第一三一話 コネパワー
龐統は瞬時に思考をめぐらせる。
劉備軍が巴郡に進出したと知った曹操は、江陵の軍勢をどう動かすであろうか。
城から出て、巴郡の劉備軍を追いかけるのは下策である。
もしそんなことをして、引き返してきた劉備軍に敗北を喫したら、それこそ江陵陥落の危機を招きかねない。
だが、無反応とも思えない。ならばどう動くのか。
龐統であれば、迷うことなく劉備軍の退路を断つ。
曹操軍が江陵をおさえているため、荊南の武陵郡から益州の巴郡への進軍経路はかぎられる。
その経路上の有利な地に布陣してしまえば、退路を失った劉備軍本隊は、曹操・劉璋・張魯の三勢力に囲まれて孤立するであろう。
劉備のことだ、劉璋や張魯のもとに逃げこむかもしれないが、曹操にしてみれば悪くない展開である。
その時点で、荊南四郡と交州にたいした兵力は残されていまい。
荊南四郡を奪い返し、おまけに交州まで占領する好機が転がりこんでくる。
「孔明、交州はどうする? 交州も捨てるのか?」
「捨てる。だが、曹操軍とて、荊南と交州を占領するには時間がかかる。そのあいだに益州で勢力を広げる。敵は張魯でも劉璋でもどちらでもいい」
敵はどちらでもいい。
諸葛亮らしからぬ無節操な作戦を聞いて、龐統はなんだかおもしろくなってきた。
可能か不可能かでいえば、可能であろう。
劉璋と張魯は明確に対立している。片方と敵対して、もう片方と友好的な関係を構築するのはそうむずかしくないはずである。
だが、驚かされてばかりでは、おもしろくない。
諸葛亮の言葉を先まわりしてやろう、と龐統は思った。
「で、片方を倒したあとは残ったほうを、か」
節義を捨て、合理性をつきつめていけばそうなる。
「そうだ。荊南と交州を捨ててでも、益州を手に入れる。益州は攻めがたく守りやすい地だ。玄関口である漢中郡と巴郡の防備をかためれば、曹操軍が相手であろうと持ちこたえられる」
「まあ、戦略的にはおおむね正しい。賭けみたいな軍事作戦だが、どのみち劉備どのは、賭けに勝たなければ生き残れない。賭けをするのなら、士燮・張魯・劉璋を相手としたほうがいい」
曹操が相手では勝てそうにないからな、と龐統は口に出さなかった。
だが、はっきり伝わったのだろう。
諸葛亮は眉を八の字にして苦笑を浮かべた。
「曹操打倒をあきらめたわけではないが、優先すべきは、劉備さまが確固とした基盤を築くことだ」
冷静な言葉に龐統はうなずき、視線でつづきをうながした。
「その後は、孫権とともに、東西から江陵を狙う」
「劉備どのと孫権の同盟は破綻したはずだが?」
龐統は首をかしげた。
劉備が夏口を放棄して南へ逃げているのは、孫権が曹操と和議をむすんでしまったからであろう。
「いずれ曹操と孫権の関係も破綻する。曹操の要求は過激になっていくだろうし、そのうち孫権は耐えられなくなる」
「ははは、それは否定できないな」
「我々に利用価値があると見たら、孫権のほうから接触してくるだろう」
「そうだな、劉備どのが交州を支配するころには、孫権のほうから使者を送ってくるはずだ」
「孫権と共闘して江陵を落とすことができれば、荊南も交州もおのずとこちらに戻ってくる」
荊南と交州をあっさり手放せるのは、取り返す算段があったからか。龐統は納得して、
「なるほど、江水の水利を生かして南の国力を結集すれば、北の曹操にも対抗できる。周瑜どのの策だな……」
「ああ。孫権との同盟である以上、ひとつの国家のようにはいかないだろうが……」
と、諸葛亮は眉をひそめた。
「……わかった。私もその策に乗ろう」
「劉備さまに仕えてくれるのか?」
諸葛亮が顔を輝かせる。
龐統は首を横に振って、
「いや、私は劉璋に仕官する」
「劉璋に仕える? 劉璋とも同盟し、三勢力で曹操に対抗する手もあるが……。おそらく、劉璋は曹操と対峙できまい」
「そうではない。おまえの策は見事だと思う。どこに流れついても現地に馴染んでしまう劉備どのの特異な性質を活かし、大軍勢であるがゆえの曹操軍の動きの遅さをついている。この状況で曹操に対抗しうる手段は、ほかにあるまい。……だが、あやうい賭けの連続だ。その根本的な原因はわかるな?」
龐統が指摘すると、諸葛亮は顔を曇らせて、
「ああ、常に時間の制約がつきまとう」
荊州を制圧した曹操が、いますぐ交州に攻めこんでくる可能性は低い。
戦略上、土地には優先順位がある。
江東の孫権と和議をむすんだいま、曹操が最も警戒しているのは、関中の馬超であろう。
もし馬超が反旗をひるがえせば、洛陽が陥落しかねない。
洛陽が落ちれば、許都はもう目と鼻の先だ。
この憂いを取り除き、関中を安定させれば、次は益州や交州の番である。
