第一一八話 反曹の名士たち
曹操に仕官するより、陸渾で隠士をしているほうが名士としての声望は際立つ。それだけならまあ理解できる話だが、司馬懿の言葉はそうではないようだった。曹操自身にとってすら、私は野にいたほうがよい、といっているように聞こえた。
「孔明先生を臣下にくわえれば、曹丞相は名士のあいだに一定の支持を広げるでしょう」
司馬懿は当然のようにいった。
本当だろうか? いやまあ、私だって声望はそれなりにあるわけで、同調する人物だってゼロではないだろう。ゼロでは。
「ですが、それで立場を変えるような人物は、そもそも危険な相手ではありません」
「うむ。私の動向にあわせて立場を変えられるのだ。もとより強硬に曹操と敵対しようとしていたわけではあるまい」
「真に危険な存在は、みずからの士名や権益を、漢朝と同一視している名士です。曹丞相による天下統一が現実味を増すにともない、彼らは追いつめられています」
「ふむ。いずれ彼らは、なりふりかまわぬ行動に出るであろうな。軍事力においても、資金力においても太刀打ちできないのだ。手段を選んではいられまい」
たしか前世では、魏諷という人物が中心になってクーデターを画策し、失敗していたはずだ。
「はい。暗殺、反乱……密謀をかさねるうえで、彼らが頼みとするのは、漢朝の権威と自分たちの士名のみ。その士名を貶めるために、曹丞相はこう公言するでしょう。『陸渾の胡孔明は権力とは無縁の生活をしているのに、彼らは明けても暮れても権力闘争ばかりだ』と」
「なるほど。私は隠士のままでよい。それが曹操にとって最も都合がよい、ということか」
納得して、私はうなずいた。
それにしても権力闘争とは、なんとおそろしいものか。自分になんの過失もなくても、政敵によって失脚させられるかもしれないし、あまつさえ暗殺されることすらありえるのだ。
「権力から距離を置き、権力闘争に口を出さない。こうした姿勢をつらぬけば、反曹の名士たちが近寄ってきても、つけいる隙をあたえずにすみましょう」
司馬懿の声は冷静そのものである。なんと頼もしい。
権力の中枢にいる人物だって、全員が全員、肝っ玉が大きいわけではないだろう。でも、司馬懿の心臓にはまちがいなく毛が生えていると思う。
「ふむ、権力闘争に口を出さない、か。漢朝と曹操のせめぎあいに関しても、無関心をつらぬけるのであれば、それが一番であろうな」
「はい、いままでのように無関心、中立でよろしいかと存じます。ですが、許都ばかり訪れていては、漢朝側についたと誤解される可能性があります。少々距離はありますが、たまには鄴にも足をはこんだほうがよろしいかと」
「……うむ。どうやら、そのようだ」
鄴を訪れることで、私が曹操をさけているとの印象はなくせるだろう。
「しかし、私の名を利用して、反曹の中心人物を貶めたところで、嫌がらせに毛が生えた程度の効果しかなかろう。曹操ならば、もっと効果的で苛烈な手を、いくつも考えていそうに思えるが」
曹操だったら、政敵をもっとはげしく、徹底的に攻撃しそうである。難癖つけて処刑したりとか。平気でしそう。
司馬懿はあご髭をつまみながら答えた。
「曹丞相の名士対策はすでに動きはじめております」
「ほう……」
「その件については、当事者も交えて話したほうがよろしいでしょう」
「当事者?」
「責任者というべきかもしれませんが、曹丕――子桓さまです」
翌日、私と司馬懿、鄧艾と石苞の四名は馬車に乗って、銅雀台にむかった。
鄧艾と石苞をつれていくか悩んだが、結局、同行させることにした。
軍師司馬懿いわく、
「曹丕は性格が悪い面や、気むずかしい面もありますが、民や兵卒に対しては意外と寛容です。鄧艾と石苞の身分を考慮すれば、多少の礼を失したくらいで、目くじらを立てることはないでしょう」
とのことである。
曹丕に対する批評がなかなか辛口のようにも感じられたが、それなら鄧艾と石苞の将来を見据えて、早めにお目通りしておいたほうがいいだろう。
銅雀台が近づいてくると、鄧艾と石苞が、まばゆそうに目をしばたたかせた。
広大な太府には楼閣が建ち並んでいて、その奥に巨大な宮殿――銅雀台がそびえている。どの建物にも赤い顔料がふんだんに使用され、遠くに見える青い山脈との対比がじつに色鮮やかである。
私も内心圧倒されていたのだが、その一方で、ちょっとだけ呆れてもいた。
