第一〇九話 名士の存在意義
古典とは、とかく解釈がわかれるものである。
なにしろ、引用・注釈する人が、それぞれ自分の主張に適した形で解釈するのは当然だろうし、言葉それ自体の意味が、時代の流れとともに変わってしまうことすらある。
しかも、当人に真意を尋ねようにも、とっくに墓のなかときたもんだ。
孔子の教えといっておいてなんだが、一例として、孫子から一文をあげてみよう。
兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきをみざるなり。
とてつもなく有名な故事成語だと思うが、これにもさまざまな解釈のしかたがある。
まずは「完璧を望んで慎重になるより、すぐに戦をして勝利を得るべきである」という解釈である。現代日本でも「躊躇してないで、とっとと行動しろ」といった意味合いで使用されていたと思う。
ところがこの一文、「十分な戦果を得られなくとも戦争は速やかに終わらせるべきである。より多くの成果を望むあまり長期戦となって、結果的に成功した事例はない」だったり、「戦下手な将軍が速やかに戦争を終わらせることはあっても、戦上手な将軍が戦争を長引かせることはありえない」といった解釈のしかたもあるのだ。
私自身、この三つの解釈からどれを選ぶかと問われれば、けっこう悩む。たぶん二番目か三番目だろうな、と思うけど。
閑話休題、孔子の教えのどこに問題を感じたかといえば、ずばりこの一文である。
「夷狄の君あるは、諸夏の亡きにしかず」
私は神妙な表情でいった。
この文は、「蛮族の国にすぐれた君主がいたとしても、そうでない中国にはおよばない。なぜなら、中国は文化的に進んだ国だからである」と解釈されている。
荀彧は唇の端をゆがめて、
「……それか。つまり、我々のおごりと、異民族に対する差別意識に問題があるということだな」
お気づきになりましたか。さす荀。
私はおごそかな口調でつづける。
「おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」
「ほう、うまいことをいう」
荀彧は眉頭をあげて感心した。
そりゃ、うまいに決まっている。
平家物語からの借りパクだもの。
私はもっともらしい顔を維持しつつ、
「なにも、異民族相手に下手に出ろ、といいたいわけではないぞ」
「わかっている。おごりも差別意識も、客観的な判断をそこねるものだ。そんなものを抱えていては、これからどのような手を打とうとしても、判断を誤ってしまうだろう」
「うむ。自分の価値観が正しいと信じこんで、相手にそれを押しつけようとすれば、いさかいを生むだけだ。つまらぬ衝突から、戦争になることもある」
「相手の反応を見誤らないようつとめなければならない。そのためには、相手の価値観を把握しなければならない……か」
といって、荀彧は嘆息すると、
「おごりや差別にとらわれていては、そんなことはしようとも思わないだろう。まずは我々の意識から変えていかなければならないようだ」
荀彧は腕組みをして考えこんだ。
私は思考の邪魔をしないよう沈黙して、お茶をすする。ズズっとな。
しばらくして、荀彧はふくみのある笑みをもらした。
「つまり……あれか」
「うむ、アレだ」
先の一文には、少数派ながら別の解釈がある。「未開の国ですら、すぐれた君主が立派に統治しているというのに、いまの乱れた中国はそれもできないのだ」というものである。自嘲を含んでいるため、好まれる解釈ではない。
「君は、あの解釈を主流にしなければならない、と考えているわけだ」
「うむ」
「なるほど。……かなり強引な解釈かもしれないが、やってやれないことはない。もともと、儒教とは変化に寛容な学問だ。章帝の御世に国教となって以降、硬直している面もあるが……」
章帝とは後漢の第三代皇帝である。
彼が儒教を国教として定め、儒教国家・漢は確立した。
つまり、このときの解釈が半ば聖典となってしまったともいえるわけで、硬直化してしまうのも仕方ない面はある。
「そうなると……名士たちに協力してもらう必要があるな」
と、荀彧は眉根を寄せた。
名士は儒教と密接にむすびついている。儒教にもとづいて、人のあるべき姿や、国のめざすべき形を示すのが、名士の存在意義といっても過言ではない。
……なかには郭嘉みたいなのもいるし、私みたいなのもいるが。
「漢朝の尚書令にして名士のまとめ役たる、おぬしの腕のふるいどころというわけだ」
中央の名士たちを動員しようと思えば、彼らに号令をかけることができる荀彧が一番である。
重責を押しつけられた形の荀彧は、あきらかに呆れかえった。
「おいおい、なにを他人事のように。私は許都をはなれられないのだ。自由に動ける君には、あらたな解釈を広めるために、動きまわってもらわねばなるまい」
「いやいや、私ひとりでできることなど、たかがしれていよう」
「君の影響力が名士ひとり分だなどと、誰が信じるものか」
「むっ」
「遠い異郷を旅してきたのだ。いまさら、国内各地をまわることができぬはずなかろう」
なんという仕事と責任のなすりつけあい。
なんということだ、荀文若ッ!
