第一二七話 その頃、劉備たちは
赤壁の戦いで惨敗を喫した劉備は、その直後に曹操と孫権とのあいだに和議がむすばれたことによって、同盟相手をも失ってしまった。
孫権からの支援を断たれ、夏口で孤立してしまったのだ。
座していれば死を待つのみ。
劉備は持ち前の嗅覚で危機を悟ると、夏口を放棄して逃走、荊州のさらに南に位置する交州に落ちのびていた。
漢王朝の支配が行きとどかぬ未開の地であり、のちに広西チワン族自治区、およびベトナムの北部となる地域である。
交州に着くなり、張飛などはこういって呆れたものだ。
「幽州から交州か……。まるで渡り鳥だぜ」
劉備は郷里の幽州涿郡で義勇軍を結成した。
張飛の出身も涿郡で、関羽も挙兵以来のつきあいである。
彼ら三人だけではない。劉備軍最古参の将兵たちは、北から南まで、漢朝の領土を縦断してしまったのである。
考えてみれば、なかなかの偉業であろう。逃亡中でさえなければ、の話ではあったが。
ともあれ、放浪の劉備軍は蒼梧郡に身を寄せた。
蒼梧太守の呉巨は、元劉表の家臣であり、劉備とも面識がある。
頼りとするにはあまりにも薄い縁だが、まったく面識がないよりはいくぶんマシだと、劉備は判断したのであった。
呉巨は劉備たちを歓迎した。
むろん、亡き劉表に義理立てしたわけでも、劉備に好意を抱いていたわけでもない。
呉巨なりに、自身の器量と望み、そして交州情勢を俯瞰したうえで決断したのである。
劉表によって蒼梧太守に任じられた当初、呉巨は不満を抱いた。
なにしろ交州は未開の地である。
年がら年中雨が降り、夏季は蒸し暑く、平地が少ないとも聞く。
魅力的な役職とは思えなかった。
ところが、実際に足を踏み入れてみると、なかなか栄えている。
どうも、南方諸国との海上貿易、いわゆる南海貿易が莫大な富をもたらしているようだった。
そう悪い地ではない。蓄財には最適な場所であるように思われた。
しかし、南海貿易が生みだす利潤を、呉巨は手に入れられずにいた。
交阯太守の士燮が、沿岸地域をすべておさえてしまっていたのである。
士燮は交州の豪族で、老獪な男である。
たびたび朝廷に使者を派遣して、貢物を贈っているため、中央からのおぼえもよい。
中央で名を知られているということは、つまり曹操にもその存在を知られているということである。
荊南をおさえた劉表が交州に手を伸ばすと、その勢力拡張をおさえるべく、曹操は策を講じた。
交州一の実力者である士燮に目をつけ、彼に交州七郡の監督権をあたえたのである。
肩書こそ交阯一郡の太守にすぎないが、いまや士燮の支配力は交州一州におよんでいる。
劉表という後ろ盾を失った呉巨との力の差は、歴然としていた。
資金力の差は絶望的であり、軍事力に限定しても、くつがえすのは至難の業であろう。
そこへ、劉備が頼ってきたのだ。
流浪の身でありながら、劉備は一万を超える兵力を有していた。
呉巨の軍勢を上まわる規模である。質に関してはいうまでもない。
関羽がいる、張飛がいる、趙雲がいる。
「これはいい。劉備を利用できれば、士燮とておそれるほどの相手ではない」
呉巨はそう算段を立てたが、諸手をあげてよろこんだわけでもなかった。
「劉備にその意思があれば、私を追い出すことなど容易いにちがいない」
呉巨はおのれの才覚を自負していたが、劉備を御せるとまではうぬぼれていなかった。
もし呉巨にそれだけの器量があるのなら、劉表は彼を交州などに派遣せず、手元に置いて重用していたはずなのだ。
「もしここで劉備を拒絶すれば、私はこのまま士燮に滅ぼされる。あるいは劉備が牙をむいて襲いかかってくるかもしれん。……劉備を受け入れれば、士燮との戦いは優位に進められよう。だが、私の立場もあやうくなる」
なにもかもうまくいく選択肢はないのだ、と呉巨は悟った。
もともと呉巨は窮地に立たされていたのだ。
ならば、劉備という動乱の要因には積極的に関与すべきであろう。
劉備の上に立とうとせず、その下で甘い蜜を吸える立場におさまればよい。
「ああ、劉備どの、よくぞ来られた。劉表さまが身罷られたいま、私が主君として仰ぐべき人物は、荊州刺史の座をついだ貴殿しかいまい」
呉巨は亡き劉表への忠節を熱っぽく語ると、みずから進んで劉備の旗下に加わった。
呉巨の功績は、劉備軍を受け入れた時点で隠れようもないものである。
劉備が交州を支配すれば、港のひとつ程度は手に入るだろうと計算したのだった。
まずは士燮を打倒する。
そのあとのことは……呉巨の思考におさまる規模の話ではない。
劉備次第であろうし、それ以上に曹操の出方次第であろう……。
こうして交州を舞台に、劉備と士燮の抗争がはじまった。
