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第一一〇話 英雄候補生


 私は許都から見て西、陸渾りくこんへの帰り道の途上にある襄城じょうじょう県を訪れた。


 透明度の高い空の下、秋の収穫期を迎えた小麦色の畑がどこまでも広がっている。小麦色だけど、小麦ではなくあわ畑である。風が吹きわたるたびに、粟の穂がそよぎ、黄金色の波が大地をはしりぬける。


 異郷を旅している最中、雄大な自然に感銘をうけたことは何度もあるけど、この光景はそのどれにも負けていないと思う。


 農業はすばらしい。

 農業 イズ パワー。


 豊かな農業生産力と精強な軍事力さえあれば、異民族になんて絶対に負けないんだからッ!


「私は、孔明先生のように農業にくわしいわけではありませんが、農民たちの顔が明るいのを見るに、今年は豊作のようですね」


 と、農民たちとそっくりな表情でいったのは、荀彧がつけてくれたお供の郭玄信かくげんしんである。


 郭図と同族の潁川えいせん郭氏の若者で、そういえば、旅にでる前にも一度会ったことがある。


 雑談をしながら、私と郭玄信の二騎は襄城の城門をくぐり、そのまま官庁にむかった。


荀令君じゅんれいくんからの使いで参った。こちらの方は、陸渾の胡孔明先生であらせられる」


 郭玄信が典農都尉てんのうといへの取り次ぎを頼んだ。荀令君とは尚書令の荀彧に対する敬称である。


 それからほどなく、白髪の男があわてて走り寄ってきた。


 この男が典農都尉なのだろう。いかめしい顔立ちが、どことなく郭図をほうふつとさせる。


 ……郭図はどうしているだろうか。

 郭図とは烏丸うがんの地、幽州で別れた。


 別れ際に、鮮卑せんぴの地へもどるつもりだ、と郭図はいっていた。

 烏丸より強勢な鮮卑のほうが、より将来の脅威となりうるであろう、と判断したためである。


 私たちは鮮卑でも丁重にもてなしてもらえたから、悪いあつかいはうけていないはずだ。


 いまごろ、私の私塾で非常勤講師をしていた経験を生かして、鮮卑でも教鞭をとっているのだろうか。


「あの孔明先生に、荀令君の下知でございますかッ!?」


 息をはずませる典農都尉に、私は荀彧からあずかっていた竹簡を渡す。


「さっそく拝見させていただきますッ!」


 典農都尉は食い入るようにその中身を読んで、ふむふむ、とうなずいた。


「穀物の蔵をひとつ開放し、その中身をすべて陸渾へはこぶように、とありますな。流民へ食料を施してやらねばならない、と。承知いたしました。すぐさま準備にとりかかりまする!」


「うむ。よろしく頼む」


「ところで、孔明先生。すぐに準備するといっても、どうしても丸一日か二日は時間がかかってしまいます」


「ふむ……であろうな」


 典農都尉が、揉み手をしながら提案する。


「どうでしょう? そのあいだ、我が家にご滞在していただければ、幸甚こうじんの至りにございますが……」


 断る理由もないので、私と郭玄信は、典農都尉の屋敷に泊まることになった。

 もちろん、ぜいたくなもてなしはいらない、と断ったうえでのことである。






 その夜、私にあてられた部屋で、私と郭玄信は、湯がはこばれてくるのを待っていた。


 この時代の風呂事情はピンキリである。


 河内司馬家のように温泉とはいかないが、私の家には浴室があるし、敷地内に井戸もある。水に困らないから、頻繁に風呂に入れる。


 これはかなりぜいたくなことで、高級品などの表向きなぜいたくとは無縁に見せておいて、生活水準の向上にはこだわるのが私の信条である。


 けれど、たいていの家はそうはいかない。

 この典農都尉の屋敷も、部屋数はそれなりにあるものの、浴室はなかった。


 というわけで、体を洗うために、部屋に湯をはこんでもらうことになっているのだった。


「お湯をお持ちいたしました」


 少年期特有の明るく柔らかい声が聞こえて、私は安堵した。


 じつは夕餉ゆうげの席のあとに、典農都尉が寄ってきて、私の耳にこうささやいたのだ。


「あとでお部屋に湯をはこばせますが、若い娘でよろしいでしょうか」


 ……つまり、そういうことであろう。エロエロ接待である。

 そこでうなずいていればアダルトな展開が待っていたのだろうが、私は首を横にふった。


 理性で判断できる男、胡孔明であった。えらい!