おまえはそんなに無責任な男ではなかろうにッ!
私の仕事も遠慮なく奪ってくれていいんだぞッ!
自分勝手なことを考えていた私は、反撃に出ようとして、口を閉ざした。
荀彧も同時に口を閉じる。
荀家の家人が部屋に歩み入ってきたのだ。
こんなみっともない口論を、まさか人に見せるわけにもいかない。
いや、私はかまわないのだが、荀彧には守らなければならないイメージがある。
荀彧が軽く咳ばらいすると、家人は膝をついて竹簡を差しだした。
「弘農太守の賈逵さまから、親書がとどいております」
家人が部屋を出ていくと、荀彧は竹簡をひらいて視線を走らせた。
「……孔明。曹操さまが関中に親征していることは知っているか?」
「うむ。噂だけだが」
曹操と馬超が潼関で戦っているらしい。
前世の歴史、くりかえされる。
曹操とは戦わないほうがよい、と馬超には伝えておいたのだが……。
それで戦を回避できるほど、都合よくはいかなかったようだ。
「先日、曹操さまが関中軍を撃破した。だが、馬超と韓遂はそれぞれ逃走中だ」
「それぞれということは、別々に逃げているのだな」
「うむ。関中軍は十万近い大軍勢、しかも涼州兵は強靭だ。正面から戦って、これを倒すのはむずかしい。そこで賈詡どのの離間計によって、馬超と韓遂の仲に亀裂を生じさせ、連携が乱れたところを撃破したそうだ」
戦の展開も前世どおりのようである。
「関中は混乱している。賈逵どのの親書によると、流民が弘農郡に押し寄せ、一部が陸渾をめざしているようだ」
「なんと」
「今回の遠征に際し、陸渾からは兵糧を供出してもらっている。穀物の余剰は少ないはずだ」
「むむむ……」
食料に余裕がないとなると、住人と流民とのあいだで衝突が起こりかねない。
「……そうだな、そうしよう」
荀彧が小さく笑った。
「むっ、なにを思いついた、文若」
「こちらから穀物を手配する。せっかく帰ってきたのだ。君にもひと役買ってもらおう。君が前に出たほうが、住民も流民も落ち着くはずだ」
◆◆◆
翌日の早暁、登庁するため、荀彧は馬車に乗りこんだ。
馬車は石畳を噛んで走る。
律動的な揺れは、いまの荀彧にとって不快ではなかった。
昨夜は、さまざまなことを孔明と語りあった。
孔子の教えの解釈だけではない。流民への対応だけではない。
この二年あまりで生じた国内の出来事を孔明に教え、彼が旅で得たものを教わった。
残念ながらというべきか、当然というべきか、仕事は増えてしまったようだが、それでも重責を理解しあい、分かちあえる相手は、本当に得がたい存在である。
「それにしても……規模の大きい話だ」
北方異民族の侵略をふせぐ。
秦の始皇帝が万里の長城を築いてすら、なしえなかった大業である。
とうてい不可能に思える難事に立ちむかうべく旅に出て、帰ってきたと思ったら、今度は孔子ときた。
「つくづく、孔明には官職が似合わないな」
孔明が同僚だったら、と荀彧も想像したことはある。
それはそれで大きなことを成し遂げられそうな気もするのだが、やはり官職にとらわれていては、孔明の才を十全に発揮することはできないのだろう。
「まあいい。官途にいてできることは、私の担当だろう」
荀彧は口元をひきしめた。
名士たちを動かし、あらたな解釈を普及させる。
たしかに、荀彧が果たすべき役割なのだろうが、けっして容易なことではない。
そもそも名士層は一枚岩でないのだ。
儒教理念を尊重するという共通項はあれど、人物評、地縁、それこそ儒教の解釈の仕方によって、大小さまざまな派閥が形成されている。
そこに波紋を広げているのが、かつて孔明が予測した、曹操を魏公に就ける動きである。
実現こそまだだが、日に日に圧力は強まっていた。
勧進こそしていないが、荀彧は賛同しており、潁川閥も彼と歩調を合わせている。
だが、臣下の分を超えている、と反対する名士も少なくない。
いま、名士社会は大きく揺れうごいているのだ。
その荒波を乗り切るための舵は、荀彧の手に託されている。
……荀彧は無論、孔明も知りえなかった。
本来あるはずだった歴史においても、孔明と同様の解釈をし、それを世に知らしめた人物がいた。
十二世紀の儒学者、南宋の朱熹である。
三国時代以降、中国は異民族に支配される苦難の歴史を余儀なくされた。
南宋もまた、女真族の国家である金に、華北を奪われた国であった。
古くからある解釈が通用しない現実を目の前に、朱熹はあらたな解釈を取り入れなければならなかったのである。
千八百年後を知る孔明は、今後訪れるであろう苦難の歴史を未然に知っていた。
それゆえ、外部から漢帝国を見つめなおすことによって、後世もたらされるはずであった儒教の変容を、千年早くみちびきだすことに成功したのであった。