銅雀台の左右には橋が架けられ、それぞれ高楼につながっていた。空中で行き来できるようになっているのだ。この建築物を適切に表現する言葉を、私は知っていた。「ぼくの考えた最高の宮殿」である。
私たち四名が銅雀台の一室に足を踏み入れると、曹丕らしき人物が破顔して迎えた。
「孔明先生、ひさしぶりだな!」
「おお、曹丕さま。すっかり立派になられた」
もう二十代半ばのはずなので当然だが、曹丕は大人になっていた。身長は曹操より高くなっていて、だいたい私と同じくらいか。ひげもしっかりたくわえている。
私としても、昔のように接するわけにはいかなかった。けれど、司馬懿の手前、露骨に媚びへつらうわけにもいかない。ここは相手を立てつつも卑屈にならない、絶妙なさじ加減がもとめられる。
「そいつらが孔明先生の弟子か」
曹丕に視線をむけられ、石苞と鄧艾がかしこまって拱手した。
「冀州勃海郡、南皮県出身の石苞、字は仲容ともうします」
「……け、荊州、南陽郡、棘陽県の出身。と、鄧艾、字は、士載、ともうします」
石苞の顔を無遠慮に見つめ、曹丕はにやりと笑った。
「ほう……いい顔をしている」
曹丕、おまえもか。おまえも顔を見て判断してしまうのか。
となりにとんでもない才能の持ち主がいるというのに。
……そういえば、司馬懿は石苞の顔に興味を示さなかったな。
「顔がいい石仲容。そうお見知りおきいただければ、恐悦至極に存じます」
「ははは、なかなか度胸もあるようだ」
ヒヤヒヤするやりとりだったが、とりあえず曹丕は機嫌を損ねていないようなので、セーフである。
しばらく雑談してから、本題に入るために曹丕が人払いをした。ここまでつれてきて申し訳ないが鄧艾と石苞にも席を外してもらう。彼らには、役人に案内してもらって銅雀台観光ツアーをしてもらうことになった。
金や碧玉がちりばめられた、絢爛豪華な宮殿である。せっかく来たのだから、私にも銅雀台を見てまわりたい気持ちはある。あとで観光ツアーに申し込んでみようと思うのだが、受け付けてもらえるだろうか。
人払いがすむと、まず司馬懿が口をひらいた。
「子桓さま、孔明先生は曹丞相の魏公就任に賛同しておられます」
「そうか、それは助かる」
曹丕は鷹揚にうなずいた。
「ですが、孔明先生はあくまで隠士です。権力抗争に関しては無関心、中立であるべきでしょう」
「わかった。それで十分だ」
ふたたびうなずいてから、曹丕は私の顔に視線をすえた。
「孔明先生、父上と名士たちとの確執について、仲達はどこまで話した?」
「漢朝の忠臣を自認する名士たちが最大の抵抗勢力となるだろう、といったところですな」
「そう、かつて豪族がそうであったように、名士たちも抵抗勢力だ。袁紹と劉表は豪族に手を焼かされた。父上も兗州の豪族にあわやというところまで追いつめられた。だが、豪族の力には形があった。土地と私兵だ。彼らの影響力は郷里から遠い地では用をなさない。私兵はこちらの軍勢に再編してしまえばよかった」
私は相づちを打つようにして、
「名士の力に形はありませんな」
「士名、声望、評判……。名士の力は、浮き草のように不確かだ。単独ではさほど脅威にはならないだろう。だが、漢朝や儒教とむすびつくと、これがかなり厄介な相手になってくる」
曹丕の表情に、もやがかかった。
少々乱暴なくくりかもしれないが、後漢王朝が国家を建てなおすために儒教を国教とし、その模範とすべく名士を引き立てたことによって、名士社会は成立したといえる。国家のありようをテーマにすれば、この三者は切っても切れない関係にある。
「漢朝と名士を不可分たらしめているのは儒教だ、と父上は考えている。儒教の影響力は絶大だ。社会規範や法令、人事考課に至るまで、儒教的価値観が重視されている。その儒教文化の中心にいるのが名士たちなのだ。これでは彼らの影響力を無視できるはずがない」
「ふむ、たしかに……」
儒教が国教と化してから、約百三十年。その思想は、社会の隅々にまで浸透している。
私が、儒教にあらたな解釈を取り入れるべきだと考えたのも、儒教を無視して異民族対策をしたところで、うまくいかないと判断したからである。
私とは別の理由だが、曹操も儒教に変革を望んでいるのかもしれない。
「父上は文学を宣揚し、その価値基準にもとづいて人事考課をおこなっている。あらたな文化的価値を創出することによって、儒教一尊体制を崩し、名士たちの文化的優越性を奪うのが目的だ」
……変革どころか、対抗しようと考えていたとは。
やはり曹操。なんだかんだで過激な発想をしていらっしゃる。