 あの典農都尉、顔の系統は似ていても、郭図とはだいぶ気質がちがうようだ。

 後世の評価はぼろ雑巾よりひどい郭図だが、賄賂だとかそういうことは嫌悪していた。


 いや、結果的に負けたわけだから評価が低くなるのは当然だし、策謀とかはいろいろやっていたみたいだから、白か黒かで判別しようとすれば黒だとは思うけど、美点もゼロではないのよ。


 たとえば……たとえば……えーっと。


 私が郭図の美点を見出そうとしていると、十代半ばであろう、ふたり組の若者が部屋に入ってきた、


 その瞬間、郭玄信の口が動いた。


「顔がいい……」


 無音なのに、なぜ彼のつぶやきが理解できたのかというと、私もまったく同感だったからだ。


 声を発したほうだと思う、その少年は、容姿端麗という言葉がものたりなく感じるほどの美少年だった。まさしく紅顔の美少年。ううむ、顔がいい。


 彼は洗い布と浴衣よくいをもって、天上の微笑を浮かべている。


 対照的に、もうひとりの若者はぶすりと無愛想な表情を浮かべて、湯気の立つ、大きく重そうな木桶を両手で抱えている。三白眼さんぱくがんに、濃い眉毛、物理的に頑丈そうな顔立ち。この若者も郭図系の顔といえよう。


 若者たちがてきぱきと沐浴もくよくの準備をする。それを終えると、美少年のほうがとろけるような笑顔を浮かべていった。


「孔明先生、お身体からだをお拭きいたします」


「いや、けっこう」


 私は反射的に返答していた。


 ……もしかして、若い娘さんを断ったから、そっちの気があると誤解された?


 だから、美少年が送りこまれてきたとか?

 だとしたら心外である。想定外である。

 ……こんなん想定できるわけあるかッ!


 とりあえず、若者たちを退室させると、私は衝立ついたての裏で服を脱ぎ、体を洗いはじめる。


 最近冷え込んできたし、できるだけ湯が冷めないうちに、郭玄信に順番をまわしたい。急がないで大丈夫だ、と郭玄信はいってくれるが、私は手早く沐浴を済ませた。


 浴衣を着てしょうに腰かけながら、葛藤する。


 ……そっちの気があると誤解されているとしたら、誤解を解く必要があるのではなかろうか。


 いや、でも。本当に体を拭くだけのつもりだったかもしれないし、それも断ったんだから、誤解がつづくとも思われない。


 わざわざ言及する必要はないはずだ。気まずくなるだけだし。


 そこであらたな疑念が浮かびあがる。

 あの美少年、本当に男だったのだろうか?


 美少女が男装している可能性もなきにしもあらず。

 疑いはじめると、わからなくなってきた。


 声は少年のものだったと思う。

 体格も身のこなしも男だったと思うのだが、イマイチ確信がもてない。


 沐浴を済ませた郭玄信が、部屋の入口に声をかけると、若者たちが部屋に入ってきた。


 沐浴のあとかたづけをする彼らを眺めながら、私は、その手際のよさに感心するていをよそおい、美少年の性別を判断することに神経を集中させる。


 体つき、身のこなし、どちらも男っぽい。

 のどぼとけは……ふくらんでいるように見える。

 よし、男で確定と見ていいはずだ。なにがよしなのかはわからんが。


 あとかたづけを終えた彼らは、部屋の入り口で姿勢をただした。

 重い木桶は、やはり無愛想な少年が持っている。

 要領のよさそうな美少年が、顔を輝かせていう。


「私どもは、朝までこの屋敷につめております。ご用がございましたら、なんなりとお申しつけください。私は、冀州は勃海郡、南皮県出身の石苞せきほうあざな仲容ちゅうようともうします。うるわしき石仲容とお見知りおきくだされば、身にあまる光栄に存じます」


 こいつはただもんじゃねえ。紅顔というより、厚顔ですわ。「うるわしき」とか自己紹介する奴にはじめて会った。


 つづいてとなりの無愛想な若者が、無愛想なまま口をひらく。


「け、荊州南陽郡、棘陽きょくよう県の出身。鄧艾とうがい、字は、士載しさい、ともうす」


 ……は?