精兵ぞろいの劉備軍は、呉巨の思惑通りに士燮を打ち破った。
そのまま勢力を拡大するかと思われたが、劉備たちは兵糧不足に悩まされた。
孫子にあるように、占領した敵地で食料を奪うのが戦の常道だが、平地の少ない交州ではそれが思うようにはかどらなかったのである。
そうこうしているうちに、士燮が手練手管を使って盛り返す。
中原で曹操を相手にしているときは、民が劉備の力となることもあったが、士燮が民心をしっかりと掌握していたため、ここではそうはいかなかった。
交州東端の南海郡に、孫権軍が攻め込んできたのは、建安十六年(二一一年)になってからのことであった。
これが、一進一退となっていた交州情勢に激変をもたらした。
侵犯されたのは士燮の領土だったが、劉備としても、第三勢力の介入を単純によろこぶわけにはいかなかった。
孫権と同盟をむすんでいたのは過去の話である。
彼が裏切ったから、劉備は夏口を放棄せざるをえなかったのだ。
「孫権と敵対するわけにはいきませぬ」
諸葛亮の進言は、劉備にとって受容しがたいものであった。
「孫権は……信用できん」
「我々と孫権の関係は、あくまで利害によるもの。信用する必要はありません」
劉備と孫権が手を組んだのは、強大な曹操軍に対抗するためであり、孫権が劉備を見捨てたのは、自領を守るために曹操に頭を下げなければならなかったからである。
事情は劉備も理解しているが、だからといって自分を裏切った相手に対する感情は好意的になりえなかった。
「孫権は江水北岸の領土を曹操軍に奪われたようです。もはや曹操とむすんだ和議も無効。曹操と敵対する者どうし、ふたたび協力しなければなりませぬ」
「だが、孔明よ。孫権にその気がなければ協力などしようがない。やつは、士燮もろとも我々を攻めほろぼすつもりかもしれん」
ふふふ、と諸葛亮は自信ありげに微笑をたたえると、
「孫権は、曹操と通じている士燮領に攻めこんだのです。これ以上、敵を増やしたくないはず。すぐにこちらへ使者を送ってくるでしょう」
「む……そういうものだろうか?」
劉備は半信半疑だったが、諸葛亮の言葉どおり、すぐに孫権の使者がやってきた。
使者の名は歩騭。
交州に攻めこんできた孫権軍の総指揮官みずからの訪問である。
「劉備どの。状況によっては戦うことになるかもしれないが、我々はあなたと積極的に敵対するつもりはない。孫権さまの主敵は、あくまで曹操である」
恫喝もまじっていたが、歩隲はふたたび手を組もうと申し出ているのだ。
劉備は舌打ちをこらえて、軽く息を吐いた。
「……我々の敵も曹操だ。孫権どのとは手を組める。そう思っていた。また、そう思いたいものだが……」
「我々が交州に攻めこんだ目的は、南海貿易が生みだす莫大な富です。その利権にからむためには南海郡を確保しなければなりません。ですが、それ以外の地域は、劉備どのが掌握されるがよろしい。もちろん南海郡以外の沿岸部は劉備どのの支配下に入るのだから、南方諸国との貿易による利潤も、山分けという形になります」
「ほう……」
半分くらいはよこせと主張してくるかと思っていたが、一郡でいいとは意外と殊勝な申し出である。
「劉備どのが交州を治められたあかつきには、孫権さまは孫家と劉家のあいだで婚姻関係を結びたいと考えております」
歩隲がいうには、孫権は自分の妹を劉備に嫁がせようと考えているらしい。
詫びのつもりだろうか。
孫権も多少はうしろめたさを感じているのかもしれない。
劉備がそう思ったところで、諸葛亮が声をあげた。
「孫権どのが両家の同盟を真剣に考えていることは理解いたした。しかし、対曹操という観点では、どこまで本気で考えているのか?」
「むっ……」
言葉に詰まる歩隲の口元を、諸葛亮は冷徹に見つめながら、
「かつて周瑜どのは、江水流域をおさえれば北の大勢力にも対抗できると考えていた。しかし、そのためには巴蜀と荊南をおさえなければなりますまい」
「我々が協力すれば、荊南を占領する好機もめぐってくるでしょう。巴蜀はそのあと、ということになりますが……」
「両家で北の曹操に対抗すると、本気で胆を据えているのか? その覚悟があると見てよろしいか?」
「むろん」
諸葛亮の問いに歩隲がうなずくと、劉備はようやく歯を見せて笑った。
「わかった。孫権どのとの同盟を受け入れよう」
孫権の協力を得た劉備は、しだいに士燮を追い詰めていった。
そして、凩の吹く十月。交州の争乱に決着がついた。
劉備軍が、士燮の居城である龍編県城を攻め落としたのである。
後ろ手にしばられた士燮が引きたてられてくるや、劉備は指をさして命じた。
「おおっ、士燮を捕らえたか。斬れっ」




