宿泊することになっている司馬懿の屋敷に移動する。
ちなみに、陳羣は今日が、司馬懿は明日が休日である。
鄴の市中を歩くことしばらく、
「せ、先生。な、なぜ、劉備たちの、狙い、を、見抜けた、のですか?」
と、鄧艾が質問してきた。
なんという答えにくい質問であろうか。……私にもわからんよ!
「……うむ」
とりあえず、ごまかさなければなるまい。
いちおう、前もってそれっぽい話は用意してある。
「龐統は、劉表・劉琮に仕えていた人物だ。主君が降伏した際には、襄陽をはなれており、そのまま姿をくらました。聞けば、赤壁の戦いでは孫呉陣営に身を置いていたという……。曹操軍と対立する道を選んだ、と見なすべきであろう。……はたして、そのような男がわざわざ山奥の蜀まで行って、劉璋に仕えようとするだろうか」
その話を丁寧に引き出しながら、私はゆっくりとしゃべる。
「劉璋に一州を治められる器量がないことは、外から見ても明白であろう。彼を主君に選ぶのであれば、そのまま呉にとどまって、親交のある孫権に仕える。あるいは、曹丞相と敵対している劉備に仕えるのではないか……。それでも龐統は劉璋を選んだ。劉璋という個に惹かれたのでなければ、ほかの要素に魅力を感じたのであろう」
「そ、それは、益州、の地、でしょうか?」
察しのいい鄧艾に、私はうなずく。
「うむ」
沃野千里、天府の地。
益州は、曹操軍に対抗しうる最後の地といっても過言ではない。
「益州、劉備、龐統、それに曹丞相に冷遇されたという張松もそうだが、曹操軍と対立する要素が集まっている。ただ集まっているだけであれば、なにもおかしくはない。……だが、龐統が劉璋を主君に選ぶのも、劉璋が劉備軍を招き入れるのも不自然な動きに思える。そう、作り物めいて感じられる」
私は手にした白羽扇に視線を落として、
「曹操軍に対抗するための作為的なものによって、一連の流れが生じているのであれば、その裏では、不要な要素を排除するための謀も進んでいよう」
不要な要素が劉璋であることは言及するまでもない。
弟子たちの目に納得と畏敬の色が浮かぶのを見て、私はほっと胸を撫でおろすのだった。