曹操が益州や交州に大軍勢をさしむける前に、劉備軍は最低でも巴郡に攻めこまなければならない。
できれば益州全土を支配しておきたいところだが……。
「とにかく、孔明はできるだけ速やかに交州を奪ってくれ。荊南、巴郡への侵攻も急いでほしいが、同時に益州南部の豪族ともよしみを通じておいてほしい。交州を手に入れたあとなら資金はあるはず。たいして苦労はしまい」
「わかった。ならば士元は、劉璋家臣の調略を頼む」
「ああ。劉璋軍の力を削ぎ、劉備どのの味方を増やしておく。だが、理想をいえば」
もったいぶるように言葉を切って、龐統はにやりと笑った。
「張魯におびえた劉璋が、みずから劉備軍を招き入れるように仕向けることができれば最善だ。そうなれば、荊南と巴郡を攻めとる手間を省いて、直接、入蜀できる」
諸葛亮とかわした約束を思い出し、龐統は内心つぶやく。
「孔明、そっちは士燮に手こずったようだが、こちらは最善の結果を出したぞ」
間に合った。
関中では、まだ戦火がくすぶっている。
潼関の戦いで敗れた馬超は西方へ逃れて再起しており、馬超と袂を分かった韓遂も健在である。
さらに独立勢力の宋建、興国氐の王・阿貴も抵抗をつづけている。
曹操軍が関中方面を安定させるのは、もうしばらく先のこととなろう。
間に合ったのだ。
曹操軍の動きに先んじて、劉備軍を益州に迎え入れることに成功した。
これで、大きな功績を手土産に、龐統は劉備軍と合流できる。
とはいえ、本番はこれからである。
劉備軍と合流し、劉璋を倒し、張魯を倒して益州を平定する。
劉備軍が飛躍するときがきた。龐統が乱世に翼を広げるときがきたのだ。
成都の夏は蒸し暑い。
夜道には、昼の熱が沈殿していた。
龐統が吐きだした高揚まじりの息が、生暖かい空気に溶けていく。
軍師謀士たる者、冷静沈着でいなければならない。
そうとわかっていても、奮い立つ気持ちを完全におさえることはできなかった。
◆◆◆
曹操が魏公に封じられた。
もちろん、荀彧は無事である。
私としては、荀彧さえ無事ならそれでよかろうなので、「やったね!」と内心よろこんだわけですが、その直前におこなわれた大規模な変革とあわせて、世間は大騒ぎしている。
また、劉備軍にも動きがあったようだ。
交州を占領した劉備軍が、益州に入ったらしい。
そして、呉のほうでもちょっと不思議な現象が起こっている。
前世の歴史と同じだったり、明確に異なっていたり。
私の生活に影響がありそうなこともあれば、理解できずに首をかしげたくなるようなこともある。
いろんなことが起こってわけがわからなくなりそうなので、いったん頭のなかを整理しておきたい。
三国志といえば、魏・呉・蜀のならびが普通なので、まずは魏の曹操を中心に起こっている出来事から。
魏公になった曹操は、漢の藩国として魏公国を建てた。
魏の尚書令に任じられたのは荀攸で、荀彧と荀攸がならんでいるところに、「荀尚書令」と声をかけたら、ふたり同時に振りむくタイプの人事である。
また、魏の将軍位もばらまかれている。
一例をあげると、陳登が鎮東将軍に任じられた。
鎮東将軍陳登ッ! 鎮東将軍陳登であるッ!
まあ、たしかに広陵は東に位置しているわけで、まさに適材適所というべき人事であろう。
そして、我が兄弟子の鍾繇は、魏の大理となった。
大理とは司法・刑罰を管轄する最高官である。
これからは鄴で勤めることになるので、自動的に司隷校尉の任は解かれる。
こうなると、司隷校尉の後任が問題になってくる。
私が暮らしている陸渾は、司隷にある。
この地域を管轄する役人のトップとコネがあるかどうかは、私の生活に密接に関わってくる。
たとえば、できるだけ多くの税金を取り立てようとするのが役人という人種である。
彼らは徴税額を増やすために、田畑の面積を実際より大きく計測しようとする。
けれど、私はそういった不当なあつかいを受けたことがない。
その大きな理由は、コネがあるからだ。
不当なあつかいをされたと私が判断したら、鍾繇に訴えでるかもしれない。
役人たちだって、そんな危険なことはしたくない。
だから、私には丁重に接してくれるし、付近の住民たちから私に陳情が集まらないよう、陸渾の住民たちも比較的公正なあつかいを受けている。
かくして、私はこの地で暮らしているだけで、住民たちの生活に寄与しているのである!
役人の不正を監視する在野の名士、というとなかなか素敵な感じだが、その本質はコネパワーである。
名士パワー イズ コネパワー!
そんなわけで、誰が司隷校尉となるかは非常に重要なのだが……。
結論からいうと、司隷校尉の後任はいなかった。
いないのだ。
司隷校尉という役職がなくなった。
司隷という管区そのものが、廃止されたのである。