 鄧艾って……三国志末期の最強武将ともいわれる、あの鄧艾……だと思っていいのだろうか?






 寝床のなかで、私は考える。ちなみに郭玄信は隣の部屋だ。


 鄧艾は、魏・呉・蜀の一角、蜀を滅ぼした名将である。

 三国志に終止符を打った人物といっても過言ではない。


 当然ながら、某歴史シミュレーションゲームにおいても、統率・武力・知力と、どれもすばらしく高い評価をうけている。


 三国志末期ともなると、武将が小粒になっていくから、彼の能力値の高さはひときわ輝きを放つ。


 ……そう、武将が小粒になっていくのだ。


 三国志初期は、群雄割拠の時代である。

 各地で頻繁に戦が起こり、勢力図もころころ変わる。

 ある意味、目立った活躍をしやすい時代といえるだろう。


 けれど、三国が鼎立ていりつすると、その状況も落ち着いてくる。


 魏・呉・蜀の三国だけで争うのだから、戦の頻度は低くなる。

 しかも、攻めては負け、攻めては負けがくりかえされ、勢力図の変化も少なくなっていく。

 目立った活躍をしにくい時代になるのだ。


 そうなると、後半の武将の能力値は、どうしてもひかえめにせざるをえない。


 だから、優秀な人材が減ったというよりも、優秀な人材の活躍する場所が減っていった、と見るべきなのだろう。


 前世で、私はそう思っていた。


 ……本当にそうなのだろうか?


 敦煌とんこうのあたりでいっしょに旅をした、楊阿若ようあじゃくという武芸者を思い出す。

 無数の星々がきらめく空の下で、彼はさも当たり前のようにいった。


「いまの漢朝が、異民族にどう見られているか? なめられてるんじゃないですかね。この地域に送られてくる高級武官は、ろくでなしのふぬけばかりだ。衛青えいせい霍去病かくきょへい班超はんちょう……偉大な先達せんだつとは比べる気にもなりゃしない」


 楊阿若が挙げたのは、いずれも異民族征討で名を馳せた将軍たちである。


 彼はたき火に薪をくべながらつづけた。 


「そりゃあ、西域都護さいいきとごとして曹操でも派遣されてきたら、異民族だって戦々恐々でしょうけど……。その曹操に牛耳られているのが、いまの漢朝の実態でしょう? 『漢朝、恐るるに足らず』と、あなどられるのも無理はないと思いますよ」


 ……ようするに、後世の評価云々以前に、そもそもこの国の人材が劣化している可能性すらあるのではないだろうか。

 そういえば、陳羣も教育水準の低下を嘆いていたような。


 教育システムの再建は、今後の重要な課題であり、鍵ともなるであろう。

 とくに、優秀な将軍を輩出できるようにしておかなければならない。


「鄧艾……鄧艾か」


 鄧艾は、吃音きつおんだったために出世が遅れたという。

 さっきの若者も吃音のようだったし、おそらく同一人物だろう。


 無から優秀な人材を育てる自信なんて、私にはない。

 けれど、彼にここよりもめぐまれた環境を用意するくらいであれば、できる自信はある。


「よし、決めた」


 鄧艾を弟子に取ろう。

 彼を史実よりも早く出世させ、その成功例をモデルケースにして、武将を育てる重要性と価値を、周囲に知らしめていくのだ。文官ばかりでなく、武官の育成に力を入れよう、と。


 ……それにしても、郭図系の顔の人物と立てつづけに遭遇したからなのか、潁川郭氏の郭玄信が同行しているからなのか……やたらと郭図や旅の出来事を思い出す一日だったな。




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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 いよいよ弟子取りですね! 鄧士載が一番乗りですか!熱いですねぇ。 父祖については不詳っぽい鄧士載、とは言え幼いとも言える十代前半から官職に着いていたから、地元では名士な家…
更新やったー! いつも心に郭図を…フォーエバー郭図 うるわしき〜〜って見て素晴らしきヒィッツカラルドを思い出しました。
この勢いだと、郭淮や文鴦、諸葛誕当たりも入るのかな? 杜預さんは鄧艾たちの次世代だから違うのかな? 徐庶さんもそろそろなのかね、孔明先生に感銘受けるってずっと前にあるし
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